第81話「終戦四人組、ついに結成」
【前書き】(松谷誠より)
俺は松谷誠。陸軍大佐。杉山元陸相の秘書官だ。
昭和二十年、正月。
陸・外・宮中――俺の手の中で、三本の糸はすでに結ばれていた。だが、最後の一本だけが、ずっと閉ざされていた。
海軍。
その扉が、今日、開く。
俺はこれから、まだ顔も知らぬ海軍の智将と、畳の上で相まみえる。
一年あまり前、自分でも気づかぬうちに予感していた、その日が来たのだ。
これは、四つの糸がひとつに結ばれた日の話である。
【本文】
松平さんからの使いが来たのは、年が明けて間もなくのことだった。
千駄ヶ谷へ。例の、ご私邸へ。
俺は市電に揺られながら、一年あまり前の秋を思い返した。
あのとき俺は、加瀬君に連れられて初めてこの邸の門をくぐった。
福井県人会の縁を隠れ蓑に、軍機を半歩越えて戦局の真相を松平さんにお伝えするために。
数寄屋造りの門。墨書でただ一字、「松平」。
通された和室はあのときのままだった。檜の香り。微かな白檀。
床の間には「和」の一文字の掛け軸。春嶽公が愛されたという、一幅だ。
武力ではなく、合議で。幕末の名君が日本に遺した「和」の精神が、今日もこの座敷を静かに見守っていた。
そして、卓。
あの卓だった。一年あまり前、俺がここで「来年一杯」と告げた、その同じ卓。船の沈む趨勢から絶対国防圏の限界を俺は言い切った。
松平さんはただ「お預かりいたします」と応えられた。
その「来年」は、もう過ぎた。
座敷には、すでに加瀬君がいた。熱海から戻ったばかりだという。近衛公と重光さんとの年頭の密談の話を、後で聞かせてくれるだろう。
やがて松平さんが和服姿で現れた。黒紋付の羽織。胸元と背に、越前葵。
徳川一門にわずかしか許されぬ、別格の葵紋だ。
「松谷君。よくお越しくださった」
俺は深く頭を下げた。
席につくと、松平さんは声を落とし、わずかに笑われた。
「念のため申し上げておきますが――ぼくの家にも、どうやら盗聴器が仕掛けてあるらしいのです」
俺は息を呑んだ。
宮中の内大臣秘書官長の私邸にすら、聞き耳が立てられている。それが、この国の今だった。
だが松平さんは、事もなげに笑っておられた。
「憲兵には前から、引っ張るなら引っ張れと言ってあるのですがね。まあ、用心に越したことはありません」
「肝心の話は、声を落として。それでも危ういと思えば、次はまた別の場所で」
松平さんは穏やかに続けられた。
「これから私どもは、ひとつ所に長くは留まれませんね」
*
障子が静かに開いた。
「お連れいたしました」
書生の声に続いて、一人の海軍士官が座敷に入ってきた。
俺は立ち上がった。
海軍少将。背はさほど高くない。だが、その眼に俺は引き込まれた。
苦労の翳を底に沈めた、深い眼だった。ただの武人の眼ではない。何かもっと遠くを、もっと深くを見ている――思想家の眼だった。
「高木惣吉少将でいらっしゃる」
松平さんが静かに引き合わせてくださった。
「こちらが、松谷誠大佐。陸軍の――」
「存じております」
高木少将は低く言った。
「お噂は、かねがね。陸軍の中でただ一人、真っ直ぐに和を説いておられる方だと」
俺は畳の上に膝をつき、手を差し出した。
高木少将も膝をつき、その手を握った。
畳の上の、握手だった。
固く乾いた、海の男の手だった。
その瞬間、俺の胸の奥で何かが音を立てて繋がった。
陸軍の俺と、海軍のこの人。水と油と言われた両者が、今ひとつの座敷で手を握っている。
一年あまり前、俺は市ヶ谷の自室でぼんやりと夢想したことがあった。
いつか海軍の智将と、畳の上で握手を交わす日が来るのではないか、と。
その日が、来た。
「松谷です。お会いしたかった」
俺は言った。飾る言葉は出てこなかった。
「わたしも、です」
高木少将は、わずかに微笑んだ。
俺たちは卓を挟んで腰を下ろした。加瀬君がその横についた。
宮中の松平さん。陸軍の俺。海軍の高木少将。
外務省の加瀬君。
四人だった。
ふと、半年前の築地の夜が甦った。
南京へ発つ前の、送別の宴。あのとき重光さんは、まだ顔も知らぬ海軍の同志のために、一つだけ空の猪口を取って乾杯された。
その空の猪口に――今、酒を注ぐ人が俺の目の前に座っている。
