揉める前に、四方を動かします
閻婆惜でございます。
本日は、揉める前の使者について確認いたします。
何かが起きてからでは、使者は止められます。
家族も動けなくなります。
ですので、まだ何も起きていないうちに、四方へ知らせを出します。
宋大公様と宋清様。
花栄様の御家族。
梁山泊。
清風山。
なお、王英様は加勢依頼対象ではあっても、接触対象ではございません。
花栄様が部屋を出てから、しばらく静かだった。
清風寨の屋敷は、梁山泊とは違う静けさがある。
人の声はある。
武具の音もある。
だが、どこか整っている。
誰がどこへ動くのか、ある程度決まっている場所の音だった。
だからこそ、崩れた時は早い。
私は卓の上に置かれた紙を見た。
清風寨訪問再確認。
一、宋江様は罪人ではない。
二、ただし梁山泊に関わる者として見られる危険あり。
三、花栄様は宋江様の友人。
四、同時に清風寨の武官。
五、劉高様との関係は良好ではない。
六、私邸への滞在は噂の火種になる。
七、花栄様は有能ゆえに巻き込まれやすい。
八、宋江様は友人宅でも顔に出さない。
九、後で世話する、は禁句継続。
九は、当然残す。
場所を問わない。
相手も問わない。
特に王英様が絡む場合は、永久保存である。
宋江様は椅子に腰を下ろし、まだ少し考え込んでいた。
「婆惜」
「はい」
「花栄を巻き込まぬためには、どうすればよい」
私は筆を置いた。
「巻き込まない、という段階は過ぎています」
宋江様の顔が止まった。
「過ぎておるのか」
「はい」
「まだ、花栄は何もしておらぬ」
「宋江様を屋敷へ迎えました」
「それだけでか」
「劉高様から見れば、それだけでは済まない可能性がございます」
宋江様は黙った。
分かってきている。
ただ、分かると顔が沈む。
そこも困る。
「宋江様」
「うむ」
「顔です」
「……今のもか」
「はい。申し訳なさを出すと、花栄様はもっと庇おうとします」
「難しいな」
「難しいです」
私は紙を一枚引き寄せた。
考えるべきことは、花栄様だけではない。
宋江様だけでもない。
劉高様が動いた時、誰が足を取られるか。
宋江様、花栄様、宋大公様、宋清様、花栄様の御家族。
人は一人で動けない。
家があれば、家が足枷になる。
家族がいれば、家族が人質になる。
火がついた後にそれを思い出しても遅い。
だから、火がつく前に動かす。
戸の外から声がした。
「花栄でございます」
「どうぞ」
花栄様が入ってきた。
食事の手配を済ませたのだろう。
表情は落ち着いているが、どこか固い。
この方も、すでに分かっている。
清風寨は安全ではない。
「奥方、宋江殿。食事はすぐに整います」
「ありがとうございます」
私は頭を下げた。
そして、すぐに本題へ入った。
「花栄様」
「はい」
「使者を四方へ出します」
花栄様が止まった。
宋江様も止まった。
「四方?」
宋江様が聞き返す。
「はい」
私は紙へ筆を置いた。
「一つ目は、宋大公様と宋清様へ」
宋江様の顔が変わった。
「父上と宋清に?」
「はい。退避の知らせを出します」
「待て。まだ何も起きておらぬ」
「まだ、だからです」
宋江様は言葉を失った。
花栄様は黙ってこちらを見ている。
私は続けた。
「宋江様は、今はまだ罪人ではございません。ですが、劉高様と揉めれば、お尋ね者として扱われる危険がございます」
「うむ」
「その時、宋大公様と宋清様が残っていれば、宋江様は動けなくなります」
宋江様の顔が、はっきり沈んだ。
「父上を巻き込むことになるか」
「巻き込まれる前に退避させます」
「梁山泊へか」
「はい」
宋江様は苦い顔をした。
「父上を山へ逃がすのか」
「逃がすのではありません。退避です」
「同じではないか」
「違います。逃亡は追われてから。退避は追われる前に動かすことです」
宋江様は黙った。
よろしい。
ここは押し切る。
私は花栄様へ向き直った。
「二つ目は、花栄様の御家族へ」
花栄様の目が動いた。
「私の家族まで?」
「はい」
「そこまでする必要があるでしょうか」
「あります」
私は短く答えた。
「花栄様が宋江様を庇えば、劉高様は花栄様を見るでしょう」
「それは承知しています」
「その時、御家族が残っていれば、花栄様は動けなくなります」
花栄様は口を閉じた。
