三、〈もつれ〉
ソノラが、ミハヤの言う〈もつれ〉を見えるようになったのは、十二を過ぎた頃だ。すでに、ミハヤの弟子になることは諦め、朝から晩まで家のことをこなして、それでも暇と自分を持て余す毎日だった。
はじめ、ソノラは、それを、子を持つ母親に見た。
里に行商が訪れて、さまざまな品を披露するなか、ほしい玩具を買ってもらえなかった子が母親に駄々をこねたのだ。
「買って買ってえ!」
地面にひっくり返って泣き叫ぶ、癇の強い子だった。困った母親はおろおろとしていたが、たしなめない母親に里の者たちも厳しい目を向ける。
ソノラは、その時、はじめて〈もつれ〉を見た。
母親の腹に、わだかまる〈もつれ〉が、うねうねと糸玉のようになって転がる。子への関わりと、周りからの目に苦しむ糸玉であった。
「あの……、できること……ありますか?」
当時のソノラは、その糸玉が自分のように見えた。
──糸繰りができない自分。
捨て子の自分。
身綺麗な姉スオノと、襤褸をまとった自分。
そういう自分がもつれて糸玉のようになって、同じような糸玉を抱える母親を見ていられなかった。
声をかけられた母親は、驚いたようにソノラを見やった。
糸玉が、ころっと転がる。
「やってほしいこと、ありますか……?」
母親は、困った顔をしながらも、ころころと転がった糸玉が少しほどけた。
「その……、少し放っておいていただけると……」
気弱な母親だったのであろう。ぼそっと言う。
ソノラは聞き届けると、周りに集まった里の者たちに声をかけ、行商をべつのところへ追いやった。
しばらくすると子どもは落ち着いて、小さく泣きながら母親の腕のなかであやされて眠ってしまった。
「叱ると余計に、叫ぶのがひどくなるんです……」
母親はぽつりと言う。
「一度、夫が物を与えてしまってからは、余計にひどくなってしまって」
話をしているうちに、糸玉はほぐれて転がっていった。絡まったものがすべてなくなったわけではなかったけれど、母親は、子どもの寝顔を見ているうちに笑顔になって、会釈をすると帰っていった。
ソノラは、転がる糸玉を見ながら、じっと聞いているだけだった。
不思議な気持ちで家に帰って、仕事を終えたミハヤと夕餉を迎えながら、訥々とできごとを話した。ミハヤは、啜る汁の合間に、にやっと笑った。
「お前は、もつれを見逃さなかったんだね」
ソノラは、顔を上げた。
「さすが、あたしの娘だ」
ミハヤがそう言って、ソノラはなにも言えなかったが、その日は蒲団のなかで一緒に寝た。おこげのにおいがして、あたたかくて、ソノラはネコみたいに丸くなってミハヤにくっついた。
「十二にもなって赤ん坊返りかい?」
「いいの」
その日は、そうしたかった。
ミハヤは溜息をついたあと、ソノラの若草色の髪をなでながら、ふと声を低くした。
「お前の見たものだが……」
「糸玉?」
「あまり人に言うんじゃないよ」
ミハヤの声は、少し怖い色があった。無視してはいけない。そういうたぐいのものだった。
「どう見えるのかわからないが、人が抱えているものがなんとなく見えるんだろう?」
「……うん」
「内容はわからなくても、顔や言葉に出ないものが見える。それは、他者からすると恐ろしい力だよ」
「…………」
「──〈もつれ〉と呼ぼうか」
ミハヤは言った。
「お前が目にできるものを〈もつれ〉と呼ぼう」
それから、ソノラはミハヤと約束した。
見逃せないものがあったら、動いていい。けれど、危ないと感じるもの。自分の力ではどうしようもないものは、手を出さないこと。〈もつれ〉のことは人に話してはならないこと。
そういったことをミハヤと約束した。
「──どうかしましたか?」
ソノラは、つとめて明るく男に声をかけた。男のほうは、びくっとして、ソノラのほうをおそるおそる見やる。人が近くにいたことに気づいていなかったらしい。
「もしかして、迷われましたか? こちらは奥の厨につづいている中庭で、もし、庭を楽しまれたいようでしたら、どうぞ表へ。よろしければ、ご案内いたします」
