EP8「対話」
「…………」
「…………」
しばらくしたあと、俺と彼女は家の中に戻った。
気まずい空気が流れている気がする。
いや、それは俺だけであって彼女は何も感じていないかもしれない。
見られたくない己の底を見られてしまい、彼女に対して取り繕うにも俺はどうすればいいのか判らなかった。
「…………」
「…………?」
彼女が不思議そうに首を傾げる。
俺は彼女の顔をまともに見ることが出来ず、目を逸らすことしか出来なかった。
ここからどうやってさっきみたいに会話をすればいいと言うのか。
それどころか、何の会話をしていたのかも判らなくなってきた。
「…………」
「…………」
お互いに黙ったままでいると、彼女が不意に何かを書き始める。
『聞きたいことがある』
紙を掲げる彼女に俺は声を出すことが出来ず、ただ小さく頷くことしか出来なかった。
『あなたの名前はなんて言うの?』
俺の名前…………。
「…………」
俺は無言のまま、彼女からペンを取って紙に書く。
口で言えばいいのに、今は何も言いたくなかった。
『ガイ。ただのガイ。名字はない』
「……!」
書いた紙を見せると彼女は嬉しいのか、微笑んでいた。
ペンをせがまれ、持っていたペンを渡す。
交互に渡し合う筆談が始まった。
『何を食べるのが好き?』
『魚と肉』
『好きなことは?』
『散歩と読書、あと昼寝』
『好きな場所ってある?』
『家』
『ずっとここに住んでいるの?』
『昔から住んでいる。一時期離れていたときもあるけど、三年前からずっとここにいる』
『家族はいるの?』
『八年前に婆さんが一人いた。けど亡くなって今はもういない』
『本が好きなの? 沢山あるけど』
『婆さんが昔持ってきた物だ。本を読むのは嫌いじゃない』
『ご飯が美味しかった』
『お粗末様でした』
『料理をするのは好き?』
『嫌いじゃない。料理は婆さんから習ったんだ。料理しろって言われてやり始めた。山を下りて人に習ったこともある』
『山を下りたら何があるの?』
『村がある。山で拾い集めた物やモンスターの一部を売りに行ったり、消耗品を買いに行くこともある』
『消耗品って?』
『色々ある。食材やマッチ、洗濯用の灰汁とか』
『この家、色々あるけれど、全部村で買って来たの?』
『さあ? 俺は知らない。十年以上前にこの家にやってきたときから今のままだった。亡くなった婆さんなら知ってるが、もういない』
『婆さんってどんな人なの?』
『クソババアだ。いつも俺のことを馬鹿にして文句ばかり言ってきやがった』
『クソババアなの?』
『クソババアだ。会ったらお前も色々言われていたと思う。いなくなってこの家も静かになった』
『その人のこと嫌いなの?』
『嫌い。けど、よく判らない』
『どういうこと?』
『嫌いだけど、クソババアには恩がある。俺自身どう思えばいいのかよく判らなくなってきた』
『恩って?』
『子供の頃に助けてもらったんだ。それが恩』
『ならガイは私と同じなんだ』
『助けてもらったってことならそうなるな。お互い生きてて良かったよ』
『どうして私を助けてくれたの?』
その質問に思わず身体が固まってしまう。
俺は最初、保身から彼女を見捨てるつもりだった。
関わりたくないと。
しかし、そんなことを素直に言える勇気など俺にはなかった。
少し考えた末に尤もらしいことを書くことにした。
『人を助けるのに理由がいるか?』
「……!」
彼女がキラキラと目を輝かせて俺を見てきた。
やめてくれ。
罪悪感で胸が苦しくなってくる。
『あなたはカッコいい』
「…………くっ」
俺は耐えられずにテーブルに頭を突っ伏してしまう。
違う。俺はそんな立派な奴じゃない。
「…………?」
しばらくすると背中を擦る手の感覚が伝わってきた。
どうやら彼女がポンポンと慰めようとしているようだ。
優しくしないでくれ。
傷が抉られるようだ。
「(ポンポン)」
「…………」
しばらくそうしていると、不貞腐れているのが馬鹿馬鹿しくなってきた。
起き上がって彼女に向き合う。
「もういいよ。大丈夫だから」
「(コクコクッ)」
席に戻った彼女を見て「真面目に向き合おう」と思い直す。
「途中で話をやめて悪かった。続きを話そう」
「(コクコクッ)」
「どこまで話したっけ?」
『私がモンスターじゃないこと』
「…………」
そうだ。それで俺が泣きたくなって話が飛んだんだ。
そこで思い出す、俺が情けなくボロボロに泣いたことを。
