五、暮れ方の満月
夜になると、ソノラは寝床からそろりと抜け出して、上衣と袴に着替えた。隣でいびきをかくミハヤを起こさぬように、家からすべり出る。
月明かりをたよりに早足で進む。夜陰に目が慣れてきても足元は危なく、慎重に進みながらも、弾む鼓動を隠せなかった。
季節終わりの満月。
今夜は春宵の香るその日で、ソノラは次の丘を目指した。月夜の草は、なんと心地よく香るのだろう。綿毛灯となる蒲公英は、まだ灯花をつけていなかったが、ソノラの胸には灯火がある。
まもなく、月光に花咲く蜜梅が見えた。照らされた杏子色の花が、梅香をくゆらせる。花の下では、被衣姿の貴人が立っている。
「スオノ!」
「ソノラ……!」
貴人が、ぱっと被衣を脱ぎ捨てると、ソノラとまったく同じ顔が現れた。向こうは、眉を整えて化粧をしているから、まったく同じではない。その昔は、そういう差に苦しいものを持て余してしまったこともあったけれど、今のソノラは、ただただ同じ顔の女に会えてうれしかった。
すぐに、ふたりで抱き合う。
「会いたかった!」
「私もよ」
ソノラが喜色を浮かべると、同じ顔の──双子の姉スオノは、差している紅よりも頬を染めて気持ちを同じくしているのがわかった。
双子とは不思議なもので、互いが互いになにを思っているのか、なんとなくわかってしまう。
「飴細工を持ってきたのよ。食べる?」
「食べる!」
スオノの問いに、ソノラは明るく返事をして、丁寧に紙に包まれた飴をもらった。白い晒飴が絹糸のように光沢を放っていて、ウサギを形作っている。
「折れていない?」
「全然。折れてても、食べてしまえば、問題ないよ」
心配するスオノの横で、ソノラは笑顔で口に含んだ。やわらかな空気を含んだあまみが、舌いっぱいに広がって、幸せな気持ちになった。
顔をほころばせるソノラの横で、スオノがほっと表情をやわらげる。
こうして会うたびに、なにかを持参するスオノが、ソノラへの罪悪感からそうしているのだと、ソノラはよくわかっていた。
──捨てられたソノラと、残されたスオノ。
双子の関係は歪であったけれど、はじめて出会った時から、この時間を惜しんだことはない。目に見えぬ結びつきがふたりにはあって、口にせずとも互いの根をわかり合っていた。心地よく、かけがえのない時間であった。
「最近は、どう?」
ソノラはだから、スオノの憂えを感じ取った。飴を舐めながら、スオノの腹のなかを見る。琥珀色の〈糸〉がたわんで、撚り止めをしてやらねば、今にも〈もつれ〉てしまいそうな危うさがあった。
「……そう、ね」
スオノのきれいな両の手は重ねてあった。力が入るのを認めて、飴に気を取られている素振りでスオノを待つ。
宵の、生あたたかい風が通っていく。
「──今度、〈結び〉があるの」
ソノラが飴を舐め終える頃、スオノはやっと口を開いた。
「いつもとは、なにかちがうの?」
残った飴を噛みながら、ソノラは問う。
「今回のは、次代の……メノウ姫さまの〈結び〉なの。いつもよりも、ずっと、責任が重いわ。〈幹〉の一族の〈結び〉は、国全体にも、近隣国にも影響があるもの」
「でも、それって、スオノだけの責任じゃないでしょう?」
スオノは、〈結び師〉だ。昔噺に語られる、やさしき女が、国の〈幹〉となる力を授けられた一方で、スオノの一族は〈結び〉の力を賜った。
──ソノラにはない力。
胸に一針、刺されたような痛みがソノラに走った。聞かずとも、自分が捨てられた理由は明白で、それは目の奥から出てこないものの代わりに、満ち潮のようにソノラを襲う。
奥歯で飴の滓が、じゃりっと音を立てた。
「……ええ、そう。たしかに、私だけの責任じゃない。〈結び〉は〈告げ〉を聞いてから行うし、本来まちがえるものでもないから、私はただ、〈結び〉をすればいい。いつものように、ただ、縁をつないでやればいいの」
だけど、と言葉を濁すスオノの腹では、琥珀色の糸が、質の悪い撚り止め液に浸かったように、すっかり縮んでしまっていた。今にも蟠踞として、〈もつれ〉てしまうように見える。
ソノラの喉元からは、今にも無責任な言葉が飛び出してしまいそうだった。満ち潮が、言ってしまえ、気づかなかったことにしてしまえ、と囁く。
大丈夫だよ。
そう言って、今だけの安心を作ってしまえばいい。
けれど、頭のなかで、紡ぎ車の、音がした。
カラカラカラカラ──……
ソノラは、唇を噛んで、満ち潮をやりすごす。ふうっと息を吐くと、一言一言、スオノの〈もつれ〉を見ながら言葉を選んだ。
「重たいね……責任」
スオノが、はっと顔を上げた。
「縁をつないでしまったら、やり直しが利かないし、もし、ちがう縁で〈結び〉をしてしまったら、国全体に影響が出る。〈幹〉の一族とはちがう、将来の責任を負っているのがスオノだよ」
「…………」
「ひとりで抱えるには、荷が重いね。話してくれて……よかった」
ソノラがそっとほほ笑めば、スオノは、やがて両目にじわじわと水をたたえた。表面いっぱいになると、抱えた両膝に顔を埋めて、静かに涙を流しはじめる。
出会った時と変わらないスオノの様子に、ソノラは隣にやって来ると、背をさすってやった。化粧が絹の着物に移ってしまうのではないかと心配になったが、〈結び〉の一族は金に困っているわけではないから、まあいいのか、と自分のなかで完結させる。
そうして、二ツ時、いつも通り過ごすと、スオノは迎えに来た婆と従者に付き添われて、丘をくだっていった。赤く泣き腫らした顔はひどいものだったけれど、少しすっきりしたようなスオノを感じると、ソノラは小さく手を振って別れた。
夜道を帰る。
行きと異なって、月の明かりが傾いた夜は、不気味に鳥の声が響いた。そこまで距離はないはずなのに、いつもよりも長く感じる道のりを、とぼとぼと歩く。
家の前にやって来て、戸を開けると、土間に差す闇が目に入って、ソノラは自分のなかにあるぽっかりと空いた虚ろを感じた。
ぼんやりと、足を止める。
「この親不孝者めが!」
まもなく奥から、憤怒のミハヤが浮かび上がってきて、ソノラは虚をつかれた。
「賊が出たって言っただろうに!」
ミハヤはいつも熟睡していて、これまでソノラが夜に出て行っても気づきもしなかった。
──心配して、起きてくれたのだろうか。
いや、とソノラのなかの声が否定した。
きっといつも、ソノラが抜け出ているのを知っていながら、気づかないふりをしてくれていたのだろう。今日だけは、ほんとうに心配で待っていてくれたにちがいない。
養い親は、そういう情の深いところがあった。
「ごめん……母さん」
ふいに、ソノラは目から雫が落っこちた。渇いた土に、いくつも沁みていく。
「ごめんですむもんか!」
ソノラは、それから懇々と説教をされた。夜明け近くまでつづけられた説教は、いつもならうんざりするところであったが、今日だけは気にならなかった。
朝陽を感じながらもぐった蒲団からは、炊いた米のにおいがして、ソノラの体はゆるんでいった。
一章:〈もつれ〉──了──




