四拾九、ソノラとスオノ(最終話)
その日の朝、スオノは、ソノラの客堂を訪れた。目に見えて、挙措振る舞いがおかしかったものだから、ソノラはつい先に声をかける。
「どうかしたの?」
「あ、あのね……」
おろおろと、指先をかわいらしくいじる姉に、ほほ笑む。
「お菓子、食べに行かない?」
「え?」
「前に連れて行ってもらったところがおいしかったの。そこに行きたいなって。食べさせてくれる?」
ソノラは吊った自分の腕を指す。
スオノはそれを見ると、こくんと肯いた。
「もちろんよ」
数日のあいだに、季節が随分と進んだ。外は寒く、つめたい。借りた高価な羽織ものがあたたかくてぽかぽかした。
歩いていると、あちこちで大工たちが家々や町を修繕していた。先日起きた地揺れによって、崩れた町家や焼けた小屋があとを絶たず、大工たちは忙しくしている。
央ノ宮もまた甚大な被害を受けた。柱が倒れた御殿もそうだが、いくつかの懸造りの殿は、基礎から修繕が必要なほど傷んでしまった。メノウたちは、夫婦の新居どころの話ではなかったが、建物の被害の割に、人死にがさほど出なかったのは、メノウとテソンの采配があったからだった。次代への評判は高まっている。
一方で、多くの〈暮れ〉の人間が、〈幹〉によって、処断、処刑された。当然のことで、異議を申す者も叛意を示す者もなかった。〈幹〉は最後まで、つまらなそうな顔で沙汰をくだしていた。
ヨルカもまた、十年、央の都に踏み入ることを許されず、刑を申し伝えられた。
──身ひとつで〈明け〉の地へ行け。〈明け〉の皇子たちに身を粉にして仕えるがよい。
人質も同然であったが、〈明け〉にて、外ツ国との商いを学べという。
それがヨルカへの、ひいては〈暮れ〉への情けであった。
出立するヨルカの顔は晴れやかで、あの蕎麦の〈もつれ〉はどこにも見当たらなかった。メノウに頼まれて、スオノが、メノウとヨルカに友ノ結びを施したからかもしれない。
〈結び〉を終えると、メノウはヨルカに言った。
「わたくし、ヨルカさまのお話は、ほんとうに面白いと思っていました。お話のなかのヨルカさまは、勇壮でたくましくて……わたくしも、そのように振る舞いたいと、羨ましくもありました」
ヨルカは黙って聞きながら、目尻になにかを浮かべていた。
「いつも、わたくしを笑わせようとしてくださって、ありがとう。これからは、昔を知る友として、わたくしを笑わせてくれるとうれしいです」
「……今度、」
ぐずっとしたヨルカは、腕で拭うと顔をあげた。
「鯉を、贈ってもいいでしょうか」
「鯉……?」
メノウが、首をかしげる。
「はい。婚姻の祝いに。金の、錦の鯉を贈ります。暮れの唯一とも言える、自慢でございますから。姫さまに捕まえられても、丈夫な鯉をお贈りします」
ヨルカがそう告げると、メノウは双眸を見開いて、それから梅が花開くようにほころんだ。
錦の鯉が、央ノ宮に届けられることになるのは、まもなくのことだろう。
ソノラは、いつだかタカラに連れられて入った茶菓子の店に入った。スオノと暖簾をくぐって座る。
ソノラとスオノが頼んだのは、平餅で、豆と胡麻を挽いた粉のまぶされた餅だった。胡桃の入ったよく練られた餅は、伸びがよく、出された茶との相性がよかった。
固くならないうちに、スオノが餌付けをするように食べさせてくれる。ソノラは、頬が餅になってしまったように相好を崩した。スオノも、ソノラに食べさせる隙間に、堪能している。品よく食べていて、さすがお嬢さまだなあ、と思いながら、ソノラはお茶を飲んだ。
「ソノラ」
おいしかった、とひとしきり満足していると、腹が満たされたスオノは、それでも、緊張を舌にもつれさせた。
「あの、あのね……」
「うん」
「その、ね……」
「うん」
相変わらず姉は、きれいに整えられた爪を、もじもじといじる。
ソノラは、今度は遮らずに、ゆっくりと待った。
暖簾から、木枯らしが入ってきても、ソノラの腹はあたたかくもあまく、満たされていた。時が風に流れていく。
「一緒に、暮らさない?」
スオノは、そうして、やっと口にした。
「お父さまもそうしたい……って。これから、仲よく三人で暮らしたいって」
ソノラは木立に揺れるように聞いていた。
「いろいろあったけれど、でも、お父さまも、亡くなったお母さまも、ソノラを捨てるつもりなんてなかった。一緒に暮らしたいと思っていた。もちろん、私も。それが叶うのって、きっと今なのよ。ソノラの〈ほどき〉はとてもきれいだったし、凶ツ者という噂も、伝承も、きっと消えるわ。
