四、明けの男たち
タカラは、去っていった娘の背を静かに見送った。
(あれは、己の軸を持った娘だ)
揺らぎがありながらも、揺らぎのない軸がある。
──おれの眼に怯まなかった。
タカラの眼光は鋭く、身の内を震え上がらせるものがあるという。稽古をつけてやると、部下は皆、タカラの指導は厳しく容赦がないと言うが、なによりも目つきが鬼神のようだ、と。
「おっかねえですよ」
それはおそらく、タカラの奥底に燻ったものが灰となって降り積もり、山となって見下ろしているからだろう。
──娘は、その山に怯まなかった。
気にするところではあったが、タカラには優先すべきことがあった。
「どうした? しけた面をしているな」
数日前よりヒジャルの様子がおかしいのは、タカラも察するところであった。時宜を見計らっていたところで、娘に空けてもらった場所は話すのに具合がよかった。
「妹御のことか?」
問いに、ヒジャルのまなじりがほんの一瞬、動いた。
タカラは気づかなかったように、石庭にくだる階に腰かけた。ヒジャルを見上げると、陽に透ける綿埃が舞っている。
「病を得ていたな? テソンには言いづらいだろう。あいつは今、次代さまの婚姻相手として、選別を待つ身だからな。お前も、身内のことは口に出しづらい時期だ」
「…………」
「なんかあったか?」
タカラがもう一度投げかけると、途端にヒジャルは膝から崩れ落ちた。一端の武官が、静かに涙を流しはじめる。
「男だろう。泣きやめ」
タカラは咎めながらも、膝を折る。
「……言ってはならぬことを漏らしちまった」
「なにをだ」
「つい漏らしちまったんだ。こんなことになるとは、思わなかったんだ……っ」
ヒジャルはそれから、国を出る前に出会った男のことを語った。
行商の身なりをした男であったという。ヒジャルが、山香ノ街道沿いで薬草市をさまよっていた時に出会ったそうだ。
「薬を探しているのか?」
ヒジャルは、いくつかの店を見て回って、じいっと値札を見比べていた。
皇子の護衛として、庶民より俸禄はもらっている。だが、生まれた時から虚弱ノ病を得ている妹は、薬が友となって親しい。加えて昨今は、どこの土地も実りが悪く、薬となる草の育ちもよくなかったから、値が厳しかった。虚弱の妹を満足に養うには、値と質を比べ歩くしかない。
声をかけられた時、ヒジャルは怪訝に行商の男を見定めた。
いかにも商い人という軽薄そうな笑みを浮かべながらも、どこか油断のならない目で、ヒジャルを見ている。
皇子の護衛をしていることをヒジャルは秘して生活を送っていたが、警戒をするに越したことはなかった。〈暮れの国〉の人間が、いつぞとも、皇子テソンの寝首を掻こうとしているかわからない。
〈明けの国〉のテソンに仕えるヒジャルは、無視して、その行商のもとから去ろうとしたのだ。
「おいおい、待ってくれ待ってくれ。つれねえなあ!」
浮薄な様子を隠しもせず、行商の男はヒジャルを追ってくる。
「頼むよ、兄ちゃん。わしの薬を買ってくれよう」
「べつを当たってくれ。カモになるつもりはない」
つめたくヒジャルが追い払っても、なおも食い下がってくる。
面倒になって市をあとにしようとしたヒジャルが、男を撒こうと駆けようとしたところ、ついに男は、みっともなくべそをかきはじめた。
「娘のためなんだ……! 頼むよう!」
その言葉に、ヒジャルはつい、足を止めてしまった。顔を赤くして鼻水に土埃をつける行商を振り返る。
聞けば行商の娘は、まもなく十六の成人で、〈梅の祝い〉をするのだという。その祝い着をこしらえる金を工面するのに、最近の薬草では質が悪すぎてまともに売れない。祝い日までに間に合わない。
親として心情を語る行商を、ヒジャルは不憫に思った。
懐は厳しかったが、妹が祝い着を着られなかったらと思うと、情が湧いてしまったのだ。
ありったけの薬を買い取ったヒジャルに、男は感謝して、カウロの実を漬けたうまい薬草酒を振る舞ってくれた。家で作ったものだからと安物の酒器を引っ張り出してきた男と、適当なところに座って、酒盛りをはじめた。
よい気分になって、酔ったヒジャルは、うっかり行商の男に喋ってしまったのだ。
「皇子殿下は、次の都上がりでオリの里を経由されるらしい」
