拾六、秋風の茶屋(一)
男に連れて行かれたのは、虫籠窓のある茶屋であった。表通りから、藍に染まった暖簾を抜け、靴を脱いで畳に上がる。衝立の奥にある席に、男はどっかりと座った。ソノラは、斜向かいに正座する。
「なにか選ぶといい」
言われたものの、ソノラはなにを選べばいいのかわからなかった。
(選べって……)
オリの里には茶屋などないから、どんな品があるのかわからないし、今年は収穫もきつい時期だ。道中でも贅沢はできなかった。
ソノラの戸惑いを感じたのだろう。男は、手を上げると店の者に適当なことを告げて、注文を終える。
ソノラはぼんやりとその様子を見ながら、男のことを思い出していた。
──タカラだ。
里長の屋敷で、半年も前に会った男だった。常なら忘れたかもしれないが、タカラの深緋色は印象的であった。揺らぐことのない、すーっと通った糸も。今も、タカラのなかには糸が一本、たしかに通っている。いささかの〈もつれ〉も許さない様子が、タカラという男であった。
「おれは、ユン・タカラと申す」
今更ながら、名乗られる。
姓がある。貴族なのだろう。
ソノラは、伸ばした背筋をさらに伸ばした。
「オリの里では、あなたに世話になった」
「……ソノラです。オリでは、糸繰りの匠ミハヤと暮らしております」
ソノラが礼をして頭を上げると、じっと見下ろす深緋の双眸とぶつかった。
見定められている。
以前、会った時もこの男からはその気配を感じたが、ソノラは揺るがなかった。まっすぐに見つめ返す。
「……目を逸らさないのだな」
タカラがぽつりと言う。
ソノラは首をかしげたが、タカラは「いや」と軽く首を振ると、それ以上を受け付けなかった。
まもなくして、茶菓子が運ばれてきた。
錦秋の色をした、うるち米の蒸し餅であった。
ソノラは思わず、わあ、と声を上げた。タカラの前であったことを思い出して、慌てて口を塞ぐ。
「以前の礼だ。遠慮なく、食べるといい」
ぶっきらぼうな言いようだったが、タカラに嘘がないのは、ソノラはわかった。
お言葉に甘えて、一言断ると、竹楊枝を取った。一口に切って、餅を口のなかに放る。蜂蜜を練った餅に、松の実に黒豆、棗、枸杞の実がふんだんに使われた、贅沢な餅であった。
食べた瞬間に、餅の甘みと、実の味が広がって、口から幸せな気持ちが全身に行き渡るような気がする。感動で、それ以上噛むことができなかった。
「これも食うといい」
ソノラが頬をとかしたからだろう。
タカラは、ふっと笑うと、もう一皿やってきた米粉の蒸餅もソノラに出した。ふわふわとした餅は四色で、白と蓬を使った緑、梅の桃、山梔子の実を使った黄だった。食欲をそそる色をしている。
遠慮なく次に運ぶと、たまらなかった。ソノラは思わず、目も口も閉じて唸ってしまう。
「うまそうで、なにより」
「……すみません」
茶を啜って口のなかを空っぽにしてから、ソノラは肩を落とした。
タカラの、どこか近づきがたい空気が少し抜けたことだけが救いだった。肩を小さくしながら、ソノラはもう一度頭を下げる。
「さきほどは、ありがとうございました」
菓子を口にしたからなのか、ソノラのなかには、つい先刻までの重たい気持ちと、刺すような混乱はなかった。
そういった意味もこめて、礼を告げる。
「あのあたりは、弓状窟だ。金を少しでも持っていそうな者はたかられる。女人が一人で行くところではない」
「都でも、貧しく暮らす人はいるのですね」
大通りの明るさと比べて、暗い影のような場所だった。痩せ細った人たちの姿と、そのなかにわだかまった〈もつれ〉を思い出す。
きゅっと、ソノラは下唇を噛む。
(なにも……できなかった)
〈もつれ〉を見つけたのに。
「難しい話だ。朝廷もなにもしてないわけではなかろうが、人が営みを行っていると、どうしても得意なものと不得手なものに分かれてしまう」
「…………」
「不得手なままに追いやられて、ああいうところに溜まる。一度溜まったら、なかなか抜け出すことができない。よほどの幸運に恵まれぬ限り」
タカラの言いようは、どこか曖昧で、ふやけた餅粉のようであった。
けれど、ソノラは、そこはかとなく意味を理解した。タカラのすーっと通った糸が、静かに揺れるのを見ていたからであった。
ソノラは、糸先がゆらゆらするままを見る。
「今後も気をつけなさい。おれがたまたま通るような運は、そうないだろう」
「ありがとうございます」
ソノラは、目礼をする。なにを思ってか、この武人はソノラがいざこざに巻き込まれぬように助けてくれたのだろう。
借りがある、と言っていたからだろうか。
今更ながら、その話に思い至る。
「わたしは、ユンさまに、お助けしていただくことをしましたでしょうか……?」
「タカラでよい。おれは、たいそれた人間ではない」
「……タカラ、さんに、なにかしましたか?」




