9 戻らない、愛しき日々
「……なにを読んでるんだ?」
誰もいない部屋で読書をしていたら、アーチャーが気配なく覗き込んで来た。俺はもう慣れたが、英雄王たちは未だに悲鳴を上げる。隠密部隊のやつらも、心臓が止まりかけると言っていた。
(でも俺は、この驚きが好きだ)
すぐ近くにあるアーチャーの瞳に、微笑みを浮かべる自分が映った。まだ昼間なのに、もう夕焼けが来てるみたいだ。
「ノウェル?」
「……アーチャーは、生まれ変わりを信じるか?」
「魂は巡る。精霊は分からないが」
「これは転生した少女の物語で、メイドたちのおすすめだ」
英雄王に呼ばれて王宮に行った時、渡された。
「感想はいらないで、目の保養をください!」と言われたが、どういう意味だろう。エンヴィに聞けば、分かるだろうか?
「……面白いか?」
「ああ。恋した人と再会するシーンは、幸せに満ちてた」
きれいな描写だ。くどくない読みやすさと、シンプルな美しさは好感を抱ける。だが、なにかに似てるような気がした。前にも読んだ文章……いや、書き方か?
なにかが頭を過ぎるのだが、まったく思い出せない。
「ノウェル。ノウェルは、幸せか?」
「? ああ、かなり幸せだ」
不安そうな目をしてるアーチャーに、頷く。
「お前も、幸せか?」
「……ああ。こうして、共にいれることが嬉しい」
アーチャーの素直な言葉に、顔が熱くなってくる。出会ったその日の夜にプロポーズして来た彼は、いつも本音を口にする。誤魔化そうとしないから、俺も素直でいたい。
「すまんな、完全に邪魔しまった」
申し訳なさそうな声に、俺たちは首を傾げた。
「「別に、邪魔ではないぞ?」」
「……本当に申し訳ない。せっかく、不器用なお前たちが」
「陛下。またここでおサボりですか」
英雄王の後ろに、隠密部隊の隊長が現れた。
漆黒の騎士服を纏い、黒い布で顔を隠してるこの男は、つい最近までエンヴィの後始末に追われていた。俺はアーチャーと出会ってすぐに、あの馬鹿を連れてペルトラック王国に向かった。
安心して暮らせる国は、もうそこしかなかったのだ。
――『ふーん? まあ、ノウェルが選んだ男なら、ボクも信用するよ。絶対に、ボクの親友を泣かすなよ、アーチャー』
エンヴィに彼を紹介した時、あまり面倒なことは起きなかった。英雄王と出会った時も、なんでか大歓迎されたが。そんなに不快なものはなかった。ただ、エンヴィは違ったらしい。
「ベディヴィエールさん。あの時は、本当に申し訳なかった」
「謝罪は不要です、ノウェル様。あれは私たちにとっては非常にありがたい展開でしたので。国の腫瘍を一気に切れました」
「なんだ。まだ気にしてたのか、ノウェル」
「気にするに決まってるだろ」
まさかエンヴィが、腐りきった貴族を血祭りにするなんて。
――『ノウェルにはもう、アーチャーがいるの』
――『腐敗臭がする生ゴミを、あいつの嫁にするとか。馬鹿にしてる? してるよな。喜べ、人間。ボクが処分してやるよ』
あそこまでブチ切れた彼を見るのは、初めてだった。
アーチャーも俺が奪われると分かったみたいで、精霊による一方的な喧嘩祭りが開催された。
「英雄王がいるから大丈夫だと言ったのにな」
「俺は男だ。恋人を守るのは当然だ」
ぎゅっと抱きしめて来るアーチャーの頭を撫でる。
エンヴィの許可が下りたんだ。俺はもう、お前のものだよ。
「……ふむ。やはり無自覚なのだな」
これが理想の付き合い方、というやつか? と首を傾げる英雄王の頭に、ベディヴィエールの拳が落ちた。
「いった!!」
「陛下。話が脱線してますよ」
「あ? 不敬罪で訴えてやろうか」
「ならば仕事に戻られますか? 別にいいですよ」
「…………王妃に、言う?」
一気に青ざめた英雄王に、彼は無言を返した。
なるほど、肯定か。五十歳とは思えない若さの国王は、そっとベディヴィエールに紙を渡した。どういう意味かは知らない。
「で? なんの用だ、マーリン」
