表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第8章 小磯内閣の成立(昭和19(1944)年7月18日~)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
79/82

第78話「奇跡的な中央復帰――畑元帥の短刀」

【前書き】(松谷誠より)


 俺は松谷誠。陸軍大佐。


 この夏、東條閣下に負けを説いて南京へ追われた。戦争指導の中枢から、占領地の一参謀へ。世間はこれを左遷と呼ぶ。


 だが俺は悔やんではいなかった。市ヶ谷で俺が見ていた現実は、南京の空の下でも寸分変わらず正しかった。


 むしろ日に日に残酷なまでに、正しさを増していった。


 長江の濁った流れを眺めながら、俺は東京の同志たちを思った。重光さん、加瀬さん、松平閣下。あの人たちは、必ず動いている。


 これは、追われた幕僚が再び中央へ呼び戻される、その日までの話だ。


 そして一人の老元帥が俺の掌に一振りの刃を託した、忘れえぬ別れの話でもある。



【本文】


 昭和十九年(一九四四年)の秋。南京。


 俺は支那派遣軍の参謀として、大陸打通作戦――一号作戦の渦中にいた。


 中国大陸を南北に貫き、敵航空基地を覆滅し、仏印への陸路をこじ開ける。陸軍が乾坤一擲、最後の力を振り絞った大攻勢だった。


 総司令部の窓の外を長江がゆったりと流れていた。夏の名残の湿った熱気が軍服の襟にまとわりつく。揚子江特有の泥と水草の匂いがした。


 俺は辻政信大佐の後任として、この地に着任していた。総司令官は畑俊六元帥。


 俺がかつて関東軍特種演習の阻止や対米英戦反対の使者として東京へ走った、あの頃から仕えた最も尊敬する上官だった。


 七月、思いがけぬ報せが南京まで届いた。


 東條内閣の総辞職。


 あの強気の東條閣下がついに政権を投げ出した。サイパンの陥落が屋台骨を折ったのだ。


 総司令部の一室でそれを聞いたとき、俺はしばし言葉を失った。


 俺が市ヶ谷で「負ける」と口にして追われたのは、わずか半月前のことだ。その負けが、いまや誰の目にも覆い隠せぬ形で噴き出している。


 胸の内に勝ち誇る気持ちなど微塵もなかった。あるのは底冷えのするような虚しさだけだった。


 陸軍大臣には杉山元大将が就いたという。俺が戦争指導課で和平を説き、部内の物議をかもしたときの参謀総長その人だった。


 その後も戦は崩れ続けた。マリアナの島々が玉砕し、敵の刃は確実にフィリピンへ、本土へと迫っていた。


 俺は毎日のように作戦の図上に向かいながら、心の半分で別のことを考え続けていた。


 この戦を、どうやって終わらせるか。それだけが俺の本当の戦場だった。



 九月。東京から思いがけぬ打診が来た。


 杉山陸軍大臣の秘書官として中央へ帰還せよ――との内協議が、総司令部に届いたのだ。


 俺は即座に固辞した。


 一号作戦は、まだ進行の最中だ。受け持ちの仕事を放り出して戦場を離れるわけにはいかぬ。それは軍人の道に悖る。


 総司令官の畑元帥も、容易には首を縦に振られなかった。この大作戦の只中で、参謀を一人引き抜かれてはたまらぬというのだ。


 話は一度、立ち消えになった。


 その頃、一通の手紙が届いた。


 加瀬さんからだった。


 だが、文面は奇妙だった。


 検閲の目を欺くためだろう、まるで他愛のない時候の便りを装って、肝心のことは一つも、直には書かれていない。


『拝啓

 久闊を叙すべく、筆をとりました。


 そちらの長雨は、もう上がりましたか。当地は連日、結構な「晴れ舞台」ばかりです。役者は雁首を揃え、口上はいずれも立派なものです。ただ、肝心の芝居が、一向に幕を開けません。困ったものです。


