弐拾二、鯉づかみ
タカラが、央ノ宮の下宮、〈明けの国〉の武官たちと飯を食っていると、ヒジャルが現れた。
一週ほどしたら、国に帰るものの、今はあまり実りがよくなかったから、央の都で腹いっぱい食ってやろうという男たちが群れていた。
タカラは、肝心な時に支障をきたさないために、ほどほどに腹に入れている最中だった。
「ちょっといいか、タカラ」
やって来たヒジャルに、タカラは椀を置く。目線で外を示されて、通廊に出た。
「ソノラという娘を知ってるな?」
「どうかしたのか?」
昨日会ったばかりの娘の話が出てきて、タカラは眉を寄せた。
「その娘の親が、昨日の奏聞で捕らわれた。ヨルカ殿下の短慮によるものらしい」
ヒジャルは自分が聞き集めてきた事実を語った。
タカラはさらに眉根を寄せる。
「娘が困っていた。助力したい」
「あの娘が、か?」
ヒジャルの肯きに、タカラは思考する。
迷いは、ほとんどなかった。すぐに判断を下す。
「テソンの助力を願おう」
ヒジャルを連れ立って、下宮をあとにした。ちょうど護衛を交代する頃合いでもあった。タカラも、ヒジャルと同じく昨日は休みで、奏聞のできごとは直接見聞きしていない。ヒジャルは、およそを語ってくれたが、わからないことが多かった。
テソンに与えられている客用の宮へと向かう。
テソンは、扶手椅に、ぼうっともたれかかって天井の梁を見つめていた。梁には、薄桃の布がかかっていて、室内を飾っている。
「テソン」
「……なんだ」
「いい加減に切り替えろ。殴るぞ」
「そんなことをすれば、そなたは吊るし首だ」
「首の肉だけで一日耐えてやる」
「恐ろしい男だな。実際にやって見せそうだから、なお恐ろしい」
「お前に頼みたいことがある。力を借りたい」
タカラが真面目に言えば、テソンはタカラを見た。
「なにかあったか」
「昨日の奏聞で、オリの里長と匠が捕まったと聞いた」
タカラの言葉に、テソンが顔を曇らす。
「匠の娘が、親の釈放を願っている。聞けば、ヨルカの短気ではないか。お前ならなんとかできるだろう?」
「……できぬ」
テソンは、苦渋を滲ませた。
「なぜだ」
「姫さまの婚約者と〈結び〉を終えたヨルカ殿は、私より立場が上だ」
ぴしゃっとテソンは言った。自らに言い聞かせているようだった。
「私が出しゃばることで、いらぬ諍いを呼ぶ」
昨日もそうだった、とテソンは語る。
「だが、正しき道だ」
「……姫のご心労になるのだ」
タカラが断じると、テソンは溜息をついた。
「この国がよい大地でありつづけるためには、〈幹〉と、姫の心は健やかでなければならぬ」
「しみったれてるな。お前はどうなんだ」
タカラは、厳しい深緋を向けた。
「お前の心はどうだ?」
「……私は、どうとでもなる」
「目顔とちがうことを言うな」
「事実だ。私は、この〈央〉と〈明け〉の、あくまでも一枚瓦でしかない」
屋根ではない。
テソンは言った。
「むしろ、苦しいのは姫さまなのだ。まちがいなく」
「テソン」
「私は、あの方の無垢な笑顔を守りたかった。……少なくとも、私の前では、わがままな顔でいらっしゃってほしかった。姫として、立派になられたが、あれは、あの方の本来のお姿ではないのだ」
テソンと、メノウ姫がはじめて出会ったのは、八年以上前だという。
当時、八つになったばかりの姫と、〈明けの国〉や〈暮れの国〉の皇子たちが、一緒くたに集められて顔合わせをすることになった。まだテソンは、〈明け〉の婚約者候補として名を立ててはおらず、ただ並べられた候補のなかの候補。そんな一人だった。
そこで、テソンはメノウに出会ったという。
「とんでもないじゃじゃ馬姫だった」
当時テソンは、笑いが噛み殺しきれない様子でタカラに語った。
テソンは、〈明け〉の皇子たちのなかでも模範的で、品位よく振る舞っていたが、他の皇子たちはそうではなかった。
「あの金の鯉をつかまえたやつが、姫の婚約者な!」
