拾八、動かぬ山
タカラは、ソノラの背に思うことがあった。
──タカラは、養子だ。
赤子の頃、〈明けの国〉武家の名門ユン家に引き取られた。
養父は、央の都にある北の素雪門で、タカラを見つけたという。素雪門あたりにある弓状窟は、めったな人間がうろつかぬところで、生きた墓場と呼ばれた。都の灰汁を煮詰めたような場所だった。
その年は、先の〈幹〉が急な病で身罷った年であった。人々は凶作に喘ぎ、風雨に嘆き、寒さに身を削られた。多くのものが苦しんだ年であった。
そうして一番、歪みが集約した先が、その年に産まれた赤子たちであった。北の門の袂には、おくるみに包まれた赤子の山で、柱が見えなくなったほどだったという。
タカラはそこを、たまたま通りかかった養父に拾われたのだ。
「力強い泣き声は、いっそ不吉に射す光明であったぞ」
その山で息をしていたのは、タカラだけだった。皆が死の山を避けるなかで、養父だけが近づき、タカラを取り上げた。ちょうどユン家を継ぐはずであった子が死産で、次の跡取りが産まれるまで、つなぎとなる子を探していた。すぐに、この子にしようと決めたという。
「これぞ、縁であろうな」
タカラは、その事実を六つになるかならないかで知らされた。
あの、身の内のすべてが抉り取られてしまったような感覚を、なんと言えばよかったのであろう。
なにをしていても、乾いた砂をさわっているような、なめているような感覚を、タカラは忘れることができない。
まもなくして、念願の跡継ぎとなる義弟が生まれ、いよいよタカラの役目がなくなることが決定づけられると、己がなんなのか、わからなくなった。
──木偶坊だ、おれは。
世の流れを滞らないようにするための沢渡りでしかない。
深緋の目の奥に、灰が積もりはじめたのはその頃からであった。年月を経て、燻ぶり、山となっていく。
それを言い当てたのが、乳兄弟であったテソンであった。
「そなたには、降り積もった山があるな」
血のつながりのない母親の、同じ乳で育ったからまさしく乳兄弟であった。
「動かぬ山が、お前を強くしている」
「……おれは、お前を守るだけだ」
その頃から、父に命じられるがまま、テソンの護衛の任についていた。十五になるかならぬかくらいだったろう。
どうせ、使い捨ての駒だ。皇子の護衛として生きるのであれば、武家であるユン家にもらわれたからには誇るべきことで、タカラに唯一残されているつながりのようなものであった。
「そうではないだろう」
テソンは、声を上げて笑った。
「自覚がないのか」
「なにがだ」
「お前は、立派なユン家の人間だな、と言いたい」
タカラは、眉をしかめた。
「おれが?」
「ユン家の人間は逆境には負けない」
その日、テソンとタカラは、ちょうど修練に混ざって体を動かしていた。外ツ国との戦は減ったものの、明けの国の人間は戦場に出ることも多い。宮殿には修練場があって、そこで時折、武官たちの訓練に混ざっていたのだ。
夏の陽射しが暑いなかだった。汗だくで、ただの井戸水が、これ以上ないほどあまく感じた。
「それが家の信条だ」
もらわれたからには、タカラはそうでなければならない。
「その信条がお前を強くしているのだ」
テソンもまた井戸水を柄杓ですくっていた。布で汗を拭いながら言う。
「さっきもそうであっただろう? 追い詰められたら、大の男たちをお前は片っ端から殴っていた」
最後の一人になるまで殴り合うという至極簡単な訓練であった。
早々にひ弱なテソンは、退場し、残るタカラは、大人たちに混ざって殴り合った。タカラの体は俊敏でしなやかで、岩ヤギのようであると養父は言っていた。
「おまえが、実の息子であればな」
養父はよく、そう言った。その台詞を思い出して、タカラは大の男たちを殴っていた。
──黙れ。
おれを勝手に拾っておいて、つなぎにして、要らなくなれば盾として前に差し出す。
身寄りがないのがなんだ。捨てられていたから、なんだ。おれはおれで、つなぎでも、木偶でもない。
ただ、おれは今を生きているだけだ。
気づけば、タカラは一人だけ立っていた。顔も体も血や痣や腫れだらけで、全身にびっしょりと汗をかいていた。
