拾二、綿打ち
ソノラが、屋敷での勤めを終えて、糸繰り堂へと顔を出すと、ミハヤは染めの匠のところに行っていなかった。
代わりに、奥では、ミハヤの弟子ふたりが言い争っている声が聞こえた。
「どうして、あんたはいつも、あたしの言ってる通りにやんないわけっ?」
「やる意味がわかんねえって言ってんだよ!」
姉弟子のヨナと、弟弟子のトハンだ。
ソノラは、木靴を脱いで土間から上がると、紡ぎ車の並ぶ奥へと向かった。秋の収穫を経て、そこらには綿繰りをしたあとの細々とした綿が埃になろうと散っている。
「どうしたの?」
お節介であろうとわかっていても、ふたりのあいだに割り込んだ。
ヨナとトハンの、それぞれの腹のなかに、〈もつれ〉を見つけたからであった。ふたりの〈もつれ〉を視界の隅に置きながら、まず姉弟子の言い分を聞く。
「この子が、あたしが教えた通りに、綿打ちをやんないのよ!」
「教えた通りじゃなくったって、できるって言っただろ!」
棉花は、綿繰りを終えると、種と綿になる。竹弓で綿の繊維をほぐし、糸を引きやすくすることを綿打ちと言った。
糸繰り堂では、この綿打ちの工程を大事にする。ミハヤも、ソノラを跡継ぎにしようとしていた頃、この工程がいかに大事か語っていた。
「つまらない作業ほど丁寧にやることで、見えることがあるんだよ」
質のいい綛糸を作るためには、綿打ちという作業は、重要だという。
ソノラはおよそ、姉弟子の言い分が正しいだろうと思いながらも、弟弟子にも耳を傾けた。
「教えた通りじゃない方法って、どんな方法?」
見せて、とソノラは身を乗り出す。
そうすると、まだ見習いになったばかりのトハンは、ぱっと顔を輝かせた。〈もつれ〉が少しゆるむ。
棚から刷子を持ってきた。刷子は、よく見ると、厩から持ってきたと思われる梳き用の刷子で、馬の毛を梳いてやるためのものであった。ヨナが、汚いものでも見るように、げっ、という顔をする。
「これを、ふたつ合わせるように使うんだ!」
そうして、トハンは、種から分けられたばかりの綿をひとつ取り上げると、刷子の一方に、伸ばすように広げた。もう一方で今度は、均一になめらかになるよう、さも馬の毛を梳いてやるように綿の繊維をほぐしてやる。
「こうやったら、弓打ちをしなくても、綿打ちができるんだよ」
ソノラは、その様子を見た。馬の刷子がやわらかすぎて、うまくほぐせていないところもあるが、たしかに綿の繊維が揃っている。
「……これは、たしかにいい方法だね」
トハンが、ほら見たことか、と優越の滲んだ顔でヨナを見やった。
「ソノラ……」
ヨナが、不安そうにこちらを見る。
ソノラは、弟弟子には見えぬ角度で、ヨナに笑んだ。向き直って、トハンにも笑いかける。
「面白い方法だね、トハン。師匠のミハヤも驚くと思う」
「そうだろ! だから、おれ、言ったんだ! 楽だし、これだったら綿打ちで細かに調整するような技術はいらないって」
「刷子をこするだけだものね」
「こつを摑めば、子どもだってできるぞ」
「たしかに、たしかに」
「だから、姐さんに言ったんだ! そんなやり方、時代遅れだって」
得意げに言いきったトハンに、ソノラは反応せず、琥珀色の静かな目を向けた。トハンの腹のなかでは、〈もつれ〉が大きく広がって動いていた。
数秒、間を置いてから、声音を落として、ソノラは尋ねる。
「じゃあ、どうして、今までそんな時代遅れの方法を、ミハヤは教え、ヨナ姐さんは守ってきたのだと思う?」
「え?」
「もちろん、トハンみたいにすごい思いつきができなかったっていうこともあると思うけど、わたしはそれ以外の理由もあるんじゃないかなって思う」
ソノラが言うと、トハンは、うーん、と唸った。首をかしげながら訊く。
