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縄にも、用途がございます

閻婆惜でございます。

本日は、梁山泊への到着について確認いたします。

縄は解かれました。

ですが、安心するには早うございます。

ここでの私の立場は、まだ決まっておりません。

客人なのか。

保護対象なのか。

宋江様の妻として、どこまで扱われるのか。

歓迎と受け入れ体制は別でございます。

山寨に入ったら終わり、ではございません。

むしろ、ここから確認事項が増えます。

縄は、ゆるかった。

手首に痛みはない。

跡も、たぶん残らない。

だが、遠目には分からない。

近所の人間には、私と宋江様が縄を受けて連れて行かれるように見えたはずだった。

それでいい。

むしろ、それがいい。

宋江様が自分の意思で逃げたように見えない。

私が自分からついて行ったようにも見えない。

宋大公様や宋清様が、前から知っていたようにも見えにくい。

晁蓋様に押し切られた。

兵に囲まれ、縄を受けた。

妻も巻き込まれた。

外からは、そう見える。

かなり危ない。

だが、今はそれが一番ましだった。

道中、宋江様は何度か私を見た。

何か言いたそうだった。

けれど、言わなかった。

よろしい。

外で余計な会話はしない方がいい。

晁蓋様は、前を歩いていた。

時々こちらを振り返る。

その顔には、まだ少し困惑が残っていた。

当然である。

友を助けに来たはずが、友の妻に縄の使い方まで指示されたのだ。

困惑しない方がおかしい。

それでも晁蓋様は、歩く速さを落としてくれた。

病み上がりに合わせるように、道を選んでいる。

豪快な方だが、乱暴ではない。

そこは助かる。

ただし、助かることと、安全であることは別だった。

梁山泊へ近づくにつれ、人の気配が変わった。

道が細くなり、森が深くなる。

水の流れる音が聞こえる。

ところどころに見張りらしい男が立っている。

梁山泊――

父のゲームで見た名前。

攻略本で見た地名。

好漢たちの集まる場所。

物語なら、ここから大きな流れが始まる場所。

だが、今の私にとっては違う。

役所から遠ざかる場所。

宋江様の立場が変わる場所。

私の扱いがまだ決まっていない場所。

つまり、未確認事項の山である。

「婆惜」

宋江様が小さく言った。

「はい」

「苦しくはないか」

「縄は問題ありません」

「縄の話ではなく」

「体の方も、今のところは」

宋江様は少しだけ息を吐いた。

「本当に、すまぬ」

「謝罪は受け取ります」

「その後に何か続くのだな」

「続きます」

宋江様は目を伏せた。

「到着後、私の立場を確認してください」

「立場」

「はい。客人なのか、捕虜なのか、保護対象なのか、宋江様の妻として同室なのか、別室なのか」

宋江様は言葉を失った。

晁蓋様が前で少し振り向いた。

聞こえていたらしい。

「奥方」

「はい」

「山寨に着いたら、まず休むがよい」

「休む場所の管理者はどなたでしょうか」

晁蓋様は黙った。

宋江様も黙った。

よろしい。

梁山泊へ着く前から、必要な確認に入れている。

やがて、山寨の門が見えた。

思ったより大きい。

人も多い。

武器を持つ男たちがこちらを見ている。

視線が集まる。

宋江様に。

晁蓋様に。

そして、縄を受けた私に。

よろしい。

見てください。

私は俯きすぎず、顔を上げすぎず、病み上がりの妻として歩いた。

自分から来た女に見えてはいけない。

だが、完全に怯えた女にも見えてはいけない。

巻き込まれたが、状況を見ている女。

それが今の位置である。

門の内側に、一人の男が立っていた。

細身で、目がよく動く。

笑っているようで、笑っていない。

衣服は整っている。

武の人というより、頭で場を動かす人に見えた。

呉用――

名前は知っている。

攻略本にも載っていた。

梁山泊の軍師。

智多星。

父がゲームをしていた時も、よく見た名前だった。

ただ、今の私はその肩書きより、まず顔を見た。

この人は、こちらを見る。

かなり見る。

縄も見る。

宋江様の顔も見る。

晁蓋様の顔も見る。

私の姿勢も見る。

危険である。

かなり危険である。

呉用殿は、晁蓋様へ一礼した。

「晁蓋殿、戻られましたか」

「うむ。宋江を連れて来た」

呉用様の視線が宋江様へ移る。

