第73話「小磯内閣成立(2/4)――仲間外れの総理大臣」
【前書き】(橋本正勝より)
俺は陸軍少佐、橋本正勝。参謀本部第一部、戦争指導班の班員だ。
七月十八日に東條内閣が倒れた。俺たち戦争指導班が二年越しに願ってきたことが、ついに起きた。
喜んでよかったはずだ。だが市ヶ谷台の空気は重い。
倒れた当人を惜しむのではない。陸軍という巨きな体が政変の衝撃に身構え、慌てて表の戸を閉めようとしている。
その軋みが廊下の隅々まで満ちていた。
空いた椅子が二つあった。陸軍大臣と参謀総長。
この二つに誰が座るか。そこに東條という人が最後の最後まで自分の影を残そうとし、そして思いがけない男がその影を払った。
後宮閣下の総長案がなぜ潰えたか。富永次官がなぜ涙ながらに、一度上げた内奏の取り消しを願い出たか。
杉山元帥がなぜ引っ張り出されたか。
市ヶ谷の内側から見た、あの数日の話だ。
【本文】
七月十八日。俺は班の日誌に、その日の発令を書きつけていた。
参謀総長、梅津美治郎大将。教育総監、杉山元元帥。関東軍司令官、山田乙三大将。
墨が乾かないうちに、種村班長が背後から覗き込んだ。
「梅津さんが今日の一時に新京を発たれた。夕刻には市ヶ谷へ入られる」
班長――種村佐孝大佐は、戦争指導班をまとめる人だ。声は低く、いつも半分は独り言のように喋る。
「妙な数日でした」
俺は筆を置いた。
「総長の椅子ひとつで、これだけ揉むとは」
「揉ませたのは東條閣下だよ」
班長は椅子を引いて腰を下ろした。
「あの方は総長を譲っても、まだ手綱を放したくなかった」
「十四日の晩でしたね」
俺は記憶をたどった。
「閣下が後宮次長を総長にと内奏された」
「上の空気が、総理と陸相から総長を切り離せと言っている。それを察してのことだ。専任の総長を立てよ――陛下のお望みはそこにある。ならば形だけでも分ければいい。腹心の後宮中将を据えれば、中身は東條閣下の意のままだ。そういう肚さ」
「部内が黙っていなかった」
「大反対だよ」
班長は苦笑した。
「いちばん声を上げたのが、よりにもよって富永次官だ。閣下の懐刀のはずの男が、十五日は朝から晩まで大臣室に詰めた。声を荒らげ、しまいには目を潤ませて、考え直してくださいと食い下がったそうだ」
「で、後宮案は引っ込んだ」
「十七日にな。後宮中将の内奏を取り下げて、関東軍の梅津大将を改めて総長に立て直した」
班長は天井を見上げた。
「俺は新総長を新京まで迎えに行くはずだった。大本営の飛行機で発つ手筈まで組んだ。それが夜になって、梅津大将ご自身が十八日に上京すると電報を打ってこられた。出迎えは取り止めだ」
「総長は梅津さんで定まった。だが大臣の椅子が残っていた」
俺は新しい紙を繰った。
「閣下はそちらに居座るおつもりだった」
「二十日の夕方だ」
班長の声が一段低くなった。
「大臣官邸に三長官が集まった。東條閣下、梅津総長、それに数日前、教育総監になったばかりの杉山元帥。次の陸相を誰にするか、その一点を詰めた」
「閣下はご自分が残ると」
「そのつもりだった。だが大臣を決める鍵は、新総長の一言にあった。梅津大将は――」
班長はそこで間を置いた。
「この際、東條閣下が留任されるのは適当でない。杉山元帥に願うより外はない。そして東條閣下は現役を去られるべきだ。そう言い切った」
俺は筆を止めた。
「着任して二日で、ですか」
「二日でだ。急転直下とは、ああいうことを言う」
班長は低く笑った。
「梅津という人は人事に思い切ったことをする。能面のような顔で、いちばん重い石を、いちばん静かに動かす」
「杉山元帥は受けられたんですか」
「受けるより外はなかったろう。教育総監に座ったばかりの椅子を立って、今度は大臣だ」
班長は息を吐いた。
「ご本人が望んだ椅子じゃない。東條閣下を退かせるための椅子だよ。梅津大将がそう仕向け、杉山元帥がそれを呑んだ」
「そもそも、なぜ閣下は倒れたんでしょうね」
俺は声を落とした。
「あれだけの権を握っていた人が」
「つくづく運の悪い人だよ」
班長は煙草に火をつけた。
