14 未来の足音
ボコッという音が響いた。ウェルナへと顔を向けると、彼女は黒い泥を吐き出していた。
「……なに、なによ、これ!?」
「ノウェル」
アーチャーが俺を前に立つ。
背中に隠されるのはドキリとするが、今はそんな状況ではない。女の体が、変化を始める。骨が折れてるのだろう。苦痛を叫ぶ声と、骨が折れる音。そして、ボコりボコりと膨れ上がる肉体が。
遠い昔の、最悪な光景を呼び起こす。
「……こいつ、邪竜の巫女か!」
アーチャーと出会う前の、惨劇。封印された呪いを数十倍に強化するために作られた巫女の、失敗作が。俺の国を滅ぼした。
――『人の未来を守れ。人間が嫌いなら、世界を守れ』
何度も、口癖のように言ってた親父の言葉。
それが激しい怒りとなって、女を殺すための魔術を紡ぎかけた。
(落ち着け! 今殺したら、大爆発が起きる!!)
父親の失敗を繰り返すわけにはいかない。失敗作か、それとも完成品なのかは分からないが、国が消し飛ぶ。
――『我らは神になるのだ』
そう笑って死んだ大司教が脳裏に浮かんだ。
本当に、忌々しい連中だ。
俺は数年ぶりに再会した父を、その場で殺された。民も弟たちも。みんな死んでしまった。エンヴィが俺を守ったから、俺たちだけが国の跡地に残された。またそれを、繰り返すのか?
「……やるぞ、アーチャー」
ギリッと敵を睨む。女の肉体を引き裂き、山のようなデカさになった邪竜は、おそらくギリスを封印ごと飲み込むはずだ。
「ベディヴィエール! お前はそのガキを連れて王国にこのことを伝えろ! 冒険者『虚ろなるもの』が教団の禁忌魔術『邪竜の巫女』を抑える!! 教会と騎士は、すぐに封印特化の聖職者たちを連れて、ギリスの封印を死ぬ気で守れ!!!」
魔術で鎖を作り出し、邪竜の身動きを止める。アーチャーも影で、やつの翼を封じた。だが、とてつもない力だ。
これだと、すぐに砕ける。鎖を強化するも、長くは持たない。
「……クソ、封印地が近すぎる!」
今の状態で巫女を殺すと、封印に悪影響が出てしまう。
何度も出来損ないの邪竜と戦ったから分かる。
宿屋で遭遇したあれは、兵士として生み出された呪いだった。
だがこれは、そんな生易しいものではない。
国を滅ぼせる力は、彼らの言う神に近いものだ。
(……教団は、なにも残さなかった)
禁忌魔術の研究資料は、すべて破棄されていた。
人魚狩りや、人攫い。そういうのに協力した魔術師たちに、呪いの作り方は残したが。俺がほしかったものは消去されていた。
誰も分からなかった、大司教の目的。
六十年前よりも完璧に近い、邪竜の巫女。
もし、もしこれが、完成品なら。
(……ありえない。もしそうだとしたらふざけてる)
辿り着いてしまった答えを、否定する。でも、心のどこかで納得していた。だからあんなにも気に入らなかったんだ、と。
「主!!」
フロードが、渓谷へと降りて来た。
「エンヴィはどうした!」
「あいつなら、ベディっていう騎士たちを連れてこの国の王都に向かった。精霊の聴力はすごいな!」
素直に感心してるフロードは、子供っぽい表情をしていた。
「ノウェル、彼は?」
「新メンバーのフロード。エンヴィのお気に入りだ」
「……あいつの」
無駄のない動きで、素早く崖を降りたフロードに、アーチャーが興味を抱いた。名前であいつの弟子だと気付いたんだろう。
「それで? 俺は、なにができる?」
邪竜を抑えながら、フロードを観察する。こんな近くで、やつの呪いを感じているというのに。彼はまったく怯んでなかった。それどころか、やる気に満ちてる。
(……エンヴィに、なにか言われたか)
鎖が一本、弾け飛んだ。すぐに新たな鎖を作り出す。
「フロードは、死霊を蹴散らしてくれ」
「死霊? まだ朝っぱらだぞ?」
「ここはギリスの砂漠だ。通常の死霊と違って、安らぎを与えられることがない。この邪竜に惹かれて、大群がやって来るはずだ」
「……なるほど。了解した、主たちは俺が守る」
愛用のナイフを手に、フロードが周囲を警戒した。
これで、背中は安全だ。
邪竜を抑え込むことに集中できる。
エンヴィの転移があれば、すぐに応援がやって来るだろう。
封印特化の聖職者たちが、ギリスの封印をより強固なものにすれば。邪竜の巫女を、殺すことが可能になる。
――だが、それでいいのか?
