参拾五、告げ師の誇り
ホロンの口のなかには、まだあまい餡が残っていたからだろうか。怖いはずのウロン爺を目にしても、〈吃〉はひどくならなかった。むしろ、立ち上がった爺の姿がこんなにも小さいのかと、自分が、いつの間にか爺よりも大きくなっていることに気がついて、無性に、かなしい気持ちになった。
(ぼくは……)
こんなにも小さくなった爺に、面倒を見てもらってばかりいたのか、と。
ホロンは、スオノの横を抜け、奥の間に入る。
対峙するように、ウロン爺の前に立った。
「も、もうやめましょう、爺」
「なんだ、ホロン。部屋から出ずにいたかと思えば」
爺の表情が険しくなった。
一瞬足がおののいても、ホロンは、引かなかった。自分を叱咤する。
スオノが、自分から来てくれたように。
ぼく自身も、自分の行動にけじめをつける。
「──じ、爺、ぼ、ぼくは、じ、自分の、あ、あやまちを認めることにします」
爺の眉間にしわが寄った。深く、刻まれる。
肌が、びくっ、と動いたが、ホロンは、口に残る餡を思い出した。
子どもの頃の味。
メノウと、スオノ、三人で食べた味が、ホロンの舌をなめらかにしていく。
「ぼ、ぼくは……」
スオノの視線を背後に感じた。
大丈夫。
きっと、そう言ってくれている。
「つ、告げを、まちがえました。メノウ姫さまの伴侶は……」
言う。言える。
「ほ、ほんとは……」
──言え。
「て、テソン皇子さまです」
餡にほころんだ安堵が、ホロンのなかにあっても、爺の眉間はゆるまなかった。
「だから、どうした」
「で、ですから……」
「ヨルカ皇子と、もう〈結び〉は終えたであろう。今更それを伝えてどうするのだ。混乱を呼ぶだけだろう。結んだものはどうにもならぬ」
爺の眼光は一向にひるまなかった。恐怖がよみがえってきそうだったが、それでも畳の目を踏みしめるようにする。
顎を引いて、ホロンもまた、ひるまなかった。
「そ、そう、つ、〈告げ〉をするように、じ、爺が言ったのでは、あ、ありませんか……!」
「なに……?」
ウロンが、ホロンを見た。
それをスオノたちの前で告げられたことよりも、ホロンが言い返したことそのものに、爺は驚いているようだった。
「じ、爺がそう言うように、つ、告げ師である、ぼ、ぼくに言ったではありませんか……!」
「ホロン、お前……っ」
もう一度伝えると、ウロンはやっとどこの場か思い出して、羞恥と怒りで顔を真っ赤にした。
「お前が、自分で、判断して〈告げ〉たのだろう……っ!」
「そ、そうだよ!」
ホロンは、認めた。
「ぼ、ぼくが、結局は言ったんだ! じ、自分の弱さで、き、〈吃〉に甘んじて、言ったんだよ! それは、ぼ、ぼくが、考えなきゃいけないことで、き、きっと、自分と、む、向き合いつづけなきゃいけないことなんだ。
で、でも、そ、それと、これは、ち、ちがう! 爺のやっていることは、い、一族や、歴代の告げ師たちの気持ちを、ぶ、侮辱することだ……!」
「儂がなにを侮辱した! 言うてみよ!」
「と、父さんの! お、お祖父さんの、ほ、誇りを、ぶ、侮辱したんだ!」
「それはなんだ!」
「う、嘘は言わない! つ、告げ師は、う、嘘だけは、絶対についちゃいけないんだ!」
ホロンは、叫びながら、父カロンの声を思い出した。
「──ホロン、告げ師は、その内容がたとえどんなに残酷であっても、嘘は言ってはいけないよ」
父はいつも、かなしそうな目でそう言った。
告げの宮に、落葉が目立つ、侘びしい晩秋の頃だった。
「ど、どうしてですか?」
「それが、誇りだからだよ。後ろ指を指されたとしても、偽りなく、真実を告げること。たとえ、相手にとって嫌なことであっても、真実を伝えること。それが、告げ師の誇りなんだ」