「宋押司……」

その声には、驚きと安堵が混じっていた。

だが、すぐに縄へ目がいった。

当然である。

宋江様に縄。

私にも縄。

梁山泊側から見ても、妙な光景だろう。

呉用様は眉を寄せた。

「晁蓋殿、これは……」

晁蓋様は、少し困った顔をした。

「形だけだ」

「形だけ」

「奥方が、そうせよと申したのだ」

呉用様の目が私へ向いた。

一瞬、場の空気が変わった。

「奥方が?」

「うむ」

晁蓋様は、短く説明した。

宋江様が自分の足で出れば逃亡に見えること。

私が自分からついて行けば共犯に見えること。

宋大公様や宋清様にも疑いが及ぶかもしれないこと。

近所の目を証人として使うこと。

そのため、形だけ縄を受けたこと。

呉用様は、途中から完全に黙っていた。

目だけが動いている。

私を見る。

宋江様を見る。

縄を見る。

晁蓋様を見る。

また私を見る。

「……奥方が、自らその形を?」

「はい」

私は答えた。

「逃亡者の妻より、連れ去られた妻の方がまだましですので」

呉用様の目が細くなった。

宋江様が少しだけ顔を伏せた。

晁蓋様は腕を組んでいる。

呉用様は、ゆっくり息を吐いた。

「晁蓋殿……」

「なんだ」

「この御方は、ただの御内儀ではございませぬ」

「わしも、道中ずっとそう思っておった」

晁蓋様の声には、少し疲れがあった。

失礼である。

だが、否定はできない。

呉用様は私を見た。

「奥方。よく、その場で思いつかれましたな」

「思いついたというより、そうするしかありませんでした」

「自ら縄を受けることまで?」

「縄は嫌でした」

「でしょうな」

「ですが、嫌かどうかで判断すると、後で困ります」

呉用様は黙った。

私は続けた。

「宋江様が逃げた形になれば、役所は宋家を疑います。私も共犯に見えます。晁蓋様側も、内通していたと見られます」

「それで、誘拐の形を?」

「誘拐ではなく、誘拐に見える外形です」

呉用様の目が少しだけ光った。

「同じではございませぬか」

「同じではありません。本当に誘拐されるのは困ります」

晁蓋様が、横で小さく息を吐いた。

宋江様は、口元を押さえかけてやめた。

外である。

よく耐えた。

あとで、褒めて差し上げます。

呉用様は、少しだけ笑った。

「縄にも用途がある、ということですか」

「はい」

私は答えた。

「ただし、きつく縛る用途ではありません」

呉用様は、今度こそ声を出さずに笑ったようだった。

「晁蓋殿、縄を解いても?」

晁蓋様が頷く。

「解いてやれ。形はもう済んだ」

男が近づき、まず宋江様の縄を解いた。

次に、私の縄へ手を伸ばす。

私は少しだけ手を引いた。

「どなたですか」

男が止まった。

呉用様も止まった。

晁蓋様もこちらを見る。

「縄を解く方のお名前を伺っても?」

男は戸惑った。

「杜遷と申します」

「ありがとうございます。では、お願いいたします」

杜遷様は、妙に慎重な手つきで縄を解いた。

よろしい。

名前が分かれば、後で説明できる。

呉用様が私を見る。

「そこまで確認なさるか」

「誰が縄を解いたか分からないのは困ります」

「困る?」

「後で揉めます」

宋江様が、小さく息を吐いた。

「婆惜は、何でも後で揉めるかどうかで考える」

「揉めてから考えるよりは安全です」

呉用様が宋江様を見た。

「宋押司」

「うむ」

「奥方は、いつからこのように?」

宋江様は少し困った顔をした。

「病み上がりからだ……」

「病み上がり……」

呉用様の目が私へ戻る。

「病み上がりで、誘拐の外形を整え、近所の目を証人にし、宋家への疑いを薄くし、縄の強さまで指定なさったと……」

「はい」

「……それは病み上がりとは言いませぬ」

「今は、それで通しております」

呉用様は完全に黙った。

晁蓋様が、少しだけ笑いかける。

宋江様が小さく言った。

「今は山寨の中だ。少しはよいのではないか」

「まだ受け入れ条件が決まっておりません」

私が言うと、二人とも黙った。

呉用様だけが、静かに目を細めた。

「受け入れ条件」

「はい」

私は足元を少し整えた。

体は重い。

歩いてきた疲れもある。

だが、ここで流されるわけにはいかない。

梁山泊に着いた。

だから終わりではない。

むしろ、ここからである。

「私は、ここでどの立場になるのでしょうか」

呉用様が黙った。