言葉を失った巫女が、咆哮を繰り返す。
これはもう、人間ではない。生きた魔術なんだ。
設定された目的を果たすため、邪竜の抵抗が激しくなっていく。こうなってしまったら、二度と人間には戻せない。
(……なんで、こんな時に思い出すんだ)
エンヴィと祖国に立ち寄った時、俺は森の中で出会った少女を親父に紹介した。できれば、この国で生活させてほしい、と。彼女の保護をお願いした時に、異変が起きた。
教団が作り上げた、邪竜の巫女の失敗作。
森へと捨てられたあの子は、おそらくなにも知らなかった。
中途半端な変化による激痛と、暴走を始めた魔力への恐怖で顔を歪めてた少女は、確かにこう言ったんだ。
――ごめんなさい、と。
俺は彼女に、生きる希望を与えた。
あるはずのない未来を語って、彼女に夢を見させた。
普通の生活を知らない、哀れなあの子すら。
この手は、こぼしてしまった。
邪竜の巫女は、あの日、俺からすべてを奪った。
あれほど怒りを覚えたことはない。
でも、あの子は。
ただ生きたかっただけなんだ。
彼女はずっと、人体実験の毎日で幸せを知らなかった。
下手くそな笑顔しかできなかった。
(……俺は、殺すのか?)
あの時の惨劇を、回避するために。
「ノウェル。翼が腐り落ちたぞ」
はっと顔を上げる。確かに、腐敗した翼が落ちた。
これでもう、彼女は飛べない。
――生存できる未来を、一つ切り捨てた。
「このまま、身動きを完全に封じる」
意志を形にしかけた時、魔力が微かに揺れた。それと同時に、魔術の構築が甘くなる。ただでさえ弱体化してるのに、これでは勝てなくなる。
「……ノウェル。君はどうしたい?」
「どうって。このまま邪竜を……」
「君は迷ってる。今の状態だと、なにもできない」
アーチャーの言葉通り、鎖すら作れなくなってしまった。邪竜の抵抗がより激しくなっていく。
「……なんで」
「ノウェル。心の声を聞くんだ」
褐色の手が、ゆっくりと俺の両耳をふさいだ。
「答えはもう、そこにある。君がやりたいことを教えてくれ」
黄昏の瞳を細めて、アーチャーは笑っていた。
こんな状況でも、彼はいつも通りの彼だった。俺に向けてくれるその穏やかな微笑みに、怒りや焦りはなく。
優しさと、愛しさ。そして、信じてるという想いがあった。
(……俺が、やりたいこと)
鎖から逃げようとする邪竜の巫女へ、視線を向けた。
……俺は、たぶん。あの子を許せない。
国を滅ぼした邪竜の巫女には、怒りしかない。
でも、ほんとは。悲しかった。
なにも救えなかった。
家族も、国も、あの子すら失って。
これからどうすればいいのか、まったく考えられなかった。
目の前にある、選択肢を見る。
ウェルナという少女のことはまったく知らない。
だが、あの時と違って選ぶことができる。
「……俺の、願いは」
心の奥底にあったそれを、握った。
「……ウェルナ」
突如として変貌してしまった婚約者。
この国で起きようとしてる惨劇を止めるには、彼女を殺さなくてはいけない。だが、邪竜の巫女に勝てる人間は少数だ。
六十年前も英雄の称号を得た者たちが。
数十人集まってようやく、一体を討伐することに成功した。
当時は教団を恐れ、多くの国が非協力的だったのに。そんな状況でも、立ち上がった者たちがいたのだ。そして今も、数え切れないほどの冒険者たちが。この国を守るために、封印の地へと向かった。転移魔術に長けた王族と、女神を信仰する聖騎士たちと共に。
