8 教団の遺物
「……いやー、マジで登り切ったな」
ぽつりと呟くフロードを見れば、なにやら感動した様子で山の下を見ていた。あの宿屋があった方角なので、そうだなと思う。
「さっさと行こう。……あいつらが待ってる」
両手で抱えた袋の軽さに、気持ちが沈んでいく。
だから俺は、誰にも会いたくないんだ。
――どんなに言葉を並べても。この心は、傷だらけになる。
なにもできなかった無力さ。絶望。あまりにも重い責任に、両足が崩れそうになる。でも、立ち止まるわけにはいかない。
「……ノウェル」
心配してくるエンヴィに、笑おうとした瞬間。
「こんのクソ野郎!!!」
いきなり現れた男に、顔を殴られた。
☆☆☆
エルフの大森林に行くには、断崖絶壁の山を超えなくてはいけない。観光であれば、美しい景色に感嘆するだろう。
多くの画家が、あれこそが神の芸術だと褒めるほどだ。
だが、山越えとなると。
挑む者は死を覚悟しなくてはいけない。
(……なんて言われてたけど)
そっとエンヴィたちの方を見ると、三十はいるだろう盗賊たちが華麗に蹴飛ばされていた。
「ボール遊びしよう!」と無邪気に笑ったエンヴィに「いいぜ」と飛んできたボールという人間を蹴飛ばしたことで。フロードたちの間では、男の悲鳴が轟いていた。
――こんなので、死を覚悟するのか?
やっぱり、最近の情報は当てにならない。
魔物が出るのか? と思っていたのに。こんなくだらないことだったなんて。初めから、この宿の違和感に気付いていた。
ここはヴァンゴボルド。つまりは俺たちが行く神の芸術がなによりもきれいに見える場所なのに。観光客が一人もいないのだ。
そしてこの宿は、あちこちに腐敗臭が漂ってる。
ゴミのような魔力に、呪いの痕跡。
どう考えても、非人道的なにかが行われていた。
「主。ここ、絶対になんかあるぜ」
お仕事なら喜んで働く、と。
上機嫌になったフロードの趣味については語らないが。
敵はもう、俺たちが気付いたことに気付いてる。
確実に今夜、口封じに来るだろう。
そう考えて毒無効、悪意そのものを跳ね返す魔術を全員にかけて、夕食を食べた。結果を言うと、猛毒が入っていた。効果が分からないほどの呪いもあって。相手の殺意の高さに笑ってしまった。
「……マジか。マジか」
必死に笑いを噛み殺してるフロードの肩が、震えてる。
よかったな、盗賊たち。
お前ら、あの暗殺者を腹筋を殺したぞ。
「おそまつすぎる。どこのガキだよ」
「フロード、笑いすぎ」
そういうお前も、肩が震えてるぞ、エンヴィ。
俺だけか。くだらなすぎて、表情をなくしてるのは。
「んじゃあ、まあ。そろそろ遊んでやるか」
「ノウェルはどうする?」
「……めんどい。傍観しとくよ」
影からリンゴとナイフを出して、皮を剥く。なんかの演劇でありそうな悪役の登場は、無視。エンヴィたちが楽しく遊ぶだろ。
そう思って眺めてたが、そろそろ飽きて来た。
「主、こいつらどうする?」
宿の主人をボコボコにしたフロードが、ポイッと男を捨てた。なにかを呟いているようだが、すぐに気絶したようだ。
「……それ、毒薬か?」
フロードの手にある瓶を眺める。
「たぶんな。紫っぽい黒か、こんなのを懐に入れてたとはねぇ」
呆れた様子で、毒薬をこっちに投げ渡してきた。
「あ、フロード。投げたら危ないじゃないか」
「大丈夫だって。そう叩いてくんなよ」
エンヴィの杖を片腕で受けながら、彼がこっちを見た。
「で? どんな効果だ?」
「……痺れと、幻覚作用だな」
毒の解析を行い、影の中へと落とした。
「やっぱり危ないものじゃないか! ボクの親友になんてものを投げるんだ君は!」
「いたたっ!! お前、顔とセリフがまったく合ってないぞ!」
「エンヴィ。こいつらも、騎士団に送り付けるか?」
なにやら楽しげに遊ぶエンヴィに、声をかける。俺としては、魔物の餌にするのが一番だと思う。おそらく地下に、なにかがある。いや、迫って来てるな。
「ノウェル!」
それに気付いたエンヴィが叫んだ。
「お前はフロードを守れ!」
床を突き破って、黒いなにかが口を開けた。
悲鳴を上げる盗賊に噛み付き、遅い夕食を食べ始める。