 ところで貴方は、あの夜の約束を覚えておいででしょうか。築地の灯の下で交わした、あの杯のことです。あの御仁は、ああ見えて、約束を忘れぬ律儀な人です。


 古い塒が、そろそろ貴方を呼んでいます。長の旅の支度は、お早めに。


 草々』


 俺は、何度も読み返した。そして、加瀬さんが言葉の裏に隠した真意を、一つずつ掘り起こしていった。


「晴れ舞台」とは、あの最高戦争指導会議のことだろう。役者は揃い、口上は立派。六巨頭が居並び、もっともらしい議論を戦わせる。


 だが芝居が幕を開けぬとは、何一つ決まらぬ、ということ。会議が空回りを続けている。加瀬さんは、それを皮肉っているのだ。


「あの夜の約束」「築地の杯」――これは、紛れもない。南京へ発つ前夜、築地の離れで重光さんが言われた、あの一言だ。


――中央へは、必ずお呼び戻しする。


 あの御仁、すなわち重光さんは、その約束を忘れていない。加瀬さんは、そう報せている。


 そして「古い塒」「長の旅の支度」――これは、俺のことだ。


 近いうちに、俺は中央へ呼び戻される。早々に、その覚悟をしておけ、と。


 俺は、手紙を畳んだ。


 東京の同志たちが、俺を引き戻そうと水面下で糸を手繰っている。


 俺の胸に二つの思いがせめぎ合った。この戦場を見捨てたくはない。だが――終戦への本当の戦いは、この南京にはない。


 中央にこそある。


 十月。ついに陸軍中央部から正式の命課が下った。


 杉山陸軍大臣秘書官を命ず。


 命令とあれば、是非もない。軍人は命に従う。


 俺は一ヶ月の赴任延期を願い出た。せめて受け持ちの応急の業務を片付け、後任に引き継いでからでなければ立つに立てぬ。


 発つまでに、別れを告げておかねばならぬ人々がいた。



 南京を発つ数日前、俺は市長公署を訪ねた。


 国民政府南京市長、周学昌に別れを告げるためだった。


 周市長はかつて日本に留学したこともある親日家だ。


 俺が最初に南京の総司令部に勤めた頃――昭和十五年の夏から十八年の春にかけて、主に治安の問題でたびたび膝を交えて語り合った仲だった。


 公署の一室で、俺は離別の言葉を述べた。


 戦局は日に日に傾いている。早期の講和をどう運ぶか、俺の頭はそのことで張り裂けそうだった。きっと顔にも滲んでいたのだろう。


 周市長は俺の焦りを見透かしたように穏やかに口を開いた。


「松谷さん。あなたとこうして突然お別れするのは、真に残念です」


「私も同じ思いです」


「だが、情勢の悪化を決して悲観なさることはない」


 周市長の声は静かで揺るぎがなかった。


「私はこれまで、中国の動乱の中で幾度も運命の浮き沈みを味わってきました。遠く、深く世の中を見通せば――われわれに、また好い時代が必ずやってくる。そのとき再会することを楽しみにしましょう」