客人を案内するためであれば、下女が表へ出るのも問題ない。目立たないように歩きながら、目線を下にして、そうっと進めばいい。
言いながら、ソノラは、男の〈もつれ〉を見定めた。〈もつれ〉の形や、見える糸はさまざまで、男のものは、絡んで、澱んでいる。通りかけの下女の言葉ひとつでは、〈もつれ〉は解消しない。
(どうするのがいいだろう)
ソノラが、できることはあまりない。〈もつれ〉が見えるだけ。
(でも……)
男の〈もつれ〉は、あまりよくない。
〈もつれ〉方が、厄介なことになっている。放っておくのは、得策ではない。
(どうしよう)
ソノラに、なにができるだろうか。
「──ヒジャル、こんなところにいたのか」
ソノラが悩んでいる後ろから、べつの男の声が聞こえた。高く結われた黒髪がなびいて、視界に入った。
勇壮な風格のある男であった。肉づきがよく、肩がしっかりとして、足腰の筋肉がついている。一目で武人であり、並の人間ではないとわかる男だった。
(この人は……)
すーっと、糸が一本、通っている。
(揺らぎがない)
ないわけではない。風にそよぐように、わずかに揺れている。けれど、それはかすかなもので、一見すればぴんと張っているように見える。
しなやかな人なのであろう。天から降りてきたように、糸が真っ直ぐ通っているが、柔軟さを持ち合わせているのかもしれない。
ソノラは、男を見て、そう思った。
「……タカラ」
〈もつれ〉を抱えた男が、一瞬、髪と同じ目の色を揺らした。腹に抱えた〈もつれ〉も、うねうねと蛇のように形を変える。
「さがしたぞ、ヒジャル。テソンが目覚めてな。昨夜、賊から身を張って矢避けを行ったのはお前らしいじゃないか。テソンが礼を言いたいと言っていた」
途端に、ヒジャルと呼ばれた男の〈もつれ〉は、干からびたミミズがのたうち回るように、糸を描いた。表情は変わらないのに、激しい変化で〈もつれ〉が入り組んでいく。
「あの……!」
ソノラは、蚊帳の外に置かれながらも、無意識に声を上げた。タカラという武人に声をかける。
タカラは、振り返って、ソノラの存在に今気づいたように深緋の目を瞠った。
無礼を承知で、小声でひそひそと尋ねる。
「あなたさまは、あちらの方の上役ですか?」
「いかにも」
不審を浮かべながらも、タカラはソノラに応ずる。
「でしたら……つまらぬ節介かもしれませんが……」
ソノラの意志は揺らいだ。男の深緋の目が、覗き込んできたからだ。すーっと通っている糸が、男の目から直接ソノラの奥底に降りてきて、その糸先で検分しようとしている。
(わたしがやっていることは……)
意味のある、ことだろうか。
昨夜、襲撃があったという話を思い出した。〈もつれ〉を見つけたらまず言え、とたしなめられた今朝が思い出される。
同時に、頭の奥では、ミハヤの教えがまたたくように聞こえた。
カラカラカラカラ──……
紡ぎ車の音が、する。
自分の意志が、透けるように縒り合わさっていく。
(わたしは、ミハヤ匠の子。もつれの目利きソノラ)
──決して、〈もつれ〉は、見逃さない。
「とても、思い悩んでいらっしゃるご様子でした」
ソノラは、鉄鈴を叩くように凛と声を張った。顎を引いて、堂々と告げる。
タカラが驚いたように、ソノラを見やった。
「詳しくは存じ上げません。ですが、このままお話をなさったほうがよいように……感じました。わたくしは下がりますゆえ、どうかお話に」
ソノラは言い終えると、謹んだ礼をした。そうすると、〈もつれ〉た男の糸先がするっと一本伸びてきて、タカラの糸先に結ばれる。
ソノラは、それを視界の隅で捉えた。〈もつれ〉た糸が少しだけほどけるのを認めると、ゆっくりと頭を上げてから、桶の水を鳴らし、厨のあるほうへ戻っていく。
胸の裡には静かな興奮が、とぷんとぷんと、水の音とともに揺れている。
ソノラの足取りは、糸先に導かれたように、しっかりとしていた。




