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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第7章 東條内閣倒閣運動(昭和19(1944)年6月下旬~)

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第69話「東條おろし(5/6)内大臣府 松平康昌編」


【前書き】(松平康昌より)


 僕は松平康昌。内大臣秘書官長を務めている。


 昭和十九年七月のあの十八日間、僕は宮中のもっとも静かな一角に身を置きながら、東京の各所で渦巻く倒閣の風を、ひとつひとつ木戸内府のもとへ運ぶ役目を担っていた。


 桐の御紋を頂く障子は、外の喧騒をいかにも遮っているように見える。だがその内側にこそ、最も重い決断が最も静かに下される。宮中とは、そういう場所だった。


 僕の祖父・松平春嶽は、幕末、徳川と薩長のあいだを最後まで折衝し続けた人だ。その血が、僕の体にも流れているのだろうか。あの七月、僕は海軍と陸軍、外務省と議会、重臣と閣僚――どの色にも染まらず、ただ陛下の御稜威みいつのもと、それぞれを結ぶ細い糸をたぐり続けていた。


 誰にも見えぬ、細く透明な糸を。


 七月十七日の朝、芝の岡田大将の私邸へ歩を進めたとき――その糸はついにぴんと張り詰めたのである。



【本文】


 昭和十九年六月の末。宮中、内大臣府の一室である。


 僕は木戸幸一内大臣(通称:内府)と、夕刻の茶を頂いていた。障子の向こうで、蝉の声が湿った夏の空気を震わせていた。


「松平君。サイパンは、もう、もたぬ」


 木戸内府が湯飲みを置かれた。


「陛下は深く御軫念であられる。前線の将兵のことも、一般の同胞のことも。だが東條総理はなお政権を握って離さぬ」


「内府。宮中から、何か、お動きになれませんか」


 僕が問うと、木戸内府は静かに首を振られた。


「ならぬ。陛下は立憲君主の筋目を、何より重んじておられる。正規の手続きを経ぬ私的な声を、お耳に入れること――これを、陛下は『雑音』と嫌われる。僕が宮中の力で東條を押せば、それは宮中の専断となる」


 木戸内府の声はいつにも増して低く、静かだった。


「ではどうなさいます」


「世論だ」


 木戸内府は茶を一口含まれた。


「言論の統制された今、世間に世論など起こせぬ。だが重臣たちがひとり残らず同じ事を考えたとすれば。それは、ひとつの世論ではないか」


 僕は息を呑んだ。


「重臣の総意を、世論として、陛下にお伝えする……」


「そうだ。宮中は動かぬ。動かぬまま、外の声が、おのずと陛下のもとへ集まる。その形を、作る」


 木戸内府は、ふと声を落とされた。


「松平君。僕はこれまで二度、死を覚悟した。最初は二・二六の後始末をした時。次は、対米の交渉が断たれた時だ。これで三度目になる。今度こそ、人の手にかかって死ぬかもしれぬ」


 僕は息を呑んだ。


「二・二六、ですか」


「あの時、刃に斃れたのは、斎藤内府も、鈴木侍従長も、みな陛下のお側の者だった。君側の奸、と呼ばれてな。宮中が表で動けば、また同じことになる。だから僕は、鏡でいる。世論を映す、ただの鏡だ」


 その覚悟の重さに、僕は声もなかった。桐の御紋の重みが、僕の肩にも降りてきていた。



 数日後の夕刻。木戸内府が僕だけを近くに呼ばれた。


「松平君。先日、重光外相を官舎に招いた。六月二十六日のことだ。戦局の見通しと、外交を、腹を割って話した」


「いかが、でしたか」


「結論は、ひとつだった。政府は動かず、軍は盲目的に突き進むばかり。各方面に工作しても、目的は達せられぬ。万一漏れれば、軍は玉砕一本になる。だからその道からの工作は、もう、やめる」


 木戸内府は僕の眼をまっすぐ見られた。


「重光外相と、固く誓った。機会が来たら、宮中は内大臣が、政府は外務大臣が、それぞれ全責任を負う。そして陛下の鶴の一声――聖断で、戦争を終わらせる。その時機は、常に連絡を取り合って見定めると」