 俺ははっとした。


 俺は目の前の戦局にばかり気を取られ、今日明日の勝ち負けに焦り苦しんでいた。


 だが周市長は、十年、二十年――いや、五十年、百年の先を見据えている。


 動乱の大陸を生き抜いてきた、この老政治家の懐の深さに俺は深く敬服した。中国の大人の器は、我々日本人の比ではない。


 俺は深く頭を下げて公署を辞した。


――この再会の約束が永遠に果たされぬものになることを、このとき俺はまだ知らない。



 後任の西浦進大佐の着任は、大陸打通作戦のさなかで遅れに遅れた。そのため俺の発つ日も十一月の上旬まで延びた。


 その西浦さんがようやく南京に着いた。


 陸軍省の軍事課長を務めた、俺の年来の親友であり先輩でもある。陸士三十四期、恩賜の銀時計。


 理性と学識、そして視野の広さでは陸軍にこの人の右に出る者はいない。総力戦の研究所を立ち上げたのもこの人だった。


 総司令部の一室で、俺は引き継ぎの書類を広げた。一号作戦の現況、占領地の治安、山積した懸案。


 ひと通り説明を終えると、西浦さんは書類から顔を上げてふっと笑った。


「おかしなものだな、松谷」


「と、言いますと」


「お前は東條さんに盾突いてここへ飛ばされ、私は東條さんに近すぎて飛ばされた。正反対の理由で、同じ椅子を行ったり来たりしている」


 俺も苦笑するしかなかった。


 東條が倒れたあと、参謀総長になった梅津さんが東條の色のついた者を次々と中央から払っていた。


 東條の軍事課長だった西浦さんも、その渦に呑まれたのだ。


 東條に逆らった俺と、東條に仕えた西浦さん。水と油のはずの二人が、同じ南京の椅子ですれ違っている。


「西浦さん。中央はどうでした」


 俺が問うと、西浦さんの目から笑みが消えた。


「ひどいものだ」


 低い声だった。


「作戦課の若い連中が、机の上でこしらえた絵を、そのまま戦に移していく。船は底をつき、油も尽きかけている。国の力がもう続かぬ。それを誰も正面から言わぬ」


 西浦さんは総力戦の何たるかを誰よりも知る人だった。その人が言うのだ。間違いはない。


「戦の畳み方を本気で考えている者も、中央にはおらん。和平、和平と口では言う。だが具体の手を打つ者がいない。観念ばかりだ」


 俺は深く頷いた。これこそ、俺が市ヶ谷で声を限りに訴え、そして追われたそのものだった。


 去年の春、山王ホテルの一室で、俺は陸海軍の精鋭を前に戦局がもはや絶望であることを少しずつ悟らせようとした。


 あの危うい工作が成ったのも、その場に西浦さんという心を許せる人がいたからだった。


「松谷」


 西浦さんが俺をまっすぐに見た。


「中央でお前を待っているのは、針の筵だ。負けを口にする者を、誰もが許さぬ。だが――それを言える男は、お前しかおらん。やれ」


「西浦さん……」


「私のような者はここに残って、戦の後始末をする。だが、戦そのものを畳むのは、お前たちの仕事だ。お前が中央で何をやろうとしているか、私には分かっている。やり遂げろ」