英雄王の名を口にすると、彼がぱっと笑った。
「親友であるお前たちに遠出の誘いだ。俺とそこの隊長で、ピクニックをしないか? エンヴィの許可はもらった」
「? あの馬鹿は」
「エンヴィ殿は、王宮の掃除をしてます」
「……なるほど、執務室から追い出されたんだな、マーリン。そんで王妃に、たまには息抜きしろと蹴飛ばされたのか?」
「いえ、窓から突き落とされてました」
「ベディヴィエール!」
情けないことを言われて、英雄王が怒った。
しかし悲しいな。王妃という言葉に、硬直してしまった。
「……これも、愛の形か」
「アーチャー殿。恋愛の参考ならば、私と妻を手本になさいませ。彼女もあなた方の話を聞きたがっていたので」
「そうか。ならノウェルと訪ねる」
「ええ、お待ちしております」
楽しげな雰囲気のベディヴィエールと違い、英雄王は項垂れたまま動かない。そろそろ、話題を変えるべきだな。
「アーチャー。行くか?」
「君と一緒なら」
☆☆☆
ベディヴィエールの特製弁当を持って、森の中を探索する。
王宮が管理する森なので、魔物の気配はない。
「……懐かしいな。旅をしてた時のことを、思い出す」
「そうだな。あの時は、ずっと森を歩いた」
「アーチャー、楽しいか?」
「もちろん」
繋いだ手を握って、ベディヴィエールが隠した宝を探した。
「それにしても、英雄王たちはどこにいるんだ?」
「向こうの方にいる。彼も、宝探しに苦戦してるようだ」
アーチャーが指差す方も見るも、まったく分からない。気配を消すだけではなく、感知も上手いからこれだけは勝てそうにない。
(……悔しい、というよりは)
かっこいいと思う。
涼やかな顔をしてるアーチャーの横を歩いた。
「昔、俺には姉がいた」
ぽつりと出た言葉に、彼は相槌を打つ。
「もうほとんど記憶はないけど、幼い俺に、本を読み聞かせてくれた。こうして、散歩もしたと思う。けどある日、すごく怖い顔で俺を部屋に閉じ込めた。迎えに来るから、絶対に開けちゃ駄目だと言って。俺は姉の言う通り、部屋に閉じこもった。でもなんでか屋敷が燃えていて。このまま、死ぬんじゃないかと思った」
「……裏切られたのか?」
「分からない。姉は、そのまま行方不明になってしまった」
もう、顔すら思い出せないほど昔のことだ。
「俺は、人間が嫌いだ。信じることが嫌になるくらい」
「俺たちが、ずっとそばにいる」
「……俺の手は、すべてを救えるほど大きくない」
「なら俺たちが溢れた命を掬い上げる」
握られたままの手に、胸の奥が温かくなった。
「ありがとう、アーチャー」
こんな弱い俺を、支えてくれて。
たくさんのものを失った。
誤解したことで、こぼしたものもある。
真実を知るすべはどこにもないが、たまに思うのだ。
――姉はただ、俺を守ろうとしたんじゃないか?
まだ幼かった俺は、大人たちに守られていた。人間の醜さから遠ざけられて。なにも知らなかった。
ただ、遺体がない、ということは。
誰も探しに行かなかったのは。
あの屋敷で、賊と共に死んだのかもしれない。
――『あなただけは、守るから』
遠い昔のことだから、はっきりと思い出せない。
だが、その言葉を小説で見かける度に、姉の姿が浮かぶ。人間は嫌いだ。自分のためならすぐに誰かを裏切るし、とても醜い。
あんなのはさっさと死ねばいい。
優しい幸福の中で、みんなに見守られて眠れ。
たった一人で、なにもない場所に消えるのは絶対に許さない。
「アーチャー」
こちらへと向く瞳に、俺は笑った。
「俺の宝物はお前だ。エンヴィには内緒な」
じゃないとあいつが拗ねてしまう。
「分かった。俺の一番も君だ、ノウェル」
「ふむ、やはりこいつらがおかしいのだな。不器用なのか、無関心なのか。いや、無関心はおかしい?」
「少しは黙ってくれません?」
「……べ、ベディ?」
英雄王が隊長のゲンコツを受けてるのを眺めながら、散歩を続ける。たまにはこうして、自然を歩くのもいいな。




