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ほどき師はもつれの糸をすくいとる  作者: 稿 累華
六章:ほどき

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四拾五、落下

 ソノラは、ヨルカに声をかけたそば、蹴り飛ばされたナヒョンが、タカラの背を影に、尋常ではない速度で、メノウやテソンたちに差し迫るのを見た。


 同時に、ヨルカの〈もつれ〉がふわっと浮き上がる。どこにも結び目が見えなくなったはずであったのに、気づけばゆるみ、ほどき目が見える気がした。

 止められるよりも先に、体が動いた。


「ソノラ……!」


 スオノが名を呼ぶ。

 だが、ソノラは止まらない。

 手を、伸ばす。


(いけない……!)


 今、もし、ここで、テソンが刺されたら、どうなるだろう。


(きっと、後悔する)


 せっかく、自分を制したのに、今度こそヨルカの〈もつれ〉は、ほどけなくなってしまう。


 ソノラは、体当たりをするように飛び込んだ。

 ナヒョンは、虚を衝かれて倒れ込む。振りほどこうとして、力いっぱい引きはがされそうになったが、ソノラは面紗がはがれても食らいついて離れなかった。


「この凶ツ者(まがつもの)めが!」


 ソノラは、ナヒョンが持つ短剣に手を伸ばす。振り払われそうになりながらも、力を振り絞り、そうしてふたりでもつれ、内苑(なかにわ)の隙間、高欄からふたりが落下するのは、あっという間のできごとであった。


 叫び声が、響いた。


 ソノラは、落下の浮遊を得る。強引にソノラをはがしたナヒョンが先に落ちる。男の体が岩肌に打ちつけられながら落ちていくさまを、ソノラは奇妙にゆっくりと見届けた。すぐに自分もそうなるとわかった。


 視界が落下とはべつのものを捉える。


 金の〈根〉。

 地に伸びるもの。

 それが、黒く淀んで……


 ふいに落下が止まったのは、飛び降りてきたタカラが、宙にソノラの体を担いだからであった。岩ヤギのように跳ね、ソノラを抱いて駆け登る。

 宮に放り込むように戻されて、汗を浮かべたタカラに見下ろされた。泣いたスオノと、ホロンが駆け寄ってきて、ソノラの体を抱きしめる。


「なんてばかなことを……!」


 青梅の焚き染めた香りに、ぎゅっとされる。

 ホロンが、胸を撫で下ろした。


 ソノラは、ぼうっとしながら、姉スオノの背に腕を回した。背中の先で、〈暮れ〉の襲撃者たちは、血に沈むか、ヒジャルらに捕らえられていた。

 玉梅の下で、こちらを見て呆然と佇むヨルカを認める。膝をつけたメノウと、矢傷をかばうテソンも。


 短い抱擁から抜け出ると、ソノラは、よろよろとヨルカのもとへ行った。すでに剣は、取り上げられていた。

 ソノラは、腹に残る蕎麦の〈もつれ〉を見て、つぶやくように言う。


「正解でした」


 ヨルカが、ソノラを見た。

 怪訝に眉根を寄せて、だれだか思い出したように眉を開く。


「お前は……」

「殿下のお人柄を信じて、正解でした」


 ソノラは目笑する。


「今度は、短気に負けずにすみましたね」


 瞬間、ヨルカの顔がくしゃっとなった。ひっついた蕎麦がほどけるのと同時に、男の顔が情けなくなる。その場で、腕に、静かに涙する。

 ソノラは、ほっと息をつく。


(なんとか……)


 間に合った。


 肩から、力が抜ける。思い出したように落下した恐怖が襲ってきた。どくっどくっ、と鼓動が耳から聞こえる。足元から這い上がってきた震えで、座り込みたくなるのをなんとかこらえる。ただ、息を吐いて気持ちを落ち着ける。


 そうして、安堵できたのは、ほんのいとまだった。


 刹那のことだ。地から、どん、と突き上げるような揺れ。立っていられない震動がやってきて、皆が倒れる。近くの柱に寄りかかる。


「なんだ……ッ」


 メノウの体を支えながら、テソンが叫ぶ。

 ソノラは、揺れが突き上げてくる衝撃で、この場からすっとすり抜ける感覚を得た。音が遠のく。意識が高く、央ノ宮を抜け、都、藩州、〈明け〉や〈暮れ〉の国々まで見渡せる。

 夢の鳥になったようであった。


 ──大地全体に、〈もつれ〉が見える。


 ゆるく、されど激しく蠢動(しゅんどう)する、〈根〉に張る黒い、〈もつれ〉が。

 ほどき師のソノラにでさえ、どうする術もない……


「玉梅が!」


 だれかの大声で、ソノラの浮いていた足が地についた。


 息を呑む。皆が見る。

 金色に輝く玉梅が、美しくも儚く、花びらを散らしはじめていた。少なかった花が、鬱金色の弱々しい光を放ちながら、散じていく。


「どうして……」


 〈結び〉を行ったのに。

 スオノが、蒼白になってつぶやく。

 メノウが、言葉を失う。

 呆然とする暇はなかった。次の間に、また揺れが突き上げてきて、宮全体がみしっと激しく軋んだ。木屑が落ちてくる。


「出るぞ!」


 タカラが先導する。

 だれもが危ないと、悟った。


「お母さま……!」


 メノウが、玉梅の袂にいた〈幹〉の手を引く。

 〈幹〉は醜悪にも見える弧を、唇に描いた。



「これぞ、凶ツ時(まがつとき)」



 ソノラを、ちらっと見る。



「凶ツ者なるぞ」



 ソノラは、ひやっと鼓動が脈打つのを感じながら、花びらを散らす玉梅を背に、揺れる御殿をあとにした。



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