 俺は深く頭を下げた。


 水と油の二人が、たった一つだけ同じものを見ていた。


 この戦は、もう終わらせるしかない――と。



 十一月の初め。南京を発つ前日の夕刻。


 俺は、総司令官の畑俊六元帥に別れの挨拶に伺った。


 総司令官室は、しんと静まり返っていた。窓から差す残照が、元帥の白くなった鬢を淡く照らしていた。


 畑元帥はしばらく黙って俺を見ておられた。それからゆっくりと口を開かれた。


「松谷。長い間、よう仕えてくれた」


「もったいないお言葉でございます」


「お前ほど、肚の据わった参謀はおらなんだ。関特演のときも、開戦の前も、お前は危ない橋を、顔色一つ変えずに渡った」


 元帥はふっと目を細められた。


「本来なら、この作戦が片付くまでは手放したくはなかった。だが、中央がお前を欲しがる理由も、わしには分かる」


 元帥は、しばし口を閉じられた。それから、声を低くして続けられた。


「軍人が負けを口にするのは、刃の上を歩くようなものだ。並の覚悟では、できぬ」


 元帥の声は静かだったが、芯があった。


「だが、お前の見立ては正しかった。いまとなっては、誰の目にも明らかだ。お前は、間違っておらん」


 胸の奥が熱くなった。


 俺が市ヶ谷で吐いた言葉を、追放の原因となったあの直言を、この老元帥は正しかったと言ってくださる。


「これを、持っていけ」


 元帥は卓の上に、白木の鞘に納まった一振りの短刀を静かに置かれた。


「お前がこれから戻る中央は、修羅の巷だ。負けの二文字を許さぬ空気が満ちておる。お前の身に、いつ何が起きても、おかしくはない」


「閣下……」


「身を守れ。むざむざ犬死にするな。お前のような男が、これからの日本には、どうしても要るのだ」


 元帥はまっすぐに俺を見据えられた。


「だが――いざというとき、この刃を抜く覚悟だけは持っておけ。お前が守ろうとしているのは、お前一個の命ではない。この国そのものだ」


 俺は両手を差し出し、短刀を押し頂いた。


 ずしりと重かった。白木の鞘が手のひらに冷たい。


 この一振りに、畑元帥のすべてが籠もっていた。俺の見てきたものを、誰よりも認めてくださった人。


 その人が、俺の行く先に待つ修羅を見抜いて刃を託してくださる。


 不覚にも、目の奥が滲んだ。


「畑元帥閣下。このご恩、生涯、忘れはいたしません」


「うむ。行け。そして――この国を、救ってくれ」


 俺は深々と敬礼した。



 翌十一月の朝。


 俺は南京を発った。


 長江の水面に朝靄が低く垂れこめていた。輸送機の窓から、遠ざかる大陸を見下ろす。四ヶ月暮らしたこの地に、俺は別れを告げた。


 懐には畑元帥から賜った短刀があった。鞘の白木の感触が、軍服越しに確かに伝わってくる。


 俺は中央へ帰る。


 重光さんが、加瀬さんが、松平閣下が待つ都へ。あの人たちと再び手を携え、この戦を終わらせるために。


 機体が雲を抜けると、冬の薄い陽が翼を白く照らした。


 これは新しい戦の始まりだった。市ヶ谷台で蒔いた種を、いよいよ刈り取りにかかる第一歩だった。



【後書き】(畑俊六より)


 わしは畑俊六。支那派遣軍の総司令官を務めておる。


 松谷を、東京へ帰した。


 惜しい男だ。あの男ほど肚の据わった参謀を、わしは知らぬ。手放すのは、断腸の思いだった。


 だが、中央がどうしてもあの男を要るという。わしは、その意味を薄々察しておった。


 この戦は、もう勝てぬ。


 総司令官たるわしが、口が裂けても言えぬことだ。いまこの時も、何十万の将兵が大陸の泥にまみれて戦っておる。


 その頭が弱音を吐けば、軍は瓦解する。


 だから、わしは言わぬ。言えぬ。


 そのわしに代わって負けを口にし、戦を畳む算段をする者が、中央に要る。松谷は、その役を担うために呼ばれたのだ。


 わしには、それが分かった。


 わしに言えぬことを、あの男になら言える。わしにできぬことを、あの男になら成せるかもしれぬ。


 だから、短刀を持たせた。


 あれは、ただの餞別ではない。わしが胸の奥に呑み込んだ一切が、あの白木の鞘に籠もっておる。


 あの男がいつか修羅の中で刃を抜くとき――それは、わしの代わりに抜く刃だ。


 松谷。むざむざ死ぬな。そして、わしにできなんだことを、成し遂げてくれ。


 長江の朝靄の彼方へ、一機の輸送機が小さくなって消えていった。


 わしは、いつまでもその空を見ておった。


■ 人物紹介


松谷誠(まつたに・せい、1903年〜1998年) ※本話の前書き・本文の語り手

 陸軍大佐。本作の主人公。東條への和平の意見具申により、この年七月、支那派遣軍参謀として南京へ左遷されていた。本話では、杉山陸相の秘書官として中央へ召還される。一号作戦の最中ゆえ一度は固辞するが、命課に従い、十一月上旬に南京を発つ。一人称は地の文で「俺」。


畑俊六(はた・しゅんろく、1879年〜1962年) ※本話の後書きの語り手

 元帥陸軍大将、支那派遣軍総司令官。松谷が最も尊敬する上官。関特演阻止や対米英戦反対の使者として松谷を重用した。東條の前任の陸軍大臣で、昭和十九年六月に元帥府に列せられた。本話では、南京を発つ松谷に短刀を贈り、その身を案じて激励する。後書きでは、この戦の敗北を見抜きながら総司令官の立場上それを口にできぬ胸中と、松谷に託した思いを語る。一人称は「わし」。のち第二総軍司令官として広島で被爆。