皇子たちと言えども、所詮、悪餓鬼どもの集まりだったので、興味のない見合い場で、目的の姫君がやって来ない時間が長くなると、暇つぶしで、競り合いをはじめたのだ。〈明け〉も〈暮れ〉もその時は関係なく、小童たちは騒ぎはじめた。
余所行きの衣が汚れないようにする分別だけはついていて、棒切などを持ってきたり、水際から手を伸ばそうとして、必死に泳ぐ金の鯉を取ろうとしていた。今考えれば、〈幹〉の庭で阿呆なことをはじめた皇子たちであった。
当時テソンは十二で、この場では年が上だったので、たしなめようとしたという。声を上げようとしたところで、それよりも凛と明るい声が池に響いたのだ。
「だらしないわね!」
懸かった橋から華麗に舞い降りて、池の鯉を鷲づかみした人こそが、八つになったメノウ姫で、皇子たちは皆ぽかんとした。
テソンもまた、空いた口が塞がらなかったという。
「汚れるのをためらっているようでは、わたくしの婚約者は務まらないわ!」
水を嫌う絹の衣をびっしょりと苔だらけにして、メノウ姫は、そのまま女官長に大目玉を食らっていた。
テソンは吹き出して、大笑いした。
「かっけえー!」
この時、こうして声を上げたのが、〈暮れ〉のヨルカ皇子であった。他の皇子たちは呆気に取られたままなんの反応もできなかった。
そのことがきっかけで、〈明け〉からはテソンが、〈暮れ〉からはヨルカが、婚約者候補として名を連ねることになった。
タカラは、そういう出会いを、テソンから聞いていた。
その頃の姫君のお転婆さを知っていたら、今のメノウが、いかに央の次代としての化粧に塗りたくられているのか、テソンは感じ入るものがあるのだろう。
その気持ちは、よくわかった。
「──テソン、今の〈結び〉は偽りだ」
タカラは、ずっと思っていたことを口にした。
テソンは厳しい顔になって、タカラを諌める。
「めったなことを言うな。〈暮れ〉の間者に聞かれたらどうする?」
「聞かれたところで構わん。なにかできるわけでもない。それに……」
タカラは、にやっと笑った。
「おれの敵ではない」
「そなたが言うと、なぜか納得してしまうな」
やれやれ、とテソンは息を吐き出す。
「なぜ、偽りだと思った」
テソンは声を低く、タカラに尋ねた。
「勘だ」
「そなた……」
「当てずっぽうではない。告げ師。それから、結び師だ」
タカラは、〈告げ〉と〈結び〉の儀式のその場にいた。あの場の異様さ。〈央〉の国を囲う〈明け〉と〈暮れ〉。さらには、〈幹〉を囲う〈告げ〉と〈結び〉。さまざまな糸が複雑に絡み合って異様な圧となっているものが、まだ若い、告げ師と結び師を中心に渦となっているようだった。
(あの結び師の娘)
スオノ、と言ったか。ソノラの双子の姉。
オリの里に、自分の縁戚はいないと言ったところが、いかにも人間らしく、タカラの嫌悪するところであった。庇い立ても救う余地もない。
「告げ師は、嘘を言った。結び師は、気づいていて結んだ。偽りだ、あれは」
「証拠がなかろう」
「なくとも、答えは明白だ」
タカラは、はっきりと言った。
「〈根〉が、よくなっていない」
「…………」
「奏聞で、オリの里は窮状を訴えたが、他の里も似たようなことを訴えたはずだ」
「……我が国もな」
〈幹〉の健やかな〈根〉をともにする〈明けの国〉もまた、今年は不作だ。さまざまな育ちや実りがよくない。
テソンがまもなく帰国しようとしているのも、奏聞で知った内容を受けて、外ツ国との交渉で、今年の冬を乗り越えられる策を得られないか協議するためでもあった。
「一月のちには、姫とヨルカ皇子の祝言が開かれる」
「ああ……」
「お前たちだけの問題ではない。事は、三国に住まう者に関わる。いいのか、テソン?」
「…………」
「今お前が思っていることは、本懐か?」
「私は……」
深緋に詰め寄ると、テソンは視線を逸らした。
言いようのない間があった。
やがて答えが返ってくる。
「捕まった里長と匠のもとへ向かう」
立ち上がると、テソンの目には、少し光が戻っていた。
タカラは唇の片端を上げる。
ふたりの会話を黙って聞いていたヒジャルは、少しだけ退屈そうにあくびをしていた。




