拾三、たわまない糸
ミハヤが、里長の屋敷に辿り着くと、すでに他の匠たちが揃っていた。
背負う紋には、担う職工の印がある。ミハヤは、紡ぎ車。棉作りの匠は、花。染めの匠は、栗皮など、さまざまに背負っていた。
東の外ツ国から卓や椅子など流入するものを取り入れながらも、オリの里長は、〈匠ノ会〉では昔からの座敷を用いる。縞縁の畳に座ると背筋が伸びるのだ、と語っていた。
「察しの通りだ」
話の早い男だった。長となって、二十年。貫禄とともに、匠たちを率いる求心力がある。
匠たちは、長話を厭い、手を動かすことを好む。彼らをまとめるためには、話の早さもひとつの求心力だった。
「収穫が悪かった。倉を開放しても、冬を越せぬかもしれぬ」
「そこまでか」
言ったのは、機掛けを生業とする匠だ。ミハヤが紡いだ糸を丁寧に扱う仕事であった。
「実りが悪いだけならまだしも、山背も吹いた。今年は、棉もあまりできなかったから年寄りや子どもらが保たないかもしれん」
場が静まった。
ミハヤは、瞑目する。長の次を待った。
「わしは、都上がりをするつもりだ。朝廷に、直接、事態を申し上げる」
「藩主を通さずによいのですか?」
匠の問いに、ミハヤは、長よりも速く口を開いた。
「問題ないよ。都ではまもなく、〈秋月の奏聞〉がある。宮殿の呪が開放されて、御殿広場まで辿り着けば、直接〈幹〉に上奏できるんだ」
常であれば、里長の訴えを聞くのは、藩主の役割だったが、年に一度の奏聞会は、民が直接〈幹〉を拝める貴重な日でもあった。千の石段には、長蛇の列ができる。
「お前たちのなかで、わしと里の現状を伝えられるものを募る」
「あたしが行こう」
里長の要求に、すっとミハヤが挙手を示した。
「どうせ、紡ぐ綿が少なくて暇を持て余すところだからね。他の人間はそうも言ってられないだろう? ただでさえ、納期の迫るものだってある。オリの標がつく反物は、里の大切な実入りだ。それで、冬を凌げるかもしれない」
「糸繰り堂はどうする?」
「なあに、弟子たちが一ヶ月くらいならなんとかするさ。ちょうど今日、喧嘩して仲直りしたばっかりだから、しばらくあたしがいなくても仕事は滞らないだろう」
「ならば、ミハヤ。お前が来い」
「あいよ」
ミハヤは、軽く返事をした。
他の匠たちが胸をなで下ろす。職人連中は、遠出や変化を嫌がるから、ミハヤが名乗りをあげて、ほっとしているのだ。下絵の匠だけは、着想を肝とするから、旅路に新たな発想を得たかったからだろう、名残惜しそうにしていた。
話題が移る。
差し当たっての対応、今年の収穫、倉の備蓄、どう配ればよいのか議論がなされた。綛糸や反物の売り上げ、近隣の里との交易や、行商の訪れも勘案され、算学士による細かな分割の術になっていくと、〈匠ノ会〉が終わる頃にはすっかり夜も更けていた。
秋冷えに、提灯を片手に戻る。
ミハヤが家の戸を引くと、ソノラはまだ起きていた。若草色の髪は、肩より下で流れ落ちて、琥珀色の瞳が提灯の光を受けているようだった。
ミハヤは、なんとなく、その光がソノラの心細さを映しているのだとわかった。
「ただいま、ソノラ」
不安な琥珀が、ミハヤを見た。
「おかえり、母さん」
──ソノラを、もらい受けたのはもう十七年も前になる。
ミハヤは、その頃、央の都をさまよい歩いていた。糸紡ぎの器用さを認められて、里を出て嫁に行ったにも関わらず、数年、子ができなくて離縁されたばかりだった。むしゃくしゃと、やさぐれていたのだ。
救児廠に足を向けたのは、ほんとうは口惜しかったからかもしれない。ミハヤの性格は、男勝りであったが、自分なりに夫のことは好いていて、離縁を申し付けられたのは、かなしくてたまらなかった。
(お前以外の男とできた子だぞ、と言ってやろうか)
かなしみに蓋をして、ミハヤはそんな当てつけをしてやろうと企んで、救児廠を訪れたのだ。
乳飲み子から、四つ這いの子、あんよのはじまったばかりの子たちが、狭い廠舎に入れられているのは憐れでならなかった。お世辞にもきれいな場所ではなく、どのような不運が巡って、この子どもたちがここに辿り着いてしまったのか考えるだけで、ミハヤは自分のあまりにも浅はかな企みに、その場から踵を返すしかなかった。
