参拾三、当主たち
告げの当主ウロンは、震える指先で油皿に点火すると、そっと火袋の棚に置いた。ゆらっと角行灯の楮ノ紙に、灯りが揺れる。
その灯火を見ていると、爺と呼ばれるほど年を重ねたウロンは、自分の灯芯がどれほど残っているか思う。
体が痺れるようにこわばっている。昨夜は寝ているあいだに地揺れがあって、咄嗟に起き上がろうとして、特にそれを感じた。今や畳から膝を持ち上げるのも、苦労がいった。若い時は難なくできていたことが、しわを刻めば刻むほど、重石となってできなくなっている。
都の貴族、特に年を経ていったものが、外ツ国から伝わった椅子が手放せなくなるのも、わかる気がした。
(あれは楽だ)
腰を下ろすのも持ち上げるのも、楽でいい。
それでも、ウロンは、座敷に固執して、椅子を取り入れることはしなかった。慣れた畳の目はやはり心地よく、葦草のにおいは、ウロンのこわばった体から力を取り去る。
「じ、じ、爺さまも、椅子を取り入れれば……」
気の弱い大甥のホロンが、自分のことをいたわって、そう言ってきた時も、首を縦に振らなかった。ホロンは、しょんぼりとした顔をしていた。
(かわいそうなことをしてしまった)
思い出すと、ウロンの弱っている心臓がどくどくと気をはやくした。
(もう、長くない……)
急いで、〈暮れ〉と事を進めていかねばならない。
「──当主さま」
障子戸に、世話子の声が聞こえた。
「なんだ」
ウロンの声に、厳しさが乗った。もう少し、やさしさを乗せればいいのに、当主を担うようになってからウロンの声は錆びついてしまって、久しい。ホロンにも、どうしても、やわらいだ声をかけてやれなかった。
「当主さまに、結びのご当主さま方がお見えでございます」
ウロンは、障子戸を睨むように顔を上げた。内心で、驚愕が広がる。
「どういたしますか?」
困惑が、ウロンの心臓を、また逸らせる。
気味の悪さと不快感、不思議な高揚感が自分の血潮に満ちていくような気がした。
ソノラは、その場のつめたく張り詰めた空気が身を刺すように感じた。父ソルの後ろに面紗をかぶって従者のように控えていたが、その紗の隙間から、棘を感じる。
向かいにいる、告げの当主であるウロンの厳格さが刺繍糸のようで、ソノラは結びの家で待っているミハヤのところに、はやくも帰りたくなった。
「何用で参りましたかな」
「ここの部屋はいいですね。伝統的で。昔ながらの央を感じる。古きよき懐かしい記憶が思い起こされますね」
速やかに話をすませようとしたウロンに対して、商人のソルは、世間話からはじめた。やれあの箪笥は、十一代〈幹〉の頃のものだ、襖の画は百年前の山水で、掛け軸の達筆は西ノ藩州の書筆家のもので……と、のべつまくなしに喋るので、後ろにいたソノラは、ぽかんとした。
そのまま聞きつづけていてもよかったが、ウロンの眉間にだんだんと深くしわが刻まれるのと一緒に、見える〈もつれ〉がねっとりと糸を引きそうになったので、ソノラはつい後ろから口を挟んだ。
「あの……」
ソノラは、父ソルにそっとつぶやく。
「本題を」
「そうでしたそうでした!」
父は、きっと食わせものにちがいない。
誠実そうな顔をして、そんなふうに諧謔を込めて明るく言うのだから、まさしく商人なのであろう。
「懐かしくなりすぎて用件を忘れるところでした」
「……古びた家となじりに来おったか」
ウロン爺のまったく通じていなそうな様子に、ソノラは、甘いものが食べたくなった。
(タカラさんに奢ってもらったお菓子、おいしかったな)
そんなどうでもよいことを思い出して、ソノラは厳しい空気を頭のなかでやわらげる。
「とんでもないです。伝統を大事にする、よい家柄だとあらためて心から思っていました」
父は慣れたものであった。爺の棘にかすりもしない。
「外ツ国の奢侈品で、家中を飾るものに言われても片腹痛いわ」
「これは、お厳しい」
「家自体も建て替えおって、央の伝統を継ぐ品位というものを持たぬのか」
