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ほどき師はもつれの糸をすくいとる  作者: 稿 累華
六章:ほどき

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42/50

四拾一、前夜

 霜楓(そうふう)を肌で感じる。

 ぶるっと、体を震わすと、ソノラは両腕を自分でさすった。


(そろそろ帰ろうかな)


 立ち上がろうとして、にわかに声があった。


「──感心しないな」


 ソノラは振り向く。


 黒漆(くろうるし)の傘を被り、濡羽色(ぬればいろ)の引き回しをまとったタカラであった。

 夜警の帰りだろうか。

 疲労が見てとれたが、わからなかった。疑問に、深緋を見上げたが、答えはない。


「そのような格好で出歩いていると、すりに遭う」

「巾着を持っていませんから」


 タカラの小言に、苦笑する。ソノラはスオノから借りた絹の長衣をまとっていたが、それだけだ。


「少し、待っていてくれ」


 ソノラの返事になにを思ったのか、タカラは、近くの屋台で花巻(はなまき)をふたつ買った。醤油の香ばしい角煮も買って、湯気の出る花巻のなかに角煮を包んでもらっていた。戻ってくると、いいにおいがする。


「食べるか」


 ひょい、とひとつ差し出されたので、ソノラは思わず受け取る。

 石積に迷いなく腰かけ、花巻を口にするタカラに、ソノラは少々驚いた。迷った末に、花巻にそっとかぶりつく。

 蒸された花巻のあまいにおいと、醤油の香ばしさが絶妙で、ソノラは食べるのに夢中になりそうになった。すんでのところで、少しずつ口にするようにする。


「貴族の方でも、こういうところで食事をすることがあるんですね」


「おれは貴族ではない」


 タカラは、世間話のように返した。

 ソノラは顔を上げる。


「でも、ユンって……」


「おれは養子だ。ユン家は、もらわれた先の姓だ」


 ソノラは、食べるのを忘れて、タカラの横顔を見た。

 特になんの色も浮かべていない男の顔に、ソノラは黙る。しばらく食べるのをやめて、ふと思ったことを尋ねた。


「タカラさんは、迷うことってあるんですか?」


「なんだ急に」

「迷う人に見えないので」


 ソノラが見上げる腹には、変わらず、すーっと天から降りてきた糸が見える。いささかの揺らぎもない、されど、しなやかな糸。


「おれとて、人の子だ。迷う時もあれば、あやまちを犯すこともある」


 タカラは立ち上がった。


「それでも、おれの信条は変わらぬ」


 タカラの返答に、ソノラは、目を丸くして、それから微笑する。

 残っている花巻を、大きな一口で平らげると、幸せな気持ちになった。口の中がなくなってから、同じように立ち上がる。


「そうですね」

 裾を、少しだけ払う。


「たしかに、わたしも変わりません」


 ソノラがにっこり笑むと、表情のなかったタカラも少し笑んだ。

 帰路につく。すっかりと朝陽が昇ったあとだったので、晩秋の風が気持ちよかった。通りには、人がごった返している。

 ソノラとタカラはほとんど言葉を交わさずに歩いたが、最後の小路に差しかかったところで、ソノラは口を開いた。


「ひとつ、気になっていることがあるんです」


 タカラが足を止めた。

 塀のある、人の少ない小路だったので、話すのにちょうどよい場所だった。


「〈暮れの国〉のことです」

「話してみろ」


 タカラは腕を組んで塀に寄りかかった。


「──このまま、何事もないと思いますか?」


 ソノラが尋ねると、タカラは首を振った。


「告げの当主が、〈暮れ〉の分も罪を被ったが、あれで収まるようだったら、そもそもテソンをねらっていない。だから昨夜も警戒に当たっている」


「テソン皇子は何度もねらわれてきたのですか?」


「そのたびに、返り討ちにしている」


 酷薄な笑みを浮かべるタカラに、ソノラは応えなかった。代わりに、ぽつりと言う。


「……もつれてるんですね」


 ソノラの頭には、央の都から国全体を越え、〈明け〉や〈暮れ〉全体に伸びる〈根〉を浮かんでいた。夢のなかで見えていた、その光景。


「黒く、もつれてる」


 ひとりごとのように、繰り返す。

 タカラは、なにも言ってこなかった。

 ソノラは今一度、尋ねる。


「〈結び〉をし直してから、テソン殿下がねらわれることは?」

「ない。不気味なほどにな」


 タカラの返答に、ソノラは押し黙る。


「なにかあるとしたら、テソンと姫の婚礼だろう」

「……はい」

「あなたも参列するか?」

「……はい」