 僕は声を失った。


 宮中は木戸内府が、政府は重光外相が、命を賭して取り纏める。鶴の一声で、終戦を。それは、この国の終戦の出発点となる盟約だった。


「松平君。お前は、その糸を繋ぐ役だ。海軍にも、外務にも、重臣にも。誰にも気取られぬよう、静かにな」


「承知、いたしました」



 七月八日。東京帝大の矢部貞治教授が、三番町の内大臣官邸に木戸内府を訪ねてきた。


 矢部教授は海軍の高木少将のブレーンでもある。木戸内府のご子息と、教え子の縁があった。僕は隣室に控えていた。


 矢部教授は一通の文書を差し出した。「現段階ニ於ケル戦争指導方策」と題された、東條内閣の打倒を説く、踏み込んだ建白であった。


「内大臣閣下。いまの戦争指導ではもはや抗戦は不可能です。常侍輔弼の御責任において、速やかに政局を転換していただきたい」


 常侍輔弼。常に陛下のお側にあって、補佐する責任。それは、まさに木戸内府の重い務めだった。


 木戸内府はしばし文書に目を落とされた。やがて静かに口を開かれた。


「矢部君。君の言うことは、よくわかる。だが情勢が熟さぬうちに、僕が陛下に上奏して、政局の転換を図れば、どうなるか」


「と、申されますと」


「それは、宮中クーデターと見なされる。新内閣と宮中が一味になって東條を倒したと。やがて責任を、こちらに転嫁される。陸軍が、黙ってはおらぬ」


 木戸内府の声はあくまで静かだった。


「情勢の、醞醸うんじょうを待つ。世間が騒ぎ、戦況が悪化し、誰の目にも東條ではもたぬとなる――その時まで、宮中は動かぬ」


 矢部教授は深く頭を下げた。


「よく、わかりました。ではその時は、必ず」


 矢部教授が去ったあと、僕は木戸内府の深謀に、ただ頭が下がる思いだった。動かぬことが、最も強く動くことになる。宮中とは、そういう場所だった。



 七月十三日、午後一時。


 東條総理が内大臣府に木戸内府を訪ねてきた。内閣を改造して、難局を乗り切る――その了解を、求めにである。


 僕は襖一枚を隔てた隣室で、息を殺していた。


 木戸内府の、低い声が、襖越しに聞こえた。


「東條総理。内閣改造について、陛下には、三つの御内意がある」


 しばし間があった。


「第一。統帥の確立――参謀総長と陸相の兼任を、解くこと。第二。嶋田海相を、更迭すること。第三。重臣を包み込み、挙国一致の態勢を整えること」


 襖の向こうで、何の音もしなかった。やがて東條総理の低くこもった声が聞こえた。


「これは、真に、陛下の御内意でありますか」


「そのとおりです」


 その日の午後遅く、東條総理は直接、陛下に拝謁した。木戸内府の言葉が、本当に陛下の真意か。それを確かめるためだった。


 夜になって木戸内府が僕を呼ばれた。御文庫から戻られたばかりのお顔が、わずかに上気しておられた。


「松平君。陛下は東條総理に、こう仰せになった」


 木戸内府は一語一語を噛みしめるように語られた。


「第一の統帥の確立は、この際行わねば、大物おおものが動く虞れがある。考慮せよ。第二の嶋田については、東條は部下がと言うが、部下だけではない。伏見元帥宮が御動きになった事実も、あるではないか。第三の重臣のことは、前の二つに比べれば、問題ではないと思う――と」


 僕はその場に立ち尽くした。


 大物。それは伏見宮をはじめとする皇族のお歴々を指す。陛下は東條総理の弁をことごとく退けられた。そして木戸内府の三条件を全面的にお支えになった。


「東條総理はもう、終わりですな」


 僕が低く言うと、木戸内府は静かに頷かれた。


「陛下の御信任は、もはや東條の上には、ない。あとはいかにして円満に退いていただくか、だ」



 七月十七日、朝。


 僕は芝の岡田啓介大将の私邸の門前に立っていた。朝陽が、夏の樹々の葉を湿った緑に光らせている。


 胸の中には、木戸内府から預かった三条の伝言があった。


 応接間で、岡田大将が、僕を迎えてくださった。


「松平君。何用かな」


「大将。内府の、ご伝言をお持ちしました」


 僕は姿勢を正し、ゆっくりと申し上げた。


「第一。内大臣と重臣の方々が、内大臣府で会合なさるのは、好ましくありません。第二。重臣の方々の御上奏を、内大臣がお取り次ぎするのも、立場上、難しい。第三。重臣の方々が、直接、陛下に拝謁して御上奏なさるのであれば、内大臣府として、喜んでお取り次ぎいたします」