「世間は独裁者と呼んだ。だが独裁者にいちばん要る力を、ひとつだけ欠いていた。海軍だ。事、海軍に関しては、作戦も軍政も指一本触れられなかった。陸と海でもめれば、話を大臣のところへ持っていくのを陸軍省の下僚はいやがった。閣下のところへ行けば、文句なしに陸軍の負けと決まっていたからな」
「それが倒閣に、どう繋がるんです」
「総長になって、その箍が外れた」
班長は煙を吐いた。
「サイパンの跡始末で、海軍のやろうとしたことを参謀総長の権で抑えにかかった。あれが内閣瓦解の直接の引き金だ。長いこと陸軍を縛ってきた人が、最後は海軍を抑えにいって自分の足元を崩した。皮肉なものさ」
俺は日誌に目を落とした。
東條という人が四年前の今日、陸相に決まった。その同じ日付で東條は陸相の椅子を失った。
因縁だ、と班長は言った。だが俺は、そうは思わなかった。
因縁ではない。倒れるべきものが倒れただけだ。
ただ――倒したのが、俺たちの願った清新な手ではなく、梅津という底の知れぬ男の冷たい一手であったこと。
それが俺には少しばかり怖かった。
*
数日して、田中中佐がまた宮中の筋を拾ってきた。田中敬二という、情報の機微に通じた男だ。
「後宮案が消えた、本当の理由ですよ」
中佐は声をひそめた。
「部内の反対だけじゃない。陛下が暗にお望みを示された。もっと大物を出せ――と。それで後宮中将では釣り合わないとなり、梅津大将に決まったんです」
「陛下が梅津さんを」
「名指しではない。だが大物をと言われれば、関東軍を四年抑えてきた梅津大将より外にいない。陛下のお眼鏡にちゃんと適っている」
梅津大将の着任は、拍子抜けするほど静かだった。
新京から飛行機で降り、その足で市ヶ谷の総長室に入られた。俺は廊下で一度すれ違っただけだ。
中背の痩せた人だった。顔に何の表情もない。
怒っているのでも笑っているのでもない。ただ、こちらの肚の底まで見透かすような平らな目をしていた。
能面、と誰かが言った。言い得て妙だと思った。
総長室の机の上には、停年名簿が一冊置いてあるきりだった。将校の序列を記した、ただの名簿だ。
それ以外は何もない。塵ひとつなく片づいている。
暇さえあれば名簿を繰って、人事の刷新を考えている。そう聞いた。
後にこの人は着任して四月で、寺内元帥ひとりを残して全軍の軍司令官を入れ替える。だがそれはまだ先の話だ。
その能面の奥に何があるのか。俺がそれを知ったのは、ずっと後のことだ。
梅津大将は総長を引き受ける直前――まだ新京にいた七月十七日、関東軍の参謀副長だった池田純久という人に、思いがけない本音を漏らしていた。
「自分は対米戦に初めから反対だった。だから総長になるのは本意ではない。戦はもうこちらに利がない。今さら総長として打つ手もないだろう。何とか辞退できないものか」
そして、こうも言ったという。
「戦局はこちらに不利だ。この戦をなるべく早く終わらせる必要がある。それには外交その他の手を打たねばならない」
俺がこれを知ったとき、胸を衝かれた。
市ヶ谷の奥で、たった数人で、この戦の畳み方を案じてきた俺たちの願い。それがよもや、陸軍のいちばん上に座った人と同じだったとは。
能面の奥には、俺たちと同じ火が灯っていた。ただし、その火を誰にも見せない人だった。
あの頃、俺たちの日誌は荒れていた。
サイパンが玉砕した。
七月十八日、その大本営発表と総理の談話が出た日、俺は日誌にこう書きつけた。
玉砕した将兵に報いる唯一の道は、統帥部らしい統帥部となること。
速やかに敵を滅ぼす戦策を立て、サイパンの放棄を意義あるものにするより外に道はない。
そして最後に一行。国民の怒りに対し、統帥部の責任はいかに。
米内大将が現役に復帰して海相に就いた日には、班の誰かがこう書いた。六十五歳の老骨の出馬を俟たねば、海軍に人はいないのか――と。
皮肉だ。海軍が良識の重鎮を担ぎ出したのを、市ヶ谷は冷たく見ていた。
だが俺は、その一行を消さずに残した。海軍があの人を引っ張り出した意味を、いつか陸軍も思い知る。そんな気がしたからだ。
七月二十二日。陸軍ははっきりと態度を通報した。
