十、〈告げ〉の一族
ホロンが〈告げ〉の屋敷に帰り着くと、奥の間で、当主である爺が呼んでいると言伝を受けた。すぐに来るようと聞き、びくっとなる。使いに従って渡殿を越え、奥の間に向かう。
角行灯が影絵に揺らぐ、座敷の間であった。くぐもって、むわっとするような臭気が、灯火に漂っているように見える。
ホロンは招かれた場に、おずおずと顔を出した。
面食らったのは、昼間にメノウの宮で出会った〈暮れ〉の皇子ヨルカがいたことである。ヨルカの横には、同じく〈暮れの国〉の装いをした男たちが座していて、異様な様子に、ホロンはたじろいだ。
「なにをしておる。はよう座れ」
上座にいた爺が、眉間に刻まれたしわをそのままに叱ると、ホロンは慌てて爺の左手に正座した。両手を膝に載せると、両肩に力が入る。
自分がなぜ、この場に呼ばれたのか、今からなにが話されるのか、ホロンにはまったくわからなかった。ただ叱られたくなくて、この場にいる。
当主であるウロン爺は怖くて、ホロンは子どもの頃から苦手であった。
ウロン爺は、ホロンの祖父とは、兄弟関係にある。爺が弟で、先々代の〈告げ師〉である兄祖父を補佐する役目であった。祖父が引退し、ホロンの父が〈告げ師〉を継いだのちは、爺はこの奥の間で余生を過ごすはずだった。
ところが、父と祖父が相次いで流行りの病に倒れると、ウロン爺は、まだ幼いホロンを〈告げ師〉として育て上げるために、奥の間から重い腰を上げざるを得なくなった。
(爺は、ぼくのことが嫌いだ……)
──兄は、お前のように情けなくなかった。
事あるごとに、ウロン爺はそう言って、ホロンを叱ってきた。
きっと、ホロンが、〈吃〉を患っているからだろう。〈告げ師〉で、管轄する〈告げ〉の宮で役目を負っているのに、〈吃〉を持つホロンが、一族の足を引っ張っていると思っているのだ。
(ほんとうに、その通りだ)
この十年、二十年、いや、もっと前から段々と、〈告げ〉の一族が担う〈告げの宮〉からは、人々の足が遠のいている。
〈結び師〉が幸ある縁を結ぶ一方で、〈告げ師〉は、時に不幸を告げることがある。よいことを聞きたいと願い訪れる者に、それを告げねばならないのは胸が痛く、小心のホロンは、いつもたまらない気持ちになった。
──〈告げ師〉は、不幸を招く。
そんな口さがない噂が都をかすめ、〈告げの宮〉は、次第に人々の足が間遠になった。香油錢は減り、一族の生活は、宮の管理だけでは心許なくなっているが、国の保護を受けているゆえ、貧しい暮らしではなかった。
だが、ウロン爺をはじめ一部の者たちは、それをよしとしていない。ホロンは知っていたから、〈吃〉を覚えながらも、投げ込まれる銭が増えるよう、懸命に〈告げ師〉の役目を果たそうとしていた。
(なぜ、ヨルカ皇子が……)
ウロン爺は、疑り深い性格だ。一族に、そのような事情があるなかで、よそ者を招く理がわからない。
ホロンは、むわっとする室内が不気味な気がして、こめかみに汗が伝うのを感じていた。
「……襲撃はしくじりおったか」
──なんの話だ。
ホロンは、下げていた視線が上がりそうになるのを懸命にこらえた。ぞっと怖気が立つ。
老いた、されどしっかりとした声音でウロン爺は尋ねている。
「弁解の余地もございませんわ」
答えたのは、ヨルカ皇子の横に控えた〈暮れ〉の男だった。身なりから、それなりの地位にある男であるとわかる。ひょっとしたら剽軽にも聞こえる声が場ちがいに聞こえた。
「せっかくの機会を……」
はあ、と爺が脇息にもたれかかった。
「これ以上、〈明け〉の者たちに力を付けさせてはならないと言ったのは、そなたらではなかったかね? 儂らと志は一緒であると」
「いかにも、そうにございます」
〈暮れ〉の人間が答えた。さきほど答えた男とはまたべつの男で、腕や手首に晒し布を巻いて、傷跡を覆っているようだった。
「ですが、〈明け〉の皇子には、名のあるユン家の者が。一度の襲撃では難しく」
「今さきほど弁解の余地もないと言った横で弁解とは……見苦しい」
爺の言葉に、晒し布の男がさっと顔を赤らめる。
ウロン爺は、そんな男の様子など歯牙にもかけず、今度はヨルカ皇子を見定めた。
「殿下は、いかがでございますか?」
「私は……」
「本日、姫君への贈り物をなさりましたでしょう? 反応はいかがでしたかな?」
「それはもう、大変喜ばれていました。満足げなお顔で……」
「〈明け〉の皇子が、渡したものよりも?」
「…………」
「これはこれは……みすみす機会を逸しているのでは、〈暮れの国〉が力を失っていくのも致し方ありませぬな。〈明け〉と同様に、外ツ国からの防衛を担っている立場は変わらないというのに」
もう一度、大きな溜息をつくと、ウロン爺の視線が移るのがわかった。
「──ホロン、聞いたな」
その時、ホロンはまさか、この場で自分の名前が呼ばれるとは思っていなかった。びくっと肩を揺らしてから、おそるおそる顔を上げる。
厳しい、幼い折より厳しいウロン爺の、年輪の刻まれた顔が目に入った。
「お前の役目が、わかるな?」
「……な、な、なにを、でございますか?」
察しの悪いホロンの問いに、爺の眉間が鋭くなった。
これだからお前は、と視線だけで叱られる。
「明日、儀式があろう?」
爺は、怒りをぐっとたえた低い声で、懇切に説明をはじめる。
「……は、は、はい」
「お前は、玉梅から〈告げ〉を得る」
「え、ええ……」
「その後お前は、ヨルカ皇子の名を〈告げ〉ればよい」
ホロンは蒼白になるとともに、爺の言葉の裏を理解した。
「し、し、神罰が、く、くだります……っ!」
咄嗟に、ホロンは意を示した。
爺に異論を示したのは、はじめてのことであった。
「お前の聞いた〈告げ〉をどうするのか、責任を負うのは〈結び師〉だ」
「で、で、ですが……!」
「そもそも、〈告げ〉を得る時に、ヨルカ皇子の名が聞こえる可能性もある。気負うでない」
ウロン爺は、取りつくしまもなかった。
皇子たちの視線が、疑いと期待のないまぜになったまま向けられて、ホロンは言葉を失う。
ただでさえ、緊張を強く感じていた儀式が、巌を乗せられたような心地を得る。
(ぼくは……)
どうすればいいんだ。
ホロンは、その場が散会になるまで、固まっているしかなかった。




