九、高欄の夕暮れ
タカラは、去ったスオノを見て、オリの里でのできごとが頭をよぎっていた。
(結局……礼を言えなかったか)
テソンの行動を漏洩したヒジャルは、半年のあいだ、護衛の任から退き、降格処分となった。
テソンとタカラで決をくだした。自ら打ち明けたゆえに、表沙汰にはしなかったものの、本来、漏洩の罪は重い。謹慎処分ということにし、虚弱の妹のもとへ帰してやったのは、テソンの手心であった。あまい判断であったが、テソンのそういった振る舞いが、戻ってきたヒジャルの忠誠を厚くすることも知っている。タカラは、腕を組んで、文句を言わないようにした。
ヒジャルが思い詰めず、罪を重ねなかったのは、ソノラの気配りのおかげであった。
受けた恩を返すことは、ユン家のタカラとしての心情だ。礼を告げられなかったことは、タカラの心に残っている。
(あの娘……)
去って行った、スオノという名の〈結び師〉に思考が至る。
あまりにも似ていたので、思わず呼び止めてしまった。スオノは、眉をひそめていたが、兄弟よりも似たその姿に、タカラの眉間にしわが寄る。
(人ちがい、か)
スオノと、ソノラは、たしかに異なる。
あり方が、まるでちがう。
思考しながらも、タカラは、警護を怠らなかった。視界にテソンとメノウを入れている。ふたりは、高欄から都を見下ろしながら、話をしている。
まもなく、夕闇が近づく。西に、陽が沈む。
思い起こすことがあった。
「──〈暮れ〉が焦っている?」
国を出る前のことだ。
タカラの問いに、テソンが書巻を広げながら、いらえた。
「父上がおっしゃっていた。功を焦っている、と。外ツ国との争いで負担が増えるなか、内部でせっつかれることがあるのだろう。今上の〈幹〉に気に入られようと、しなくてもよい戦いを起こしていると聞いた」
「戦を増やせば、また負担が増えるだけだろう」
「その方法しか知らないのだ」
読んでいた書を巻き終えると、テソンは艶のある卓に置く。異国情緒のある植物文様が彫られたもので、〈明けの国〉が外との商いで仕入れてきたものだった。
「〈暮れ〉が接する海には、好戦的な国も多い。戦を手段としか考えていない者と相手ばかりしていると、思考も同じように染まる。致し方ない部分もある」
「だが、そればかりでは、国は成り立つまい?」
タカラは武人であるが、自分の役割だけでテソンを支えられないことはわかっている。護衛は担うが、政に関することはべつの従者が担う。役割がいくつもあって、やっと皇子を支えられる。国を支えるのも同じであるはずだった。
「だから、〈幹〉に気に入られようとしているのだろう」
「堂々巡りだな」
「〈央〉の朝廷には、我が国を出自とする者が多い。数代と〈幹〉の伴侶が、〈明け〉から選ばれてきたためだが、それゆえ、〈暮れ〉を出自とするものの意見が、〈央〉の朝廷では通りにくいのもまた事実」
「戦に金をかけろとしか言わないのは目に見えるが」
「それだけではないが……、防人費の引き上げを願っているのはたしかだ」
「神の差配だろう? 〈幹〉のやさしき〈根〉が伝う土地を、荒らすことしか考えない人間を伴侶にするな、と。天もわかっているということだ」
タカラは、テソンの斜めに腰かける。円椅もまた、外ツ国のものであった。
「その差配に、〈暮れ〉の者は納得いっていない」
「神頼みでもするつもりか?」
テソンは、首を振った。
「〈告げ師〉のほうだ」
「まさか、〈告げ師〉を買収しようなんて、世のあほうどものように安直なことを〈暮れ〉のやつらは考えてるというのか?」
そういう輩が、これまでもいたのだ。
一族の吉兆をよくしてもらおうと、〈告げ〉の一族に金を渡し、よいように言い渡してもらおうとする者が。
〈告げ〉の力はそういうものではなかったが、勘ちがいをする者たちが、あとを絶たなかった。
「〈告げ〉の一族は、高潔だ。買収されることはあるまい」
これまでも、かの一族は、そういった者たちを一顧だにしなかった。
「だと……いいのだがな」
「懸念があるのか?」
表情を曇らせたテソンに、タカラは尋ねる。
「〈告げ〉もまた、人だ。高潔さだけでは維持できないものがある」
「金に困っているわけではないだろう」
「そうだな。だが、金でも高潔さでも解決しない、どうしようもないものを人は持ち合わせることがある」
テソンは、自らの心を覗くように語る。
「同じ立場にあるものが目の前にいれば、なおいっそう、比べて感じやすいものだ」
テソンの語る心情を、タカラはわからなかった。
己のなかにある不動の山は動かなくなってから久しく、細かな動きは、タカラの得意とするものではなかった。
「……おれは、お前を守るのみ」
タカラは立ち上がって、無礼にもテソンを見下ろす。
「おれは、それしか考えぬ」
「らしいな」
テソンは、タカラを見上げて破顔した。
タカラは、夕暮れに、そんな会話を思い出していた。
視界のテソンとメノウ姫は、談笑している。ふたりともに、茜色の空を受けているからなのか、頬がほのかに色づいていた。
蒼然と、夜が近づいていた。