「客人でしょうか。捕虜でしょうか。保護対象でしょうか。宋江様の妻として扱われるのでしょうか」

晁蓋様が眉を寄せた。

「もちろん、宋江の奥方として迎える」

「では、責任者は晁蓋様でよろしいでしょうか」

「責任者」

「はい。山寨内で私に何かあった場合、どなたへ申し出ればよろしいですか」

晁蓋様が止まった。

呉用様が軽く咳をした。

「奥方。まずは中へ」

「中へ入る前に確認した方がよいことです」

「なぜです」

「入ってから立場が曖昧だと、後で困ります」

呉用様は、私をじっと見た。

「では、何を確認なさいますか」

「寝所。食事。湯浴み。着替え。見張りの有無。宋江様と同室か別室か。私が山寨内を歩いてよい範囲。私に話しかけてよい方。私の持ち物の扱い。病人としての休息場所」

呉用様は、絶句した。

晁蓋様も黙った。

宋江様も黙った。

杜遷様も黙った。

よろしい。

黙るべきところで黙っている。

私は続けた。

「歓迎と受け入れ体制は別でございます」

呉用様の目が、また少し変わった。

「それも、奥方のお考えで?」

「はい」

「宋押司」

呉用様が宋江様を見る。

「奥方は、こちらに来る前からずっとこの調子で?」

宋江様は少し考えた。

「家でも、だいたいこうだった」

「だいたい……」

「紙が増えていった」

晁蓋様が頷いた。

「道中も、人数と縄と歩く速さを確認された」

呉用様は額に手を当てた。

「晁蓋殿」

「なんだ」

「我らは、宋押司だけでなく、とんでもない方を迎えたのかもしれませぬ」

失礼である。

だが、やはり否定はできない。

私は静かに言った。

「私は、ただの妻でございます」

呉用様は即答した。

「ただの妻は、縄の使い道を考えませぬ」

その場が、妙に静かになった。

宋江様が、少しだけ肩を震わせた。

外ではない。

だが、まだ不可である。

先ほど褒めようと思ったことは、却下である。

私は呉用様を見た。

「では、ただの妻として扱われるよう、受け入れ手順を整えてください」

呉用様は、初めてはっきり笑う。

「承知いたしました。まずは、奥方の寝所と世話役を決めましょう」

「女性はいらっしゃいますか」

「今は十分とは申せませぬ」

「では、男性のみで近づかない手順が必要です」

「そこからですか」

「そこからです」

呉用様は晁蓋様を見た。

晁蓋様は、諦めたように頷いた。

「やれ。奥方の言う通り、曖昧にすると後で燃えそうだ」

よろしい。

かなりよろしい。

私はやっと、少しだけ息を吐いた。

梁山泊に着いた。

縄は解かれた。

だが、安心にはまだ遠い。

場所が変わっても、確認事項は消えない。

むしろ、増える。

私は、呉用様に案内されながら、頭の中で新しい紙を広げていた。

梁山泊受け入れ確認。

一、閻婆惜の立場。

二、責任者。

三、寝所。

四、食事。

五、入浴。

六、接触制限。

七、宋江様の顔。

最後の一つは、山に来ても変わらない。

宋江様が横から小さく言った。

「婆惜」

「はい」

「今、何か書く顔をしておった」

「宋江様も、だいぶ分かってこられましたね」

「嬉しくない」

「私も忙しいです」

晁蓋様が、前で小さく笑った。

呉用様も、口元を押さえた。

私は見た。

「お二人とも、今は山寨の中なので少し可です」

呉用様が、驚いたように宋江様を見る。

宋江様は静かに言った。

「家の中では、少し可なのだ」

呉用様は、しばらく黙った。

そして、深く頷いた。

「……なるほど。これは確かに、手順が要りますな」

悪女になる暇がない。

梁山泊に着いた途端、今度は受け入れ条件の確認である。

水滸伝の世界では、山寨に入れば終わりではない。

むしろ、誰が責任者なのかを決めるまで、座る場所すら油断できない。

本件、閻婆惜よりご報告いたします。

本日の確認事項は、以下の通りでございます。

縄は、きつく縛るためだけのものではない。

誰が解いたかも、確認しておく。

ただの妻として扱われるには、手順が必要である。

宋江様の顔は、山寨でも管理対象である。

以上でございます。

梁山泊の皆様には、丁重に迎えていただきました。

ですが、丁重であることと、安全であることは別でございます。

なお、呉用様には早々に見抜かれました。

危険です。

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