第79話「急がば回れ」
【前書き】(松谷誠より)
俺は松谷誠。陸軍大佐。
昭和十九年も、今日で終わる。
この十一月、俺は支那派遣軍から東京へ呼び戻された。杉山元陸軍大臣の、秘書官として。
負けを説いて南京へ追われた男が、半年で中央へ舞い戻ったのだ。
だが、舞い戻った帝都の空には、もう敵機が来ていた。
これは、省の壁を越えて同志が結ばれていく、その直前の物語だ。
焼け落ちる年の瀬に、俺が外務省の盟友へ、一つの捨て身の策を打ち明けた話でもある。
【本文】
話は、二月ほど前にさかのぼる。
九月、杉山大臣から秘書官にとの打診が来た。杉山さんは、俺が参謀本部にいた頃の参謀総長だった人だ。
正直、気が進まなかった。支那派遣軍の上司も俺自身も、一度は堅く断った。だが十月、中央から正式の命課が下った。
もう逃げられない。
俺は一ヶ月の延期を願い出て、急ぎ業務を片づけて帰国した。後任は軍事課長の西浦進。年来の親友で、先輩でもある男だった。
東京に着いたのは十一月の上旬だった。
着任の申告に出た俺へ、杉山大臣は思いがけぬことを言った。
「秘書官本来の仕事は、小林副官がよく心得ている。君はそれを彼に任せ、この戦局に大臣はどうすべきかをじっくり考えてくれ。そしてときどき、進言してもらいたい」
俺は息を呑んだ。
これは――戦争収拾だ。
そう、即座に頭にきた。重大なことだった。
負けを口にすれば国賊とされるこの国で、陸軍大臣を戦争の終結へ向けて動かせと言われているのだ。
一晩、考え抜いた。
そして腹を決めた。いかにこの戦を収拾するか。表には立たず、内側から大臣を補佐し、その方向へ戦争指導を運ばせる。
それを俺の使命とした。
なぜ杉山さんが悲観論者として追われた俺を選んだのか。それはしばらくして分かった。
あの人は参謀総長だった頃から、腹の底に戦争収拾の考えを抱いていた。それを今、実現しようとして意を同じくする補佐者を求めたのだ。
もう一つ。重光外相が、俺を中央の要職へ戻すよう強く求めていた。
外と内の和平への願いが、俺をこの椅子に座らせた。
*
椅子に座った俺はすぐに動いた。
参謀本部にいた頃から繋がっていた省の外の同志たちと、再び密に連絡を取りはじめた。
宮中の松平康昌さん。外務省の重光外相と、その秘書官の加瀬君。彼らと戦争収拾に関わる情報を交わし、その都度杉山大臣へ報告する。
それが、俺の日課になった。
陸軍の内側だけでは、世界は見えぬ。
俺は秘書官官舎へ省の外の知恵者たちを、一人ずつ招いた。企画院の毛里英於菟。慶応の武村忠雄。
外務省の都留重人。同盟通信の記者たち。政治、経済、思想。
陸軍では決して耳に入らぬ話を、彼らは運んできてくれた。
ただし用心は怠らなかった。
終戦に関わる書類は極力作らない。報告も連絡もできる限り口頭で済ませ、紙は相手に渡さない。
万一憲兵に嗅ぎつけられたときの覚悟も、胸の内に畳んでおいた。
師の酒井鎬次中将も訪ねた。
だが先生は空襲を避けて小田原へ疎開しておられた。近衛公らと何かを画策しているという噂もあり、しばらくは足が遠のいた。
*
そして、大晦日が来た。
暁方、敵機の音で俺は叩き起こされた。
暗い部屋で身を起こし、防空頭巾に手をかけた。だがその朝の編隊は、どこか遠くへ抜けていった。
帝都の正月は、もう安らかではない。
昼前――十一時を回った頃、警報が鳴った。
間もなく空襲警報。澄んだ冬空に、B29の編隊がいくつも姿を現した。九つ。
数えながら背筋が冷えた。
爆音が腹に響く。
ふと空の一角で、銀の機体がぐらりと傾いだ。味方の戦闘機が食らいついたのだ。
黒い煙を噴き、巨大な敵機がゆっくりと頭を下げて墜ちていく。
それを見上げて、誰かが喊声を上げた。
だが、俺の胸は晴れなかった。一機墜としたところで、押し寄せる波が止まるわけではない。
午後二時過ぎ、警報が解けた。
下町の方角――神田、本所、向島の空に、幾筋もの黒い煙が立ちのぼっていた。焦げた匂いが風に乗って届く。
昭和十九年の、最後の日だった。
*
その日の午後、俺は加瀬君を訪ねた。
加瀬君は明日からの旅支度の最中だった。重光外相と熱海へ発つのだという。近衛公も来るらしい。
通された部屋で、俺はずっと胸に畳んでいたものをついに口に出した。
「加瀬君。一つ、聞いてくれ」
「なんだ」
「ドイツは、もう長くない。あれが屈服したら――その機会に、日本も剣を捨てて、和を求めるべきだ。それを杉山大臣に、俺の口から直接訴えたい」
加瀬君の手が止まった。
「本気か」
「ああ。小磯内閣は何もせぬまま、月日ばかりが過ぎていく。レイテは捨て、ルソンに敵が迫っている。もう待てない」
加瀬君はしばらく俺を見つめ、それから静かに首を振った。
「気持ちは分かる。だが、急がば回れだ」
「回れ、と言うのか」
