参拾六、あとづけ
ソノラは、ウロンの腹にある〈もつれ〉を見て、自分が言うべきだと思った。
(凝り固まって、ねっとりとした〈もつれ〉)
強固なように見えるそれを、ソノラの言葉ひとつでどうこうできるものではない。
(あとからほどけることも……あるかもしれない)
ソノラは、立ち上がる。
父の後背から一歩踏み出して、面紗を取る。
「──ソノラ、と申します。結び師スオノの双子の妹です」
名乗ると、ホロンがぽかんとし、ウロン爺は太い眉をしかめた。一言、つぶやかれる。
「……凶ツ者か」
「そう、言われるみたいですね」
ソノラは、苦く笑った。
気にしなかった。
「わたしは、先代告げ師の方による〈告げ〉のおかげで、育った人間です」
「ち、父上のおかげ?」
ホロンが、気を取り戻したように問う。
双子を見比べて、聞きたいことは山ほどありそうだったが、ソノラはにっこりと笑い返した。
「はい。あなたのお父さまが、わたしの実の母に〈告げ〉を授けてくださったことで、わたしは、こうして元気に過ごすことができています」
ソノラの言葉に、怪訝を強くするウロンと、訳のわからないホロンに、その場にいた父ソルが、名乗りを上げる。
「僕が、お話をしましょう」
父は、今朝と同じように、先代の告げ師カロンと、結び師ユノア、自分たちのあいだに起きたことをつまびらかに語った。
聞き終えたウロンは、黙した。
ホロンは、絶句している。
「わたしはたしかに、捨てられましたが……」
ソノラは、自分が今思っていることを素直に口にした。
「よかったと思っています。そうなって、よかったと」
ウロンがソノラを見た。
ソノラは、ウロンの〈もつれ〉の、ねっとりとした芯を押さえるようにつづける。
「拾ってくれた人と出会えたからです。その人に出会えてよかったと、心から思っているからです」
「…………」
「捨てられていなかったら、それはそれで幸せだったかもしれません。豊かな暮らしをして、やさしい父と姉と一緒で、楽しく暮らせていたかもしれません。……でも、」
ソノラの胸の裡には、あたたかいおこげの香りが漂っている。
「捨てられてよかった、と思います。あの人に、育てられてよかった、と」
「……あとづけだな」
ウロン爺が、歯の隙間から唸るように言う。
(あとづけ)
たしかに、とソノラは笑った。
「そうだと思います」
「なに?」
「実際、そうなんです。あとから、いろいろと噛み締めて、そう思う。自分の都合のいいように、起こった不幸に意味を見出して、糸を縒って紡いで、過去を織り上げる。そうやって、なにかに意味を持たせて、今を捉え直す。それでいいんだと……思います」
「…………」
「だから、先代の告げ師には、感謝です。そういう出会いを招いてくださって」
ウロンは、言葉を継がなかった。
「正直に、告げてくださったからこそ、わたしは、凶ツ者と言われず、真っ直ぐに糸を紡ぐように、育ててもらうことができました」
(ほんとに、真っ直ぐかな)
言ってみたものの、自信はない。
ミハヤの糸繰りの技は継げなかった。それだけは、ソノラのなかで、もつれとして残っている。
(でも、抱えたままでいい)
ミハヤから大事なものは、もらっている。
ソノラは、顔を上げた。爺の目を、今一度見つめて言う。
「わたしが伝えたかったことはここまでです。正直さに、結果的に救われたものもいる。そういうことを知っておいていただけたら、と思いました」
ウロンは一言も、口を開かなかった。
*
──正直者は、損をする。
甥のカロンは、かつて、ウロンに苦しく語ったことがある。
自分の〈告げ〉が、結び師のユノアを追い詰めてしまって、彼女にあやまった判断を強いてしまったのではないか。自分が告げなければ、よかっただろうか、と。
告げ師は、正直であること、嘘をついてはいけないこと、その誇りを持ちつづけるために苦しみを負う。
だのに、それほどの苦しみを負っていても、だれからも感謝されない。立ち行かない。栄えない。
──なんと、損な立場なのであろう。
ウロンは、兄を見て、甥カロンを見て、虚しく感じた。一方で、その苦しみを負う強さがなければ、告げ師にはなれないのだろうと思った。
だから、ホロンを育てるに当たって、ウロンは自分に言い聞かせたのだ。
(厳しくせねばならん)
──厳しく育ててやらねば、告げ師の苦しみを負うことができぬだろう、と。
ウロンは、そう思って、ホロンを育ててきたのであった。
他方で、子に恵まれなかったウロンにとって、ホロンはかわいい孫同然だった。
「ち、ちい爺さま! ちい爺さま!」
ホロンは、覚えていないだろう。
まだ三つかそこらの頃、表で風車を買ってやると、縁側から見える中庭で、うれしそうに跳ね回っていた。
兄や甥が病で倒れるまで、ウロンは、そういうホロンの、かわいい姿を見るだけでよかった。
ほんとうは、その姿だけを見ていたかったのだ。
(足が……痛む)
畳んだ足が、じいんと痛む。
(椅子に座れば……)
このような痛みは、なくなるのだろうか。
ソノラたちが帰ったあと、奥の間には、ウロンとホロンだけが取り残されていた。ホロンは、気まずいのか、もぞもぞと座布の上で身じろいでいた。小さな頃から、そわそわと自信のない動きをしてばかりの大甥だった。
ふいに、ウロンは、ホロンの姿に、目の奥が束ねられた俵のように、じんとした。足の痛みが遠のくのを感じる。
「ホロン」
ウロンは、いつの間にか、呼びかけていた。いつもより、ゆるんだ声音だった。そういえば、こんな声も出すことができていたのだと知る。
「は、は、はい」
ホロンが、喫驚して、〈吃〉を出す。
「しばし、待っておれ」
「は、はい」
ウロンは、ゆっくりと立ち上がって、文机の前に移った。文箱から、筆や墨、硯を取り出し、文に強く太い字を綴る。
幾許も、なかった。
書き終えると、ウロンは従者に文を託して、またホロンと膝を突き合わせる。
「じ、爺……?」
行動の意味をまったく理解できなかったホロンが、ウロンを見た。
ウロンは、ひとつ、溜息のような息を吐き出す。
「もう、寝なさい」
「はい……?」
「明日の朝、早朝に出る。きちんとした格好をするのだぞ」
ホロンに注意深くそう伝えると、ウロンは、おざなりにホロンを追いやって、それから馴染んだ蒲団に体を横たえた。
体中で凝っていたものが、ほぐされたように、ぐっすりと熟睡した。