そこは分かるはずだ。
武で押せる方ほど、家族を押さえられると止まる。
だから先に外す。
「花栄様」
「はい」
「御自身だけなら、いくらでも戦えるかもしれません。ですが、御家族は違います」
花栄様の顔が少し強張った。
「……奥方は、そこまで見ますか」
「見ないと、後で困ります」
「まだ劉高殿は動いておりません」
「動いていないから使者が出せます」
部屋の中が静かになった。
宋江様も、花栄様も、そこで止まった。
私は続ける。
「劉高様が動いた後では、使者が止められます。御家族も押さえられます。道も見られます。こちらが動く理由も、向こうに与えることになります」
花栄様は、ゆっくり息を吐いた。
「……なるほど」
理解が早い。
そして、理解した後の顔が重い。
「三つ目は、梁山泊へ」
宋江様が顔を上げた。
「梁山泊へもか」
「はい。護衛要請です」
「誰の?」
「宋大公様と宋清様。花栄様の御家族。退避する方々を迎える護衛が必要です」
「梁山泊から迎えを出させるのか」
「はい。御家族だけで動かしてはいけません。途中で捕まれば、かえって危険です」
宋江様は黙った。
花栄様も黙っている。
反対したいのだろう。
だが、反対する理由より、必要な理由の方が多い。
私は四つ目を書いた。
「四つ目は、清風山へ」
宋江様が、今度こそ驚いた顔をした。
「清風山まで?」
「はい。加勢を頼みます」
「燕順殿たちにか」
「はい」
「王英もいるぞ」
「王英様は接触禁止です」
宋江様は口を閉じた。
「ですが、燕順様は話が通じます。鄭天寿様も抑え役に回れます。加勢先としては使えます」
「使える、か」
「失礼いたしました。加勢をお願いできます」
花栄様が、少しだけ苦笑した。
「奥方は、清風山まで動かされるのですね」
「先ほど縁ができました。使わない理由がございません」
「王英がいるのに?」
「いるからこそ、こちらから用件を限定します。加勢であって、接触ではありません」
宋江様が小さく息を吐いた。
「そこまで分けるのか」
「分けます」
「なぜだ」
「混ぜると炎上します」
花栄様が、少しだけ下を向いた。
笑いかけたのだろう。
私は見た。
「今はまだ可ではございません」
「失礼しました」
訂正が早い。
やはり花栄様は危険である。
私は紙に見出しを書いた。
四方使者確認。
一、宋江様はまだ罪人ではない。
二、ただし劉高様と揉めれば、お尋ね者になる危険あり。
三、宋大公様と宋清様へ退避の知らせ。
四、花栄様の御家族へ退避の知らせ。
五、梁山泊へ護衛要請。
六、清風山へ加勢要請。
七、使者は同時に出す。
八、文面は短く、読まれても炎上しにくくする。
九、宋江様は情を書きすぎない。
十、花栄様は一人で抱えこまない。
十一、王英様は接触対象ではない。
宋江様が九を見た。
「わしは、文も制限されるのか」
「はい」
「父上への文だぞ」
「だからこそです」
「冷たくないか」
「生き延びてから温かくしてください」
宋江様は黙った。
花栄様が、今度ははっきりこちらを見た。
「奥方、文面はどのように?」
「短くします」
私は別の紙を取った。
宋大公様、宋清様宛。
身辺に危険が及ぶ恐れあり。
すぐに山へ退避されたし。
道中は迎えの者に従うこと。
詳細は後ほど。
宋江様が眉を寄せた。
「短い」
「短い方が安全です」
「父上が心配する」
「長く書いても心配します」
「それはそうだが」
「長く書くと、途中で読まれた時に炎上します」
宋江様は返せなかった。
次に、花栄様の御家族宛。
清風寨に火種あり。
花栄様の御意向として、一時退避を願う。
迎えの者に従い、目立たず移動されたし。
詳細は後ほど。
花栄様は、その文をじっと見た。
「私の意向として?」
「はい。御家族は、花栄様の言葉でなければ動きにくいでしょう」
「確かに」
「ただし、詳しくは書きません」
「なぜです」
「読まれた時、花栄様が劉高様を疑っていると見えるからです」
花栄様は黙った。
理解が早い。
それだけに、顔が重くなる。
三つ目。
梁山泊宛。
清風寨に火種あり。
宋大公様、宋清様、花栄様御家族の退避護衛を要請。
迎えは目立たず、分散。
詳細は後ほど。
宋江様が小さく言った。
「晁蓋殿が驚くだろうな」
「驚いても、動いていただきます」
「冷たいな」