芝居小屋で新しいほどき師の演目を考えようってお父さまと話していたの。それを商会の伝手で上演して、そしたら各地にもほどき師のことがちゃんと伝わって、そしたら、ソノラは周りを気にしなくてよくなるだろうし、都も歩きやすくなると思うわ」
「うん」
「姫さまも、テソンさまも推してくださっているのよ。宮の修繕が終わったら、ふたりで遊びにきてほしいって。ホロンも呼んで、みんなでお喋りしながら楽を奏でるの。私は箏が得意だから、きっとソノラも上手よ。琴もいいかもしれないわ。ふたりで並んで、高台から見える場所で演奏して──」
「スオノ」
ソノラは、そっと笑んだ。
「わたしは、里に帰るよ」
スオノは、途端に、茶卓に伏せてわああっと泣いた。みっともない泣き方で、とてもお嬢さまのするような振る舞いではなく、周囲を憚らないほど、姉がその包み隠さない感情をあらわにするのは、よいことだと思った。
ソノラは隣に寄って、姉の肩を包む。よしよし、といつものように撫でてやる。
「わかっている。わかって、いたのよ……!」
「うん……」
「それでも、私、ソノラと一緒に暮らしたくて……!」
「うん、わたしもだよ」
ソノラは肯く。
「わたしも、スオノや、お父さまと暮らしたいって思ったよ。この数週、楽しかったし、贅沢もさせてもらった。おいしいものもいっぱい食べさせてもらって、やさしくしてもらって……お母さまの思いも知れて、すごく……幸せだった」
スオノがたっぷりと涙をたたえた琥珀で、ソノラを見上げる。
「それでも、わたしの帰る場所は里なんだよ」
「…………」
「わたしの故郷は、ミハヤのいる場所なんだよ」
「……でも、ミハヤさんは、ソノラをよろしくって」
スオノは、ずびっと洟をすすりながら少しだけ不貞腐れたように言う。
ソノラは声を上げて笑った。
「ミハヤは素直じゃないの」
「……そうなの?」
「ほんとうは今頃、わたしがいなくて寂しくて泣いてると思う。でも、人が来るとへっちゃらだって顔をするんだよ。変なところが曲げわっぱなの」
「ちょっと、意外だわ……」
「だから、帰らなきゃ」
ソノラは、オリのほうに視線を向ける。
「わたしは、帰りたい」
スオノは、ソノラの横顔をしばらく見ていると、やがて力を失くしたように、それでも化粧の映えた顔で小さく笑った。
「……ええ」
「ありがとう」
「また、季節の暮れ方には会ってくれる?」
懇願するように見てくるスオノに、ソノラは破顔する。
「もちろんだよ」
初冬に入りかけた頃、ソノラは吊った腕が治ると、オリの里へと戻った。陽暮れの麓で、都から帰り路をともにしてくれたヒジャルに別れを告げる。タカラに命じられたヒジャルは、帰りの護衛を担ってくれた。タカラの芯を感じられる気づかいであった。
足を進めると、懐かしい里山の風景が目に入った。冬の香り。蜜梅の下をくぐると、わずかに残った綿毛灯が舞っている。
柑子色の灯り。
「ミハヤ!」
家のなかは、夕暮れに暗かった。
そのなかに、ぼうっとひとり、ミハヤが突き出し窓の夕陽を目にしている。明るい綿毛灯を、目だけで追っている。
戸を開けたソノラに、ミハヤは一瞬、おこげ色の目を瞠った。
「なんだい」
夕闇に、滲んだようになる。
「帰ってきたのかい」
「──ただいま」
ソノラは、いつも通り言う。
「ただいま、母さん」
「……お帰り」
ミハヤが絞られたように笑った。
「お帰り、ソノラ」
それから、ソノラはいつも通り、夕餉の支度をはじめた。米だけ無造作に漬けてあったから、炊きながら、味噌汁を作る。結びの屋敷からもらってきた乾物類を放れば、具だくさんの味深い汁ができあがった。陽光を吸って旨みが凝縮された味噌汁は、えも言われぬおいしさで、ソノラとミハヤは唸ってしまった。ふたりで囲炉裏を囲むと、いつもと比べて、さらにおいしい。
夜は、蒲団を並べて寝る。
これから、寒い冬が来る。
寒さを思えば、結びの屋敷での生活が懐かしかったが、隣でいびきをかきはじめるミハヤを見ると、蒲団のなかがあったかく感じる。
明日の朝は、おこげの匂いに包まれよう。
ソノラは目を閉じる。
家の隅で、壊れたはずの紡ぎ車が、カラカラと音を鳴らしていた。
(ほどき師はもつれの糸をすくいとる──完──)
はじめましての方も、そうでない方も、ここまで読んでいただいた皆さま、誠にありがとうございます。
こちらの作品が読んでくださった皆さまのなかで、そっとなにかをほどくものや、すくいとるものになったらうれしく思います。
なろうのトレンドとは異なるこの作品を、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
稿 累華