卓の上の四つの猪口に、加瀬君が冷酒を満たした。
*
猪口を干すと、すぐに話は時局へ向かった。
口火を切ったのは高木少将だった。
「松谷大佐。率直に伺いたい。陸軍の本当のところは、どうなのです」
俺は答えた。
「中央はまだ本土決戦を捨てていません。ですが、現場の数字を直視できる者は、もう負けを知っている。問題はそれを口に出せぬことです」
高木少将は深く頷いた。
「海軍も同じです。米内大臣は一日も早く戦を止めたいと考えておられる。だが表立っては言えぬ」
「だから――」
加瀬君が口を挟んだ。
「だから、我々がいる。陸の本音、海の本音、外務省の見ている世界、宮中の空気。それをここで突き合わせる。互いの持つものを、洗いざらい出し合うのです」
加瀬君は猪口を置いて言った。
「いわば、情報の清算所だ」
高木少将が、ふとおかしそうに口元を緩めた。
「実は松谷大佐。わたしはこのところ陸軍の空気を探ろうと、あなたのご同期に何人かお会いしていました」
「同期、ですか」
「戦備課長の佐藤裕雄大佐。軍事課長の荒尾興功大佐。中国課長の晴気慶胤大佐」
俺は苦笑した。みな、士官学校三十五期の気心の知れた連中だった。
海軍の智将が、俺の知らぬところで俺の同期から陸軍を読もうとしていたのだ。
「遠回りをなさった。これからは、わたしに直に訊いてください」
「そうさせていただきます」
二人は笑った。
だが、加瀬君の表情はすぐに引き締まった。
「ただ――情報を交わすだけでは、足りません」
加瀬君は声を落とした。
「いまの最高戦争指導会議を、ご存じでしょう。上程される案件は、すべて両軍務局長――幹事の手元であらかじめ決まっている。首脳が集まっても、それを形だけ追認するだけだ。これでは、ただの低調な座談会です」
「幕僚に乗っ取られている」
俺は言った。
「そうです。あの幹事どもを抜きにして、首脳だけが本音で国の進路を決める。そういう場を作らねばならぬ。いわば、戦を終わらせるためのもう一つの内閣を」
座が静まった。
途方もないことだった。だが、それをやらねばこの戦は終わらない。
*
それまで静かに聞いておられた松平さんが、ゆっくりと口を開かれた。
「皆さま」
その声は低く、しかし揺るぎなかった。
「これより、私ども四人でひとつの務めを果たしてまいりましょう」
松平さんは、一人ずつ見回された。
「宮中は、僕が。木戸内大臣のお考えを、お預かりして運びます」
「陸軍は、松谷君。杉山陸相を」
「海軍は、高木さん。米内海相を」
「外務省と重臣は、加瀬君。重光外相を」
内・外・海・陸。
四つの省の四人の代表が、今、ひとつの卓で結ばれた。
「内・外・海・陸。この四人で、ひとつ」
松平さんは、わずかに微笑まれた。
「世に知られることは、まずないでしょうね。強いて名づけるなら――四人組、とでも申しましょうか」
四人組。
その四文字が、座敷に静かに刻まれた。
「ですが」
松平さんは、ふと声を一段低くされた。
「私どもがいくら情報を交わし、首脳を動かそうとも――最後の、ただ一つの拠りどころは、別にあります」
俺は息を詰めた。
「陛下です」
座敷に、その一語が静かに落ちた。
国民の側から和を唱えることはできぬ。主戦派がそれを許さぬ。
ならば上から――近衛公、岡田大将、木戸内大臣、そして最後は陛下の御決断によって、この戦を終わらせるほかない。
それが、俺たち四人の究極の目指すところだった。
まだ、遠い。あまりに、遠い。
だが今日、その遠い道の最初の一歩が、確かに踏み出された。
俺は、床の間の「和」の字をもう一度見た。
武力ではなく、合議で。
春嶽公の遺した一文字が、いまの俺たちに静かに頷いているように見えた。
四つの猪口が空になっていた。
加瀬君が、もう一度酒を満たした。
【後書き】(松平康昌より)
僕は松平康昌。内大臣秘書官長。
あの正月の、千駄ヶ谷の午後を、僕は生涯忘れることはありませんでした。
思い返せば、不思議な巡り合わせでした。
一年あまり前、あの同じ卓に、松谷君がただ一人お座りになり、「来年一杯」と低くお告げになった。
そのひと月後でしたか、同じ卓に、今度は高木少将がお座りになった。僕は少将に、初めて松谷君のお名前をお伝え申し上げた。