 岡田大将のお顔から、すっと表情が消えた。


 僕は息を呑んだ。


 大将はしばらく何も仰らず、卓上の湯飲みを、じっと見つめておられた。


「松平君。これが、内府のお考えか」


「そのとおりです」


 岡田大将は深く息を吐かれ、立ち上がられた。


「わかった。これより、近衛公のもとへ参る」


 僕は深く一礼した。


 その足で、僕は宮中へ戻り、木戸内府に、岡田大将の落胆ぶりを伝えた。


「内府。岡田大将は深くご不満でした。木戸はまた東條に遠慮するのか、と」


「だろうな」


 木戸内府は、薄く笑われた。


「だが考えてもみよ、松平君。宮中の最側近の僕が重臣と手を結んで倒閣を主導すれば、どう見える」


「宮中クーデター、と」


「そうだ。新内閣と宮中が一味で東條を倒した、と陸軍に言われる。責任をこちらに転嫁される。暴発も招く。だからあえて冷たく押し返した。重臣自身に直接、陛下へ動いてもらうのだ」


「ですが内府。岡田大将は、先月、内府ご自身が『重臣が一致すれば上奏を取り次ぐ』と仰った、と申しておられました。今になって梯子を外すのか、と」


「六月十三日のことだな。覚えておる。だがあの時とは段が違う。今は土壇場だ。ここで僕が取り次げば、宮中が倒閣の先頭に立ったことになる。遠回りに見えて、重臣自身に動いてもらうのが、一番安全な道だ」


「岡田大将を突き放すことで、かえって強く動かせる……」


「そういうことだ」


 僕は深く頭を垂れた。動かぬことが、最も強く動くことになる。木戸内府の深謀遠慮であった。


 果たして岡田大将はその朝のうちに、近衛公のもとへ走られ、その日の夕刻、平沼騏一郎邸での重臣会議の招集に至ったのである。



 七月十七日の午後。重臣会議が始まろうという頃合いだった。


 東條総理の秘書官、赤松貞雄大佐が内大臣府に僕を訪ねてきた。陸軍大佐である。


 赤松は椅子に着くなり、僕に詰め寄ってきた。


「秘書官長。陛下の相談役たる内大臣が、陛下の総理大臣を引きずり降ろそうと陰謀をめぐらすとは、怪しからんではありませんか。しかも、この戦時下に」


 僕は表情を変えなかった。


「今日は近衛公も内大臣をお訪ねになって、密談されたとか。いったい、どういうことです」


「さあ。中身までは、僕も聞いていない」


 僕はことさら、のんびり答えた。


「あの二人は、古い親友でしてね。政治の話かもしれないし、ゴルフの話かもしれませんよ」


「とぼけるな!」


 赤松の声が跳ね上がった。


「あなたは今朝、岡田大将のお宅へ行かれた。あれは何の話です」


 僕はゆっくり相手を見返した。


「それは、憲兵情報ですか」


 わざと苦い笑みを浮かべてみせた。


「岡田さんと僕とは、ご存じのとおり同郷でしてね。ちょくちょく会いますよ。県人会の相談もありますし」


 赤松は僕の言葉を最後まで聞かなかった。拳で机を、激しく叩いた。


 僕はもう、どうにでもなれという気分だった。肘掛け椅子に深く身を沈め、手も足も投げ出した。


「君らは、僕の電話を盗聴している。家を出れば、後を尾ける。なにもかもお見通しなのだろう。――引っ張りたければ、引っ張ればいい」


 検束。憲兵にしょっ引かれ、二度と戻れぬかもしれぬ。それを承知で、僕は言い放った。心の臓が早鐘を打っていた。


 赤松はしばらく僕を睨みつけていた。やがて、ふっと視線をそらした。


「……いや。まさか、あなたを引っ張りはしませんよ」


 憲兵の影をちらつかせて宮中を脅す。それが東條総理の周りの、やり口だった。だがこちらにも、退けぬ一線がある。


 赤松が去ると、僕は肘掛けに身を預けたまま、しばらく動けなかった。背中が、汗で冷たく濡れていた。



 その夜、九時。


 僕は外務省の加瀬俊一さんの私宅にいた。宮中の風向きと、外務省の動きを、突き合わせるためである。


 加瀬さんは英米通の俊敏な外交官だ。重光外相の懐刀である。


「加瀬さん。平沼邸の重臣会議は、今夜です」


「岸の閣内不一致も、固まりました。岡田大将の娘婿、迫水さんが、終始張りついておられる」


 加瀬さんの声は、低く、張りつめていた。


「重光外相も、すべて承知の上で私を動かしておられます。府立一中の先輩・美濃部局長と組んで、岸の側を固めております。岸が崩れぬ限り、東條総理の改造は、議会の前に瓦解します」