見覚えがありすぎる敵に頭痛を覚えながら、無防備なその肉体へ、氷の剣を突き刺した。魔術とは、形を持った意志である。あらゆるものを可能とする魂を、どれだけ世界に近付けさせるかで威力が変化する。
――さあ、舞台で踊れ。形を獲得しろ。
硬い鱗に覆われた、まだ幼い竜へと攻撃を続ける。
「どんな呪いで生まれたかは知らないが、俺の方が強い」
悲鳴。竜の苦痛を叫ぶ声が、部屋の窓ガラスを破壊した。もがき苦しむその姿に、さっさと終わりを与える。
(……ごめんな。お前は、存在してはいけない)
生まれる前に阻止できなかった俺を、決して許すな。
「……主」
「呪いから生まれたものは、なにも残さない。これも魔術だからな。形を失えば霧散する。フロードは、初めてか?」
魔術教団はよく、こうした魔術を使って人間を殺していた。
そして、殺した人間の憎悪を利用し、新たな呪いを生み出した。負の遺産だ。こんなのが、世界に残ってしまうなんて。
「地下に行こう。あれはまだ、三ヶ月ほどしか生きてない」
「三ヶ月であの強さか。よっぽどいい餌を与えられたんだね。フロードはどうする? たぶん、地下は悲惨だよ?」
「俺は暗殺者ですよ? 死体がゴロゴロある場所に投げ捨てられた経験がある。師匠の教育は、地獄でしたわ」
その時のことを思い出したのか、青ざめた顔で口を押えた。
確かあいつも、俺たちと一緒に呪いを祓った経験がある。おそらく、このフロードにも擬似的な体験をさせたのだろう。一度広まってしまった知識は、二度と消すことができない。
あいつは、予期してたのだろう。
いずれまた、呪いとして生まれた魔術が動くことを。
灯りを持って、地下へと降りた。
魔術教団の時と違って、それなりにきれいなものだったが。
やはり、食い散らかされた遺体が転がっていた。
砕けた鎖は、あいつを縛っていたもの。
地面に描かれた魔法陣は、あれを形にした時のものだろう。
(……教団はもう、存在しない)
だがやつらの知識は、他の魔術師に受け継がれた。
ようやく解放されたというのに、俺はまた、苦しめられるのか。
――そして俺も、それを選ぶんだな。
魔術は、魂は、なによりも自由でなくてはいけない。
こんな風に縛られ、一方的に命を奪う呪いは。
初めから、存在してはいけないんだ。
(目的が、できたな。不滅となって呪いの知識を根絶する)
魔術師を殺すわけではないが、時間をかけてそういった知識を消していかなくてはいけない。途方もない、無意味な夢だが。
――俺にしかできない。俺の責任だ。
もっと早くに教団を潰していれば、あの時死ななければ。後悔ばかりが溢れて、泣きたくなった。
「ノウェル。君のせいじゃないよ。悪いのはボクだ」
ぎゅっと、エンヴィが抱きしめてきた。
「こうなることくらい、分かってたはずなのに。ボクたちは、なにもできなかった。気付いてなかった」
「……違う。俺が、無責任すぎた」
「そんなことない。ノウェルはずっと頑張ってた」
少しだけ距離を取って、エンヴィは優しい笑みを浮かべた。
「ボクはずっと見てた。アーチャーだって、君の頑張りを応援してた。ノウェルはなにも悪くない」
「そうですよ、主。まだ日は浅いが、俺もあんたのことを見てきた。大賢者様は、絶対に手を抜かない。なにがなんでも、責任を果たす人だ。これはあいつらの罪で、主はなにも悪くねぇよ」
エンヴィとフロードは、そう言って俺を責めなかった。
でもな、あの時死ななければ。
俺はもっと、被害者を減らせたはずなんだ。
「てめぇら人間のせいで、仲間が大量に死んだ! なのに!!」
馬乗りになって俺を殴るのは、エルフ。あの地下にあった遺体はすべて、魔力が高いエルフのものだった。
「……やめろ、エンヴィ」
空気が凍り付くほどの殺気に、涙も凍りそうだ。
「し、色彩様?」
戸惑いを見せる男に、ゆっくりとフードを外して笑う。
ああ、でも。泣いてしまってるから、笑顔にはなれないな。
「久しぶりだな、ウル。泣きながらで悪い」
「……なんで、俺の名前」
「ごめんな、ウル。俺が、死んだせいで。こんなにも、遅くなってしまった。もっと早くに目覚めていれば……」
お前の息子も、あんな目には合わなかったのに、と呟くと。
ウルは、信じられないという顔で、俺から離れた。
「主、すぐに手当てを」