海軍が在郷の者を現役に戻すことがあっても、陸軍にその例を当てはめることには、三長官そろって不同意である。
総理やその他の閣僚を大本営に列することにも、同意できない。
政略と戦略の繋がりは、いまある大本営政府連絡会議で十分に律せられる――と。
「小磯さんへの釘ですね」
俺は言った。
「現役に戻りたい、大本営に入りたい。あの新総理の望みはことごとく断られた」
班長は宙を見た。
「陸軍は表の戸を閉めた。新しい総理を、外に立たせたままにしてな」
同じ日、東條大将の予備役編入が発令された。
総理であった頃は、本来なら現役ではいられない身が、陸相の資格で特に現役に列せられていた。
その陸相を退いた以上、予備役に入るのは当然だった。
あれほど大きく見えた人が、紙一枚でただの予備役の軍人に戻った。
陸軍は戸を閉めた。表向きは何ひとつ変わらないように見えた。
主戦を唱える声は、まだ廊下に満ちている。だが、いちばん上に座った二人――杉山元帥と梅津大将。
とりわけ梅津という能面の奥には、俺たちと同じ火があった。表の戸は閉じても、奥の一室の灯は消えていない。
俺はそう信じることにした。
ふと、松谷大佐のことを思った。俺がかつて仕えた、前の班長だ。
この戦の畳み方を、誰よりも早く案じていた人。東條閣下に早期の和平を説いて疎まれ、今年の七月の初め、南京へ飛ばされた。
あの人がここにいたら、梅津大将の着任を見て何と言っただろう。能面の奥を、あの人なら一目で見抜いたかもしれない。
市ヶ谷の夏はまだ暑い。俺は日誌を閉じ、北向きの窓から灰色の空を見上げた。
【後書き】(松平康昌より)
僕は松平康昌。内大臣秘書官長を務めている。
市ヶ谷の戸が閉まる音は、宮中にもよく届いていた。
陛下が長らくお望みだったのは、二つだ。総理と陸相から参謀総長を切り離すこと。そして嶋田大将に握られた海軍を、改めること。
陸軍については、まず半分が叶った。
専任の総長が立ち、それも陛下が「もっと大物を」とお望みになった、そのお言葉どおりの梅津大将だ。
後宮中将では、釣り合わなかったのだろう。
橋本少佐の見た梅津大将という人を、僕も宮中の側から幾度か遠目に見かけた。
あの平らな能面の奥が何を考えているのか、正直、僕にも読めない。
次の政権をねらう底意がある――そんな辛口の評も、後に海軍の高木さんあたりから耳にした。
けれども、だ。この戦をどう畳むかという、ただ一点。
市ヶ谷の奥にいる橋本少佐たちと、陸軍のいちばん上に座った梅津大将とが、同じ火を抱いていたのだとしたら。
それは暗い報せばかりの中で、わずかに灯る希みだった。
陸軍の椅子は、ひとまず埋まった。残るは海軍と外務だ。
米内大将を現役に戻すための、目に見えない戦いがまだ続いている。重光さんが外相の椅子で、何を握ろうとしているのか。
次は海軍の眼で、高木さんが、その目で見た米内復帰の顛末を話してくれる。
■ 人物紹介
橋本正勝 ※本話の前書き・本文の語り手
陸軍少佐、参謀本部第一部戦争指導班の班員。前班長の松谷誠の下で、早期和平を模索してきた数少ない一人。本話では後宮総長案の頓挫から梅津の総長着任、杉山の陸相就任までの陸軍人事を、市ヶ谷の内側から見守り、班の日誌に書き留める。
種村佐孝(たねむら・すえたか、1904年〜1966年)
陸軍大佐、戦争指導班長。橋本の上司。後に回想録『大本営機密日誌』を著す。本話では新総長の出迎えや三長官会談の経緯を橋本に語る、市ヶ谷内部の証言者。
田中敬二
陸軍中佐。情報の機微に通じ、橋本一人では届かない宮中・海軍の動きを班に運ぶ。後宮案を退けた天皇の意向や、米内の海相就任の情報を伝える。
梅津美治郎(うめづ・よしじろう、1882年〜1949年)
陸軍大将。関東軍司令官を四年務めた後、本話で参謀総長に就任。能面のような無表情で知られ、机上に停年名簿一冊を置いて人事を握る。就任直前に池田純久へ「対米戦に当初から反対」「早く戦争を終結する必要がある」と本音を漏らした、複雑な人物。
杉山元(すぎやま・はじめ、1880年〜1945年)
