弐拾四、底の憎しみ
ヨルカは酔ったまま、与えられている宮へ戻ると、侍官に命じて、昨日捕らえるように伝えたオリの里長と匠を釈放するように告げた。まもなくして、戻ってきた侍官が申し訳なさそうに言う。
「すでに釈放されていました」
「……なに?」
「〈明け〉の皇子テソンさまが、口利きを行ったということです」
骨を噛みたくなるほどの憎しみが、ヨルカのなかで燃え滾るのがわかった。酒瓶を投げ、割る。散乱した陶器に、侍官が慌てて下官たちに掃除を命じる。
「あの男……っ」
ヨルカの怒りは、宮に反響する。
「──殿下」
静かに、入室してくる者がいた。
以前、〈告げ〉の屋敷にヨルカと参った男であった。ナヒョンという名の男で、ヨルカの遠縁に当たる。〈暮れの国〉では豪族の地位にいた。
ヨルカはその男ナヒョンを認める。
「またお怒りでございますか」
「……黙れ」
「その損気なところを直されませぬと」
ナヒョンの言い様に、ヨルカは残る酒瓶を投げつけようとして、ぐっと下唇を噛んだ。
「殿下のお人柄を知れたからこそ……」
さきほど出会った若草色の娘の言葉で、なんとか耐える。見知っただれかに似ている気がしたが、思考がぼうっとして、うまく結びつかなかった。
ぼそっとナヒョンに尋ねる。
「用件はなんだ」
「晩秋の婚礼に先立ちまして、憂慮すべきことを排除したく思っております」
「それはなんだ」
「〈明け〉の皇子でございます」
瞬間、ヨルカは、奥歯に物の詰まったような気持ちの悪さを覚えた。親族であるナヒョンの顔を窺い見る。
「どうするのだ?」
「以前の襲撃は失敗いたしました。今回は、仕留めます」
「〈結び〉を終えているのにか?」
「確実を期するために。〈明け〉の皇子がいなくなれば、《《まちがいなく》》あなたさまが伴侶でございますから」
〈暮れ〉と〈明け〉。両国の差は、目に見えるもので、陸や海を行き来する商人たちのあいだでは、明白なものであった。
戦を生業としてきた〈暮れ〉の者たちは、自分たちこそが、この健やかな大地を守ってきたという自負がある。商いを主としはじめた〈明け〉の者たちを、なまくらだと揶揄するものは多かった。
ところが、どうだ。
実際には、〈明け〉が栄え、〈暮れ〉は貧富が激しい。武官となる以外は、貧しい生活を余儀なくされ、央の弓状窟は、〈暮れ〉でもよく見る光景だった。
そのうえ、〈幹〉の伴侶は、数代に渡って〈明け〉の皇子たちから選ばれてきている。
まるで、お前たちはいらぬ、と神が言っているようだった。
お前たちがやっていることはまちがっている、と。
貧困と屈辱は、〈暮れ〉全体に、〈明け〉の国への妬ましさと憎しみを蓄えることになった。ナヒョンもまた地方の豪族として、民草の苦しみをよく理解していた。行商のふりなどをよくして、巷を歩き回っているが、半年前の襲撃で皇子テソンの護衛から足取りをつかんだのも、この男だった。
ヨルカは、ただ、皇族として国の恨みを晴らす役割を担っている。
(……これでいいのか?)
つきっ、と胸にわずかなものが刺した。
ヨルカのなかにあるものが、伸びたり縮んだり懊悩する。
「──お前たちも、儂らと同じ穴の狢であろう」
そう言った、告げ師の当主である老爺を思い出す。
自負だけではどうにもできない、どうしようもないものを抱えている。
告げ師の一族も、〈暮れ〉も、ヨルカもまた、同じだ。
「殿下、ご判断を」
ナヒョンの言葉に、思考が行ったり来たりと移ろった。立ち止まると、酔いの奥底から震える憎しみを思い出した。
「……お前に任せた」
「御意に」
ナヒョンの背を見送って、ヨルカは、黙り込む。
その日もまた、夕陽は山の稜線深くへと静かに沈んでいった。