「いい。それより、ずっと背負わせて悪かった」
「別にこれくらい平気ですよ」
「……ちょっと。フロードも無視しないでよ」
「あんたはもう少し抑えろ。あんな殺気、初めてだわ」
「そりゃそうだよ! だって親友を殴られたんだよ!? あんな馬鹿エルフに! あんな脳筋野郎に!」
腹立たしいというように杖を振り回す馬鹿は無視だ。
フロードから白い袋を受け取り、ゆっくりと中に入れていた青年を出した。
「ウル。一応、再生袋の中に入れておいたが、やっぱり髪は治らないみたいだ。すまない。エルフは髪が一番大事なのに」
俺はほんとに、なにもできない。
「……いや、五体満足で命がある方が重要だろ」
「そんなことはない。エルフの髪はな」
「知ってる知ってる! ちゃんと師匠から聞いてるから」
青年を入れてた袋をきれいに畳んで、フロードはエンヴィへと渡した。受け取ったエンヴィは、不満そうな顔だった。
「そんな顔すんなよ。これが主だろ? 瀕死だったエルフを治療して、でも髪を戻せなかったからって、自分から殴られるのが」
「そうだよ。それがボクの親友だよ」
不貞腐れてるエンヴィに、ごめんと謝る。
けれど、返事はなかった。
「……ノウェル様? ほんとに、あいつなのか?」
「俺だよ、ウル。数週間前に、やっと意識が戻ったんだ。転生したのはいいが、意識が戻るのに時間がかかりすぎる。これは次の課題だな。今度こそ、幼少期に思い出してやるさ」
「次はない。ノウェルも、精霊になるんだから」
「保険だよ、保険。ちゃんと自分の力で、不滅になるさ」
呪いを根絶するためにも、必ず実現させる。
「ウル。都市に案内――ウル!?」
「申し訳ございません大賢者様!! 死んでお詫びします!」
「ちょっ、早まるなおっさん!!」
短剣で自分の喉を裂こうとするウルを、フロードが必死に止める。そしてそんな状況で、ウルの息子が目覚めた。
☆☆☆
「父が、本当にすみませんでした」
「……いや、俺の方こそすまない。髪を治せなくて」
エルフにとって髪は、命よりも大切なものだ。立派で美しい髪に女性は惹かれる。短くなってしまった髪では、求愛の祭りに参加できない。参加しても、一人ぼっちだ。
「気にしないでください。私にはもう、相手がいますから」
「そうなのか?」
「ええ。でも、ノウェル様と同じで女性ではないんです」
ウルへと顔を向ければ、困った様子で笑っていた。
「こいつ、人魚と婚約したんです」
「人魚。ああ、あの時に避難した群れか」
六十年、教団の暗躍によって数多くの人魚たちが殺されていた。彼らはエルフと同じで、魔力がとても高い。けれどエルフと違って戦闘が苦手だった。魔術の材料として狩られていた彼らに、助けてくれと願われて。俺は、エルフたちと協力して大森林に巨大な湖を作り上げた。数日寝込むことになったが、アーチャーたちのおかげで群れは無事に引越しすることができた。
「……そうか。婚約おめでとう、ナージャ」
「えへへ、ありがとうございます」
「婚約か。なんか、みーんな恋愛してるね。どうする? フロード。ボクたちも婚約する?」
「……あのな、エンヴィ。俺で遊ぶの、ほんとやめて」
「えー、これは本音だぞ?」
「ハート飛ばすのもやめくれ」
ぐったりとした声で、フロードが顔を覆った。
これは、半々だな。
少しだけ残念そうなエンヴィを見て、決意する。二年だ。二年で俺は、自分とフロードを不滅の存在にする。
「……なんか寒気が」
「大丈夫ですか? よかったら父の服を貸しましょうか?」
自分の腕を擦るフロードに、ナージャが微笑みながら提案した。確かに、エルフの服は寒さに強い。だが、いいのか?
「おい。俺の服を奪うつもりか」
「お父さんなら素っ裸でも風邪は引きません。ていうか、酔っ払うと裸で寝てるので、本当に大丈夫ですよ」
なるほど、なら借りるのも手だな。
「ナージャ!!」
「事実です。黙っててください」
「…………はい」
息子からの冷たい目に、ウルは項垂れてしまった。
この二人は、なにがあったのだろう?
俺を殴ったから、ということには気付かず。ようやくここまで来れたことに安堵していた。もう少しだ。もう少しで、会える。
(……アーチャー)
早く、お前に会いたい。