元帥陸軍大将。前参謀総長。本話の直前に教育総監となり、三長官会談を経て陸軍大臣に就任。人事と発言を後輩の梅津に委ね、「梅津・杉山のコンビ」と呼ばれる関係を築く。
後宮淳(うしろく・じゅん、1884年〜1973年)
陸軍大将、参謀次長(高級次長)。東條が後任総長にすえようとしたが、部内の反対と天皇の意向で実現せず。陸士十七期で、東條とは同期。
富永恭次(とみなが・きょうじ、1892年〜1960年)
陸軍中将、陸軍次官。東條の腹心とされたが、後宮総長案には終日反対し、翻意を求めた。
東條英機(とうじょう・ひでき、1884年〜1948年)
陸軍大将、前首相・前陸相・前参謀総長。総長を退いた後も陸相に留まろうとしたが、梅津に退けられ、予備役に編入された。
米内光政(よない・みつまさ、1880年〜1948年)
予備役海軍大将、元首相。本話では現役に復帰して海軍大臣に就任。陸軍はその復帰を冷ややかに見ていた(その攻防は第74話で描きます)。
松谷誠(まつたに・せい、1903年〜1998年)
陸軍大佐、橋本の前任の戦争指導班長。早期和平を東條に説いて疎まれ、本話の少し前に南京へ転出した。本話では橋本の回想の中に登場する。
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893年〜1957年) ※本話の後書きの語り手
内大臣秘書官長。宮中の側から陸軍人事の落着を見つめ、海軍・外務の人事へと話をつなぐ。
■ 用語集
参謀総長
陸軍の作戦・用兵を統括する参謀本部の長。天皇の統帥を直接輔佐する。東條は首相・陸相と兼任していたが、専任の総長を立てるべきだとの声が強まり、本話で梅津に引き継がれた。
陸軍三長官
陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三者。陸軍上級幹部の人事は、最終決定権を持つ陸軍大臣を中心に、この三者が話し合って決めた。
教育総監
陸軍の教育を統括する長で、陸軍大臣・参謀総長と並ぶ三長官の一つ。杉山は本話で一度この職に就いた後、陸軍大臣に転じた。
内奏
大臣や統帥部の長などが、正式な決定や発令の前に、天皇へ内々に案を奏上すること。本話では、東條が後宮を総長とする案を内奏し、後にこれを取り下げた。
停年名簿
正しくは陸軍現役将校同相当官実役停年名簿。各階級で進級に必要な最小限の勤務年数に沿って、将校の序列を記した名簿。梅津はこれを手元に置いて人事を考えた。
予備役編入
現役を離れ、待機の身分である予備役に移ること。東條は陸相の資格で特に現役に列せられていたため、陸相を退いて予備役に編入され、現役復帰の道が断たれた。
大本営政府連絡会議
統帥(大本営)と国務(政府)の連絡調整のために設けられた会議。陸軍は、総理らを大本営に列するのではなく、この会議で政略と戦略を律すれば足りるとした。
■ 史実と創作について
【史実に基づく部分】
・昭和十九年七月十四日の夕、東條英機が参謀総長から退くにあたり、後任に高級次長の後宮淳をすえようと内奏したこと。これに部内から大反対が起き、富永恭次陸軍次官が七月十五日は終日、東條に対し翻意を意見具申したこと(種村佐孝『大本営機密日誌』、軍事史学会編『機密戦争日誌 下』)。
・七月十七日、後宮を総長とする内奏を変更し、関東軍司令官の梅津美治郎を総長として改めて内奏したこと。種村大佐が新総長を新京まで出迎えに渡満する手筈であったが、梅津が十八日に自ら上京する旨を電報で伝えたため取り止めになったこと(軍事史学会編『機密戦争日誌 下』)。
・後宮案が退けられた背景に、天皇が暗に「もっと大物を出せ」との意向を示したことがあり、それによって参謀総長が梅津に決したこと(寺崎英成ほか編『昭和天皇独白録』)。
・七月十八日に参謀総長梅津、教育総監杉山元、関東軍司令官山田乙三が発令されたこと。梅津が同日十三時に新京を発って上京したこと。同日、サイパン島玉砕の大本営発表と総理談話が出され、戦争指導班の日誌に「玉砕せる将兵に報ゆる唯一の道は統帥部らしき統帥部となるにあり、国民の怒りに対し統帥部の責任如何」との所感が記されたこと(軍事史学会編『機密戦争日誌 下』)。
