参拾九、対の衣
ソノラは、ぼうっと護岸の石積にしゃがんで、運河にかかる太鼓橋の下を渡し船が通るのを見ていた。
まだ陽の昇りきらぬ早朝、早起きが癖づいているソノラは、目が覚めてしまった。もう一度眠ることもできず、暇を持て余して、朝の散歩に出た。
朝靄に、息をすると、視界がはあっと白く曇る。
その白が、すっかり消えるまで見つめる。
この数週に起きたことを、思い出していた。
──ほどき師、であるということ。その役目を果たしたこと。
口さがない人間は、凶ツ者となじったが、ソノラは相手にしなかった。父や実の母、先代告げ師カロンの思いを聞いたからだろう。芝居小屋で聞いた時と異なって、不思議と心は波立たなかった。
「君は強いんだね」
やさしげな父の目元は、姉であるスオノにそっくりで、自分にも似ていた。
ソノラは、肩を小さくした。
「べつに、そうじゃありません。言われて嫌な気持ちになることはたしかですから」
「それでも流すことができる。十分強い」
「……ありがとうございます」
ソノラがぺこっと頭を下げると、父は薄く笑う。
スオノは最近、やたらと、はしゃいでいた。
「きっと、これが似合うわ」
「似合わないよ」
スオノが片っ端から卓に並べていったのは、光沢の美しい反物の数々だった。凝った織り目に、あざやかに染め抜きがされ、金銀の刺繍が施されている。折り重なる野菊や蜜梅、扇などの娘らしい華やかな模様は、ソノラの心を躍らせたけれど、どこか現実味がなかった。
ミハヤが、この場にいなかったからかもしれない。
「あたしは、里に戻るよ」
ソノラが、〈幹〉の前で、〈ほどき〉を行った翌日のことだ。
ソノラには、一月のちに行われるメノウ姫とテソン皇子の婚礼ノ儀まで、都に滞在するよう命がくだった。国の命運を担うほどき師として、儀礼に参加するように、というお達しだった。
スオノはとても喜んで、そのあいだ、結びの屋敷に滞在できるようにしてくれたが、ミハヤは、里長とともに、オリの里へ先に戻ることを選んだ。
「母さんもいてくれるんじゃないの?」
「糸繰り堂があるからね。これ以上、留守にはできないよ。また、ヨナとトハンが喧嘩をおっぱじめるかもしれないしね」
たしかに。
あのふたりは、どうにも言葉が足りないところや、どちらも感情をぶつけるところがあるから、留守が長くなれば長くなるほど、喧嘩が起きる可能性は高まる。
ソノラは肯く。
「わたしが帰るまで仲よくするように言っておいて。喧嘩したら、堂の埃取りを隅から隅までやって、冬に合わせて指先が凍るような水拭きをやらせてやるって」
冗談に、珍しくミハヤは乗ってこなかった。
「言っておく」
低く、軽く応じる。それから、ソノラの頭に、ぽんと手を載せると、若草色の髪をくしゃっとさせた。ソノラは、むっとしながら見上げる。
「もう、子どもじゃないんだから」
「元気でね」
その笑い方は、ミハヤらしくなかった。
奏聞を踏まえて、国が倉を解放することが布告されると、ミハヤと里長は、帰途についた。
そこから数週、ソノラだけが、都に取り残されている。
「今日はこれを着ていきましょう」
スオノがそう言って手に取ったのは、品のある菫が刺繍された対の長衣だった。色ちがいになっていて、黄と水色の地になっている。控えめな菫草が揃いとなって、裾模様がかわいらしかった。
(わたしに似合うかな)
ソノラが苦笑を浮かべると、スオノがおずおずと口を開く。
「あのね、私……」
恥ずかしそうに言う。
「……ソノラといつか、並んで、揃いのものを着たいと思っていたのよ」
そう言われてしまうと、ソノラは降参するしかなかった。
侍女に手伝われて、未だに慣れない長衣をまとって、髪をくしけずられる。肩より少し長いだけの髪を結ってもらって、合わせた菫の歩揺を挿してもらい、化粧を施してもらう。そうして、姿見の前に立てば、スオノにそっくりな立派な令嬢がいて、ソノラはまじまじと鏡面を覗き込んだ。
「よく似合うわ!」
同じ長衣をまとったスオノが、喜色を浮かべる。
スオノが水色で、ソノラは黄色。
対の双子が、鏡のなかに並んでいる。
「お買い物に参りましょう!」
明るい声でスオノがソノラの腕を引いて、揃いの花靴を履いた。
スオノは、真の〈結び〉を終えてから、ソノラが滞在するようになって、ずっとこんな調子だった。泣いてばかりの浮かない姉の姿はない。
(もしかしたら……)
これが、姉本来の気質なのかもしれない。結び師という責任がなければ、ただの年頃の、高貴な娘。
それが姉スオノという人なのかもしれなかった。