 そうか、とタカラは言った。

 ソノラは、身の裡(うち)にやって来たものを、ごくりと唾と一緒に呑み込んだ。送り届けてもらったタカラとの別れ際、一言告げる。


「どうか、ご無事で」


 タカラは背を向けながら、横顔に傘の縁をつかんで、不敵に笑んだ。


「──ユン家の男は、逆境には負けぬ」



*



 婚礼前夜、ソノラとスオノは、一緒の臥榻(がとう)に入って、掛布のなかで、きゃあきゃあ言った。なんの話をしてそうなったのか、くすぐり合って、笑い転げる。

 ひとしきり笑い終えたあと、スオノは息を整えながら、まごまごと言った。


「明日が終わったら、話したいことがあるの」

「今言えばいいのに」


 ソノラは、笑い疲れた気怠さで掛布をはがす。室内に残る秋のつめたさが心地よかった。


「終わってからがいいのよ」

「なにそれ」


 恥ずかしそうにするスオノに、ソノラはまた笑う。

 姉は、ソノラとほんとうにちがう。仕草も性格も。顔は瓜ふたつなのに、まるでちがう。生来の気質もあれば、育ちのちがいもあるのだろう。


 けれど、不思議なことに似通っているところもある。味の好みや、寝る時の落ち着く向き。ソノラは、笹の味噌蒸しが好物だが、スオノも一番の好物だという。寝る時は、ふたりして絶対に左向き。仰向きで寝るなんてありえない、絶対に寝られない、とふたりで肯き合った。


 姉妹だな、と思う。血のつながっている、たったふたりの姉妹。ちょっとしたことに、臥榻(がとう)に入れられた陶炉(とうろ)のような、あたたかさを覚える。


「……明日、なにも起こらないといいけれど」


 ふいに、スオノがぽつんとつぶやいた。


「……うん」

「宮殿の警備も増すから、きっと大丈夫よね」


 自らに言い聞かせようとするスオノを視界に入れながら、ソノラは、タカラと交わしたやり取りが脳裏をよぎった。

 姉の言葉に、たやすく、肯くことはできない。

 考えた末に、ソノラは、自分のなかでここ数日考えてきたことを口にしていた。


「人は、なんで、当たり前の判断ができなくなるんだと思う?」


「え?」


「落ち着いて考えれば、ちょっと引いて見れば、それが正しくないってわかるのに、たまに人はとてもばかな選択をしてしまう。なんでだと思う?」


 〈暮れの国〉について考えていると、そんなことを思う。大人が寄り集まっているはずなのに、なぜ当たり前の判断ができないのだろう、と。

 ソノラが尋ねると、スオノは一度きょとんとしてから、しばらくして感慨深げに答えた。


「気持ちが追い詰められているから……だと思うわ」

「気持ち?」


「追い詰められてしまうと、冷静な判断も、広い視野も、持てなくなってしまうの」


 私がそうだった、とスオノは語った。


「どんなに正論であっても、それが眩しくて、見られなくなってしまうの」

「そういうもの? わたしはよくわからない」


 ソノラが、慣れない襦袢をさわりながら尋ねると、スオノは苦笑する。たとえばね、と付け足した。


「結びの宮には、恋に盲目になった人が、必ず縁を成就させてほしいって来ることがあるのよ。恋する乙女の状態って言えば、わかる?」


「わかるような、わからないような」


「あとは家族ね。閉鎖的な家族。家独特の慣習があって、はたから見たら絶対におかしいのだけど、中で過ごしていると、わからない。そういうものよ」


「ああ……」


 ソノラは、思わず声を上げた。

 オリの里の隅に、そういう家があった。

 木綿の繊維は浅はかで、代々から伝わる苧麻(ちょま)こそが、央の大地よりの恵みであると、冬で凍死するのを厭わず、苧麻の衣をまといつづける一族が。……その家はそうして途絶えてしまった。


「気持ちも同じ。追い詰められてしまうと、そういう、どうしようもないものを、人は抱えてしまうことがあるの。同じ気持ちをともにしている人間が集まれば、よりその濃度は濃くなる。外の声も、周りも全部見えなくなって、まともな判断がつかなくなってしまうのよ」


「集まると……」


 見えなくなる。

 人は集まると、見えなくなってしまうことがあるのだろうか。考えることが、面倒になってしまうのだろうか。

 スオノは、ソノラに身を寄せながら、ぬくもりを求めるようにつぶやく。


「人は、どうしようもないものを抱え込んでしまう、生きものなのかもしれないわ」


 そういう生きものが集まると、どうなってしまうのだろう。


 ソノラもまた、ぞっと感じたものに、ぬくもりを求めるように、スオノに身を寄せて眠りについた。



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