 僕は深く頷いた。宮中、外務、重臣、閣内――糸がいま、一点へ手繰り寄せられていく。


 そこへ、玄関の戸を叩く音がした。迫水久常さんだった。岡田大将の邸から夜道を駆けてきたのだ。


「決まりました。重臣会議、東條内閣存続反対の決議。阿部大将ひとりを除く、六重臣の総意です。岡田大将の手で、内府のもとへ届けられます」


 加瀬さんと、僕は顔を見合わせた。


 僕は静かに腰を上げた。


「では僕は宮中へ戻ります。内府に、お伝えせねば」


 別れ際、僕は加瀬さんに低く言った。


「加瀬さん。松谷大佐は、息災でしょうか」


「便りはありません。この非常時に、悠長に手紙を書く暇もないでしょう。きっと今ごろも、南京で黙々となすべきことをしておられる」


「あの人らしい」


 僕も加瀬さんも、しばし、まだ見ぬ南京の空の下のあの男を思い描いた。


「いつかお会いになったら、お伝えください。市ヶ谷を追われたあの方の遺志は、いま、この東京の中央で、確かに生きていると」


 加瀬さんは深く頷かれた。


 松谷大佐。陸軍にあってただ一人、早くから負けを見据え、東條に直言して南京へ飛ばされた、僕の同志だ。南京へ発つ前、別れの挨拶に来たあの人の、覚悟を決めた眼を、僕は忘れない。


 あの処分には、僕のところへの出入りも、絡んでいたに違いない。和平を説く者は、狂人か犯罪者として扱われる時代だった。憲兵の眼は、宮中の僕にも注がれていた。松谷大佐を見送った時、僕は自分の身にも迫る危険を、はっきりと感じて、震えた。


 それでも、この糸を手放すわけにはいかなかった。



 その夜、九時半。


 岡田大将は平沼邸の会議を終えると、その足で赤坂新坂町の木戸内府の私邸へ向かわれた。阿部大将を除く六重臣の連名による、東條内閣存続反対の決議文を内府に手渡すためである。


 深夜、宮中へ戻った僕に、内府から電話があった。


「松平君。重臣の決議を受け取った。明朝、陛下に上奏する。準備せよ」


「承知いたしました」


 その夜、僕は内大臣府の自席で上奏の案文をペン一本で書き上げた。窓の外で、虫の声が夏の夜気を満たしていた。


 ペンの先で、墨が、原稿用紙に深く沈んでいく。


 ――松谷大佐。海軍の、高木少将。外務の、加瀬さん。


 会ったこともない人、まだ言葉も交わさぬ人。それぞれの場所で、それぞれの命を賭けてここまで積み上げてきた人々。


 僕は心の中で、その一人ひとりに語りかけていた。


 ――明朝、陛下のお手で、東條総理の退陣が決せられます。それは、皆さんが積み上げてこられた、その帰結です。僕はただ皆さんの想いを束ねて、桐の御紋のもとへ、お運びするだけです。


 夜明け前、僕はようやくペンを置いた。窓の外で、夜が白みはじめていた。



 七月十八日、午前。


 朝八時、僕は木戸内府の私邸に伺い、平沼邸の重臣会合の様子を改めてご報告した。


 そして午前九時十五分。


 東條総理が総辞職の上奏に参内する――そのわずか前。木戸内府は先んじて御文庫に拝謁された。


 重臣の総意を陛下に言上するためである。十五分間の、勝負だった。


 僕は内大臣府で待っていた。


 やがて戻られた木戸内府がひとこと、言われた。


「陛下に申し上げた。首相がこれから何を上奏するかは存じませんが、重臣の動向によく御配慮の上、輿論のおもむくところと背かぬよう、お話しくださいと。陛下は『よくわかった』と頷かれた」


 その三十分後、東條総理が参内した。だがもはや内閣改造の了解を得ることはできなかった。


 午前十一時二十五分。東條総理は陛下に辞表を捧げた。


 東條内閣は、総辞職した。


 僕は内大臣府の窓辺に立って、宮城の青い夏空を見上げていた。


 誰にも見えぬ、細い糸。海軍の刃、外務の弁舌、重臣の決断、閣内の反抗――そのすべてを僕は束ねて、ここまで運んできた。


 その糸が、いま桐の御紋のもとでひとつに結ばれた。


 まだ、終わりではない。これは聖断への長い道の、ほんの入り口にすぎない。


 だが確かに一歩は踏み出されたのだ。



【後書き】(東條英機より)