「軍部をはじめ、国内の情勢はまだ固まっていない。いま陸相に正面から直訴すれば、お前が潰されて終わりだ。それでは、元も子もない」
俺は奥歯を噛んだ。
「まずは重臣と宮中を、和平へ誘導する。外堀から静かに埋めていく。その方が確かで、賢明だ」
加瀬君はそこで、ふっと口元を緩めた。
「忠臣蔵と同じさ。芝居の見せ場は討ち入りだが、本当の勝負は山科の日々だよ。大石は遊び惚けて見せながら、支度を粒々と積み重ねた。我々も、それでいく」
正論だった。
捨て身の一突きより、遠回りの包囲。頭では分かっていた。
「明日、その第一歩を、熱海で踏む」
加瀬君は旅鞄に目を落として言った。
俺は窓の外を見た。煙の名残が、暮れていく空にまだ薄く尾を引いていた。
陸軍の俺と、外務省の加瀬君。やがてこの糸は、海軍へも繋がっていく。
だが、それを俺がまだ知らぬまま昭和十九年は暮れていった。
【後書き】(加瀬俊一より)
私は加瀬俊一。外務大臣秘書官。
あの大晦日、松谷が私を訪ねてきたとき、その顔には、隠しきれぬ焦りがありました。
無理もありません。あの男は職業軍人にしては珍しく、大局を見る目を持っているのです。
だからこそ、この国の負けが、誰よりも早く、はっきりと見えてしまうのですね。
杉山陸相に直訴したい――松谷の言葉は、捨て身でした。
ですが、私は止めました。急がば回れ、と。
陸軍の中枢で、たった一人、和平を唱える男です。正面から斬り込めば、たちまち主戦派に潰されます。
松谷を失えば、我々の工作そのものが根を断たれるのです。
私には、別の道筋が見えていました。
宮中、重臣、海軍。省の壁を越えて、和平を望む者は確かにいます。その者たちを糸で結び、静かに包囲を狭めていくのです。
表ではなく、裏から。
外務省の中に、この仕事を共にする者はいません。皆、行儀よく育った鉢植えの花です。私は野に育った質でしてね。泥をかぶるのは、苦になりません。
明日、私は重光さんと熱海へ発ちます。近衛公も来られます。そこで、局面打開の策を練るのです。
これが、その糸の、最初の一結びになるでしょう。
焼け跡の煙の下で、新しい年が明けようとしていました。
■ 人物紹介
松谷誠(まつたに・せい、1903年〜1998年) ※本話の前書き・本文の語り手
陸軍大佐。陸士三十五期。英米派で、陸軍中央では珍しい現実主義の戦略家。東條英機に早期講和を進言して南京へ左遷されたが、本話で杉山元陸相の秘書官として中央に復帰し、表に立たず内側から戦争収拾を図る黒子の工作をはじめる。一人称は地の文で「俺」。
加瀬俊一(かせ・としかず、1903年〜2004年) ※本話の後書きの語り手
外務大臣秘書官。重光葵外相の腹心で、英米通の俊敏な外交官。松谷とはロンドン以来の盟友。本話では、杉山陸相への直訴を望む松谷を「急がば回れ」と制し、重臣・宮中から和平へ誘導する道筋を説く。一人称は「私」。
杉山元(すぎやま・はじめ、1880年〜1945年)
陸軍大将、陸軍大臣。松谷が参謀本部にいた頃の参謀総長で、当時から腹中に戦争収拾の意図を抱いていた。それを実現するため、意を同じくする補佐者として松谷を秘書官に選んだ。
重光葵(しげみつ・まもる、1887年〜1957年)
外務大臣。和平派の中心人物で、松谷を中央の要職へ復帰させるよう強く求めた。本話の直後、近衛・加瀬とともに熱海で年頭の密談を行う。
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893年〜1957年)
内大臣秘書官長。宮中における和平派の連絡調整役。本話で松谷が情報を交わす相手の一人。
酒井鎬次(さかい・こうじ、1885年〜1973年)
予備役陸軍中将。松谷がかつて指導を受けた師。本話の頃は空襲を避けて小田原へ疎開しており、松谷との関係はしばらく疎遠になった。
西浦進(にしうら・すすむ、1901年〜1970年)
陸軍大佐、軍事課長。松谷の後任として支那派遣軍参謀に転じた、松谷の年来の親友であり先輩。
■ 用語集
陸軍大臣秘書官
陸軍大臣に直属し、その事務や連絡を補佐する役職。松谷の場合、杉山陸相の特命により、通常の秘書官業務を離れ、戦局に対する大局的な方針を考えて進言する役割を与えられた。
戦争収拾
戦争を終結させること。当時、軍内部で「負け」や「終戦」を口にすることはタブーであり、これを正面から唱えれば国賊と見なされかねなかった。松谷や加瀬の工作は、この語を表に出さずに進められた。
B29(ビーにじゅうきゅう)
アメリカ軍の大型爆撃機ボーイングB-29。高高度から日本本土を爆撃した。昭和十九年末から帝都への空襲が本格化し、大晦日にも編隊で来襲した。
急がば回れ(いそがばまわれ)
