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第十二話 十一月十五日の鐘と、四つ目の鍵の審判

十一月十五日、正午の鐘が王都の秋空に鳴り響いた。


 同時に、ベルジュ侯爵家大広間の重厚な両扉が左右へ開かれる。


 シャンデリアの下には親族や貴族、懐中時計を見つめる王立銀行頭取と債権者たちが詰めかけていた。最前列では、祭壇の前でふんぞり返るお父様とカシアン様、さらには差し押さえ寸前の仮縫いの花嫁衣裳を着込んだロッテが一斉に振り返る。


「ほら見ろ、頭取殿! 正午に王室式部院の使者が到着したぞ! 先代女伯爵マルグリットの遺言による『婚姻助成金・金貨二千枚』で、借金なんぞチャラにしてやるわ!」


 勝ち誇ったお父様たちの声が反響する。


 けれど、式部院の長官閣下の後ろから進み出た姿を目にした瞬間、三人と招待客から言葉が消え失せた。


 現れたのは小切手運びの使者ではない。氷青と月白の正礼装を着こなしたアシェンバルト公爵ジークハルト様と――その隣で、対になる氷青と月白の公爵夫人用正礼装を纏い、喉元に亡きマルグリット祖母様の『白銀のカメオのブローチ』を輝かせた私だったからだ。


「なっ……!? フィーネ!? なぜお前が公爵とペアの正礼装で長官の後ろにいるんだ!?」


「ちょっとお姉様! 今日は私とカシアン様の披露宴なのよ! なんで私より豪華なドレスを着てくるのよ!」


 仮縫いのドレスを揺らして喚くロッテたちを前にしても、私の胸の奥には澄み切った凪が広がっていた。


(……これで、祖母様から託された『四つの鍵の引き継ぎ箱』は、すべて然るべき場所へ収まりますわ)


 あの悪夢の中で、私は今日この広間に、裏方としてロッテの裾を直すために立っていたのだ。


 残る鍵は、ひとつだけ。


(債権者まで集めて、私の婚姻にしか下りない助成金で借金を帳消しにするおつもりだなんて。遺言状の宛名すら、読んでいらっしゃらないのかしら)


 冷静な計算がよぎった、その時だった。


 隣を歩くジークハルト様が、衆人環視の広間の真ん中で、私の左手を決して離さない力強さで握りしめたのだ。


「――っ」


 手袋越しに伝わる温かい掌の熱。見上げれば、ジークハルト様の瞳が、誇らしげに、そして深い慈しみを湛えて私を見下ろしていた。


(威信のための演出、と片づけようとした言葉が、今日はどうしても形にならない。手袋越しにも、この方の指がわずかに強張っているのが分かってしまったから。――まるで、この広間の誰かに私を連れ戻されるのを、本気で警戒していらっしゃるみたいに)


 頬が熱くなるのを感じながら、私は強張ったその指を、そっと握り返した。


 正面で、王室式部院の長官閣下が公文書を高く掲げ、厳かに宣言した。


「王室式部院より布告する! 亡き先代女伯爵マルグリット殿の登録遺言状に基づき、第四の鍵たる『高貴婚姻承認印および婚姻助成金・金貨二千枚』は、直系後継者『白銀工房主フィーネ・ヴァルモール個人』の婚姻にのみ適用される! よって本承認印ならびに金貨二千枚の交付証書は、去る十月十九日に適法に婚姻届を受理された、アシェンバルト公爵ジークハルト閣下および公爵夫人フィーネ様へ授与される!」


「「な、なんだとぉっ!?」」


「先月十九日に婚姻届を受理だと!? 助成金がロッテに下りないなら、俺たちの金貨二千枚はどうなるんだ!?」


 青ざめるカシアン様の前へ、懐中時計を閉じた王立銀行頭取が冷然と進み出た。


「ただいま正午の鐘をもって、銀行債務・金貨二千枚の一括返済期限が切れました。これよりヴァルモール伯爵家のタウンハウスと爵位継承資産、ならびにベルジュ侯爵家の担保領地に対する即時差し押さえと競売を執行いたします!」


「ま、待て頭取! 屋敷を取り上げられたら私はどこへ住めばいいんだ!?」


 お父様が悲鳴を上げた、その瞬間だった。


「――そこまでだ、この愚か者どもがァッ!!」


 入り口から怒号が轟き、旅装の壮年貴族が司法院の執行官を従えて踏み込んできた。植物園での一件を監査院の告発状で知らされ、本日の返済期限に合わせて領地から乗り込んできたカシアン様の父君、ベルジュ侯爵閣下ご本人だった。