 俺は東條英機。陸軍大将。総理大臣と陸軍大臣、参謀総長を兼ねていた。


 昭和十九年七月十八日。俺は、内閣を投げ出した。


 あの朝、俺は参内した。総辞職の決意を申し上げれば、陛下はこう仰せになるはずだった。戦局急迫の折、続けて内閣を組織し、戦争完遂に努めよ、と。大命再降下――その一言で、すべては逆転する。俺は五分五分と踏んでいた。


 だが陛下はひとことだけ仰せになった。


「そうか」


 それきりだった。俺は次の言葉を待った。陛下は何も仰らなかった。


 その背後で何が起きていたのか、当時の俺は知らなかった。前夜、重臣どもが平沼の邸に集まり、俺の不信任を決議していたこと。その紙が夜のうちに内大臣の手に渡っていたこと。そして木戸が俺の拝謁のわずか前に、陛下にそれを言上していたこと。


 俺は敗れた。戦場でではない。宮中のあの静かな一角で、誰の刃も浴びずに敗れたのだ。


 今度の政変には、重臣の責任が重い。俺は木戸にそう言い置いて退いた。後継のことは、重臣に成案があるのだろう。ただ皇族にだけは煩いをかけぬよう願う、と。


 海軍の高木。外務の加瀬。宮中の松平。陸軍の松谷。そんな名を、あの時の俺は一人として敵とは思っていなかった。


 あの十八日、いや、あの戦争の始まりから終わりまで、俺は何を見、何を誤ったのか。


 次は、俺自身の眼で最初から語ろう。


【史実と創作について(参考文献との対応)】


◇ 史実に基づく主な事項


・本話の中核――松平康昌が、内大臣・木戸幸一の女房役として、海軍・外務省・重臣・閣内をつなぐ「連絡調整の結節点」を担ったこと――は史実です。加瀬俊一の手記には、六月二十二日早朝に外相の命で加瀬が松平を私邸に訪ね、戦局と今後の国策を協議したこと、七月十四日に松平が官邸に重光外相を訪ねて首相参内の状況を詳細に説明したことが記されています。高木惣吉の記録には、七月十三日午後一時に木戸が東條へ示した三条件(統帥権の確立=大臣総長の分離、海相の更迭、挙国一致態勢の成就)の内容が、松平から直接伝えられたものとして残っています。〔加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、加瀬の手記「東条内閣挂冠事情」、高木惣吉『高木惣吉日記日独伊三国同盟と東條内閣打倒』〕


・木戸幸一が、立憲君主としての筋目を重んじる天皇に、正規の手続きを経ぬ私的な「雑音」を入れることを避けたこと、言論統制下で世論は起こせぬという指摘に対し、「重臣たちが一致してあることを考えたとすれば、それも一つの世論ではないか」として、重臣の総意を世論の形で天皇に奏上する手法をとったことは史実です。〔迫水久常『大日本帝国最後の四か月』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』〕


・昭和十九年六月二十六日、木戸が重光外相を官舎に招いて密談し、「機会が到来した際は、宮中は内大臣において、政府は外務大臣において全責任を負い、聖断(鶴の一声)によって終戦を実現する」と固く誓い合ったことは史実です。本話の台詞は、木戸の口供書および重光の手記に残る文言を、現代文に整えたものです。〔木戸幸一『木戸幸一日記』および木戸の口供書、重光葵『重光葵手記』〕


・七月八日、矢部貞治教授が三番町の内大臣官邸に木戸を訪ね「現段階ニ於ケル戦争指導方策」を手交したこと、その際、木戸が「情勢が熟さぬうちに自分が上奏して転換を企てれば宮中クーデターとなり、責任を転嫁される惧れがある」「情勢の醞醸(世論の沸騰・戦況の悪化など)を待つ」という趣旨を述べたことは史実です。台詞は原典の言い回しを現代文に整えました。〔矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』〕


・七月十三日午後、東條が内閣改造の了解を求めて参内し、木戸が三条件を突きつけたこと。東條が直接天皇に拝謁してその真意を確かめたところ、天皇が「統帥の確立はこの際行わねば大物(皇族)が動く虞れがあるゆえ考慮せよ」「嶋田については、部下のみならず伏見元帥宮も動かれた事実があるではないか」「第三の重臣のことは前の二点に比べれば問題ではないと思う」と述べ、木戸の三条件を全面的に支持したことは、いずれも『木戸幸一日記』に記録された史実です。天皇の御言葉は、原典(漢文調)を現代文に整えました。〔木戸幸一『木戸幸一日記』〕