・班長の種村が、東條の権力の構造的な弱点を「事、海軍に関する限り、作戦・軍政の両面にわたり指一本も触れられず、御機嫌取りに終始した」と見ていたこと、そして東條が参謀総長としてサイパン戦の跡始末で海軍のやろうとしたことを抑えたことが、内閣瓦解の直接の動機になったと記していること(種村佐孝『大本営機密日誌』)。
・東條が参謀総長を辞しても陸相には留任するつもりであったところ、七月二十日夕刻の東條・梅津・杉山の三長官会談で、梅津が「この際東條大将が留任することは適当でない、杉山元帥になってもらうより外はない、東條大将は現役を去るべきである」と主張し、急転直下で陸相が杉山元帥になったこと。班長の種村が「梅津大将は、なかなか人事に思い切ったことをする人であった」と述懐していること(種村佐孝『大本営機密日誌』)。
・梅津が参謀総長就任の直前、七月十七日に関東軍参謀副長の池田純久に対し、「自分は対米戦に当初から反対であった、総長就任は本意でない、戦は我に不利で今さら施す術もない、辞退できぬか」「この戦をなるべく早く終結する必要がある、それには外交その他の手を打たねばならぬ」と本音を語ったこと(外務省編纂『終戦史録 1』)。
・梅津総長の机上には停年名簿が一冊置いてあるきりで、暇あるごとに名簿を繰って人事の刷新を考えていたこと、着任以来およそ四ヶ月で寺内元帥を除く全軍の軍司令官が更迭されたこと、杉山陸相が人事を後輩の梅津に委ねる「梅津人事」「梅津・杉山のコンビ」が現れたこと(種村佐孝『大本営機密日誌』、山本智之『主戦か講和か』)。
・七月二十二日、陸軍三長官が「海軍が在郷者を現役に列することがあっても陸軍はこの例を適用しない、総理その他の閣僚を大本営に列することには同意できない」と態度を通報し、杉山元大将を陸相候補に推薦したこと。同日、小磯内閣が成立し、東條英機の予備役編入が発令され、小磯の現役復帰の希望が消えたこと。機密戦争日誌に、米内光政の海相就任を「六十五才の老骨の出馬を俟たざれば海軍に人なきか」と皮肉る班員の所感が記されたこと(種村佐孝『大本営機密日誌』、軍事史学会編『機密戦争日誌 下』)。
【創作部分】
・語り手・橋本正勝の一人称による心情と所感、および各場面の五感の描写(北向きの班室の薄暗さ、梅津の平らな目を「能面」と捉える感覚、市ヶ谷の夏の暑さなど)は、すべて創作です。
・後宮総長案をめぐる種村班長の語り、田中中佐が宮中・海軍の情報を運ぶ場面の会話は創作です。富永次官が「目を潤ませて」食い下がったという描写は、終日翻意を求めたという史実に基づく演出で、富永が落涙したという記録があるわけではありません。
・梅津の本音や陸軍人事の機微を、橋本が「後に知った」「日誌に書きつけた」という形で配置したのは構成上の創作です。橋本が梅津の能面の奥に「自分たちと同じ火」を見出し、希望を託すという心情は、史実の人事の流れに沿わせた解釈です。
・松平康昌による後書きの宮中視点、および梅津への評価をめぐる感懐は創作です。高木惣吉が後に梅津を「家康の如き人」「この非常時の戦争指導には向かざる人」と評したのは史実(細川日記、昭和十九年十二月)ですが、七月の時点で松平がそれを耳にしていたわけではありません。
■ 参考文献
種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1979年
軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 下』錦正社、2008年
寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編『昭和天皇独白録』文藝春秋、1991年
外務省編纂『終戦史録 1』北洋社、1977年
山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮文庫、2013年
吉見直人『終戦史』NHK出版、2013年




