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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第8章 小磯内閣の成立(昭和19(1944)年7月18日~)

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第80話「1945年、近衛公との最後の正月」

【前書き】(加瀬俊一より)


 私は加瀬俊一。外務大臣秘書官。


 昭和二十年の正月を、私は近衛公爵とともに、熱海の大観荘で迎えました。


 海を見下ろす三層の館に、外相・重光葵と、元総理・近衛文麿と、私。表向きは女たちを連れた、のんびりとした正月の慰安です。偽装というものは、堂々とやるに限るのですよ。


 ですが芝生の陰で私たちが交わしていたのは、この国をどう破局から救うか――その一点でした。


 これは一本の汽車から始まり、敗北を見据えた人々が死を語った、ある数日間の話です。



【本文】


 事の起こりは、年の瀬の一本の汽車でした。


 十二月二十九日。妻の壽満子が、軽井沢から東京へ帰る汽車でたまたま近衛公爵と乗り合わせたのです。


 その車中で、公爵は壽満子にそっと胸の内を漏らされたといいます。


――極秘に、重光外相と会いたい。


 帰宅した妻から、私はその意向を聞きました。


 胸が高鳴りましたね。


 元総理の近衛公が、現職の外相と人目を忍んで会いたいという。それが何を意味するかは、考えるまでもありません。終戦への、一歩です。


 私はただちに重光さんと諮り、新春早々に熱海の大観荘を使うことに決めました。大観荘は当時、中山鉄工所社長の空いた別荘でした。


 人目を避けるため、会談は正月の慰安旅行に偽装しました。だからわざと、女たちを連れていくことにしたのです。



 東京は、もう焼かれはじめていました。


 大晦日の夜、私は松平内大臣秘書官長の邸で岡田啓介大将と会いました。元総理の岡田さんと時局を語り合いましたが、結論は一つです。


 戦局はもはや絶望であり、残された問いはいかにして日本を破局から救うか――それだけです。三人の判断は見事に一致しました。


 その同じ日の午後には、陸軍の松谷君が私を訪ねてきていました。


 ドイツが屈服したら剣を捨てて和を求めよと杉山陸相に直訴したいと逸る彼を、私は急がば回れと押しとどめました。


 まずは重臣と宮中から外堀を埋めていく。その方が確かなのです。


 帰宅すると、除夜の鐘が鳴っていました。


 私は灯火の下で元旦の決意を日記に書きつけました。窓の外、下町の方角の空がまだ赤く燃えています。


 昼間の空襲の火が、年を越えてもくすぶっていたのです。


 筆を執りながら、私は記しました。


 戦線の破綻があまりに急だから、外交で局面を打開するのは至難だ。力尽きるまで悪戦することになるでしょう。


 だが力尽きて屈したとき、国内は血で血を洗う混乱に陥るかもしれぬ。その混乱を抑える安定の柱が要る。天皇制の維持が、それです。


 そして和平を促す同志を四つの方面から結ばねばならぬ、と。重臣、陸軍の同志、政財界、そして思想と言論の識者。


 私はこの年、四十でした。気負っていたのでしょう。ですが、本気でした。



 元旦、私は重光さんと妻の壽満子を連れて熱海に着きました。翌二日、近衛公が入られます。


 公爵は、従妹の三井栄子さん、前田家の菊子未亡人とその令嬢の美意子さんを伴っておられました。あくまで家族連れの正月旅行という体です。


 幸い、空は晴れわたっていました。


 紺碧の海に大島がくっきりと浮かび、三原山の噴煙までが遠くに見えます。


 広い芝生は海へなだらかに傾き、松林の向こうに雄大な景色が開けていました。


 昼は思い思いに芝生へ腰を下ろし、寛いで見えたでしょう。


 ですが近衛公と重光さんと私の三人は、その陽だまりの中でひそかに時局収拾の策を練り続けていたのです。


「もう、レイテは捨てるほかありません」


 私は低く言いました。


「米軍はルソンを目がけて大挙して北上しています。戦力は底を突き、戦勢を盛り返すことはもう不可能です」


 近衛公は白皙の顔に憂いを浮かべて聞いておられました。


「ドイツもやられる。ソ連はブダペストを取った」


 重光さんが義足の脚を伸ばしたまま言われます。


「あれと組んだ近衛さんとしては、慚愧に堪えぬところでしょう」


 近衛公は深く息を吐かれました。


「三国同盟は……私の、生涯の悔いです」


 その声には、力がありませんでした。


「だからこそ、一日も早く剣を収めて和を求めねばならぬ。残された道は終戦を促し、この国を建て直すこと。それだけです」


 重光さんが、口を開かれました。


「近く、私は議会で演説をする。その文面に、和平への合図を、そっと忍ばせられぬか」


「合図、ですか」