・七月十七日、東條首相の秘書官・赤松貞雄大佐が松平を訪ね、近衛の来訪や松平の岡田邸訪問を憲兵情報をもとに問い質して威圧したこと、松平が電話の盗聴と尾行を承知のうえで「引っ張りたければ引っ張れ」と開き直り、赤松が引き下がったことも史実です。このやり取りは吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』に拠りますが、地の文や情景は当方で組み直し、台詞も言い回しを改めています。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕


・七月十七日朝、松平が芝の岡田邸を訪ね、木戸の伝言として「重臣が内大臣府で会合するのは好ましくない」「内大臣が御上奏を取り次ぐのも難しい」「重臣が直接陛下に拝謁・上奏するのであれば内大臣府として取り次ぐ」の三条を伝えたこと、これが木戸の「宮中クーデター」回避の深謀(重臣自身に直接動かせる)であり、岡田がその朝のうちに近衛を訪ね、夕刻の平沼邸での重臣会議招集に至ったことは史実です。なお岡田は、この三条を、六月十三日に木戸自身が示した「重臣が一致すれば上奏を取り次ぐ」という言質に背くものと受け取って困惑し、近衛が松平を介する折衝をやめて直接木戸に当たることを提案したことも、史実です。〔木戸幸一『木戸幸一日記』、岡田啓介『岡田啓介回顧録』、近衛文麿『近衛日記』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕


・七月十七日夜、加瀬の私宅で松平と加瀬が会していたところ、岡田邸から重臣会議の結果(東條内閣存続反対の決議)を携えた迫水久常が合流したこと、松平がこれを宮中へ繋ぎ、岡田が決議文を木戸のもとへ届けたことは史実です。〔加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、高木惣吉『高木惣吉日記日独伊三国同盟と東條内閣打倒』〕


・七月十八日、午前八時に松平が木戸邸で重臣会合の情況を報告したこと、木戸が東條の総辞職上奏に先んじて午前九時十五分から三十分まで御文庫で天皇に拝謁し、重臣の動向を言上して「首相が何を上奏するかは存じませんが、重臣の動向によく御配慮の上、輿論のおもむくところと背かぬようお話しください」と念を押し、天皇が「よくわかった」と頷いたこと、その後、東條が参内し午前十一時二十五分から辞表を捧呈して東條内閣が総辞職したことは、いずれも史実です。〔木戸幸一『木戸幸一日記』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕


・松平康昌と松谷誠が、郷里・越前福井の藩主と藩士という縁から深く結ばれた同志であったことは史実です。松谷は回想録で、松平を「松平春嶽の孫であり、温容で頭脳明晰な品格を備えていた」と評し、四面楚歌であった自らの苦境を松平が終始鼓舞・支援したこと、内大臣への連絡はいっさい松平を介して行ったこと、「終世忘れることのできない感銘を受けた」ことを記しています。松谷が南京へ発つ前に松平へ別れの挨拶に訪れ、松平がその処分に自らの身辺の危険を実感したことも、史実に基づきます。〔松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕


・木戸幸一と松平康昌が、二・二六事件の再来(軍部の暴発・テロ)を極度に恐れていたことも史実です。木戸は松平に「これまで二度、死に直面した。二・二六の後始末の時と、対米交渉が断たれた時だ。今度こそ人の手にかかって死ぬかもしれぬ」と死の覚悟を語り、内大臣の職を厳格な常侍輔弼に限って「鏡」に徹し、君側の奸として直接行動の標的にされることを避けようとしました。和平を説く者が狂人・犯罪者として扱われ、絶えず憲兵の監視下にあったことも、松平自身が口供書に記しています。〔松平康昌口供書、矢部貞治『近衛文麿』〕


・登場人物の実際の立場。松平康昌(内大臣秘書官長、松平春嶽の孫)、木戸幸一(内大臣、木戸孝允の孫)、東條英機(首相・陸相・参謀総長)、重光葵(外相)、矢部貞治(東京帝大教授)、迫水久常(内閣参事官、岡田の娘婿)、岡田啓介(予備役海軍大将・重臣)、松谷誠(陸軍大佐、東條に直言して支那派遣軍へ転出)。


創作フィクション部分


・本話は、右に挙げた史実を骨格として、その細部を物語に組み立てたものです。内大臣府の障子と蝉の声、襖越しに息を殺して聞く感覚、岡田邸の朝陽、上奏案文を書く夜のペンの音と虫の声など、各場面の具体的な心理・五感の描写、人物の表情やしぐさ、松平の独白は、すべて創作です。


