拾九、奏聞の騒ぎ(一)
春終わりの儀式よりこの方、スオノは、央ノ宮全体に、蜘蛛の巣のように張り詰めているものを感じていた。
──玉梅が、花を散らせつづけているのだ。
「まだ、代替わりを終えてないからかしら」
侍女や侍官たちは、そのようなことを袖で隠しながらこそこそとつぶやいていたけれど、スオノにとっては他人事ではなかった。
(私は……)
スオノ自身が、自分の失態を知っている。
──次代の〈幹〉の〈結び〉を、過った。
(でも、わからないわ)
何度も、何度も、そうやって言い訳で首を振る。
事実ではあった。結び師であるスオノには、〈告げ〉の内容はわからない。スオノは、ホロンから聞いたことを信じて、〈結び〉を行うしかない。メノウの伴侶が正しいのかどうかわからないのだ。
ほんとうに、そうなのだろうか。
(もし、ホロンが、責任は、私にあるって言ったら……?)
告げ師が負うのは〈告げ〉をすること。
結び師が負うのは〈結び〉をすること。
〈告げ〉を受けて、〈結び〉をするか判断するのは、スオノなのだ。ホロンではない。
思うと、衣に焚き染められた母の匂いが、夏の人いきれのようにむっとする。
(逃した縁は、糸になって……)
スオノは思うと顔を上げられなくて、王宮への足が遠のいていた。ホロンの屋敷にも。
あの儀式から、スオノは、ホロンと、次代の〈幹〉であるメノウとも、ほとんど話すことができていなかった。
「ヨルカさま」
目の前で、メノウが剪定されて整った紅梅のように笑む。
儀式以降、メノウは、〈暮れ〉の皇子ヨルカと過ごすことが多くなって、話をする機会を作れていないというのも事実だった。
秋月の奏聞。
このような大きな行事でもなければ、スオノは、メノウと顔を合わせる機会だって限られる。
早朝、メノウとヨルカ皇子を先頭に、行列ができていた。ふたりの後ろにスオノがつづき、本来であれば、隣にホロンがいるはずであった。
ホロンは、欠席していた。
体調を崩しているという。半年前の儀式から、ホロンは頻繁にそうなって、スオノはたしかめることも話すこともできずにいた。
(見舞いに行けばいいのに……)
少し前なら、スオノは絶対にそうしていた。城下に忍んで下りてきたメノウ姫と一緒に、朱明門の角屋で、蒸かしたばかりの饅頭を買って、あたたかいうちに持っていく。ホロンは饅頭が好物で、あまい餡を口にしている時は、〈吃〉が減った。
子どもの頃から、三人で饅頭を囲えば、ちょっとした喧嘩でもなんでも、仲直りできたのだ。
スオノは、それをできずにいる。
メノウの様子も、ホロンの体調も、見ないふりをつづけている。違和感は、ずっと降り積もりつづけている。
メノウが、無理をしている。
少し前から、スオノは気づいていた。
メノウの母である今上の〈幹〉が、ほとんど奥の殿から顔を出さなくなった。伴侶たる夫を病で亡くしてから、〈幹〉は塞ぎ込んでいるのだ。
六年ほど前、都を席巻した病は、〈幹〉の伴侶や、ホロンの父や祖父、スオノの母の命を奪っていった。都では多くの死者が出て、葬ノ列がどこまでもつづいた。
土地は健やかになったとしても、病は防ぐことができない。
多くの者がそれを察した。
〈幹〉は気を患っていて、それは土地の〈根〉に直結している。代替わりをはやく行って、〈根〉を健やかにしてやらねばならないのだ。
次代のメノウ姫には、そういう気負いがある。
それがいよいよ、おかしな方向に向かっているのだ。
──メノウ姫が、〈暮れの国〉の者を重用している。
(朝廷に大きな影響があるものではないわ)
〈幹〉は患っているが、政を行えないほどではなかったし、丞相や大臣たちもいる。まだ、代替わりを行っていない姫にはなんの権力もない。
自分と周囲を、〈暮れの国〉の者で固めているのだ。
まるで、取り憑かれたように。なにかを、忘れようとしているかのように。
スオノは、ちらっと、メノウとヨルカ皇子を見た。
笑っているふたりは、歪に結ばれて、結び目がわからなくなっている気さえする。メノウはいつも笑って隣にいるが、ヨルカの話を聞いてばかりだ。自分の気負いや、母である〈幹〉のことをヨルカに話せているとは、到底思えなかった。
