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ほどき師はもつれの糸をすくいとる  作者: 稿 累華
五章:一族の誇り

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参拾一、ミハヤの台詞

「──あの時、ユノアにもっと寄り添えれば……そう何度も思ったよ」


 父ソルは、茶器の縁を親指でなぞりながら、静かに言った。


「そうしたら、君たちの代にまで、僕の……僕たちの悩みを継がせることはなかった」


 ソノラは、父ソルの腹に〈もつれ〉を見た。竹筋のように真っ直ぐなのに、たしかにある。そういうもの。

「君は恨んだだろう。ほんとうに、すまないことをした」

 父は、頭を下げた。若草色の頭は、たしかに自分の父であるとわかる色で、そのなかに長くあったであろう〈もつれ〉を思うと、なにも言えなかった。


 ソノラは、ゆっくりと、まぶたを落とす。

 自分のなかに、ゆらっと生じたものを感じる。


「……少し、外に出てもよいでしょうか」


 ソノラは、立ち上がって、つぶやくように訊いた。


「ああ……もちろん」


 父の返答に、小さく目礼すると、ソノラは主堂(おもや)を出た。


 ぼんやりと、雨上がりの朝空を見る。

 空気がひんやりとして、軒先からは、ぽたん、ぽたん、と雫が落ちていた。落ちた先で、基壇の石が穿(うが)たれて、雨水が溜まっている。



「──すっきりしたかい?」



 ソノラがぼうっとしていると、ミハヤの声がした。紅の透かし戸を越えて、ソノラの隣に立つ。


「してないって顔だね?」


 ミハヤが、にやっと笑った。

 ソノラは、視線を逸らす。


「自分が捨てられたわけじゃないってわかってよかった。出生のこともわかって、そういうことだったら、まあ仕方なかったかなって納得した」


「うん、それで?」


「ほどき師……のことも、ちょうど芝居小屋で、変な噺(はなし)を聞いたばかりだったから、事実を知れてよかった」


「あんた、そんなのを観に行ってたの?」


「だって、奏聞(そうもん)のあいだ暇だったんだよ。きょろきょろしてたら、大勢の人に巻き込まれたっていうのもあるけど」


「おのぼりさんだからねえ」


 けけけ、とミハヤは笑う。

 ソノラは無視して、つづけた。


「スオノにも言いたいことが言えてよかった。久々に、あんなにだれかに対して怒りをぶつけたかも」


「いつの間にか、実のお姉さんと会ってるなんて知らなかったよ。オリで時折夜に抜け出したのはそれだったんだね」


「たまたまだよ。ほんとうに、たまたま会って、それから年に数回会ってたの」


「夜中に出歩くなんて、とんだ親不孝な娘を育てちまったって思ってたもんだよ」


 ミハヤは変わらず、楽しそうに笑う。

 ソノラは、笑えなかった。


「でも……」

 なにも、滲まなかった。


「すっきりは、しない」

「そうだね」


 ミハヤの相槌は、はやかった。


「全然、すっきりしない」

「そりゃそうだ」


「……それで、わたしの十七年間が変わるわけじゃないもの」


 それが、ソノラの正直だった。


 出生のこと。ほどき師のこと。親たちの思い。

 あとから聞いたところで、自分の育ってきた時間と、そのあいだに感じたことがなかったことになるわけではない。捨てられて育ったというソノラのもつれは、簡単にほどけるものではない。

 雨垂れに穿たれた窪みを見つめる。


「そんなもんだと思うよ、あたしは」


 ミハヤは、ソノラと同じ窪みを見ながら、静かに笑っていた。


「簡単にすっきりできるもんじゃないと、あたしは思う」


 ソノラが横を見上げると、ミハヤは歯を見せて、にっとした。


「あたしだって、すっきりしてないことのひとつやふたつ、いっぱいある」

「ミハヤに?」


「未だに、夫を許してないし、納得もしてないさ」


 ミハヤが、酒の席で管を巻く、あの話だ。

 ソノラは、やっと笑みがこぼれた。


「たしかに」

「いつか、ぶっ叩いてやろうと思ってるよ」

「出ていく時、やらなかったの?」

「あたしも、若かったからね。まだしおらしかったのさ」


 ソノラは、吹き出した。声を上げる。

 ソノラの笑いに、ミハヤは、失礼な、と顔をしかめてから言った。


「でも、だからこそ、あんたをもらうことができたからね」


 ソノラは、笑いを止めて、ミハヤのおこげ色を見つめた。


「結果的に、そうなってよかったんだ。いい娘をもらうことができた。あたしは、そう思ってる」


 ソノラは、ミハヤのおこげを見つめつづける。


「だけどさ、それってあとから思うことなんだよ」

「……うん」

「あとから、思い返してみて、よかったって思う」

「うん……」

「だから、今はすっきりしなくて、なんなら怒りが沸いたっていいんだよ。無理にいい子ぶらなくて、聞き分けのいい子にならなくていい」


 ソノラは首だけで肯く。


「もつれは、持ったままでもいいんだよ」


「持ったままでも……?」


「あんたは、見えるし、声をかけてほどくのも上手だから、どうにかしなきゃって思うかもしれないけどさ、小さな……あんまり大きすぎない、ややこしすぎないもつれだったらさ、あたしは持ったままでもいいと思う」


「でも、それだったら、見逃したことにならない?」


 ──決して、〈もつれ〉は見逃さない。


 それが、糸繰りの匠ミハヤの信念のはずだ。


「いいや、すくいとるんだよ」


 ミハヤは、またしても糸を引くように、唇をにーっとした。かっこいい笑みだった。


「すくいとる?」


「そ。ほどくだけが、正解じゃない。ちゃんと見て、すくいとるんだ。そうするだけで、あとから勝手にほどけることもあるしね」


 ソノラは、ミハヤの台詞を、ゆっくりと呑み込んでいく。


「……うん」


 ──このままでも、いい。

 そう思うと、自分の気持ちが、少しだけ楽になった気がした。



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