四拾六、凶ツ時
戻った御殿広場は、混乱の坩堝となっていた。
婚礼の儀式の華やかな様子を残骸に、あちらこちらに〈暮れ〉の死体が転がり、血の沼ができている。参列者たちの悲鳴や衛兵たちの避難を促す怒号が上がる。
メノウの凛とした声が響いた。
「宮から、逃げるのです! 今すぐに!」
寸暇の狭間に響いた統率の幟であった。
途端に皆が群れとなって、石段へ降りていく。そのあいだにも揺れがあって、互いが互いに支えるような状態だった。御殿が軋む。大鈴が不穏な音を鳴らす。
タカラが欄干に足をかけ、地上を見下ろした。
「城下も揺れている」
「なにが起きている」
戻ってきたタカラに、テソンが問う。
「大規模な地揺れのようだ」
「〈根〉が……」
メノウがぽつりと言った。
「大地に宿る〈根〉が、傷んでいるのです。昔も……戦の相次ぐ頃も、このようなことがあったと……玉梅が散るとともに」
蒼然とつぶやく。
「オレたちが……」
ヨルカが、青褪める。
「とにもかくにも、避難だ」
テソンが矢傷をかばいながら、そう言う。
護衛らに促されて、ソノラもメノウたちの避難の波に乗った。高所は危険だ。なにをするにも逃げるに越したことはない。宮にいては危ない。
ソノラは、ぼろぼろになった花靴を進める。一歩一歩、足を進めながら、疑問が頭を通り過ぎていく。
(これでいいの……?)
見逃していいのだろうか。
(ほんとうに?)
──〈もつれ〉が見えたのに。
ソノラは、見逃していいのだろうか。
落石の音がする。
梅の木々がたわむ。
どこもかしこも、大鈴がけたたましく揺れていた。
里から都までのさまざまな記憶や思考が、ソノラの頭を通りすぎていく。
次の一歩で、身を翻した。
ぱっと列を抜けて、走り出す。来た道を戻る。
なにかに衝き動かされたように、ソノラはがむしゃらに足を動かした。
(なにしてるんだろう)
ソノラは駆ける。
途中で邪魔な花裳を脱ぎ捨てて、長衣の裾を破いた。一気に走りやすくなって、戻った御殿のなか、里山を駆けた子どもの頃を思い出した。
突き破るような下からの揺れに、悲鳴を上げる。
体が傾いた。走っていたから、倒れずに済んだものの、近くの柱が倒れてきて、ソノラは二度目の悲鳴を上げる。くぐり抜けようとして、わずかに重たい柱が腕に当たり、衝撃で倒れる。かろうじて下敷きにならなかったなかで、袖だけ挟まれて、ソノラは破いて抜け出た。
柱の当たった腕が痛む。折れたかもしれない。
なんとか立ち上がると、またよろよろと走り出し、揺れがつづくなか、艶のある木目がてらてらと光っていて不気味だった。
ソノラは、腕をさすりながら、玉梅の内苑に戻り着く。
──散っている。
さきほどと変わらず、玉梅は白金に輝きながら花びらを散らせている。
静謐に、高潔な雰囲気をまとって、神木は佇んでいる。これだけ揺れているのに、内苑だけは地揺れを感じなくて、不思議であった。
「きれい……」
ソノラは、どこか魅入られたように近づいた。現実が遠くなる。傷んでいない手で、その幹にふれる。心地のよいつめたさが、手の腹を伝ってくると、ソノラの頭には走馬灯のような光景が巡っていった。
──いづれの御時にか
ソノラは、古き時代を眺めていた。
芝居小屋での芝居のようであった。
凶ツ時、訪れし
其の年、民、相争ひ、
〈幹〉、人心を憂え、涙暮れ、
玉ノ梅は花を散らし、枝は枯れ落ちて、
地、揺れうごめき、民、疲弊す
──その時、〈ほどき〉の力を持った女、現れし
手から声が聞こえた気がした。
──〈ほどき〉は、絡まりし力をまみゆ
まみえて、絡まりし〈根〉をほどき、
地、健やか戻りて、玉ノ梅、輝く
──ほどこうか、ほどこうか
囁かれた気がした。
──ほどこうか、ほどこうか
もう一度、囁き声が聞こえたかと思うと、ぽたん、と雫が落ちるように残響して、波紋のように消えていった。
静寂が戻る。揺れる音が、聞こえる。
ソノラは、自分の両手を見つめた。
わなわなと体が震えはじめる。足が、がくがくとなる。膝が、笑い出す。
(わたしが……?)
──ほどく。
足元の眼下、今や透けて見え、玉梅から伝う〈根〉の黒い〈もつれ〉。脈打つように蠕動し、地を揺れ動かす〈もつれ〉は、今上の〈幹〉が抱え、メノウが我知らず受け取ってきた、〈暮れの国〉をはじめとした人々の抱える、どうしようもなく結び目もほどき目もわからぬ黒くなった斑紋であった。
健やかさを、少しずつ乱し、汚してきた、濁流のような〈もつれ〉。
それを、ソノラが、ほどく。
ただの一介の娘。結び師として育てられてきたスオノではなく、捨てられて、野に生えた蒲公英のように育ってきたソノラが。
(ほんとうに、ほどくの?)
足が、深く根付いてしまったように、動かなかった。痛めた腕が、じいんとした。
「ソノラ……!」
思考を割ったのは、スオノの声だった。引き返してきた姿に、驚く。
結びの令嬢として育てられてきたスオノが、襤褸のようになった長衣を乱してやってくる。自分と瓜ふたつの顔は、決死だった。
「ここにいてはだめよ……!」
姉は、ソノラに言った。懸命だった。
ソノラは純粋に驚く。
「なんで……」
戻ってきたの。
スオノらしくなかった。姉は泣き虫で、引っ込み思案で、臆病なのに。
どうして。
「妹だからよ!」
ふと、その姿に、ミハヤの顔が重なった。
「あなたが、大事な、家族だからよ!」
かつて、泣き叫んだことが、眼前にあざやかな扇として広がった。




