二、今は昔
「そろそろ、代替わりの時期なんだろうという話だったよ」
ミハヤが襦袢から上衣と袴に着替えているあいだに、ソノラは椀に米をよそう。ミハヤの好きなおこげをたくさん盛りつけてやる。もとの玄米のにおいと相まって、香ばしいにおいが腹をくすぐる。
囲炉裏に吊った鍋は、ぐつぐつとしていて、下ろしてから味噌を入れてやると、いよいよソノラの腹はたえかねた。ぎゅるっと大きな音が鳴る。
この食事にありつけるのも、ミハヤが糸繰りの匠であったからだ。最近では、少しずつ、汁に入る野菜が減り、米には、混ぜものが増えていると聞く。
「代替わり?」
食前の挨拶をすると、ソノラは首をかしげた。
炊きたての玄米のあたたかなにおいを、箸で一口つかむ。かんばしい香りが口いっぱいに広がると、なんとも言えない幸せな気分になって、顔がほころぶ。
そのまま、味噌汁を啜ると、野菜のあまみが喉から腹をあっためる。鳴っていた音がすぐに黙り込んで、喜んで米や汁を迎えた。
ソノラは、味わいにほほ笑んだ。
「〈幹〉の代替わりさ」
「王さまが替わるの?」
「数十年に一度、あってね。そろそろ、その年なのかもしれないって話だ。はやいとこ替わってくれないと、困ったもんだ」
ソノラは、米を咀嚼しながら、ミハヤの言ったことを頭のなかで噛み砕いた。
〈幹〉。〈央の国〉を根本から支える王さまだと、ソノラは子どもの頃から聞かされてきた。
「王さまが健やかだと、国も豊かになるんだよ」
あれは、だれだったか。たしか、近所に住んでいた姉さんだ。染め抜きの技を見込まれて、隣の里に嫁に行ってしまったけれど、ソノラはよく姉さんにひっついて、いろいろなことを教わった。
「元気ってこと?」
「笑って楽しく過ごしてるってこと。そうしているとね、王さまの気が、〈央ノ宮〉の玉梅を伝って、国中に張っている〈根〉に届くのよ」
「玉梅って蜜梅と似てるの?」
「玉梅は、神さまからもらった、宝の梅。〈央ノ宮〉で年中咲き誇っているんだって。きれいらしいよ。幹から枝まで薄い黄丹色でね、花は蜂蜜みたいに金色に輝いてるんだって」
妾も見てみたいなあ、と姉さんは洗濯をしながら言った。
里には、皆で使う洗濯場があって、技師ではない女や、奉公に出る歳になっていない者たちはそこに集まって洗濯をする。その頃、姉さんも、ソノラも、まだその歳には至っていなかった。
(蜜梅は……)
スオノと出会った場所だ。里を出た次の丘に一本生えている。
思い出しながら、ソノラは尋ねる。
「……その玉梅の〈根〉が、ここにも張っているの?」
じっと、自分の足元を見た。木靴の足元には、なんの変哲もない土と砂利しかない。洗濯場は、角筒のように整えられた木製で、水流が下っている。神秘の力が宿っているようには、ソノラにはどうしても見えなかった。
「ここだけじゃなくて、国境を越えた〈明けの国〉〈暮れの国〉の隅々まで〈根〉を張って、土地を豊かにしてくれてるの」
「──昔は、もっと貧しい土地だったんだべさぁ」
割って入ったのは、元機織り職人の婆であった。目が見えなくなって引退し、こうして洗濯場にやってきては、若者に語る。
姉さんはうんざりした顔をしたが、ソノラは布を流れに浸しながら、顔を出した。
「どれくらい昔?」
「大昔だよ」
──今は昔、央ツ国、
痩せた地、衰えた地、
ひもじき日々を過ごしけり。
ありし日、一人の女、梅の枯れ枝を持ちて、
百余日、神に祈り、舞を捧げたり。
さあれば、神、女の祈り聞き入れて、
枯れ枝に花を咲かせ、玉梅とす。
此を、挿し木とし、宮を建てよ。
さすれば、根が土に張り、広がり、
豊かな土地へ変はらむ。
やさしき女、健やかあれ、健やかあれ。
そなたに〈幹〉の力、授けん。
玉梅の花を香らせよ。
やさしき女、健やかあれ、健やかあれ。
〈告げ〉の力持ちし者、
〈結び〉の力持ちし者、
〈幹〉の力を導かん。
婆は、語り部のごとく、そう謡った。幼い折に、皆が聞かされる〈央の国〉のはじまりであった。
ソノラは、その語りで、意味を理解する。
「じゃあ、今の王さまが、その女の人の子孫なんだ」
「そういうこと!」
なおも語りつづけようとする婆を遮って、姉さんが言った。
「じゃあ、〈告げ〉は? 〈結び〉の力ってなに?」
子どもだったソノラがぐいぐいと尋ねようとすると、姉さんは鬱陶しそうに追い払うようにする。
「もう少し、大きくなったら教えてあげる。ちょっとややこしいから。そういう不思議な力を持った人たちが、この国にはいるってこと。今はそれだけ覚えておきなさい」
結局、姉さんは、その後奉公に出たと思ったら、今度は嫁に行ってしまって、説明を聞かずじまいになってしまった。
ソノラはその意味を、双子の姉──スオノから聞くことになった。
「──加えて、昨日はとんだ客があってね。それでまあ、遅くなったんだよ」
