四拾三、暮れの〈もつれ〉
ソノラは、姉スオノの視線を受けて、瞬時にヨルカに目をやった。
感覚が、糸で結ばれているような気がしながら、スオノが見つけたものを、ソノラもまた、見る。
──蕎麦の〈もつれ〉。
それが、黒の度合いを増して、うじょうじょと増殖したようにもつれていくさまを、見た。
(あれは……)
ソノラが動き出すよりも早く、鋭く、放たれる矢があった。
どすっ、という音。
次々に、柱に射さる矢の音。
鉄と鉄が擦れる音で、御殿広場は、あっという間に騒擾となった。
女たちの悲鳴が上がる。
宮の警護に当たっていたつわものたちが、沸いてきた者たちに応酬する。──〈暮れ〉の者だ。
予想された以上に多くの狼藉者が広場に押し寄せた。メノウがよかれと思って、罷免しなかった〈暮れ〉の者たちが招き寄せたとわかるのは、騒ぎが収まったあとのことだ。
警護の混乱が、揺れのように感じられて、押されるのがわかる。
「我らは、沈みゆく黄昏」
先頭を行く男。剣を鞘走り、テソンや〈明け〉の者へと向ける地の底から吹き出した淀む声に、ソノラは、叫びそうになった。
(こんな……!)
──こんなことをして、なんの意味があるのだろう。
央にとっても、〈明け〉や〈暮れ〉にとっても、〈幹〉の健やかさがなにより大事で、次代であるメノウ姫の婚礼は、祝福すべき、めでたいことのはずであった。恨みや憎しみで台無しにするものではないはずだ。
たとえ、憎しみがあったとしても、婚礼の儀式を襲うこと、テソンに刃を向けることが、国にとって、民にとって、なににもならないことは、幼子にもわかる。
(なんて……)
愚かなのだろう。
ソノラは思う。
自分のことしか考えない。憎しみに囚われる。その発憤のみが目的であれば、そうすることでどうなるのか考えない。なんて醜く、浅はかなのだろう。
(だから、ずっと選ばれないんだよ)
目の前のことしか考えられないから、〈暮れ〉は、伴侶として選ばれないのだ。
思いながら、姉スオノと寝る間に横たわって、話したことを思い出した。
『人は、どうしようもないものを抱え込んでしまう、生きものなのかもしれないわ』
──そういう人間が集まってしまうと、見えなくなってしまうことがあるのだろうか。
自問に、ソノラは唇を、ぎりっと噛んだ。絹の下の拳を強く握る。
(わたしは……)
ソノラは今、どうするべきだろうか。
「テソンさまっ!」
メノウの悲鳴が聞こえた。
ソノラは、顔を上げた。矢を受けたテソンに、メノウが寄り、周囲の敵を薙ぎ払うタカラを認めた。タカラは、ふたりを御殿の奥に促す。
「君も!」
ヒジャルに促され、ソノラも、ホロンとスオノとともに御殿へと逃げる足を走らせる。
鍔迫り合いの音を背に、ソノラはどうしようもないものを呑み込んだ。
正殿の内部は、外の騒ぎと隔絶されたように、静かだった。降り積もった雪に音が吸われてしまう、そういう静けさで、ソノラたちの足音だけがやけに響く。
〈幹〉は、いない。すでに退避したのであろうか。
「テソンさま……!」
顔を歪めるテソンに、歩きづらそうなメノウが懸命に支える。
「お前はよく矢を受けるな」
おどろおどろしい空気に、タカラの指摘が場ちがいに聞こえた。
テソンが苦痛に笑う。
「そろそろ的の気持ちがわかりそうだ」
「的だと思われてるな」
「ちがいない」
ソノラは、ふたりのやり取りに呆れつつもなんだか笑ってしまった。スオノたちが蒼白で真面目くさった顔をしているので、気が紛れる。
一行は、玉梅の内苑に、辿り着く。
そこには、〈幹〉がひっそりと袂に座っていた。
「──人とは皆、幼子のようだ」
ソノラたちに気づかない。独白のようだった。
「あれがいやだ、これがいやだ。羨ましい。妬ましい。ずるい。集まれば、ますます衆愚となり、わがままを増す。
なぜ、そのような者たちのために、わたくしだけが身を捧げなければならぬ? わたくしが、健やかでありつづけなければならぬ?」
〈幹〉は、白金に輝く、玉梅の木肌をなでた。
「わたくしは、ほんとうに疲れた……」
その苦しみは、ぼたん、と雫が穿つようであった。
静けさを打ち破るようにして、武具防具の金物が擦れる音が辺りに響いた。重々しさからなのか、板の間が細かに揺れる。
メノウとテソンが身を寄せ、他の複数の護衛たちがふたりを囲うようにして、その中央にタカラが立つ。
ソノラたちは、ヒジャルら一部の護衛に守られながら、耳元で囁かれた。
「俺たちが、引きつけているあいだに、姫さまに付いて行ってください。外へとつながる路をご存知でいらっしゃいます」
ヒジャルは、逃げろと言っているのだ。
ソノラはヒジャルの目を見て、次にタカラに目線をやろうとして、喊声が上がった。やって来た〈暮れ〉の者たちに突っ込んでいくのを見る。
〈暮れ〉の先頭──ナヒョンと呼ばれる男が躍り出て、タカラに応じた。
高い、鉄の弾ける音。
強い。ふたりが拮抗する。
残る他の者たちが、タカラを抜けて、ソノラたちのほうへ押し寄せてくるのをヒジャルらが防ぐ。
「ソノラ……!」
呼ばうスオノに、ソノラの足は踏み留まった。
動けなかった。
〈暮れ〉の者たちのなかに、黒く淀んだ〈もつれ〉を認められたからだ。もうこんがらがって、結び目もほどき目もわからない。弓状窟に迷い込んだ時のことが思い出される。
──どうしようもなく、もつれすぎてしまったモノ。
「ソノラ!」
剣の音。男たちの雄叫び。
ソノラは見た。
──蕎麦の〈もつれ〉。黒くなりすぎて、自分でもくやしくて持て余してしまっている〈もつれ〉。
集団のなかにいるヨルカの視線は、玉梅の後ろに向かうメノウとテソンを追う。
苦しそうに、顔を歪める。
ヨルカは、剣を手に取って、真っ直ぐにテソンたちのほうへ突っ込んでいった。
「お前は……っ!」
目が血走っていた。
タカラが察する。ナヒョンを蹴り飛ばすと、肉薄するヨルカに対峙しようと身を翻す。
(だめ……!)
ソノラは、逃げるより先に、叫んでいた。
「ヨルカ殿下!」
声を上げた。
考えずに、交わした台詞を吐いた。
「殿下は、そんなお人柄だったんですか!」