今思えば、変に舌が回っていたように思う。秘する蓋が、ぱかっと軽口を開けてしまったのだ。
「なんでまたあ? あそこへの道は険しくて有名だろう?」
並々と酒を注ぐ行商が、やけに明るい合いの手を打って促す。
こぷこぷ、と音がした。
「次代さまに献上される品を、里で直接見定められるそうだ」
「へえ。あそこは、絹ではなく木綿の里だろうに」
「次代さまを喜ばせる方法があるようだ」
そんなことを、ぽろっと漏らしたのだ。
今思えば、護衛として軽はずみなことをした。都上がりの時期は決まっていて、皇子がオリの里を経由するとなれば、行く道や時期は限られる。
次代の〈幹〉の婚約者候補として名の上がっているテソン皇子の行動は、衆目につかぬよう図られていたにもかかわらず、ヒジャルはそうして行商に喋ってしまったのだ。
タカラは、事の顛末をそうして聞き終えた。
涙を流すヒジャルの肩を二度叩く。
「よく言ってくれたな」
「すまない、タカラ」
ヒジャルは、タカラが乳兄弟であるテソンにどれほど忠誠を誓っているのか、よく知っている。
「お前は騙されただけだ」
励ましても、ヒジャルは男として情けない姿を見せる。
タカラはそのさまに溜息をつきたくなったが、立ち上がると、ヒジャルを見下ろした。陽光がタカラの背後から降り注ぐ。
「……務めに戻れ。おれから、テソンに報告する」
ヒジャルが肯くのを確認すると、タカラは踵を返した。磨かれた床が、ぎしっと軋む。
歩を進め、いくつか角を曲がると、奥の客間へと辿り着いた。戸を引くと、臥榻から身を起こしたテソンの姿があった。
平生は、拳大に曙の髻を結っているテソンは、この時は垂らしていた。顔色は昨夜よりよくなっている。
「一言くらい告げて入ってくるべきではないか?」
苦笑するテソンに、タカラは、悪びれなく眉を上げる。
「邪魔している」
「あとから言ってもな」
「今更だからな」
「私でなければ、そなたは今頃、棒叩きだ」
「さすがに、テソン以外には一言告げて入る」
「そなたは……」
まったく、とテソンは呆れた顔をしながらも、乳兄弟の振る舞いにどこか安心を覚えているようなそんな顔をした。
日がな一日を命の危険に晒されているテソンには、こういったわずかな時間が必要であった。
次代の姫の婚約者候補として名の上がっているテソンを、タカラは案じずにはいられない。候補になど上がらなければ、昔と同じように、快活に過ごすことができたのではないかと思う。
(それでも……)
テソンは、この道を往くのだろう。
次代の姫と添い遂げるために、こうして〈明け〉の都から遠回りとなるオリの里に寄っているのだから。
(おれは、テソンを守るのみ)
テソンがその道を進むのであれば、ユン家の男として、道に生える草を刈るだけだ。
タカラは思考を切り替える。
「ヒジャルと話してきた」
「ありがたい。私が今朝声をかけた時は、はぐらかされてしまったからな」
「偶然、話す機会に恵まれた」
ふと、タカラは透廊で出会った琥珀の目をした娘を思い出した。あの娘が、話せる場を設けてくれたことはわずかながらも大きい。
(礼を言わねばな)
また出会うことがあれば、告げねばならない。
タカラは頭の片隅に置きながら、ヒジャルから聞いた話をテソンに伝えた。聞き終えぬうちにテソンの表情は硬くなっていく。
無言のうちに心中を慮る。
「〈暮れ〉の間者は、そこかしこにいると考えてよさそうだ」
テソンの顔は一瞬歪む。
人のよいこの皇子は、自分のせいでヒジャルが騙されたことに苦痛を感じているにちがいないが、タカラは無情だった。
「おれたちも、〈告げ〉と〈結び〉を終えるまで、身を引き締めねばならぬ」
「…………」
「〈告げ〉は、央の都に上がって一週間の内には言い渡される。そこで、今後が決まる」
「……そうだな」
「メノウ姫と偶然の居合わせを装うのも今回で最後だ」
タカラがにやっと笑うと、テソンは途端にきまりの悪そうな顔になった。
「タカラ……」
幾分耳の赤くなったテソンに、タカラは大笑する。
今後もこのような冗談を言えるかどうかは、次の都上がりで決まる。
願わくは、乳兄弟の純真な想いが神に届いてほしいと、思わずにはいられなかった。