「──もし」
貴人から声をかけられたのは、少し離れた先の、小路だった。裏の長屋へと続く場所で、被衣姿の貴人は、路地でなければひどく目立っただろう。
「もし、そこの御方……」
「あたしかい?」
ミハヤは、自分がそんな貴人に声をかけられるとは思っていなかったので、全身を見返してびっくりした。
そっと衣から顔を見せた女は、真っ白な顔で震えるようにしていた。深緑の垂れ髪が少し覗く。
「あんた、大丈夫かい? どこかに座る?」
ミハヤは、きょろきょろして、近くの長屋で座らせてもらえないか見回ったが、貴人が止めた。
「いいのです……ここで……帰らねば……なりませんから」
消え入りそうな声だった。
なにか事情があるのであろうと察して、ミハヤは慌てるのをやめる。
女は、つづけた。
「さきほど……救児廠で、あなたをお見かけしました。もし、子どもを探していると言うなら、どうか──」
女の声を遮るようにして、赤子の泣き声が響いた。
ミハヤはぎょっとして、女の腕を覗き込む。長衣の重ねに隠されるようにして、泣き声をあげているのは、まさしく赤子であった。若草色の産毛が生えている。産まれたばかりの子であるとわかる無垢さがあった。
「この子は……」
「どうか、もらってやってくれませんか」
女は、母親なのだろう。なにかをたえるように、おくるみにくるまれた子を差し出す。
「子どもを探しているなら、どうか……!」
その時、ミハヤは、女の顔に浮かぶ《《もつれ》》を見た。
糸紡ぎの時に、きちんとほぐしていない綿は、もつれやすい。紡いだあとも、ぴんと張って、撚り止めをしてやらねばならない。
女の顔は青白く、産後すぐであるのだとわかった。子を今すぐどこかにやらねばならない事由があるのであろう。
(これは、きっとなにかの縁)
子ができなかったミハヤに、今まさに子が授けられようとしている。
「いいよ」
ミハヤは、気軽に答えた。
「もらってやるよ」
この子の人生を、糸繰りのあたしが紡いでやるよ。
「ありがとう……ございます」
女は、目尻に涙を浮かべると、ミハヤにおくるみを託した。靴の底を向け、去っていく。
「あ、名前! この子の名前は?」
きっとあるであろうと思って、女の背に声を投げかけた。
女が、被衣ごしに振り向く。
「──ソノラ」
女が、かなしく笑む。
「その子は、ソノラです」
外ツ国の、菫草の名だった。
ミハヤは、大きく肯く。
「大切に育ててやるよ!」
「…………」
「まっすぐに紡いで、たわまない糸にしてやるよ!」
ミハヤが言うと、女は琥珀の目を見開いた。わずかに立ち止まってから、所作の美しい目礼をして今度こそ去っていった。
ミハヤは、闇夜に浮かぶソノラの琥珀が、あの時別れた女とそっくりな色をしていて、苦笑する。
「どうした? 遅くなって、心配だったかい?」
尋ねてやると、ソノラの目は移ろった。板の目の隙間を見るようになる。
「母さん……」
「なんだい?」
「どこかへ、行くの?」
ソノラは、聡い子だった。
〈もつれ〉が見えるという特別な力があるからかもしれない。
そう思ったこともあったが、ミハヤの自覚では、自身に〈もつれ〉はない。ソノラはもとより、機敏な子なのだろう。
だから、もらい子であるという事実は、ソノラ自身に〈もつれ〉を生んだのだ。
なりを潜めていても、ふとした瞬間に、浮かび上がる。一時期、ソノラはすさんでいたが、そのなかでも、まっすぐな娘に育ったように思う。
ミハヤは、そんなソノラが、たまらなく愛おしかった。
「行くよ」
いつも通り、ミハヤは率直に答えた。
「都に上がる。里長と、現状を嘆願しに行くよ」
「わたしも行く」
急に、ソノラの目の色が変わった。瓦灯の油皿に火を点したようだった。
「お前も?」
「行って、わたしも見てみたい」
──央の都を。
ソノラが生まれた場所。
娘は、強い意志を載せている。
ミハヤはいささかの気後れもしなかった。いつか、そういう時が来るであろうとわかっていた。むしろ、娘の成長を感じて、ミハヤは、にやっとする。
「いいよ。そんじゃあ、ついてきな」
羽織を脱ぐ。
「明日の朝、出立だ。行こうじゃないか」
──梅香る央ノ宮のある都に。