「たしかに、そう見えておかしくない振る舞いを我が一族は行っています」
「贅沢になれおった若造めが」
ウロンの厳しさは、いささかも凪ぐことはない。
父の肩から、ふと力の抜けた気配がした。ソノラは、わずかに見上げる。
「そういった本音を聞けて、僕はうれしいです」
おだやかな声であった。
「今日は、こうして、本音を話に来たのでございます」
「……なに?」
「我らはともに、〈幹〉を支える一族。腹を割って話をしませんか、ウロン殿」
父は言う。
「央という国のあり方について、語りましょう。僕は、三代に渡って告げ師を見ているウロン殿とこの国を語りたいのです」
父の提案に、ウロンは肯きもしなかったが、首も振らなかった。
「──この央という国は、ひどい国だとは思いませんか」
それが皮切りとなった。
「ひとりの娘に責任を持たせ、その心の健やかさで土地を豊かにする。神の采配と言えど、〈幹〉の一族にかかる重責はあまりにも重い」
「それゆえの、儂らだ」
「そうです。ですが、それは責任を三つに分散させたにすぎず、荷が重いのに変わりません。〈幹〉を中心に、三つの一族のみに央という国、果ては〈明け〉や〈暮れ〉が乗っかっている」
「…………」
「そのような重荷を、まだ年若の、成人して数年しか経っていない子が負うのです。これを、ウロン殿はどう思いますか?」
父ソルの問いに、ウロン爺は黙った。
しばらくして、嗄れた返答がある。
「……なくせればよいだろう。そうあれば、若い心を病まずにすむ。兄も、甥も、告げ師でなければ、もう少し幸せを得られたはずだ」
「僕もそう思います」
「だが、夢想をして、どうなる? 現状はどうにもなるまい。語ったところで、今が変わるわけではなかろう」
ウロン爺は、目を釣り上げた。
ソノラは、その言葉には、同意だった。
(国のあり方を考えたところで……)
今の苦しみから逃れるすべはない。だから、今の〈もつれ〉を見逃してはいけない。ソノラはそう思う。
「おっしゃる通りです」
父は、否定しなかった。
途端にウロンの厳しさが増した。
「そのようなことを語るために来たのであれば、ただちに立ち去れ。……我が家は忙しい。これからの運気を聞こうと来る者たちが、告げの宮には多く訪れる。告げ師であるホロンが、最近は体調ばかり崩すから予定の立て直しが多くて、事が運びづらいのだ。嘆かわしいことにな」
爺は話は終わりだと言わんばかりに、座敷から立ち上がった。膝を強くつかんで立つ際に、束の間、軋んだように動きが止まって、ソノラはそこに〈もつれ〉を見た。
咄嗟に手を伸ばそうとしたところに、父の言葉が重なる。
「それこそが、今見つめねばならないことではありませんか」
「なんだと……?」
「この立ち行かなくなっている状態だからこそ、若い子どもたちの肩にすべてを載せ、がんばらせるだけでなく、我らの世代が、一族が、垣根を越えて支えていかなければいけないのではありませんか?」
「…………」
「子どもたちの足腰を鍛えるのではなく、我らが腰となり足となり肉や骨となってやればいいのです」
「……腑抜けたことを」
「僕は、だから、商いを行っています。どんなスオノでも、支えることができるように。ウロン殿も、やり方は異なれども、思いがあって、ホロン殿を厳しく躾けられているのではありませんか?」
「……どうだかな」
「困らぬように支えてやりたいという気持ちから、なにか事をなさっているのではありませんか?」
ソルの問いに、ウロン爺の乾いた唇が開いたり閉じたりした。だが、ソルのきれいな今風の衣に目が止まると、目つきが険しくなって口が開かれる。
「儂は、お前たちのようには──」
「──じ、爺、もうやめましょう」
重なる声は、障子戸を破るように響いた。
ソノラは、視線をやる。スオノと、それからもう一人。
年頃の近い、若者であった。悄然と痩せ細った色の白い若者だ。
「も、もうやめましょう、爺」
ホロンが、そう言ったのであった。