ミハヤの声で、ソノラは、今に戻ってくる。
気づけば、養い親は米も汁も平らげていた。職人というのは食べるのがはやくてかなわない。ソノラは急いで、自分の椀も空けていく。
「もしかして、先ぶれがあった……?」
オリの里は、国ざかいに近い里であったから種々の旅人がやってくるが、先ぶれのあった客は、この十年近くで一番高貴な客であった。
「ああ。〈明けの国〉のテソン皇子さ」
「みんなが悲鳴をあげそう」
ソノラは、一緒に館で働く女中仲間たちのことを思い浮かべる。テソン皇子は、秀麗な男子であると噂だった。
「それがね、」
ミハヤは、声を潜めた。だれも聞く者はいないだろうに、警戒しているようだった。
「その皇子が怪我をして夜半に着いたんだよ。屋敷中、上へ下への大騒ぎさ」
「なにかあったの……?」
「なんでも、ひとつ向こう山で、賊に襲われたんだと」
ソノラは驚いて、ミハヤを見た。
のんびりとした里では聞かない、不穏な話だ。
「だから、ソノラ、お前も気をつけるんだよ」
「…………」
「〈もつれ〉を見つけたら、まずあたしに言いな」
ソノラは、黙り込む。
「きな臭いにおいがするからねえ」
ミハヤはそう言うと、御厠に行ってから、羽織を着て、糸繰り堂へと向かっていった。
洗濯を終えてから、ソノラは、仕事着へと着替える。葛籠から、取り出そうとして、底にある立派な畳紙が目に入った。紙には金箔が含まれていて、なかにある衣もたいそうな代物だ。ソノラは、それを見なかったように、上に普段着を重ねた。葛籠をもとに戻す。
(急がなきゃ……)
まもなく交代を迎える時間だ。
早々に着替えを終えると、ちらっと家の隅にある壊れた紡ぎ車を見つめた。
腹の底に移ろった波を押しやって、家を出る。
そうして、屋敷への道を登っていった。
歩んでいると、初夏の桜葉が香った。気持ちのよい風がなだらかな斜面を通って、若草色の髪をなでていった。わずかに足を止めれば、下のほうで棉花の種を植える子どもや大人たちの姿が目に入る。
種蒔きの唄が昇ってくるように聞こえてくる。ソノラは、目を閉じて心地よく聞き届けると、急ぎ丘を登っていった。
里長のお屋敷は、築地塀で囲われた見事な屋敷だった。その塀をぐるっと半周歩いて、裏手から入る。厨や風呂、倉や厩など、下女や下男たちが出入りする勝手口であった。
到着すると、女たちの顔が上がる。
「ソノラ、待ってたよ〜!」
ああ、疲れた、と肩を叩く者や伸びをする者がいるなかで、ソノラはせっせと荷をほどいて、髪を元結で結う。前垂れを締め、襷をかけて、明け番の者たちから引き継ぎを受けた。他の者たちも次々とやってくる。
「では、はじめましょうか」
女中頭が号令をすると、ソノラたちは、ぱあっと蜘蛛の子のように、自分たちの持ち場へと散っていった。
ソノラはまず、掃除だ。板拭きなどが待っている。
里長の館では、いないところへ、いないところへと移動していく。特に、客人が来ているのであれば、ソノラたちは目についてはいけない。人の気配を感じたら、柱に隠れ、万が一、長一族や客人と出くわしてしまったら、どんなに途中であっても、手を止めて額づく。それが下女たちに身についている挙措であった。
ソノラは、この待遇を悪いものとは思っていなかった。おそらく他の者たちもそうだ。給金がしっかりと出て、賄いを食べさせてもらえる。文句を言えるはずがない。特に、ここに勤める者たちは、なにかしらで、里で主要な職務につけない者たちの集まりであったから、里長がこうして雇ってくれることに恩を感じている者は少なくなかった。
ソノラも、そうだ。
ほんとうは、養い親のミハヤの下で、匠の技術を継がなければいけなかったけれど、ソノラは、継げなかった。ミハヤはそのことで、一度たりともソノラを責めたことはなかったが、里長から働き手として声をかけてもらった時、正直ほっとした。
だから、ソノラは報いるために、いつだって床を磨き上げる。
気づけば、陽射しが中庭に入り、うっすらと額や背に汗が伝っていた。そろそろ、昼餉だ。
足を止めて見上げれば、碧落が映る。抱えた桶の水が、とぷんとなった。ゆらゆらと水面が揺れて、陽に輝く。
ふと、水面の揺れが、浮き上がったように、流水紋を描いた。そろりそろりと流れるように、煙るように描かれる紋は、中庭にある石庭へと導かれて、一本の〈糸〉になる。
ソノラは、〈糸〉の先を見た。
姿勢のよい男がひとり、ぽつんと踏み石の上に立っている。栗色の髪をした、どこにでもいそうな風体の男であったが、立ち居からすぐに武人とわかった。その男の腹に向かって、白い〈糸〉が伸び、腹底のなかで溜まって、絡まり合っている。
男は、じいっと視線を真下に向けて拳を作り、なにかを堪えるようにしていた。
(……〈もつれ〉だ)
ソノラは、悟る。
これは、ソノラにしか見えない〈もつれ〉だ、と。




