四拾八、ほどき師
ソノラは、タカラに背負われて、壁伝いに玉梅の上に昇った。スオノは片腕に担がれて、悲鳴を上げている。
「どうしてここへ?」
わずかな凹凸に手足をかけながら、軽業のように登るタカラは尋常ではない。声をかけても、涼しい声だった。
「あなた方になにかあってはならないと、テソンから命じられた。護衛はヒジャルたちもいる。おれの頑丈さゆえの命令だ」
「信頼されているんですね」
「……もとは、あなたが引き返さなければよかった話だ」
タカラは憮然と言ったが、きちんとソノラとスオノを瓦屋根に下ろしてくれた。下方に控え、滑り落ちた時にも備えてくれる。
「どうやってほどくの?」
スオノがこわごわと揺れる瓦に立ちながら、尋ねる。
ソノラは、そんなスオノに、ほほ笑んだ。
「紡ぐの」
「え?」
「わたしは、糸繰りの娘だから」
紡ぐの。
ソノラは、〈結び〉の儀式の残り香を感じた。
(スオノがいてくれる)
姉はもう、やり遂げた。
(なら……)
霞のようにたちこんでいた梅香に、眼下を見下ろせる。黒い〈もつれ〉の全容が、目に入った。
(今度は、わたしの番)
ソノラの両手に、金が灯った。メノウとヨルカの〈結び〉をほどいた時とは異なる光。辺り一帯を、少しずつ照らしはじめる。
ぽうっ、ぽうっ。
綿毛灯のような、柑子色の灯り。
腕の痛みは遠く、ソノラは、両手を見つめる。
(糸繰りの匠、ミハヤの娘ソノラは……)
──決して、見逃さない。
〈ほどき〉の力。
ソノラは、思い浮かべる。
オリの里。種蒔きの唄。背負子に感じた、ミハヤの、おこげの匂い。
そっとなでられた背に、壊してしまった大事なもの。
ミハヤはあれからなにも言わなかったけれど、きっと、落ち込んでいたにちがいない。
集まった金の光が、しなやかに形を変じた。大きく、人ひとりの扱える代物。
秋風に吹かれて、音が聞こえはじめる。
カラカラカラカラ──……
風車の、音がする。
カラカラカラカラ──……
紡ぎ車の、音がする。
ソノラの手には、ほどなく黄金の紡ぎ車があった。
握りを掴んで、そっと、回しはじめる。
カラカラカラカラ──……
交わした言葉を思い出す。
(〈もつれ〉はきっと……)
──ほどかなくてもいい。
抱えたままでもいい。
「わたしは、ただ、」
カラカラカラカラ──……
──すくいとる。
音にただよう香霧は、薄紅の綿となった。
やわらかさと、あたたかさ、やさしい匂い。
ソノラの手にふれ、取られた綿は、紡がれる。梅の香りが縒られて、金の糸に変わっていく。
紡がれた金糸は、紡錘に巻き取られてから、流水となった。
央ノ宮から、滝のように流れ落ちる。
糸滝となって、突き抜ける岩を伝い、大地に黄金の清水が注がれる。
〈根〉に絡み、黒い〈もつれ〉に辿り着き、ふれると、ゆっくりとすくいとられ、次第にとけるように、ほどけていく。
ソノラは、紡ぎ車を回しつづける。
カラカラカラカラ──……
紡げなかった糸が、紡がれていく。濯がれていく。
(母さん)
ミハヤを、思った。
同時に、亡き実の母を。
(お母さま……)
わたしを、こうしてすくってくれたんだね。
縁を、結んでくれたんだね。
ソノラは、ユノアに会って、礼を言いたかった。
握りを、回す。
香霧の綿は、ほどきの糸となっていく。
ソノラは、そうして、夕暮れまで、糸を紡ぎつづけた。
央ノ宮から流れ落ちる金の流水は、梅の香をまとって、黄昏のなかでも明るく輝いていた。
やがて〈根〉の揺れは収まり、気づけば、大地に這う黒い〈もつれ〉は、すくいとられ、いつの間にか見えなくなっていた。