「…………話す前に頼みがある。さっき玄関先であったことは誰にも言わず、忘れてくれ」
「…………?」
彼女が首を傾げる。
『どういうこと?』
「忘れてほしいんだ。その…………俺が泣いてたこととか」
「? (コクコクッ)」
理解してくれたのか、彼女はうんうんと頷いた。
忘れてくれればそれでいい。
コイツを家族の元へ帰したら、そこでお別れだ。
じきに俺のことも思い出さなくなるだろう。
「話を戻そう。俺が悪い奴で、殺されるかもしれないと言っただろう? 改めて言うが、お前が俺に好意を持つのは、そいつらに利用されているからなんじゃないかと思ってる」
俺の言葉に彼女はムッとする。
『そんなことない』
「だったらいいんだけどな……本当にそうなのか、俺もお前も証明する方法がないだろ?」
「…………」
言うと彼女は睨むように俺を見る。
その視線は甘んじて受け入れるしかなかった。
「俺の言ったことが間違いかもしれない。けど、お前がここにいるのは事故か事件に巻き込まれた可能性が高い。そうなると、お前の家族は今もお前のことを心配して待っているんじゃないか?」
「!」
彼女の目が見開かれる。
『あなたがいればそれでいい』とは言ったものの、家族が今も心配しているかもしれないと聞けば、流石に彼女自身も思うところがあるようだった。
「それなら記憶を取り戻して家族の元へ帰った方が良いと思わないか? そうでなくても、お前の身元とお前を探している人がいないか調べたほうが良いと俺は思う」
仮に探している人物が家族ではなく、研究者の類なら、危険な実験の被験者として扱われていた可能性もある。
今後の身の振り方も含めて色々と調べたほうがコイツのためにもなるはずだ。
「俺の知り合いにギルドマスターの人がいる。その人に頼んでお前の身元や、探し人として届け出がないか調べてもらおうと思ってる」
…………上手くいけばの話であるが。
「その人は、元々とある研究室で働いていて記憶を取り戻す方法も知っているかもしれない。ここまでの話を聞いて、記憶を取り戻さない方がいいと思うか?」
「…………」
考える素振りを見せる彼女。
ここまで話を聞いて、記憶を取り戻そうとすぐに返事をしないのは何故だろう?
懸念点があるとしてそれは何だ?
『私は、家に帰らないといけないの?』
「……帰りたくないのか?」
『記憶が戻って、家族と会ったあとも、ここにいたい』
「…………」
何かに耐えるように彼女は口元を引き結び、紙に書いた文字を見せてくる。
『ここにいたい』という気持ちは今そう思うだけであって、記憶が戻ったあとはそうは思わないかもしれない。
彼女自身はそれを自覚しているのだろうか?
「どうしても帰りたくないのか?」
『(コクリッ)』
即答する彼女。
彼女の潜在意識がそう思わせているのか?
ジッと彼女を見つめる。
不安そうな目つき。
その目は捨てられたくない、居場所がないと訴えかけてくるような気がして思わず、舌を巻いてしまう。
家族が嫌いならともかく、記憶がないのにどうしてそこまで…………。
「…………行く場所がないのなら、さっき言ったギルドマスターの人に話をすれば何とかしてもらえるかもしれない。そうでなくても、働きさえすれば、居場所なんてどこにでもあると思うけどな」
『ここじゃ駄目なの?』
あくまでも俺の家に居座りたいらしい。
「さっきも言ったけど、俺はギルドの人間に狙われている。いつ殺されてもおかしくはないんだ。お前も危険な目に遭うかもしれない。誰かに殺されるんじゃないかとビクビクする俺みたいな奴と一緒に暮らすなんて嫌だろう?」
『嫌じゃない。ここがいい。あなたと一緒にいたい』
真っ直ぐな目で俺を見てくる。
頑固だ。どうしようもないくらいに。
俺への好意だけで、どうしてそこまで言い切れるのだろうか?
…………いや、違う。
それしかないから、ここまで言うのか。
彼女は今、頼れる人間が俺しかいない。
だからこんなにも必死になるんだ。
なんて哀れなんだ。悲しくなってくる。
仮に俺を殺したい奴らのせいでこうなったのなら、俺にも責任があるかもしれない。
そうでなくとも、助けると決めたんだ。
なんとしても記憶を取り戻してやらないといけない。
自然と彼女を助けたい気持ちが強まる。
この娘を家族の元へ帰してやろう。
それがこの娘を助けた俺の責任だ。
2026/10/27(火)誤字修正:研究所→研究室