「連合国に向けて、わが国が戦の目的を変えつつあると、それとなく匂わせる。むろん主戦派を刺激してはならぬ。針の穴を通すような細工だが」


 その演説の草案は私が起草していました。一語一語、主戦派の目と連合国の耳を量りながら、私は文を練ることになります。


 話は、政局にも及びました。


 近衛公は前の年から岡田・平沼・若槻の三重臣と手を結び、その四人が力となって七月に東條内閣を倒しました。


 ですが代わった小磯内閣は、終戦のために何の手も打たず、もたつくばかりです。


「小磯では、戦は終わらせられません」


 私は言いました。


「それどころか――」


 近衛公が声を落とされました。


「人心が小磯から離れていく。その隙に乗じて、東條の一派がもう一度政権を狙いはじめている」


 座の空気がひやりと冷えましたね。


 倒したはずの男が、また戻ってくる。それだけは、何としても防がねばなりません。


「では、どうする」


 重光さんが問われました。


「いっそ、皇族にお出ましいただくほかないのかもしれぬ」


 近衛公が、ぽつりと言われたのです。


 陸軍の主戦派を抑え込み、終戦の御決断を仰ぐには、自分のような者では力が足りない。


 高松宮殿下を首班とする内閣で一気に終戦へ持ち込む――近衛公は、そんな構想を胸に抱いておられるようでした。


 私はここで一つ、伝えておくべきことを口にしました。


「実は大晦日に、陸軍の松谷大佐が私を訪ねてきました」


 近衛公が顔を上げられました。


「あの男が、何と」


「ドイツが屈服したら、その機会に剣を捨てて和を求めよ。それを杉山陸相に直接訴えたいと言うのです」


 重光さんの眉がわずかに動きました。重光さんはかねて松谷君を、陸軍にただ一人の真の男、と評しておられたのです。


「私は止めました。急がば回れ、と。陸軍の内も国内の情勢も、まだ固まっていない。いま正面から斬り込めば、彼が潰されて終わりです」


 近衛公は深く頷かれました。


「賢明だ」


 狂信の主戦派に囲まれた陸軍の奥深くに、命を賭して和を説く男が一人いる。その事実は、近衛公にとっても何より心強い裏の報せでした。


「重臣と宮中から、静かに固めていく。松谷の焦りも、そこへ繋げばよい」


 近衛公の言葉に、私たちは頷き合いました。


 紺碧の海の上を、冬の鳥が一羽、横切っていきました。



 日が落ちると、館の空気はふしぎに緩みます。


 近衛公も女たちも代わるがわる温泉につかり、丹前姿になって夜の食卓を囲みました。妻が、外相官邸から料理人を呼び寄せていたのです。


 酒が重なるうちに、座は陶然としてきました。


 近衛公が筆を執り、戯れに「ギャング入湯の図」なるものを色紙に描かれます。重光さんは得意の似顔絵で応じられました。


 菊子さんが、めずらしく頬を染めて学徒出陣の歌を低く口ずさみました。


 ですが宴がたけなわを過ぎると、楽しみの底から、いいようのない虚しさがそっと座を覆いはじめたのです。


 近衛公は色紙を取ると、さらさらと一首を書き流されました。


 幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく


 牧水の歌です。


 廟堂に立って国を動かした人の愛誦にしては、いささか線が細く、私には頼りなく映りました。


 近衛公は杯を置いて、こう言われたのです。


「苦しまず、醜い死に顔を残さずに自決するには、どうするのが一番いいだろうね」


 座が、しんとしました。


「服毒が、よいのでしょう」


 誰かが低く答えました。皆の見当もそこで一致します。


 栄子さんが慌てて声を上げました。


「正月早々、縁起でもないわ」


 近衛公は苦笑してごまかされました。


 帰りぎわ、近衛公は私に言われました。


「加瀬君。オスカー・ワイルドの『深淵のうちより』を持っていたら、貸してくれないか」


 私は、帰京するとすぐに届けました。


 そのときは、知りませんでした。それが近衛公にとって、最後の正月になることを。



 正月の催しが終わり、三日の夕、私たちは散会しました。


 私は妻と、箱根の富士屋ホテルへ向かいました。


 別れぎわ、海はなお美しく、大島が変わらず波の上に浮かんでいます。


 ですがこの景色を眺めた人々の胸の内は、おそらく誰一人として晴れてはいなかったでしょう。


 国の頂に立った者たちが敗北を見据え、死を語り、それでもなお祖国を救う道を探しているのです。


 私は、自分の日記の一節を思い返しました。


 中途で斃れるかもしれぬ。それでもよい。ただ無益な死は避けねばならぬ。


 執拗に生き抜いて、救国の一念を遂げる――。


 近衛公は、この年の暮れに毒を仰いで世を去ることになります。重光さんの言葉が、耳に残っていました。


 ぼくたちは、新日本の埋め草になるのだよ――。


 埋め草でもいい。私はそう思いました。礎の下に埋もれる草で、かまいません。


 この国がもう一度立ち上がるための土になるのなら。



【後書き】(近衛文麿より)