急ぐときほど、危険な近道よりも安全な回り道を選ぶべきだという戒め。加瀬は、陸相への直訴という捨て身の近道ではなく、重臣・宮中から和平へ誘導する遠回りこそ確実だと説いた。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・松谷誠が、参謀総長時代の縁から杉山元陸相に秘書官として打診され、一度は固辞したものの、昭和十九年十月の命課を経て一ヶ月の赴任延期ののち十一月上旬に着任したこと。後任が軍事課長の西浦進であったこと(松谷誠『私の終戦メモ』、松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。
・杉山陸相が松谷に「秘書官本来の仕事は小林副官に任せ、戦局に大臣はどうすべきかをじっくり考え、ときどき進言せよ」と指示し、松谷がこれを即座に「戦争収拾だな」と直感して、内面的工作で大臣を補佐することを使命と定めたこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。
・杉山が松谷を選んだ理由が、杉山自身が参謀総長時代から戦争収拾の意図を抱いていたことと、重光外相が松谷の中央復帰を要請したことの二点であると、松谷自身が推察していること(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。
・松谷が松平内大臣秘書官長・重光外相・加瀬秘書官と密接に連絡して情報を交換し、その都度杉山に報告していたこと。秘書官官舎に毛里英於菟・武村忠雄・都留重人・同盟通信の記者ら部外の有識者を招いて懇談したこと。終戦に関わる書類を極力残さず連絡を口頭で行う徹底した秘密保持を貫いたこと。師の酒井鎬次が小田原へ疎開し関係が疎遠になったこと(松谷の回想による)。
・昭和十九年十二月三十一日の東京空襲。暁方に空襲があったこと、昼前の十一時五十五分に警報、B29が九編隊で帝都を空襲したこと、味方戦闘機がB29を撃墜したこと、午後二時過ぎに警報が解除されたこと、神田・本所・向島など下町が被害を受けたこと、夜間の空襲はなかったこと(木戸幸一『木戸幸一日記』、矢部貞治日記、外務省編纂『終戦史録』)。なお木戸内大臣は皇居でB29の撃墜を目撃しています。
・熱海行きの直前に、松谷が加瀬へ「ドイツが屈服したらその機会に日本は剣を捨てて和を求めよ、と杉山陸相に直接訴えたいがどうか」と相談したこと。加瀬が「軍部をはじめ国内情勢がまだ固まっていないから、急がば回れで重臣・宮中方面を和平に誘導するほうが賢明だ」と制したこと(加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、加瀬俊一『日本外交の主役たち』)。
【創作部分】
・本話の前書き、本文の地の文(松谷の内心・情景描写)、および後書きの構成は創作です。史実の発言や経緯を踏まえつつ、当時の緊迫した空気や松谷・加瀬の心情を、読者の没入のために組み直しています。
・松谷が大晦日の空襲下に加瀬を訪ねるという場面の設定(日時の重ね方や訪問の情景)は創作です。両者のやり取りの骨子は史実に基づきます。加瀬の熱海行きが翌日であったことも史実です。
・松谷がB29の撃墜を見上げる描写は演出です。この日に味方戦闘機がB29を撃墜したことは史実ですが、それを松谷が目撃したという記録はありません。
・加瀬が工作を忠臣蔵の討ち入り前の日々になぞらえ、外務省の同僚を「鉢植えの花」、自らを野育ちと評する語り口は、加瀬自身の戦後の対談での述懐を踏まえた演出です。
・後書きで加瀬が宮中・重臣・海軍への連携を見通す叙述は、のちの工作の展開を踏まえた構成です。海軍(高木惣吉)との連携が松谷と直接結ばれるのは翌年一月であり、本話の時点では伏線にとどめています。
■ 参考文献
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
松谷誠『私の終戦メモ』松谷誠、1973年
加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1983年
加瀬俊一『日本外交の主役たち』文藝春秋、1974年
加瀬俊一・飯塚毅対談「八・一五終戦秘話」『バンガード』1983年9月号
木戸日記研究会編『木戸幸一日記 下巻』東京大学出版会、1966年
矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』読売新聞社、1974年
外務省編纂『日本の選択 第二次世界大戦 終戦史録 下』山手書房、1990年
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年