杉山元(すぎやま・はじめ、1880年〜1945年)

 元帥陸軍大将、陸軍大臣。松谷が参謀総長時代の上官。内心では早期和平に同意し、陛下の御意向を察して松谷に終戦研究を促していたが、主戦派の重圧に抗いきれず、表向きは徹底抗戦・一撃和平を唱えざるを得なかった。自らの本心を託せる補佐役として、松谷を秘書官に選んだ。本話では本人は登場せず、松谷を中央へ呼んだ存在として語られる。敗戦後の九月、自決する。


重光葵(しげみつ・まもる、1887年〜1957年)

 外務大臣。本話では言及のみ。南京時代からの松谷の旧知で、その正確な戦局情報を信頼し、陸軍を内部から和平へ動かすため松谷の中央復帰を強く軍中央に要請していた。


加瀬俊一(かせ・としかず、1903年〜2004年)

 外相秘書官。松谷とはロンドン勤務以来の盟友。本話では、回りくどい筆致で松谷の召還を予告する一通の手紙の主として登場する。


西浦進(にしうら・すすむ、1901年〜1970年)

 陸軍大佐、元陸軍省軍事課長。松谷の後任として支那派遣軍参謀に補される、年来の親友であり先輩。陸士三十四期恩賜の銀時計で、服部卓四郎・堀場一雄とともに「三十四期の三羽烏」と称された理性的・学究的な軍政家。フランス駐在の経験から総力戦研究所の創設を主導した。東條英機の秘書官・軍事課長として中枢を支えたが、東條失脚後、梅津美治郎参謀総長による東條派一掃の人事で中央を追われ、松谷と入れ替わる形で南京へ転出した。国力・兵站の限界を冷静に見抜き、作戦課の机上の作戦指導と終戦構想の欠如を批判していた。本話の西浦との会話は創作。


周学昌(しゅう・がくしょう、生年不詳〜1945年)

 汪兆銘を首班とする南京国民政府の南京市長。かつて日本に留学した親日家。松谷が最初に支那派遣軍に勤務した時期(昭和十五〜十八年)に、主に治安問題で親交を結んだ。本話では、離任の挨拶に訪れた松谷を、中国の動乱を生き抜いた者ならではの長い歴史的視野から力強く励ます。終戦直後、南京で武装集団に捕らえられ、命を落とした。


東條英機(とうじょう・ひでき、1884年〜1948年)

 陸軍大将、前内閣総理大臣。本話では言及のみ。七月、サイパン陥落の責任を負って内閣総辞職した。その報を松谷は南京で聞いた。


■ 用語集


支那派遣軍しなはけんぐん

 日中戦争のため中国大陸に展開した日本陸軍の総軍。総司令部は南京に置かれた。本話時の総司令官は畑俊六元帥。松谷は辻政信大佐の後任として、その参謀を務めていた。


大陸打通作戦・一号作戦たいりくだつうさくせん・いちごうさくせん

 昭和十九年に支那派遣軍が実施した大攻勢。中国大陸を南北に貫く縦貫鉄道を確保し、米空軍の航空基地を覆滅し、仏印への陸路連絡を打通することを狙った。表面上は戦果を挙げたが、太平洋方面の圧倒的な敗勢を覆す戦略的意義はすでに失われていた。松谷の中央復帰が遅れた一因。


命課めいか

 軍人に対する正式の補職・人事命令。打診や内協議の段階と異なり、命課が下れば、軍人はこれに従う義務を負う。松谷は一度は秘書官就任を固辞したが、十月の命課により、中央復帰が確定した。


元帥げんすい

 陸海軍大将のうち、特に功績顕著な者に与えられる称号。軍人の頂点とされ、生涯現役の武官として遇された。本話の畑俊六は前年六月に元帥府に列せられた、軍部内の絶対的長老である。