「綿の仕上がり方がちがうから……?」
「それを、姐さんから教わるのよ」
トハンが、はっとした。
ソノラは、真面目になって言う。
「やり方も大事だけど、なぜ、そうするのかも大事なの。腑に落ちないこともあると思うけど、姐さんのやり方を見て盗めることもある。言葉だけでは説明がつかないこともある」
「…………」
「時代遅れという言い方は言いすぎよ。そんなこと言われたら、教えたくても教えたくなくなっちゃう。言おうとしたことも、上手く言えなくなるよ」
トハンの〈もつれ〉は、きゅーっと煤ネズミの尻尾のように縮む。
ソノラは見定めながら、言葉を付け足す。
「でも、発想はとても面白いから、ヨナと話して、ミハヤにも見てもらって採用できるか考えてみるといいよ」
トハンの顔が上がる。
「悪いと思ったら、ちゃんとあとでヨナに謝ってね」
ソノラはそれ以上、言葉を重ねなかった。〈もつれ〉が《《ほどけ》》はじめていたからだ。
今度は、ヨナをそっと隅に誘う。
「ありがとう、ソノラ」
嬉々とした顔でヨナは言った。ヨナの〈もつれ〉は、ふよふよとしていて、水のなかを漂っているようだった。
「だめだよ、ヨナ。言葉を選ばないと」
ソノラは、今度は真正面にたしなめた。
ヨナのふよふよは、あっという間にしおれたようになる。
「姐さんなんだから」
「そ、そうだよねえ……」
「ヨナのいけないところだよ、すぐに怒っちゃうの」
「……うん」
「弟弟子がなにを言いたいのか、なにが知りたいのか、言っていることだけじゃなくて、やっていることも見ながら考えないと」
「……そうだよね」
ヨナは、しょんぼりとする。この姉弟子は、感情豊かなのだ。
ソノラはおかしくなって笑う。
「謝ってきたら、それ以上はなにも言わずに、受け止めてあげなね」
ソノラが言うと、ヨナの〈もつれ〉はゆっくりと広がって《《ほどけ》》ていく。
小さく肯くのを見届け、糸繰り堂を出ると、戸ノ口でミハヤがにやにやとしながら腕を組んでいた。
ソノラは、目を丸くする。
「あんたは、いい娘に育ったねえ」
ミハヤがけらけらと笑いはじめるので、ソノラは、顔が赤くなった。
「見てたんなら、喧嘩をやめさせてよ」
「あたしが帰ってくるより先にソノラがいたからね。邪魔するのはやめておこうと思って」
「弟子をたしなめるのが、匠の役目でしょう?」
「お前のように〈もつれ〉は見えないから、あたしにできることは限界があるさ」
そんな話をしながら家路につくと、ミハヤは、匠の羽織をあらためて、一言、口を開いた。
「今夜はちょっと遅くなるよ」
まもなく、山の端に陽が沈む。煮炊きをはじめようとしたところだったが、帰ってきたばかりなのに、すぐに出るらしい。
「どうかしたの?」
「急な〈匠ノ会〉だよ。里長のところに行ってくる」
ミハヤの返事に、ソノラは、風がないのに風車が回るような、いやな感じを覚えた。ミハヤの、おこげのような茶の目が匠としての色を帯びる。
「今年は冬が厳しそうなんだ。だから、早々に話し合わないとまずい」
「……そうだね」
「次代さまの〈結び〉があったはずなんだけどね。まだ、代替わりしてないせいかもしれない」
ミハヤの台詞に、ソノラは蜜梅の下で泣いていた姉の顔が浮かんだ。
(スオノ……)
春の季節終わりに、不安がっていた。
姉は、先日の晩夏の終わり、梅のもとを訪れなかった。これまでも、忙しいとたまに来られない時があったが、そういう時は、使いをよこして来たのだ。
このあいだは、それもなかった。
カラカラカラカラ──……
風車が、回っている気がする。
ソノラが姉を想っているうちに、ミハヤは、黄昏色の空に羽織を翻していった。