・天皇の御言葉、木戸の三条件、重光との盟約、矢部とのやり取りは、原典(漢文調を含む)に残る文言を、現代文に整えて再現したものです。状況や心情の描写は、記録をもとにした再構成であり、創作を含みます。


・木戸が松平に重光との盟約を直接打ち明ける場面は、盟約の存在という史実を踏まえた構成です。また本作では、東條暗殺計画や高松宮殿下を、引き続き登場させていません。


・後書きは、東條英機の一人称による追想として構成しました。七月十八日朝、東條が総辞職の決意を内奏する拝謁で大命再降下(天皇の慰留)をひそかに期待したこと、しかし天皇が「そうか」の一言で慰留せず、東條が「今回の政変には重臣の責任が重い」「後継に皇族を煩わさぬよう」と述べて退いたことは史実です。東條の心情の細部は創作です。〔木戸幸一『木戸幸一日記』、高木惣吉『高木惣吉日記日独伊三国同盟と東條内閣打倒』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』、寺崎英成ほか編『昭和天皇独白録』〕


【人物紹介・用語集(初学者向け)】


 本話の語り手・松平康昌は、内大臣・木戸幸一を補佐する内大臣秘書官長で、宮中の奥にあって倒閣の風を木戸のもとへ運ぶ黒衣くろごの役を担った。前話まで海軍の高木少将が描いた東條おろしを、今度は宮中の側から、その調整役の口で語る。後書きの語り手は、倒される当人・東條英機。松平の同志である松谷誠(東條に直言して南京へ左遷された主人公)も、宮中とつながる一人として名が挙がる。四者が「終戦四人組」として一堂に会するのは翌昭和二十年一月のことだ。


■ 本話で重要な役割を担う人物


松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893〜1957、当時51歳)

 本話の前書き・本文の語り手。内大臣秘書官長。幕末の名君・松平春嶽の孫。木戸内大臣の女房役として、天皇・皇族・重臣・閣僚・陸海軍首脳・部外の有力者のあいだの連絡調整を担った。自由主義的な知性と広い包容力を持ち、海軍(高木)・外務(加瀬)・重臣(岡田)をつなぐ結節点となる。のち松谷・加瀬・高木と「終戦四人組」を結ぶ宮中側の要。


木戸幸一(きど・こういち、1889〜1977、当時55歳)

 内大臣。維新の元勲・木戸孝允の孫。冷静沈着な現実家。立憲君主の筋目を守りつつ、重臣の総意を「世論」として奏上する手法で東條を追い込んだ。重光外相と「宮中は内大臣、政府は外相が全責任を負う」と盟約し、終戦工作のレールを敷く。二・二六事件の再来を恐れ、自らは世論を映す「鏡」に徹した。


東條英機(とうじょう・ひでき、1884〜1948、当時59歳)

 首相・陸相・参謀総長を兼ねる、当時の最高権力者。サイパン陥落後、内閣改造による政権延命を図るが、木戸の三条件と天皇の御言葉によって信任を失い、重臣会議の不信任と岸の閣内不一致に挟まれて、七月十八日に総辞職する。総辞職を内奏する拝謁で大命再降下を期待したが、天皇は「そうか」の一言で慰留しなかった。本話の後書きの語り手であり、次話(第70話)の主人公。


松谷誠(まつたに・せい、1903〜2000、当時41歳)

 陸軍大佐。物語の主人公。早くから日本の敗北を見据え、東條に「わが方の負けである」と直言して、七月三日付で支那派遣軍参謀へ転出(事実上の左遷)となった。郷里・越前福井の縁で結ばれた松平の同志で、南京へ発つ前に別れの挨拶に訪れている。本話の七月は南京にあり、のち陸相秘書官・総理秘書官として中央に復帰して、四人組の陸軍側を担う。


■ 本話に名前の挙がるその他の人物


重光葵(しげみつ・まもる、1887〜1957)── 外相。昭和七年の上海天長節爆弾事件で右脚を失い、義足で勤務。六月二十六日、木戸と終戦工作の盟約を交わした。


加瀬俊一(かせ・としかず、1903〜2004)── 外相秘書官。重光の懐刀。英米通の外交官で、外務省・議会・閣僚を相手に倒閣の実動を担った。七月十七日夜、松平と私宅で会した。


矢部貞治(やべ・ていじ、1902〜1967)── 東京帝国大学教授。高木の海軍懇談会の文人ブレーン。七月八日、木戸に「現段階ニ於ケル戦争指導方策」を手交し、政局転換を迫った。