「生き延びてから温かくしてください」
「それは二度目だ」
「大事なので」
宋江様は、今度は少しだけ笑いかけた。
私は見た。
「今は可ではありません」
「分かっておる」
本当に止めた。
よろしい。
四つ目。
清風山宛。
燕順様へ。
清風寨にて火種あり。
必要時、加勢を願う。
王英様は女性へ近づけぬこと。
詳細は後ほど。
宋江様が頭を抱えた。
「最後の一文は必要か」
「必要です」
「失礼ではないか」
「近づかれる方が困ります」
花栄様が、とうとう声を抑えて笑った。
「花栄様」
「失礼しました」
「王英様の件は笑い事ではございません」
「はい。承知しております」
本当に承知している顔だった。
よろしい。
私は四通を並べた。
文は短く、情は少ない。
説明も少ない。
だからこそ、途中で読まれても炎上しにくい。
もちろん、完全に安全な文などない。
だが、長い文よりはマシである。
問題は使者だ。
「花栄様」
「はい」
「使者は、信頼できる方を選んでください。顔が知られすぎていない者がよろしいです」
「承知しました」
「梁山泊への使者は、道を知る者を」
「はい」
「清風山へは、先ほどの件を知る者がよろしいでしょう。王英様の件を軽く扱わない方で」
宋江様が小さく言った。
「王英の扱いが、どんどん厳しくなっておる」
「接触禁止ですので」
「そうであったな」
「忘れないでください」
「忘れぬ」
私は見た。
「顔は信用できません」
「そこまでか」
「そこまでです」
花栄様は、もう笑わなかった。
完全に真面目な顔で頷いた。
「奥方。使者はすぐに出します」
「お願いします」
「しかし、ひとつだけ」
「はい」
「もし、これで劉高殿が何も動かなかった場合は?」
「それが一番よろしいです」
私は答えた。
「何も起きず、御家族が一時退避しただけで済むなら、それで十分です」
「無駄足になります」
「無駄足で済むなら、上出来です」
花栄様は黙った。
宋江様も、何も言わなかった。
無駄足に空振り。
早すぎる手配。
それを恐れて動かないと、間に合わない。
私は筆を置いた。
「揉め事は、始まってから整えると遅うございます」
花栄様は、深く頭を下げた。
「承知しました」
その声は、先ほどまでと少し違っていた。
客への返事ではない。
戦の前に方針を受け取る声だった。
私は少しだけ嫌な気持ちになった。
戦をしたいわけではない。
軍師になりたいわけでもない。
ただ、炎上した時に誰かが押さえられるのを避けたいだけだ。
宋江様が私を見る。
「婆惜」
「はい」
「そなたは、戦をしておるのか」
「いいえ」
「では、何だ」
「後始末にならないよう、前始末をしております」
宋江様は黙った。
花栄様も黙った。
よろしい。
黙るべきところで黙っている。
やがて花栄様は四通を手に取り、部屋を出て行った。
すぐに使者が選ばれるだろう。
早ければ早いほどいい。
部屋には、また私と宋江様だけが残った。
宋江様は、まだ紙を見ている。
「婆惜」
「はい」
「父上は、驚くだろうな」
「驚かれます」
「宋清も」
「はい」
「花栄の家族も」
「はい」
「清風山も」
「王英様以外は、たぶん」
宋江様は、少しだけ苦笑した。
「王英だけは駄目か」
「駄目です」
「覚えておく」
「お願いします」
私は新しい紙を取り、最後に一文を書いた。
劉高様より先に動く。
それだけである。
だが、今回のすべてはそこに尽きる。
劉高様が動いてからでは遅い。
疑われてからでは遅い。
捕まってからでは遅い。
お尋ね者になってからでは遅い。
まだ何も起きていない。
だから、四方へ使者を出せる。
悪女になる暇がない。
劉高様とまだ揉めてもいないのに、宋家、花栄様の御家族、梁山泊、清風山へ使者を出すことになった。
まだ何も起きていない。
だからこそ、四方へ動かせる。
水滸伝の世界では、火がついてから水を探しても遅いのである。
本件、閻婆惜よりご報告いたします。
本日の確認事項は、以下の通りでございます。
揉めてからでは、使者は出せない。
家族は、足枷になる前に退避させる。
梁山泊には護衛を頼む。
清風山には加勢を頼む。
以上でございます。
まだ何も起きておりません。
だからこそ、四方へ知らせを出せました。
なお、王英様への接触制限は、今後も継続でございます。




