弐十、奏聞の騒ぎ(二)
「──次なるは、オリの里長よりの申し出となります」
進行の官吏がそう告げると、スオノは、はっとした。
オリの里は、ソノラの住まう場所だ。
直前の騒ぎを黙って見ているしかなかったスオノだが、鼓動はどくどくと胸を鳴らしていた。今もまた早鐘を打つ。
(ソノラ……)
夏の暮れ、スオノはソノラに会いに行けなかった。
自分の振る舞いが情けなくて、いつでもすっと背筋を伸ばしている妹の顔を見られなかったのだ。
スオノは、ぎゅっと、膝にかかっている長衣を握る。
「姫殿下に申し上げます。我がオリの里は、央の東〈明けの国〉の国境に位置しております」
里長を名乗ったものが述べはじめる。
「綿の衣や、糸を作りあげ、これまで宮にも献上して参りました。少し前は、〈明け〉のテソン皇子さまがいらっしゃり、我が里の衣を手に取られ、姫君への贈呈品とされた次第にございます」
メノウが、そっと身じろぎした。
「ですが……、我が里の名産である綿が今年は……いえ、今後は献上が難しくなってしまうかもしれません」
「どうしたというの?」
メノウが凛と尋ねる。声に、緊張が載っていた。
「棉花の収穫が悪くなっているのでございます。特に、今年は……ひどい。同じく作物の実りも悪く、我が里では冬越えが喫緊の問題でございます。──ミハヤ、申すがよい」
聞こえてきた名前に、スオノは思わず、御簾の網目を覗くようにした。
透けるその先。
その名前は、妹ソノラの養い親の名前ではなかったか。
「はい、申し上げます」
声の低い、されどよく響く女人の声だった。
(あの人が……)
ソノラの母親代わりなのだ。
スオノは、惹かれたように目と耳を向ける。
「私は、オリの里、糸繰りの匠ミハヤと申すものです。棉花から、反物を作るのに一番はじめの糸紡ぎを生業としております。
里長が申しました通り、昨今、棉花の収穫は悪く、年々綿の質が……落ちています。繊維の厚みが減り、か細くなっていってるのです。とは言え、私も匠でございますから、どうにか紡ぎ方を工夫し、これまでの厚みを維持できるよう行って参りましたが……今年は、特にひどい。このままでは、冬の峠を越えられない者が出て参ります」
「どういうこと……?」
メノウの不安が、ふわっと漂った。
「綿は、便利なものでして。吸水性にすぐれ、夏は涼しく、冬は肌をあたたかくします。里の者は皆、このあたたかさに救われているのです。普段着や蒲団などに用いることができます。ですが、このままでは……私たちの使用する分が足りません」
ミハヤは、一拍、間を置いた。
「献上する分はなんとかございますが、私たちが冬を越せないのです」
「宮への献上を少なくすればいいわ」
メノウは震えるように言ったが、御簾ごしのミハヤは首を振った。
「それでも足りないでしょう。いえ、足りたとしても、冬は到底越すことができません」
「どうして……?」
「長や、これまで並んできた者たちが申した通りでございます。そもそも、綿のみならず、あらゆる実りが少ないのでございます。食い凌ぐことができぬのです。土地が……貧しくなっているからです」
押し殺せぬ、漣のようなざわつきが辺りに満ちるようだった。
だれもが、直接的には口にせぬことを、ミハヤは堂々と告げている。
「姫さま、」
ミハヤは、さも御簾ごしに起きていることを見抜いているように、声を響かせた。
「姫さまは、お幸せですか?」
メノウの足が、一歩、後ろに下がった。
「姫さまは、お健やかでいらっしゃいますか?」
その問いに、花芯のようなメノウの双眸が揺らぐのと同時に、御簾が持ち上がって憤怒の声が轟いた。
「──無礼者めが!」
ヨルカ皇子が、顔を真っ赤にして、ミハヤのもとへ向かう。