(……俺は、なにもできないのか)
教団の一室で、窓の外に視線を向ける。
外では大規模な結界を張っており、紫色の魔法陣が煌々と輝いていた。みんなが、民を守るために戦っている。自分もなにかをやりたい。でも、やれることがない。
魔術も、剣も。修行をサボったせいで実戦に使えない。
派遣された国で、酷評されていた。
こんな自分が動けば、確実に足手まといになる。
「キース王子。大丈夫ですか?」
横を見ると、いつの間にか隻眼の騎士がいた。
「……悩み事ですか?」
「ああ、俺は、自分勝手なことを考えてる。邪竜の巫女は危険だ。すべての国のためにも、ここで討伐しなくてはいけない。俺は、怯えてる民たちのために、なにかをやりたい。……だが、俺は、そのための術を学ばなかった。ウェルナを助けてやれるだけの力もない。彼女は、もう、助からないのか?」
震える手を、握りしめる。
一つしか選べない選択を、嫌だと二つ抱え込む自分は、酷く情けないと思う。だが、助けてやりたいのだ。我儘でいつも他人を困らせていたが、あの時、他国で魔物に襲われた彼女は。
無意識に、重傷の子供を庇った。
もうすぐ息絶えるそれを、守ろうとしたのだ。
(だから俺は、彼女たちの前に出た)
剣では間に合わないから、体で魔物の攻撃を受けた。
――彼女たちの盾に、なりたかった。
せめて、数秒でいい。
死にかけの子供に、これ以上の痛みを与えたくなかったんだ。
「……俺は、本当に出来損ないだ」
ちゃんと勉強して、しっかりと力を付けていれば。あの時の子供を救えたかもしれない。邪竜になってしまったウェルナを、人間に戻せたかもしれないのに、自分でその未来を捨ててしまった。
ごめん。ごめんなさい……。
救えなかった命の重さが、この体を押し潰す。
こんなのが英雄王の子孫だなんて。ごめんなさい、ごめんなさい。助けられなくて、本当に……。
「顔を上げなさい、キース王子」
ボロボロと涙を落とす少年の顔を、自分に向ける。
「あなたは、英雄王の子孫なのでしょう。謝ってばかりでは、なにも変わりません。そんなんだと、陛下にぶっ殺されますよ。もしくは王妃様に。いいですか、キース王子。あなたはまだ生きている。そして救える人たちも生きています。ごめん、と言って。未来まで捨てるつもりですか、あなたは」
力が足りない。そう思うなら、今すぐにでも行動すべきだ。
この状況であれば、誰もが人手不足を嘆いてる。
経験がなくても簡単なことであれば手伝えるはずだ。
「……なにも分からなくて、失敗するのが怖いという気持ちは分かります。でも、動きながら学ばなくては、なにも変わらない。経験というのは、動くことで得られるものです」
「……ベディ」
「さあ、行きましょうか王子。あなたも英雄になりましょう。王族だからと、変に考える必要はありません。あなたの先祖は、いつも弱き人たちの味方でしたから。これは、最初の一歩です」
臆病な少年の手を引いて、騎士は世界へと歩き出させた。
もう、ここに閉じこもる必要はないのだ。
(大丈夫、私が導きます。かつての英雄王も、足手まといだからと部屋に引きこもっていましたからね)
懐かしい過去に、騎士は微笑みを浮かべた。
ウェルナのことは、彼に任せて。自分はこの王子を成長させよう。きっとあの馬鹿野郎みたいに、面白いことをやるはずだ。
「……ベディ。俺にも、できるだろうか」
「できますよ、自信を持ってください」
だってあなたは、悪友の子孫なのだから。