赤松貞雄(あかまつ・さだお、1900〜1982)── 陸軍大佐。東條首相の秘書官。七月十七日、憲兵による盗聴・尾行をちらつかせて松平を威圧したが、「引っ張るなら引っ張れ」と開き直られ、引き下がった。


迫水久常(さこみず・ひさつね、1902〜1977)── 内閣参事官。岡田啓介の娘婿。岡田の密命で岸に辞表拒否を伝え、重臣会議の結果を各所へ運んだ。のち鈴木貫太郎内閣の書記官長。


岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868〜1952)── 予備役海軍大将・元首相・重臣。合法的倒閣工作の主導者。七月十七日、平沼邸の重臣会議をまとめ、その決議文を木戸のもとへ届けた。


近衛文麿(このえ・ふみまろ、1891〜1945)── 公爵・元首相・重臣。岡田の伝達を受けて動き、重臣会議で倒閣に同調した。


平沼騏一郎(ひらぬま・きいちろう、1867〜1952)── 男爵・元首相・重臣。七月十七日の重臣会議を自邸で主催した。


伏見宮博恭王(ふしみのみや・ひろやす おう、1875〜1946)── 元帥。海軍最長老の皇族。嶋田更迭に動き、天皇の御言葉でも言及された。


美濃部洋次(みのべ・ようじ、1900〜1953)── 革新官僚。加瀬の府立第一中学の先輩で、岸信介の側近。加瀬と組んで岸の側を固めた。


嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう、1883〜1976)── 海軍大将、海相。木戸の三条件と天皇の御言葉により、更迭されることになる。


■ 本話の主な用語


内大臣ないだいじん内大臣秘書官長ないだいじんひしょかんちょう

 内大臣は、天皇を常に側で補佐し、御璽・国璽を保管する宮中の重職。内閣の閣僚ではなく、政務には直接関与しないが、首相の奏薦などに大きな影響力を持った。秘書官長は、その内大臣を補佐する筆頭の側近である。


常侍輔弼じょうじほひつ

 常に天皇のお側にあって、その政務を補佐する責任。元老や重臣が衰えた当時、その責任は内大臣・木戸の双肩に重くのしかかっていた。矢部が木戸に政局転換を迫る際の、鍵の言葉となった。


宮中クーデター(きゅうちゅうクーデター)

 宮中(内大臣ら天皇の側近)が、重臣などと結託して内閣を倒すこと。木戸は、宮中が表立って倒閣を主導すれば「宮中と新内閣が一味で東條を倒した」と見なされ、責任を転嫁され、また陸軍の暴発を招くことを極度に警戒した。


醞醸うんじょう

 酒を醸すように、物事の気運がしだいに熟していくこと。木戸は、世論の沸騰・テロの空気・戦況の悪化などによって、誰の目にも東條ではもたぬという情勢が「醞醸」されるのを待ち、その時まで宮中は動かぬという戦略をとった。


上奏じょうそう拝謁はいえつ御文庫おぶんこ

 上奏は、天皇に意見や事実を申し上げること。拝謁は、天皇にお目にかかること。御文庫は、宮城内の天皇の御座所のひとつで、戦時下の拝謁の場となった。木戸は七月十八日朝、ここで天皇に重臣の動向を上奏した。


桐の御紋きりのごもん御稜威みいつ御軫念ごしんねん

 桐の御紋は、宮中・朝廷を象徴する紋章。御稜威は、天皇の御威光。御軫念は、天皇が深く心を痛められること。いずれも、宮中という場の重みと、天皇の御心を表す言葉である。


詔書渙発しょうしょかんぱつ

 詔書(天皇の意思を示す公文書)を、世に発布すること。東條は、詔書(勅語)を引き出して政権の権威づけと延命に使おうと図った。


【参考文献】


・木戸日記研究会編『木戸幸一日記』東京大学出版会、1966年

・鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』東京大学出版会、2011年

・矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』読売新聞社、1974年

・加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1986年

・重光葵『重光葵手記』中央公論社、1986年

・高木惣吉『高木海軍少将覚え書』毎日新聞社、1979年

・迫水久常『大日本帝国最後の四か月』河出文庫、2015年

・川越重男『救国・聖断の史』人吉中央出版社、2003年

・松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年

・矢部貞治『近衛文麿』読売新聞社、1976年

・寺崎英成、マリコ・テラサキ・ミラー編『昭和天皇独白録』文藝春秋、1991年



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