井戸の水を桶で汲んで、頭から全部かぶると、タカラはテソンに返答する。
「親父の、残り滓でしかない」
「捻くれているなあ」
テソンは、呵々と笑う。
「もっと、素直になればいい」
テソンの言葉の意味を噛みしめることになったのは、養父の死の床であった。
二年前、タカラがちょうど二十になった頃だった。
「──俺は人を育てることが下手らしい」
へばっている養父は、唐突にそんなことを言った。養母になじられて、死が近づいて、やっと口にできた。そんな話しぶりであった。
「俺は……昔、多くの人間を殺めてきた。言葉のわからぬ連中との戦いだ。同じ人とは思わず動く人形と思え。そう教わって、死線をくぐり抜けてきた。だが、ある時、ふと家の櫓をくぐった時、思ったのだ」
殺した外ツ国の者たちには、どのような家があったのであろうか。
養父は、柱に浮いた茶色の染みを見ながら言った。
「思うと、なぜだか震えが止まらなかった。ユン家の男がなにを恐れているのかと、自問した。ちょうどお前の……ほんとうなら兄になる子が死産だったからだろうな。気分が塞がっていたのであろう」
「……親父」
「お前を見つけてよかったと思っている。俺が唯一よいことをしたと思ったのは、お前をあの門から拾ってやったことだよ。きっと俺の弱さを見抜いた子が、お前との縁をつないだのであろうな。力強い声はもしかしたら、死んだ子の声だったかもしれぬ」
「…………」
「お前の逆境はつづくかもしれぬが、ユン家の男は、どんな逆境にも負けぬ。やりたいようにやれ」
──どんな逆境でも、お前なら越えられる。
それが、養父がタカラに遺した言葉だった。
葬ノ列で、タカラは、忍んでやってきたテソンに、遺言の意味を尋ねた。
「ばかだな、そなたは」
テソンは、不謹慎にも大きな声で言った。
雨粒のなかだったから、幸いにして目立つことはなかった。
「そなたは家を継ぐことはないかもしれないが、きちんと継いでいるということだろう」
「おれが……?」
「そうとも」
でなきゃ、あんな無茶な戦いはできない。
テソンは、命を狙われることの自身の立場と、周りが身を挺して護らなければならない状況を憂えていた。タカラのことも心配しているのだ。
「おれは、親父を……継げているのか」
「まちがいなくな」
呆れたようにテソンは言う。
「そなたは、そなた自身が思っているよりも、よほど父君にそっくりだよ」
テソンの言葉は、タカラのなかに積もった灰を固めるようだった。
以来、タカラの燻った深緋の奥には、山ができ、周囲を見下ろしている。裾野のできた山は動かず、タカラの芯に据わっているのだ。
だから、タカラは揺らぐことはない。
(あの娘も……)
いつか、タカラのような裾野ができるだろうか。
ソノラの背を見送りながら、タカラはそんなことを思っていた。
*
ソノラは、宿に帰り着くと、臥榻に転がるようにしてもぐった。都の宿は、どこもこの寝床が使われているようで、蒲団暮らしのソノラは落ち着かなかった。
オリの里の、おこげの匂いが染みた蒲団が、すでに懐かしい。
(ミハヤ……)
早く、帰ってきて。
気づけば、ソノラはそんなことを思いながら、眠り込んでいた。うとうとではなく、本格的にぐっすりと眠って、次に起きたら朝靄の出る早朝であった。
ミハヤと里長は、まだ奏聞から帰ってきていないようだった。
朝餉のちまきを適当な屋台で買ってきて、はふはふと言いながら食べた。茅の葉の香りに、醤油の味が染みて、おいしいご飯だった。
呑気さに胡座をかいていられるのは、朝餉までのことであった。
表通りに行き交う人が多くなっても帰ってこないミハヤと里長に、さすがになにかがおかしいと思って、ソノラが表に出ると、走ってやって来たのは、御者の男であった。
「大変だ、ソノラ!」
とても、いやな予感がした。
「ミハヤがつかまった!」
「え?」
「里長もだ!」
ソノラは、その話に、〈もつれ〉の糸先が見えた気がした。
「奏聞で、無礼を働いたという理由で、つかまったんだ!」
三章:都上がり──了──




