四拾二、婚姻の〈結び〉
空高く、雲の通い路に、秋容の映える日であった。
出遅れた渡り鳥たちが、南へと旅立っていく。
地の底に響く、大太鼓の音が鳴った。
御殿広場の歩行路に、紅梅色の氈が敷かれ、三つの幟旗がはためいている。正殿の柱にくくりつけられた赤と黄と白の結び紐が、いくつもいくつも植林された梅の木に結ばれて、吉祥結びと大鈴を吊り下げている。
笙の音が響く。
ソノラは、階段の上、面紗をかぶって、スオノの横に控えていた。
スオノの指は緊張に震えている。隣にいるホロンが、囁いた。
「だ、だ、大丈夫だよ。す、スオノなら、できるって」
「そ、そうかしら……」
ホロンの〈吃〉が移った様子のスオノに、ソノラは声をかけた。
「そうだよ。いっぱい練習してたじゃない」
「で、でも、この前みたいに、まちがえたりしないかしら……」
スオノの本音に、ホロンの顔が強張る。
気弱なふたりの様子に、ソノラは思わず笑った。
「まちがえてもいいんだよ」
スオノとホロンが、ソノラを見る。
「まちがえたら、言い直せばいい。結んでも、ほどけばいい」
ふたりは顔を見合わせて、表情をやわらげた。
「そうね」
スオノが言う。
「た、たしかに」
ホロンが肯く。
スオノは自分に言い聞かせる。
「結んでも、ほどいてくれる妹がいるもの」
ソノラが目笑すれば、スオノの琥珀には生気が満ちた。背がぴんと伸びる。
どんっ、と太鼓の轟きが聞こえると、そのまま階段の中央、儀式の執り行われる先に、スオノは、足を踏み出した。結った若草色の髪に、しゃら、しゃら、といくつもの簪が揺れる。普段より長い花裳が氈の上を引き、まとった披帛とともに、風に流れる。
ソノラには、姉の姿が、堂々と映る。
楽の奏でられる先に、目が移った。
御殿広場へと伸びる長い氈──階段を上がってくる先から、婚礼衣装をまとったメノウとテソンの姿が見えるのは、まもなくのことであった。
スオノは、メノウとテソンが目に入っても、気持ちが落ち着いていた。
(前と同じなのに)
むしろ、前よりもさらに格式のある場だ。
以前が婚約としての仮紐であれば、今日は正式な約束の場だ。〈結び〉がさらに深い縁となって、大地に張る〈根〉に届き、土地を健やかにする。
スオノは、ちらっと、背後の御殿、御簾の下がった先にいるであろう今上の〈幹〉を思った。
伴侶を亡くして久しく、いつも退屈そうに余生を過ごすだけの〈幹〉。先日は、告げの一族に沙汰をくだすために重い腰を上げたが、健やかさとは、ほど遠い。
(これでやっと……)
──国が豊かになる。土地に種が芽吹く。
スオノは、そんな結び師としての自分の立場をはじめて、誇らしく思った。これまでは、息苦しくてたまらなかったが、今はただ清々しい。
見上げる空のようだ。
蒼天は、スオノの心そのものだ。
そう思って、視線を下げる。
辿り着く、メノウとテソンの姿を認めた。
メノウの婚礼衣裳は、派手すぎず、されど贅と趣向を尽くした、繻珍の衣であった。牡丹色の地に、白梅と紅梅のぼかし織り。金色の玉梅が浮織となる。右裾には、日に雲霞の〈明け〉の文様、左裾には、夜竹に流水の〈暮れ〉の文様。金の鯉が、流れ泳いでいる。
まとう背子の縁には、蜜梅が細かに刺繍され、耳飾りと歩揺が、澄んだ音を響かせる。
金冠には、瑞光鳥が輝いて、テソンの冠と一式になっていた。
テソンもまた、揃いの繻珍をまとっていたものの、こちらはメノウよりも控えめな刺繍文様で、あくまでも次代の〈幹〉の、添え木としての格式を崩さない。急ぎ用意させたものとは思えない一品で、工匠たちの労を感じた。
