四拾七、ほんとうの娘
──糸繰りの技を継げないわたしは、ミハヤのほんとうの娘になることはできない。
ソノラのなかには、いつの頃からか、そういう思いが巣食うようになった。近所の子から、石を投げられ、「お前は捨て子だ」と言われてきたからだろうか。苧麻を伝統にする家の人間から、「もらわれ子」と陰口を叩かれてきたからだろうか。姿見を覗いても、ミハヤと似ているところが、なにひとつなかったからだろうか。
巣食ったものが浮かび上がったのが、九つの歳だった。
養い子としてでなく、弟子入りする準備のため、糸紡ぎのこまごまとしたことを手伝うようになって少し経った頃だ。ソノラは、どんなに努力して練習しても、糸を紡ぐことができなかった。
「まだ、手が小さいからねえ。そのうちできるようになるよ」
ミハヤはいつもそう言ってくれていたけれど、同じ年頃の子どもたちが、上手とは言えずともたやすく糸を紡いでいることを知っていた。
ソノラは、どんなにどんなに紡いでも、糸が紡げない。
どんなにミハヤの隣で見ても、真似しても、紡ぐことができない。
それが、きっかけであった。
「──なんで、できないのっ!」
苛立ちは、かんしゃくとなって、土砂崩れのようになった。手の平から足の裏まで皮膚があるのが恨めしくなった。あふれて沸いた感情がそこから出ていかない。自分という土手に押し留められて、濁流のような感情が手前で渦になり、なおも膨れ上がって、内側からソノラを呑み込む。
泣いて怒り散らして、糸繰り堂のものに八つ当たった。
手近の綛枠、綿繰りろくろ、綿弓。手元にある投げられるものは、全部放った。
「適当なこと言わないでっ!」
しまいには、ミハヤの愛用していた紡ぎ車も投げた。当時、ミハヤはまだ匠ではなかったけれど、職人にとって道具は命そのものだった。
紡ぎ車は、ばきっと音を立てて、壊れた。
ミハヤは、目もくれなかった。
「適当なことは言ってない」
「適当だよ! そのうちってなに! いつになったらできるの!」
「急がなくていいって言ってるんだ」
「みんなができるのに、わたしはできない!」
「一個や二個できないことがあったって、いいじゃないか。ソノラはその歳で働き者で、よくできた子だとあたしは思ってるよ」
ただ、喚くソノラに、ミハヤは、静かに応じていた。
その静けさが、鬱陶しかった。苦しくてたまらなくなった。巣食ったものが、複眼のように分裂して大きくなった。
「ほんとうの親じゃないから……」
嗚咽とともに、皮膚から決壊したようになった。
「ミハヤは、わたしの気持ちがわからないっ!」
「ソノラ……」
「血がつながってないから!」
ミハヤは、言葉を詰まらせた。
ソノラはずっと怯えていたことを口にした。
「技を継げないと、だめなの! ほんとうじゃないの! 血がつながってないから、だめなの!」
ミハヤは、それを聞くと、はっとした。暴れるソノラのもとへやって来て、抱きしめる。
「血なんて関係ない」
「関係あるの!」
「つながっていてもつながってなくても、ソノラは、ソノラじゃないか。あたしの娘だよ」
「……わたしは、ミハヤのほんとうになれない」
ソノラは、ミハヤとの本物のつながりが欲しくてたまらなかった。たとえ捨てられたのだとしても、疎まれたのだとしても、ミハヤに会えたのであればそれでよかった。
(ほんとうじゃないと……)
ミハヤにも捨てられるかもしれない。
巣食ったものが、ソノラは言葉にならなかった。目の前の胸を叩いて、ただ大きな声で、赤子のように涙を流す。
「……わたしは、母さんを継げない」
ミハヤはずっと、ソノラの体を抱きしめていた。その力強さは、懸命だった。
「あんたは継いでくれてるよ」
「……でも、できない」
「目に見えないものだよ」
「でも、ミハヤの技は……」
「目に見えるものだけが、つながりじゃない」
ミハヤは、あやしながら語った。
「そのうち、わかるよ」
「そのうち……」
「ああ。おまえは、自慢の娘だからね」
「自慢……?」
「そうさ。あたしが教えたことをちゃんと胸に刻んでる。
たしかに血はつながっていない。糸繰りの技も……継げないかもしれない。だけど、そうやってつながってる。おまえとあたしに結ばれた縁は、簡単に切れやしないよ」
ミハヤは、歯を見せる。にやっといつものように笑う。
そうすると、ソノラはたまらなかった。
大声で泣く。
──ごめんなさい、母さん。ひどいこと言って、ごめんなさい。
──いいんだよ。
──大事な紡ぎ車を壊して、ごめんなさい。
──車は、いくらでも代わりがあるさ。
──母さん、ごめんね。母さん、ごめん。
──うん、わかったよ。大丈夫だよ。
あれだけ、憎らしくてたまらなかった皮膚が、ミハヤのあたたかさを伝えてくれて、気持ちよかった。
ソノラは、スオノの懸命さに、自分の記憶にふれるものを見た。
「わたし、やらなきゃ」
「……なにを?」
スオノが戸惑う。
「〈もつれ〉をほどくの。それが、わたしの役目だから」
スオノの瞳が揺れた。
「スオノも、来て」
「え?」
「わたしのそばにいて」
ソノラは、自分と同じ琥珀を見つめた。
スオノは目を丸くして、それからややもせずに、顔をほころばせる。
「ええ……もちろんよ」
ソノラは、スオノに歯を見せて笑った。
玉梅を見上げる。花びらは散りつづけている。
これが散ると、どうなってしまうのだろう。
考えたくもなかった。
ソノラは、さらに見上げた。神木の上は開けていて、瓦屋根に見れば、都を越え、央全体を見渡せそうな場所だ。
(ほどくなら……)
〈もつれ〉を《《見逃さない》》のは、きっとあそこだ。
「どうしよう……」
どうやって、上に行こう。
ソノラのつぶやきは、低く受け止められた。
「──おれが運ぼう」
スオノの後ろから、タカラが言った。
「おれが、あなたを運ぼう」