お二人は、まだ互いの顔をご存じなかった。けれども僕の卓の上で、見えざる一本の糸が、すでに結ばれていたのです。
そして半年前の、築地の夜。
松谷君の送別の宴で、重光外相が、まだ見ぬ海軍の同志のために、一つだけ空の猪口を取って乾杯された。
あの空の猪口を、僕はずっと覚えておりました。
その猪口が――あの正月、ついに満ちたのです。
四つの猪口が、ひとつの卓を囲みました。
僕がかつて高木少将にお約束した、その日が来たのです。
これより先、僕たちはひとつ所に長くは留まれませんでした。聞き耳は、宮中の奥にまで伸びておりましたから。
座敷を変え、料亭を変え、人目を忍んで、僕たちは糸を手繰り続けました。
楽な道ではありませんでした。
けれど、あの「和」の掛け軸の下で結ばれた四つの糸は、ついにほどけることがなかった。
春嶽公が遺された、武力ではなく合議でという、あの「和」の精神。
それが僕たちを終わりまで導いてくれたのだと――僕は今でも、そう信じております。
■ 人物紹介
松谷誠(まつたに・せい、1903年〜1998年) ※本話の前書き・本文の語り手
陸軍大佐、杉山元陸相の秘書官。陸士三十五期。英米派で、陸軍中央では珍しい現実主義の戦略家。主戦派に囲まれ四面楚歌の中で和平を模索してきたが、本話で松平の斡旋により海軍の高木惣吉と初めて顔を合わせ、ついに陸・海・外・宮の連環を得る。一人称は地の文で「俺」。
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893年〜1979年)
海軍少将。海兵四十三期。貧家に生まれ苦学して海軍大学校を首席で卒業した、思想家的風格をもつ海軍の智将。米内光政のブレーンで、井上成美次官の密命を受け終戦研究にあたっていた。本話で松谷と初対面し、肝胆相照らす仲となる。
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893年〜1957年) ※本話の後書きの語り手
侯爵、内大臣秘書官長。幕末の名君・松平春嶽の孫。木戸幸一内大臣の「女房役」として宮中の連絡調整を一手に担う。四人組の斡旋者にして要であり、千駄ヶ谷の自邸で四者の初会同を実現させた。一人称は「僕」、会話では「わたくし」を用いる。
加瀬俊一(かせ・としかず、1903年〜2004年)
外務大臣秘書官。重光葵外相の腹心で、英米通の俊敏な外交官。本話で四者の連携を「情報の清算所」と命名する。外務省と重臣・宮中を結ぶ連絡役を担う。
木戸幸一(きど・こういち、1889年〜1977年)
内大臣。昭和天皇の信任が篤い宮中側の最高責任者。早期講和の意向を抱き、松平に「和平の方式を内密に研究せよ」と命じていた。四人組では松平がその意向を代表する。本話では名のみ言及。
■ 用語集
終戦四人組
内大臣秘書官長・松平康昌(宮中)、陸軍大佐・松谷誠(陸軍)、海軍少将・高木惣吉(海軍)、外相秘書官・加瀬俊一(外務省・重臣)の四者連携。昭和二十年一月、松平の斡旋で結成された。各々が内大臣・陸相・海相・外相の意向を代表し、省庁の壁を越えて終戦工作を進めた。
情報清算所
加瀬俊一が四人組の機能を呼んだ言葉。各省トップの意向と機微な情報を持ち寄って突き合わせ、首脳間の行き違いを補佐者間で調整した。空骸化した最高戦争指導会議に代わる、裏の事務局として働いた。
最高戦争指導会議
国家の最高方針を協議する会議体。だが上程案件は両軍務局長ら「幹事」の手元であらかじめ決まり、首脳はこれを形式的に追認するだけの「低調な座談会」に陥っていた。四人組は、幹事を排した構成員だけの実質的な首脳会談の実現を目指した。
越前葵/「和」の掛け軸
越前葵は、徳川家康の次男・結城秀康を祖とする越前松平家にのみ許された別格の葵紋で、松平康昌の羽織に配される。「和」の掛け軸は祖父・松平春嶽の遺墨で、武力ではなく合議で進路を切り開く「和」の精神を象徴し、四人組結成の場を見守る。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・昭和二十年一月、松平康昌内大臣秘書官長の斡旋により、松谷誠・高木惣吉・加瀬俊一・松平の四名が連携を始めたこと。松谷と高木がこのとき初めて顔を合わせ、意気投合して肝胆相照らす仲となったこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、川越重男『救国・聖断の史』)。