短刀たんとう

 本話の眼目となる品。畑元帥が、修羅の巷たる中央へ戻る松谷へ、護身と激励のしるしとして贈った一振り。史実では、松谷はこの短刀を、終戦時に命を狙われた際、軍刀とともに護身用として携行した。やがて使命を終えた松谷が、武装を解いて隠匿することになる。


長江(ちょうこう、揚子江)

 中国大陸を東西に貫く大河。南京は長江の下流域に位置する。本作で、松谷の南京勤務を象徴する風景としてしばしば登場する。


総力戦研究所そうりょくせんけんきゅうじょ

 近代戦が経済・思想・外交を含む「総力戦」へと変貌するなか、陸海軍と各省庁・民間の若手俊英を組織の壁を越えて交流させ、国防を論じさせるために、西浦進が中心となって設立した内閣直属の機関。昭和十六年夏には模擬内閣が「日米戦必敗」の結論を導き出した。


山王ホテル(さんのうホテル)

 東京・赤坂にあったホテル。本話では、昭和十九年春、松谷が陸海軍の精鋭を集めて極秘の作戦計画調整の会合を開き、戦局がもはや絶望であることを少しずつ悟らせようとした場として、西浦との会話の中で回想される。


■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】


・松谷誠が、昭和十九年六月の東條英機への和平の意見具申(ソ連を仲介とする対米英早期講和)が東條の激怒を買い、七月三日、支那派遣軍参謀として南京へ事実上左遷されたこと(山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』)。


・七月十八日、サイパン陥落の責任を負って東條内閣が総辞職したこと、松谷がその報を在南京の総司令部で聞き「全く驚いた」と回想したこと。後継の小磯内閣で杉山元が陸軍大臣に就任したこと(松谷誠『歴史の流れの間に』、山本智之『主戦か講和か』)。


・杉山元が、参謀総長時代に松谷の和平論を内心で支持し、陛下の早期講和の御意向を察して松谷に終戦方策を研究させていたこと、自らの本心を託す補佐役として松谷を秘書官に選んだこと。杉山が主戦派の重圧の中で、表向きは徹底抗戦・一撃和平を唱えざるを得ない板挟みにあったこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、山本智之『「聖断」の終戦史』)。


・重光葵外相が、陸軍を内部から和平へ動かすため、松谷の中央復帰を強く軍中央に要請していたこと。松谷の中央復帰が「主として重光の工作によって」実現したものと評されること(加瀬俊一『危機と決断 指導者はいかに対応したか』、加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、伊藤隆・渡邊行男編『続 重光葵手記』)。


・九月頃、松谷の大臣秘書官就任について支那派遣軍に内協議があったが、支那派遣軍の上司も松谷自身も堅く断ったこと。十月に陸軍中央部の命課があり、松谷が一ヶ月の赴任延期を願い出て応急業務を概了したこと。後任の支那派遣軍参謀が、年来の親友であり先輩でもある西浦進大佐であったこと(松谷誠『歴史の流れの間に』)。


・松谷の着任した支那派遣軍が大陸打通作戦を実施中であったこと、西浦進の赴任も遅れたことなどから、松谷が十一月上旬に陸相秘書官に着任したこと(山本智之『「聖断」の終戦史』)。


・南京の支那派遣軍総司令官が、松谷の最も尊敬する上官・畑俊六元帥であったこと。畑が松谷を、関特演阻止や対米英戦反対の使者として重用したこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』『私の終戦メモ』)。


・松谷が、終戦時(昭和二十年八月)に主戦派の将校らから命を狙われた際、「支那派遣参謀時代に畑元帥から頂戴した短刀」を、軍刀とともに護身用として携行したこと。のちに使命を終えた松谷が、無用な刃傷沙汰を避けるため武装を解き、刀剣類を疎開先に隠匿したこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。