 私は近衛文麿。


 熱海の正月を、私は生涯、忘れることはないだろう。


 紺碧の海。芝生の陽だまり。そして、夜更けの杯。


 加瀬君が起草した重光の演説。皇族内閣の夢。私たちはあらゆる手立てを並べて、戦を終わらせる道を探した。


 だが、私の胸を離れなかったのは、悔いだった。


 三国同盟。あの軍事同盟を結んだのは、ほかならぬ私の内閣だった。日本を、引き返せぬ淵へと押しやった一歩。


 その責めは生涯、私のものだ。


 だから、私は願った。


 一日も、一刻も早く剣を収めてほしい。これ以上、若い者を死なせてはならぬ。


 夜、私は皆に死に方を尋ねた。苦しまず、醜い死に顔を残さずに逝くにはどうすればよいか、と。


 栄子に「正月早々」と叱られたが、私は本気だった。


 幾山河を越えて行けば、寂しさの果てる国があるのだろうか。牧水のあの歌を、私はあの夜、色紙に書いた。


 私には、もう、果てる国が見えていたのかもしれぬ。


 帰る加瀬君に、私はワイルドの『深淵のうちより』を借りた。獄に落ちた者が、淵の底から綴った手記である。


 なぜ、あれを読みたくなったのか。


 その答えは、この年の暮れ、私自身が出すことになる。


 熱海の海は、美しかった。あれが、私の最後の正月だった。


■ 人物紹介


加瀬俊一(かせ・としかず、1903年〜2004年) ※本話の前書き・本文の語り手

 外務大臣秘書官。重光葵外相の腹心で、英米通の俊敏な外交官。妻の壽満子が汽車で近衛から会談の意向を託されたのを受け、ただちに重光を説いて熱海会談を実現させた。女性同伴で慰安旅行を装い、憲兵の目を欺く。元旦の日記に救国の決意を綴る。一人称は「私」。


近衛文麿(このえ・ふみまろ、1891年〜1945年) ※本話の後書きの語り手

 公爵、元内閣総理大臣。三たび組閣し、日独伊三国同盟を結んだ当事者。その悔いから即時停戦講和を強く望み、自らではなく高松宮を首班とする皇族内閣による終戦構想を抱いた。本話のあと、昭和二十年十二月十六日、戦犯としての出頭を前に服毒自殺する。一人称は「私」。


重光葵(しげみつ・まもる、1887年〜1957年)

 外務大臣。和平派の中心人物。上海天長節爆弾事件で右脚を失い義足だった。自らの国会演説に和平の合図を忍ばせようとし、その草案を加瀬が起草した。陸軍でただ一人和平を説く松谷を「真の男」と評していた。


岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868年〜1952年)

 海軍大将、元内閣総理大臣。重臣の一人。大晦日の夜、松平邸で加瀬と会い、戦局は絶望であり残る問題は日本をいかに救うかにある、との判断で一致した。


加瀬壽満子かせ・すまこ

 加瀬俊一の妻。昭和十九年十二月二十九日、軽井沢から帰る汽車で近衛と乗り合わせ、重光外相との極秘会談を望む近衛の意向を託された。熱海会談にも同伴した。


 三井栄子・前田菊子・前田美意子


 熱海会談に同伴し、慰安旅行を装う一員となった女性たち。栄子は近衛の従妹で幼な友だち。菊子はボルネオで戦死した前田利為侯爵(陸軍大将)の未亡人、美意子はその令嬢でもと加瀬の秘書(のちの酒井美意子)。栄子は近衛が自決法を口にした際「正月早々、縁起でもないわ」とたしなめた。


■ 用語集


大観荘たいかんそう

 熱海にあった三層の邸館。当時は中山鉄工所社長の空き別荘で、重光外相が会談に用いた。海へ傾く広い芝生と、大島を望む雄大な景観を備え、本話の年頭密談の舞台となった。


即時停戦講和そくじていせんこうわ

 一刻も早く戦闘を止め、講和に持ち込むこと。レイテの放棄、ルソンへの米軍北上、ドイツの敗色濃厚という絶望的な戦局の前で、近衛・重光・加瀬が共有した悲願だった。


 国会演説の和平利用


 重光外相が議会で行う演説の文面に、戦争目的の転換など和平への合図をそれとなく忍ばせ、主戦派を刺激せずに連合国へ発信しようとした工作。その草案は加瀬が起草していた。


