七、姫の舞
(私が、〈結び〉なんて……)
スオノは、自分の血に流れる力が呪わしかった。刹那的に、どうしようもなく、務めから逃げてしまいたくなることがある。まだ子どもの頃、ばあやに泣きついて、ほんとうに逃げてしまったことがあって、そこでソノラと出逢ったのは、必然としか思えなかった。
(……ソノラ)
双子の妹。
妹が捨てられた理由を、スオノは知らない。だが、推し量ることはできた。
──ソノラは、〈結び〉の力が使えないのだ。
季節の暮れ方に蜜梅の下で会うようになってから、判明したことだった。
結び取り遊びをしている時に、どのような結び目でもほどいてしまうソノラに、スオノはびっくりした。葉結びでも、菜の花結びでも、ソノラは、あっという間にするっとほどいてしまう。
「すごいのね、ソノラ」
「昔から特技なの」
笑ったソノラの顔は、花曇りのように見えた。あまりふれないでほしいと言っているようで、スオノはつい目を背けた。
(私の悪いくせ)
──気づいているのに、見ないふり。
「じゃあ、結ぶのはどう?」
話を変えるように紐を差し出すと、ソノラの顔はこわばった。スオノは、簡単なあわび結びを見せてやったが、ソノラは、指を震わせていた。どんなに丁寧に見せてやり、手を添えてやっても、ソノラはついに結ぶことができなかった。
スオノは、驚いてソノラを見やる。
「昔からだめなの」
満月の逆光を受けて、スオノはその時、妹がどんな顔をしているのかわからなかった。
一族のなかで紐を結ぶことができない人間はいない。だからスオノは、双子の妹がいなかったことにされて捨てられた理由を、なんとなく理解してしまったのだ。
「──テソン皇子さまが、お見えになりました」
物思いにふけっていると、メノウ姫の侍女がそう告げて、まもなく〈明けの国〉の皇子テソンが座敷に現れた。
空気が、寸暇のうちに、膨れ上がるように緊張を孕んだ。
気をよくしていたはずの〈暮れの国〉の皇子ヨルカが、厳しく横目に、テソンを見やる。
──東に〈明けの国〉、西に〈暮れの国〉。
海より来たる外ツ国から、両国は長年、〈幹〉を戴く〈央の国〉を守ってきた。だが、この数年、両国の関係は、芳しくない。
〈暮れの国〉の〈明けの国〉への憎悪は、この数年、水面下で激しく募っている。
ヨルカ皇子の態度は、そういうもので、皆が無言のうちに察していた。
一方で、〈明け〉のテソンは表情を変えなかった。堂々ながらも礼儀正しく、メノウに礼を取る。スオノとホロンはさっと立ち上がって位置を変えると、テソンに道を譲ってやった。テソンは、ヨルカに目礼をすると、隣に楽座になる。
メノウ姫は一見、にこにことしていて、テソンが来ても、振る舞いを変えなかった。次代を担う者として、婚約より前にどちらかに肩入れすることは、よしとしない。模範とも呼ぶべき姫君の対応であった。
スオノは、姫が衿を整えるのを目の端に見た。そのまま、視線を畳の目にやる。
「テソンさまもいらっしゃったことだから、歓迎に舞をよろしいかしら」
そう言って、メノウは立ち上がった。五つ襞の入った花裳がふわっと広がって、腕よりも長い白袖が膝から流れ落ちる。
舞衣装をまとっていたメノウは、スオノたちに声をかけた。
「ホロン、龍笛をお願いできる? スオノは箏をお願い」
ふたりは、心得ていた。メノウの後ろに控えるように立ち上がると、用意された糸竹で、調べを奏でる。
メノウの舞は、雅であった。
白袖は、やさしき心を意味する。くるくると回って袖を天井に掲げるさまは、優美にあふれ、白梅の天井からは、綿毛灯を細かにしたような花の粉が輝き落ちる。
余韻に、梅香が移ろった。
「たいへん美しうございました」
すぐに称賛を示し、両手を打ったのは、〈暮れ〉のヨルカであった。剣を握って硬くなっているからだろうか。音がしたたかに聞こえる。
「ありがとうございます」
舞を終えたメノウは、上気した顔でたおやかに笑む。
ヨルカ皇子は許しを得ると、控えていた従者に命じて、メノウの侍女に綾子の反物を渡した。
「次代の姫君の美しさをたたえて」
淡桃色に黄丹の花を咲かせた絹織物は、品のいい豪華さがあった。
メノウは、桜唇に弧を描いて、満足したと金色の視線をやる。
次いだのは、〈明け〉のテソンであった。
「恐れながら……」
テソン皇子は、照れた顔をしながら、詫びるように言う。
「なんとお褒めすればよいのかわからず」
はっ、と後ろで、ヨルカ皇子が鼻で小さく笑ったのを、スオノは聞いた。
「褒めてくださろうとするお気持ちが、うれしく思います」
メノウは肯定的に受け取った。
姫君らしい鷹揚さを示す。
テソン皇子は、ヨルカ同様に従者に命じると、今度は侍女に木綿の反物を渡した。無地の素朴な草木染めのされた布で、ヨルカ皇子が品位を疑うように、あからさまにテソンに侮蔑を込めた目を向ける。
テソンは、てらいがなかった。
「美しい舞を披露するためには、修練のお時間が必要でしょう。これは、その時にお召しになるものとしてお使いください。水通しをすませておりますので、本縫いを終えれば、すぐにでも袖を通せます」
メノウが、金の目を瞠る。
「どうぞ、お健やかにお過ごしなさりますよう」
テソンが頭を下げた時、メノウの顔が一瞬ただの少女に戻ったのを、スオノは見た。顔を上げたテソンとメノウのあいだで、しばし視線が交わされる。
メノウが示した心をわからぬヨルカ皇子でもなかった。ヨルカが楽座に拳を強く握り、唇を噛み締めるのを認めて、スオノはそっと目を伏せた。




