六、結び師
「──これにて、〈結び〉と相成ります」
スオノがそうして、実りの鈴とともに辞儀をすれば、夫婦となった男女は顔をほころばせた。見つめ合って、うれしそうにする。
スオノは、この瞬間が、たまらなく好きだった。〈結び師〉として報われる時で、白湯を飲んだあとのように、腹の中心があたたかくなる。
「一度、結び紐を頂戴いたします。お帰りに間に合うようにいたしますので」
そう言って、夫婦の両手に結んだ打紐を、結び目がほどけぬように下からすくうように取り上げた。深碧色の梅結びは、形を保ったまま、スオノの手に収まる。
「あらためまして、この度はおめでとうございます」
もう一度、礼をすれば、〈結び師〉の役目は終わりだった。スオノは、殿堂からゆっくりと後ろへ退っていく。柱越しに姿が見えなくなれば、ほっと息をつける瞬間であった。ぴんと弦のように張っていた緊張が、ゆるんでいく。
「スオノさま」
控えていた侍女が盆を差し出すと、スオノは肯いた。両手に持った梅結びを、そっと置く。形を整えて見せ方をきれいにしてやる。べつの侍女を伴うと、檜の香る堂をあとにした。花靴を履いて、社の砂利道を進む。襞のある翠色の裳が広がって、風を孕む。
帰り道、古くなった結び堂の前で、奉公に出るか出ないかの娘が、黒格子に箋をうまく結べずにいるのを見かけた。
あいだを風が通うと、ふっと、長衣に焚き染めた青梅の香りを感じる。
母の言葉が、匂い立った。
「縁は一度切り。〈結び師〉として、誓って縁は逃さないと、心に留め置きなさい」
厳しい母であった。今上の王である〈幹〉の縁を結んだ母は、幼少からスオノにそう言って聞かせた。
小さい頃、スオノは泣き虫で、〈結び〉の技をうまく覚えられず、叱られるたびに泣いていた。洟をすするスオノに、母ユノアは、必ずその言葉で締めたのだ。
「逃した縁は糸になって、風に運ばれてしまうの。〈結び師〉は、その糸が飛んでいかないように結んでやるのよ。逃したら、あとはないの」
──肝に銘じなさい。
死んだ母の言葉は、スオノの記憶に青梅の香と結びつけられている。
スオノは、娘のそばに寄った。しゃがんで後ろから手を添えてやる。
「こうして、結ぶのよ」
叶結びを施す。若草色の箋は、片恋を示すものであった。
スオノが笑めば、娘は喜色を浮かべた。ぺこっと頭を下げると、足早にスオノの前を去っていく。
スオノは、その姿を認めると、社の敷地に背を向けた。
〈結び〉の屋敷に戻れば、顔なじみが目に入って、スオノは声が明るくなった。
「ホロン、来ていたのね」
「や、や、やあ、す、スオノ」
ホロンは、色素の薄い若者であった。真っ白な髪を、首の後ろで結っている。瞳は灰青で、この若者の気弱さと合わさって、曇り空のなかに紛れ込んでしまうようだった。
「い、いっしょに、み、宮へ行かないかと思って、よ、寄ったんだ」
「そうね……一緒に、参りましょうか。メノウ姫も、そのほうが喜ばれるわ」
ゆっくりとした話し方をしながら、スオノはホロンに応じた。途端にホロンの硬い表情がやわらぐ。
ホロンはわかりやすく感情を浮かべるので、スオノはいつもほっとする。幼なじみで、ともに国を担う役目を担っているからというのがあった。互いが担う役割がどれほど重いものか、十五を越え、十七となったふたりはよくわかっていた。
従者を伴い、外出用の面紗をかければ、スオノは、ホロンとともに央の都のさらに真中、〈央ノ宮〉へと向かった。
〈央ノ宮〉は、峭立する岩柱を削り取り、白梅と檜の材木を用いて懸造の枝とし、花弁を開くようにいくつもの小殿を構えた、空中楼閣であった。岩肌をなめらかにして造られた階には、ところどころに四阿が置かれ、頂上に〈幹〉のおわす御殿と玉梅の咲く内苑がある。
遠くより眺めれば、〈央ノ宮〉そのものが、都の中心にある梅の大木に見える。外ツ国より、梅香る美しき〈央ノ宮〉と称されるゆえんであった。
スオノは、語られる梅の奥行きを知っていた。
白や薄紅の野梅に、紅の濃い緋梅、果実をつける実梅が、年中咲き誇っているのだ。花霞に、よい香りがたゆたっている。
呪の附された階段に足を踏み入れれば、そこはもう、宮の中心であった。
スオノは香裏にゆく。目指す春宮は、すぐだった。
ころころと、軽やかな笑い声が聞こえてくる。基壇を上がって、吹き抜けの通廊を進む。開けた座敷の間、高欄から城下を見渡せるその場所で、次代の〈幹〉メノウ姫は、楽しげに声を上げていた。
「ヨルカさまは、面白い方でいらっしゃいますのね」
武勇を語る〈暮れ〉の皇子ヨルカを、メノウは接待していたのであろう。
淡桃の、波打つ髪を揺らしながら、姫は金の瞳をまたたかせる。若紫の皇子ヨルカは、メノウの反応に気をよくしたように、外ツ国との戦で自分がどのような活躍をしたのか、さらに早口で語った。メノウは、可憐な笑みのまま、相槌よく話を聴きつづける。
はたから見れば、メノウはヨルカを慕っているように見えるかもしれなかった。けれど、スオノは、メノウが央の次代を担う姫君として振る舞っていることを知っている。幼なじみである姫の心境がどこに至っているのか、わかっていた。
「まあ、ふたりとも、いらっしゃい」
ホロンと、面紗を取ったスオノを認めると、ぱっと、メノウの顔が華やいだ。童顔の姫君はそうすると、幼い少女のようであったが、本来メノウはいたずら好きな娘で、幼い折は、その破天荒さにスオノたちは振り回されてばかりだった。
婚約者候補の男たちの前でしおらしくしているメノウを見ていると、スオノとホロンは、いつも奇妙な生きものを見ている気持ちになる。
スオノとホロン、そして、メノウ姫。
三人は、幼なじみでありながら、次代の央の国を支え合う間柄であった。
(昔は……)
国の〈幹〉となる一族のみが、この国を大木で一身に担っていた。
神より玉梅を授かったやさしき女は、毅い女であったが、孫娘が〈幹〉を担うことになった時、孫は重責に耐えかねた。気を悪くすることが多くなって、土地に張った〈根〉が乱れた。
そこで現れたのが、スオノとホロンの祖先に当たる一族であった。
「〈幹〉の気が乱れれば、央ツ国は立ちゆきませぬ」
男は、よく通る声で〈幹〉に告げた。
「我らが、支えとなりましょう。央の命運を結び、ともに国を支えましょう」
手先の器用な女は、そう申し出た。
ふたりは玉梅の下で、神に百余日祈りを捧げ、力を授かった。
男は、〈幹〉を支えるにふさわしい伴侶を聞く、〈告げ〉の力を。
女は、伴侶との縁をつなぎ、〈幹〉の健やかな気を地に届けるための、〈結び〉の力を。
男と女は、それぞれに賜った。
──〈告げ〉の一族と、〈結び〉の一族。
ふたりの一族は、そうして、国の命運を〈幹〉の一族とともにすることになったのである。