皇族内閣こうぞくないかく構想

 皇族を首班とする内閣によって陸軍の主戦派を抑え、一気に終戦の聖断へ持ち込もうとする構想。近衛は自らではなく高松宮を首班に擬する案を抱いていたとされる。


『深淵のうちより』(しんえんのうちより)

 オスカー・ワイルドが獄中で綴った手記(De Profundis、『獄中記』とも)。近衛が熱海で加瀬に借用を求めた。近衛の自決の枕頭には、加瀬が贈ったワイルドが読みさしのまま置かれていたという。


■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】


・会談の発端。昭和十九年十二月二十九日、加瀬の妻・壽満子が軽井沢から帰る汽車で近衛と乗り合わせ、近衛が重光外相との極秘会談の意向を漏らしたこと。これを聞いた加瀬がただちに重光と諮り、新春に熱海の大観荘(当時は中山鉄工所社長の空き別荘)を用いることを決め、憲兵の目を欺くため女性を同伴させたこと(加瀬俊一『慕情やみがたく』)。


・昭和二十年元旦に重光・加瀬・壽満子が大観荘に着き、翌二日に近衛が三井栄子・前田菊子・前田美意子を伴って合流し、三日まで滞在したこと。慰安旅行を装い、昼は芝生で歓談しつつ近衛・重光・加瀬の三人が時局収拾の密談を重ねたこと(加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、『日本外交の主役たち』、『慕情やみがたく』)。


・大晦日の夜、加瀬が松平邸で岡田啓介大将と会い、戦局は絶望であり残る問題は日本をいかに救うかにある、との判断で一致したこと。加瀬が除夜の鐘を聞きながら元旦の決意を日記に綴り、天皇制の維持を安定の柱とし、重臣・陸軍の同志・政財界・思想言論の識者の四方面に和平促進の同志を結ぶべしと記したこと(加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』)。


・密談の主題。絶望的な戦局認識(レイテ放棄、米軍のルソン北上、戦勢挽回は不可能、ドイツの敗色濃厚、ソ連のブダペスト占領)と近衛の三国同盟への慚愧、即時停戦講和への希求。重光の国会演説に和平の合図を忍ばせる工作(草案は加瀬起草)。小磯内閣の無策と、これに乗じた東條一派の政権奪回の動きへの警戒。高松宮を首班とする皇族内閣による終戦構想(加瀬俊一『日本外交の主役たち』、『慕情やみがたく』)。


・熱海会談の直前に松谷大佐が加瀬へ「ドイツが屈服したら剣を捨てて和を求めよと杉山陸相に直訴したい」と相談し、加瀬が「急がば回れで重臣・宮中方面を和平に誘導するほうが賢明だ」と制したこと。この松谷の訴えと加瀬の対応が近衛・重光にも報告され話題となったこと。重光が松谷を陸軍でただ一人の「真の男」と評していたこと(加瀬俊一『日本外交の主役たち』、伊藤隆・渡邊行男編『続 重光葵手記』)。


・夜の宴で近衛が「ギャング入湯の図」を色紙に描き、重光が似顔絵で応じ、菊子が学徒出陣の歌を口ずさんだこと。やがて座を虚しさが覆ったこと。近衛が牧水の歌「幾山河越えさり行かば寂しさのはてなむ国ぞ今日も旅ゆく」を色紙に書いたこと。近衛が苦しまず醜い死に顔を残さぬ自決法を話題にし、服毒で見当が一致し、栄子が「正月早々、縁起でもないわ」とたしなめたこと。近衛が加瀬にワイルド『深淵のうちより』の借用を求めたこと。重光の「ぼくたちは新日本の埋め草になるのだよ」の言葉。近衛が昭和二十年十二月十六日に服毒自殺し、その枕頭に加瀬が贈ったワイルドが読みさしのまま置かれていたこと(加瀬俊一『日本外交の主役たち』、『慕情やみがたく』、加瀬の回想)。


【創作部分】


・本話の前書き、本文の地の文(情景・心情描写)、および後書きの構成は創作です。史実の発言や経緯を踏まえつつ、当時の絶望と頽廃の入り混じった空気を、読者の没入のために組み直しています。会話の細部も創作です。


・牧水の歌は若山牧水(一八八五〜一九二八年、著作権保護期間満了)の作で、近衛が実際に色紙に書いたものです。


・大晦日に松谷が加瀬を訪ねた件は、前話(第七十九話「急がば回れ」)に基づく接続です。史実(松谷の直訴提案と加瀬の制止、それが近衛・重光に共有されたこと)を踏まえています。


■ 参考文献


加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1983年


加瀬俊一『日本外交の主役たち』文藝春秋、1974年


加瀬俊一『慕情やみがたく』文化出版局、1983年


加瀬俊一『ミズリー号への道程』文藝春秋新社、1951年


伊藤隆・渡邊行男編『続 重光葵手記』中央公論社、1988年


山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版新書、2015年



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