ふたりが進む。スオノの前まで訪れる。
スオノは、実りの鈴を握った。
しゃらんっ、と音が鳴る。同時に、玉梅の枝で神気を吸った、深碧の打紐を手に取った。
スオノは、一歩、踏み出す。舞う。
「──今は昔、央ツ国」
寿ぐ。
鈴を、鳴らす。
「痩せた地、衰えた地、ひもじき日々を過ごしけり」
スオノは、古きをうたまいに詠じる。
ありし日、一人の女、梅の枯れ枝を持ちて、
百余日、神に祈り、舞を捧げたり。
さあれば、神、女の祈り聞き入れて、
枯れ枝に花を咲かせ、玉梅とす。
此を、挿し木とし、宮を建てよ。
さすれば、根が土に張り、広がり、
豊かな土地へ変はらむ。
笙に篳篥、龍笛の三管に、実りの鈴がかそけき、鉦鼓が鳴る。
箏は悠久を響かせ、琵琶は郷愁を奏でる。
「──やさしき女、健やかあれ、健やかあれ」
声を出した。
スオノが、まどかを描くように足を踏み出すと、しゃらんっという音とともに、披帛が波紋となり、空に風紋が生じ、やおらにそこから、霞が生じた。御殿の広場に、満ちみちる。
「──そなたに〈幹〉の力、授けん。
玉梅の花を香らせよ」
たゆたっていた霞は途端に、梅の香霞となった。スオノがまろかる舞をつづけると、碧落から金の粉が降り落ちる。
「──やさしき女、健やかあれ、健やかあれ」
スオノはもう一度唱え、舞いながら、深碧の打紐に金粉をまぶす。
実りの鈴が気を溜めて、煌々とした。
そのままに、メノウとテソンの前に出ると、打紐とともに、玉梅の梅結びを施した。
鈴を鳴らす。舞をまろかる。
しゃんっ、とひときわ強い音が高鳴った。
「──これにて、〈結び〉と相成ります」
スオノがそうじて、辞儀をすれば、打紐がまばゆい光を放って、メノウとテソンの結ばれた先を辿って、蔦が伸びるように金色の根を生やした。
ゆっくりと静かに、金の根が伝い、氈をまたぎ、客を越え、石床の隙間に伸びて、輝きを放つ。
央ノ宮全体が、次第に梅香を濃くし、薄紅に金の色をやわらかにまとう。
歓声が、上がる。手を打つ音が、響く。
そうして、だれかがまもなく、儀式の成功を叫んだ。
(……やり遂げた)
私は、結び師の務めを果たすことができた。
スオノは、ほっと息をつく。ソノラと目が合って、にっこりと笑みを返されて、安心と安堵が自分のなかに広がっていく。
ふいに、スオノは視界の隅に目が行った。
段下のヨルカ皇子が、憎しみのこもった目で、香煙の隙間にテソンの背を睨んでいる。テソンが、メノウと目を合わせて、夫婦となった喜びを享受するさまに憎悪を向ける。
どきっ、と胸につめたいものが刺した。
視線を逸らそうとして、けれど、スオノは、頭のなかでソノラから言われたことがまたたいた。
『気づかないふりをやめるのかどうか、自分の立ち位置をどうするのか決めるのは、スオノ自身なんだよ!』
顔を上げて、ヨルカをもう一度見る。
それから、ソノラへと視線をやった。妹の琥珀とぶつかる。
ソノラと、つながり合う気がした。
──なに?
妹の戸惑う声が聞こえるような錯覚に、スオノは答える。
(ヨルカさまが!)
スオノの訴えを、ソノラが聞き取ったようにはっとした。
ソノラの琥珀がヨルカを見る。だが、その時には、ヨルカはもうテソンを見ていなかった。べつのほうに視線をやる。
(なにか……?)
思った束の間、スオノは、広場につづく石段から、黒いものが湧くのを見た。さながら、巣から蟻が一斉に湧いて出てきたようで、だれかが声を上げるより先に、鉄の剣戟の音が響き渡った。