・四人の役割分担。宮中は松平(木戸内大臣を代表)、陸軍は松谷(杉山陸相)、海軍は高木(米内海相)、外務省と重臣は加瀬(重光外相)が代表したこと(加瀬の対談・回想による)。
・四人組が「情報清算所」として機能し、首脳間(陸海相間・総理外相間など)の行き違いを補佐者間で埋めて了解を取り付けたこと。加瀬がこの会合を「情報清算所」と呼んだこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、加瀬俊一『ミズリー号への道程』)。
・当時の最高戦争指導会議が、両軍務局長ら幹事に上程案件を握られ、首脳はこれを形式的に採択するだけの「低調な座談会」になりがちだったこと。四人組がこの弊を改め、幹事を排した構成員のみの首脳会談(戦時内閣のようなもの)の創設を唱えたこと(加瀬俊一『日本外交の主役たち』、『加瀬俊一回想録 下』)。
・国民の側からの和平が不可能なため、近衛・岡田・木戸ら高位の少数に働きかけ、最後の拠りどころを天皇に求めようとしたこと(加瀬俊一『ミズリー号への道程』)。
・高木が陸軍中堅の空気を探るため、松谷の陸士同期である佐藤裕雄(戦備課長)・荒尾興功(軍事課長)・晴気慶胤(中国課長)らと接触を保っていたこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。重光葵が松谷を、陸軍でただ一人、真に国家の将来を案じた「真の男」と評していたこと(伊藤隆・渡邊行男編『続 重光葵手記』)。
【創作部分】
・本話の前書き、本文の地の文(情景・心情描写)、および後書きの構成は創作です。会話の細部も創作で、史実に残る相互評価や役割の趣旨を一場に凝縮しています。
・初会合を千駄ヶ谷の松平邸に置き、畳の上で握手を交わす場面とした設定は創作です。会合の正確な日付・場所の記録は残りませんが、既刊(松谷が松平邸を初訪問し「来年一杯」と告げた回、松平が高木に松谷の名を伝えた回、築地の送別会で重光が空の猪口を掲げた回)の布石と整合させ、松谷自身が「畳の上で握手を交わす日」を予感していた叙述を成就させる形にしました。盗聴器の件は、以後の会合場所が転々とせざるを得なかったことへの伏線です。松平が憲兵に「引っ張るなら引っ張れ」と応じたという逸話は史実(東條内閣期に赤松秘書官へ言い放ったもの)ですが、それを本話の場で松谷たちに語るという場面は創作です。松平の「ぼく(僕)」の一人称と飄々とした話しぶりは、戦後の対談に残る松平自身の語り口を踏まえています。
・四人組が「運営委員会」として本格的に機能するのは、昭和二十年五月の最高戦争指導会議構成員会議(六巨頭会談)の成立以降です。一月の結成時点では、その志と方向性を示す段階として描いています。「陛下の御決断(聖断)」も、この時点では究極の目標として示し、具体策は後の回に委ねます。
■ 参考文献
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
加瀬俊一『ミズリー号への道程』文藝春秋新社、1951年
加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1983年
加瀬俊一『日本外交の主役たち』文藝春秋、1974年
川越重男『救国・聖断の史』人吉中央出版社、2003年
伊藤隆・渡邊行男編『続 重光葵手記』中央公論社、1988年
吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』新潮社、1984年
矢次一夫『天皇・嵐の中の五十年 矢次一夫対談集1』原書房、1981年
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年