「ち、父上……!?」


 後ずさるカシアン様の頬を、ベルジュ侯爵閣下の分厚い平手が、乾いた音を立てて張り飛ばした。


「貴様という奴は! 両家の信用の礎であったフィーネ嬢を追い出して契約を破綻させた上、植物園で公証人を買収して傷害と恐喝未遂まで働くだと!? カシアン、本日をもって貴様を廃嫡する! 賠償金と罰金は、北境関所の最下級検算係として一生労働で返済しろ! ロッテとの婚約も即時破棄だ!」


「えっ!? 嘘でしょう、お義父様! 私、今日から侯爵夫人になるはずなのに!」


「黙れ、疫病神が! 偽造香油で我が家を検品場から除名させ、ドレスや香油のツケを山のように作った罪、逃れられると思うな! 執行官殿、我が家は債権者としてこの娘の労役返済を申し立てる! 厳格なる『聖マルタ奉仕修道院』の労働寮へ送り、洗濯と床磨きの労働で負債を償わせていただきたい! マルティン伯爵、貴様も他人事ではないぞ。屋敷は差し押さえ、共済金横領の件で司法院から爵位特権の停止が通告されておる!」


「いやあああっ! 修道院なんて嫌よ! お姉様、代わりに行ってよ!」


「ふ、フィーネ! お前が式部院に一筆書いて、金貨二千枚をこちらへ回せば丸く収まるのだ! 家族を見捨てる気か!」


 執行官たちに押さえつけられながら縋りつく三人を見下ろし、私は喉元の白銀のカメオに右手を添えた。


「お父様、カシアン様、そしてロッテ。――いいえ、もはや私には何の関わりもない方々ですね」


 広間の隅々まで澄み渡る、凛とした声だった。


「先月十九日、あなた方は私個人の実務と保証の放棄確認書に署名・捺印なさいました。香油も、銀行の保証も、魔石の調律も、この婚姻助成金二千枚も――すべては家の看板ではなく、祖母様から白銀工房を継いだ『フィーネ個人の署名と労働』に結ばれていたものですわ」


 私は隣に立つジークハルト様の腕に手を添え、氷青と月白のドレスの裾を引いた。


「赤の他人であるあなた方の銀行債務二千枚を肩代わりする理由も、お父様への求償債権を免除する理由も、帳簿のどこを探しても一行たりともございません。……どうぞ、ご自身で蒔かれた種は、ご自身のその手で最後までお刈り取りくださいませ」


 凍りつく三人から視線を外し、私は長官閣下、ベルジュ侯爵閣下、頭取へ向けて、ジークハルト様と呼吸を合わせ、アシェンバルト公爵夫人として非の打ち所のない礼を捧げた。


「長官閣下、本日は亡き祖母マルグリットの遺志を汲み、わたくしども公爵夫妻へ婚姻承認印と助成金を賜りましたこと、心より御礼申し上げます。北方領の工房振興のため、夫ジークハルト様とともに誠心誠意、役立ててまいりますわ」


 礼を終えて顔を上げた瞬間、ジークハルト様が私の腰をそっと抱き寄せ、連行される三人の悲鳴を切り捨てるように私へと向き直った。


 氷のような眼差しは消え去り、そこには胸の奥まで溶かすほど甘く、それでいて誰にも渡すまいとする昏い熱が揺蕩っていた。周囲が息を呑むのも構わず、ジークハルト様は私の手袋越しの指先を持ち上げ、その甲へ焼きつくような口づけを落とした。


「……っ、ジークハルト様……!」


「実に見事だった、フィーネ。今日の君は誰よりも気高く、美しい。皆の前で俺を『夫』と呼んでくれたこと、生涯の誇りだ」


 耳元へ寄せられた唇から、低く優しい声で甘い囁きがこぼれ落ちる。


「用は済んだ。……君の呼吸ひとつでも、これ以上この広間の澱んだ空気に使わせたくない。これから君が吸う息は、俺が温めた部屋の空気だけでいい。――帰ろう、フィーネ」


 差し出された温かい手を握り返し、私は晴れやかな微笑みを旦那様へと返した。長官閣下たちが頭を下げて道を空ける中、私たちは二度と振り返ることなく、大広間の扉をくぐったのだった。

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( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆ And so they lived happily ever after.
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