姫が健やかでないのはお前の支えが足りないせいだ。
ミハヤの言葉を、そう受け取ったのであろう。
鞘走り、剣を抜いて、怒りのままに処断しようとするヨルカを止めたのは、官吏たちで、それがなければミハヤの首は落ちていたかもしれない。
御殿広場が、一気に騒ぎになった。
「連れていけ!」
怒り心頭のヨルカを慰めるためには、ミハヤと里長を連れて行くしかなかった。ふたりは、衛兵らによって引っ立てられていく。
ずるずると引きずられていくさまを、スオノは呆然と見送った。
尚書によって騒ぎは鎮圧されたが、ヨルカの怒りは奏聞の列に伝播していった。陳情を述べに来た者は皆、言葉を選び、顔色をうかがい、おそらくなにも本心を言うことができず、列は前年よりはやく途絶え、夜更け近くに解散となった。
沈鬱とも緊張とも言えぬ沈黙が、メノウの宮に帰る行列に広がっている。スオノもまた、連れて行かれたミハヤの行方が気になって、鼓動が音を立てて、致し方がなかった。
「──姫さま」
最後尾に位置していた〈明け〉の皇子テソンが、メノウの宮に辿り着く直前で、声をかけた。
青白い姫の顔が持ち上がる。
「少し、ふたりだけでお話を」
「そなた──」
「わかりました」
またもやヨルカが怒り散らそうとしたが、メノウがかぶせた。
「スオノも伴います」
「もちろん、構いません」
蚊帳の外へ追いやられたヨルカ皇子であったが、スオノの名前が出ると、少し溜飲を下げた。
テソン皇子は、メノウと後ろにスオノを連れ立って、青垣の四阿に入る。秋の名月に、吊り灯籠がいくつも下がって、揺れていた。
「私は、まもなく帰国したいと思っております」
テソン皇子は、用件を直截に言った。
「今回は奏聞のために来られましたものね。夏もお帰りになられていましたが、次はまた、春の宵祭にお会いできましょうか」
メノウは、月夜に頬を染めて、テソンを見上げていた。
テソンは、そんなメノウにやんわりとした笑みを向ける。
「いえ。私はもう二度と、都には上がらないつもりでおります」
「え……?」
「〈告げ〉で選ばれなかった男が、この恥を晒して、また都に上がっていたことこそが、おかしなことだったのでございます」
テソンは自嘲する。
「それに、ヨルカ殿も……私がいると気が落ち着かぬでしょう。今日も二度、騒ぎになりました。一度目は姫さまが抑えてくださったものの……私がいると、彼によくありません」
「ですが……!」
「私にも……よくないのです」
あらがったメノウに、テソンはそっと笑んだ。
「このままでは、あなたへの気持ちを断ち切れません」
メノウが、言葉を失った。
夜風に、淡桃の髪が揺れていく。
スオノの衣から、母の台詞が匂い立った。
(逃した縁は……)
──糸になって、風に運ばれてしまう。
「荷の準備と、各所への挨拶を終えましたら、立とうと思います」
テソンは、メノウやスオノの心中を知らずに告げる。
「どうか……お健やかで」
それが、テソンの別れの言葉であった。
メノウは、ふらふらと自分の宮へ戻った。ヨルカ皇子はすでに辞去をすませ、央ノ宮内部に与えられた、べつの宮に帰ったのであろう。
「……スオノ」
メノウの化粧は取れかかって、衣の合わせはゆるんでいた。金色の花芯は、スオノを見上げる。
「わたくし、わたくし……」
スオノは、姫の体を受け止めた。幼なじみの気やすさで、その尊い体を抱きしめる。メノウは、声を上げずに、泣いていた。
(大変なことを仕出かしてしまった……)
スオノは呆然とする。後悔がもたげても、どうすればよいのかわからぬまま……。
メノウのかなしみが、足底から地の下へ張る〈根〉に伝い、暗く、淀んでいくようだった。