・松谷が、最初の支那派遣軍勤務(昭和十五年夏〜十八年春)に、かつて日本に留学した親日家である国民政府南京市長・周学昌と、主に治安問題で親交を結んだこと。昭和十九年十月末、離任の挨拶に訪れた松谷を、周市長が「情勢の悪化は決して悲観することはない……遠く深く世の中を見通せば、われわれにまた好い時代が必ずくる」という長い歴史的視野から励まし、松谷がその器の大きさに深く感銘したこと。周市長が終戦直後、南京で武装集団に捕らえられ世を去ったこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。


・松谷の後任の支那派遣軍参謀が、年来の親友であり先輩でもある西浦進大佐であったこと。西浦が東條英機の秘書官・軍事課長を務めた中枢の軍政家で、東條失脚後、梅津美治郎参謀総長による東條派一掃の人事で南京へ転出したこと。西浦が陸士三十四期恩賜で「三十四期の三羽烏」の一人と称され、総力戦研究所の創設を主導し、国力・兵站の限界や作戦課の机上の作戦指導・終戦構想の欠如を冷静に批判していたこと(松谷誠『歴史の流れの間に』、山本智之『主戦か講和か』、西浦進『昭和戦争史の証言』)。


・昭和十九年春、松谷が山王ホテルで陸海軍の精鋭を集めた極秘会合を開き、軍事情勢がもはや絶望であることを徐々に悟らせようとしたこと(加瀬俊一『ミズリー号への道程』)。


【創作部分】


・松谷の一人称による心情や所感、南京の情景や五感の描写は創作です。


・畑元帥が南京を発つ松谷に短刀を贈り、護身と激励の言葉をかける場面は創作です。松谷が畑元帥から賜った短刀を終戦時に護身用として携行したことは史実ですが、その短刀がいつ・どのような場面で贈られたかを伝える史料はありません。本作では、最も尊敬する上官との別れの場面に、その後の松谷の運命を象徴する一品として配しました。


・周学昌との別れの場面の情景や室内の様子、松谷の内心の描写は創作です。周市長の励ましの言葉と二人の親交は史実です。再会の約束が果たされぬことを松谷が「まだ知らない」とする叙述は、周市長の悲劇的な最期(史実)を踏まえた演出です。


・西浦進との会話はすべて創作です。西浦が松谷を具体的にどう評していたかを示す直接の史料はありませんが、松谷が西浦を「年来の親友」と記していること、両者が極秘の終戦工作に関わったことから、双方向の信頼関係を推察して描きました。西浦の戦局観・国力批判・終戦構想の欠如への不満は、西浦自身の回想(前掲)に基づきます。「東條に逆らった松谷」と「東條に近すぎた西浦」が入れ替わったという皮肉は、両者の異動の史実を踏まえた構成です。


・松谷が一度は固辞した際の支那派遣軍の「上司」が誰であったかは史料上明らかではありませんが、登場人物の煩雑を避け、最終的に松谷の転出を了承した総司令官・畑俊六元帥として描きました。


・加瀬俊一からの暗号めかした手紙と、松谷がその真意を読み解く場面は創作です。加瀬と松谷がロンドン以来の盟友であったこと、重光が松谷に中央復帰を約していたこと(第六十二話「送別会」、史実では重光が中央復帰を要請したこと)を踏まえ、当時の検閲を慮った隠語めいた書簡として演出しました。「晴れ舞台」を最高戦争指導会議に、「築地の杯」を送別会での重光の約束に、「古い塒」を中央への帰還に擬えています。


・後書きの畑俊六による述懐は、畑がこの時期の戦局を冷静に見ていたという人物像を踏まえた創作です。畑が戦争の敗北を見抜きながら総司令官の立場上それを口にできなかった胸中、短刀に思いを託したという内面は、すべて創作です。


■ 参考文献


松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年


松谷誠『歴史の流れの間に 太平洋戦争の終戦指導私論』松谷誠、1979年


加瀬俊一『危機と決断 指導者はいかに対応したか』PHP研究所、1981年


加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1983年


伊藤隆・渡邊行男編『続 重光葵手記』中央公論社、1988年


山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年


西浦進『昭和戦争史の証言』原書房、1980年


山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版新書、2015年




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