「で、ですが、う、嘘も、ほ、方便と言います。と、時には相手にとって、ひ、必要な嘘もあるのではないですか?」
ホロンは、告げの宮に来た客が、父カロンの告げを聞いて唾を吐いているところを見たから、父にまた、そんな目に遭ってほしくなかった。
「日常では、たしかにそういうこともある。いい嘘、というものだね」
「で、では、時には、つ、〈告げ〉でも、相手のためであれば、いい嘘をついてもよいのでは……?」
「それは、告げ師の役割ではないんだ」
父カロンは、乾いた落ち葉を踏むように、ぴしゃりと言った。
「世のなかには、自分にとってやさしい言葉をかけてくれる人は意外といるものだ。それは人が生きていくうえで大切なことだよ。やさしい言葉、労いの言葉、時には甘えとなる言葉。それらをもらえることで、現実を生きやすくする」
「……はい」
「でも、告げ師は、神から力をもらっている。この世に必要な、その人に必要な〈告げ〉を受けて、伝えるために。わかるかい?」
「う、うん……」
ホロンは、この時、父の言葉の半分も理解できていなかった。
それでも、紅葉に射す、父の強い眼差しを受けて肯く。
「生きているうえで、だれかひとりは、厳しい現実を〈告げ〉なければいけない。それを、告げ師は担っているんだよ。〈幹〉の伴侶を〈告げ〉ることだけが、告げ師の務めではないんだ」
「…………」
「告げ師は、厳しいことを言う。それでも、きっといつか、現実を生き抜く頼りとなる。それが、告げ師の〈告げ〉というものだ」
「はい」
「だから、決して、嘘をついてはいけないよ。告げ師の誇りを忘れてはいけない。たとえ、家が傾くことになっても、だれかを、かなしませることになったとしても。それが父から息子へ、代々伝えられている誇りだよ」
父は、かなしみを浮かべながらも、厳しい冬を乗り越える立ち木のように、ホロンにそう伝えたのであった。
「──ぼ、ぼくは、い、一度、嘘をついた。だ、だから、これから、す、スオノと一緒に、償いに行ってきます」
ホロンが、この半年近く苦しんだのは、父や一族の誇りを汚したこと、なにより楽なほうへと流れてしまった自分自身への嫌悪だった。
それを、スオノは、一緒だと言った。自分も同じなのだ、と。
(スオノは、変わろうとしている)
だったら、ホロンも、央の命運を担う一人として、変わらねばならない。
「じ、爺も、ど、どうか、ぼ、ぼくと一緒に、あやまちを正してください……っ! しょ、正直でありましょう! 今ならまだ、間に合うはずです……!」
「…………」
「ぼ、ぼくはもう、あ、あなたに守ってもらわなくても、だ、大丈夫です! り、立派に勤めを、は、果たすことができます!」
「正直であることのなにがよいものか!」
怒髪天を衝く勢いで、ウロン爺は声を荒げた。そこまでの声を聞いたのは、ホロンははじめてで、舌がもつれて引っ込んだ。
「逆恨みをされ、騙され、金を奪われることもある! 真正直な言葉を受け止める度量を持たず、告げ師はよくないと噂するものもいる! 正直さが、一族の、お前の、なにを救うというのだ!」
ウロンの目は爛々とし、山犬のように輝いていた。これ以上なく凄まじいほどの感情を今にもこの場で爆発させ、牙を向こうとしている。
「──あの……」
場ちがいな声が、ホロンの耳に届いたのは、その時であった。スオノの声かと思ったが、聞こえてきたのは前方だった。
ソノラが、おそるおそる手を挙げていた。面紗をかけ、完全に黒子となっていたが、出番ではなかろうか、という挙手の仕方であった。
「だったら、わたし、きっと救われています」
ソノラは、立ち上がった。
「わたしはきっと、その正直さに救われているんです」