今日のために、御殿広場には、天幕が横に長く張られていた。
階のうえ、さらに壇が作られ、扶手椅を収めた場所には御簾が下りる。〈幹〉の代わりにメノウ姫が、婚約者となったヨルカ皇子とともに奏聞を開くのだ。
スオノもまた、同じ天幕に控え、御簾のなかに入った。
大きな太鼓の音がすれば、秋月の奏聞──忍耐のはじまりであった。スオノは、成人して三度目の参加となる。
石段から昇ってきた者たちが、続々と御殿広場へと連なって、長い列を作っていく。
「──これよりは、次代の〈幹〉メノウ姫殿下の奏聞である」
尚書が、巻子を読み上げると、広場がざわっとなった。
聞いていない。
〈幹〉が直接、民草の話を聞く時間が、今日の奏聞ではなかったか。もはや、奏聞とは呼べぬのではないか。そういうざわつきであった。
「静粛に。療養されている〈幹〉を慮って、本日は、姫君の御心で開かれている。殿下のやさしき心がなければ、会自体を取りやめねばならなかった。文句を言おうものがあれば、〈幹〉と姫の健やかさにさわる。今のうちに、去るがよい」
場が、しんとした。
「では、奏聞をはじめる」
再び太鼓の音が鳴ると、以降は、粛々と進行していった。一人が話せる時間はあらかじめ定められており、長々と陳情を訴えるものであっても、終わりの鉦が鳴れば、話の途中でも控える官吏らによって中断させられる。
「お慈悲を……!」
叫ぶ者もいたが、官吏たちは無情であった。両脇を抱えられて、退場をよぎなくされていくものを、スオノは見送る。
訴えは、さまざまであった。
「井戸の水が、乾いてしまうのです!」
「稲が虫の害に……」
「最近、地揺れが多いのです……!」
どれも、目の前の人々にとっては窮状で、メノウは真剣に耳を傾け、御簾ごしに相槌を打っていた。
「かようなことをお聞かせいただき、ありがたく存じます」
奏聞は、国の隅々まで〈根〉の健やかさが届いているのか、知る場でもあった。
民草の話を聞くことで、国がどのような状況下にあるのかわかる。書記官は聞きながら、どこの藩の里のものであるか、内容はなにか、細かに墨で記していく。
スオノも、辛抱強く座って、聞きつづけていたが、メノウの隣にいるヨルカ皇子は異なった。二時間と経たずに、表情や仕草などに苛立ちを表出しはじめる。
「まだ終わらぬのか」
小声であったが、腕を組み、指先を自分の腕で細かに叩く。
メノウ姫が、戸惑った顔をした。動くことが好きな彼女も、懸命に務めを行っていたが、ヨルカの素直な発言に、なにを返せばいいのか迷っているようだった。
「休みを挟むことはできぬのか」
ヨルカ皇子は、設えられた小卓を、カツカツと指の爪先で鳴らしながら、控える侍官に尋ねた。
「昼まではございませぬ……」
「なんだと?」
ちっ、とヨルカは舌打ちをした。
メノウ姫が、ぴくっと肩を揺らす。そのあいだにも奏聞の列はつづき、次の人間が、涙ながらに里の現状を訴えるが、天幕のなかには不穏な気配が漂った。
「いい加減にしろ」
口を開いたのは、その場にいた〈明け〉のテソン皇子であった。
メノウの婚約者候補でなくなったテソンが、今回奏聞に出席していたのは、〈明けの国〉に関することを国営の情報として持って帰るためであった。
メノウとヨルカより下がって筵に控えていたテソンが、ヨルカをたしなめる。
「この場をどこだと心得る」
「なに?」
ヨルカが立ち上がって、テソンを見下ろした。
「民が陳情を訴える場だ。恥ずかしくないのか」
「選ばれなかった者が、どんな口を──」
「おやめください」
メノウ姫が、ヨルカとテソンのあいだに、割って口を開いた。頬が紅潮し、なにかを耐えるようにメノウは口にする。
「どうか……おやめください」
押し殺すように告げる。
そうすると、ふたりの皇子は気まずそうに顔を逸らして、それぞれ座に戻った。
天幕が、広場から少し離れていたことで、功を奏した。静かな騒ぎは御簾の水面下で留められた。メノウが、「お聞かせいただき、ありがとく存じます」とすぐに言えば、次の奏聞客へと移っていった。
「──次なるは、オリの里長よりの申し出となります」




