第68話「東條おろし(4/6)海軍 高木惣吉編(後)――七月十八日」
【前書き】(高木惣吉より)
俺は海軍少将、高木惣吉。
鬼の支度は整った。刃は研いだ。実行の七名も、脱出の段取りも、すべて手の内にあった。
だが俺はその刃が抜かれぬことを、誰よりも願っていた。
刃を握る者の本音を、信じてもらえぬかもしれぬ。なら、こう言おう。俺は人を殺したくはなかった。東條ひとりを消すために、若い同志を六人、絞首台の影に立たせる。それが俺は恐ろしかった。
だから俺は合法の道を、最後の一日まで走らせた。岡田大将が表で重臣を動かす。俺は裏で刃を研ぐ。二本の道のどちらが先に東條へ届くか、俺は息を詰めて見ていた。
これは、研いだ刃がついに鞘へ戻るまでの話だ。そしてその刃を共に握るはずだった相棒と、俺が言葉を交わした、最後の夏の話でもある。
【本文】
昭和十九年六月の末。海軍大学校の、教育局長室である。
俺は神重徳大佐と地図を広げ、政局を読んでいた。
「神。決行はサイパンの決着のあとだ。それまでに合法の道が間に合えば、刃は抜かずに済む」
「岡田大将は、もう手を打っておられるとですか」
「打っておられる。この春からな」
俺は声を落とした。
「六月二日、岡田大将は犬猿の仲だった米内さんと末次さんを、芝白金の藤山邸にこっそり集められた。過去は水に流せと説いて、二人を握らせた。憲兵の眼を盗んでの会談だ」
「あの二人を、ですか」
神が低く口笛を吹いた。米内と末次は、ロンドン条約以来の、口もきかぬ仲だった。
「四日にはご自身で伏見宮邸へ乗り込まれた。嶋田では海軍がもたぬ、米内を現役に戻せ、と直言された。殿下は渋々お認めになった。嶋田を退け、米内を後任の海相に据える。その地ならしよ」
「では、嶋田の首は」
「半分は落ちかけておる。議会も動きだした。七月六日、翼賛政治会の代議士会で、挙国一致の体制を整えよ、と決議が出た。東條の足元が、内側から軋みはじめておる」
「合法で倒れるなら、それに越したことはありもはん。ですが――」
「東條と嶋田が、どこまでも粘るなら、刃を抜く。分かっておる」
俺は地図の上に湯飲みを置いた。
「神。俺たちの刃はな、岡田大将の合法の道を、後ろから急かすためのものだ。刃があるから、皆が本気で走る。だが、できることなら抜きたくない」
「局長らしくも、なかこつを」
神が薄く笑った。
「おいは、抜く気でおりもす」
「そのための、お前だ」
*
七月のなかば。同じ局長室で、俺は神と、計画の細部を詰めていた。
扉が荒々しく開いた。海軍教授の天川勇が、息を切らして飛び込んできた。
「局長! 増田が――増田のママが、憲兵に連れていかれました」
俺の背に冷たいものが走った。神の眉が、ぴくりと動いた。
「いつだ」
「ついさっきです。九段下の、東京憲兵隊本部へ。車で」
「伏下は」
「駆けつけましたが、もう間に合いません。相手が憲兵では、どうにも」
天川は拳を握りしめていた。
「いやがらせをしやがって。怪しからん!」
神が低い声で言った。
「局長。まさか、洩れたとですか」
俺は答えなかった。まさか暗殺の話が。その一語が、喉の奥でつかえた。
遅れて伏下大佐が入ってきた。顔が強張っていた。口数の少ないこの男も、同じことを恐れている。それが、見ればわかった。
「落ち着け」
俺は自分にも言い聞かせるように言った。
「暗殺が嗅ぎつけられたのなら、こんな手ぬるい真似はせん。海軍懇談会への、ただのいやがらせだ」
その晩、ママは帰された。天川がまた飛んできて、報せた。
「局長。ママは、一言も吐きませんでした」
「どう、しのいだ」
「帳面はつけていないから、客がどこの誰かは分からない。親の遺言で字は書かないことにしている。学校へもやってもらえなかったから、字を知らない。そう言い張って、調書への署名を拒み通したそうです」
「肝の据わった、女将だ」
「帰り着いたとき、緊張が切れて、土間にへたり込んだそうで」
俺は息を吐いた。
「その口の堅さが、俺たちの命を守った。だが、これで増田は使えん。俺も眼をつけられておる。しばらく外へは出んほうがいい」
敵も何かを嗅ぎつけ、じわじわと迫っている。成功への確信と、発覚への不安。その二つが、交互に俺を揺さぶった。
*
七月十三日。神が一枚の電報を手に、局長室へ入ってきた。顔つきが、いつもと違った。
「局長。おいに転任の命が下りもした。連合艦隊先任参謀。木更津の司令部へ赴任せよ、と」
俺は息を呑んだ。実動部隊を指揮するはずの男が、東京を離れる。
「神。それは、洩れての配転か」
「おいも、それを疑いもした」
神は、しかし首を振った。
「ですが、違いもす。マリアナのあとの、連合艦隊の立て直しです。実戦を踏んだ者を、という人事でしょう。たまたま、おいに当たった。それだけのこつです」
俺はひとまず胸を撫で下ろした。だが、右腕が抜けるのは痛い。
「決行は十四日の金曜と決めておった。お前が抜けると、脱出の段取りが組み直しだ」
「次の金曜――二十一日に、延ばすほかありもはん」
「二十一日だな。よし」
俺は腹を括った。
「神。木更津へ行っても、連絡は絶やすな」
「承知しもした」
神は深く一礼して、出ていった。あの低い声を、残して。
*
その晩、電話が鳴った。岡田大将の娘婿、内閣参事官の迫水久常からだった。
「高木さん。東條が、妙な手を打ってきました」
迫水の声は、低く苦かった。
「今日、東條は木戸内大臣に内閣改造の了解を求めました。ところが木戸さんは、逆に三条件を突きつけた。統帥権を確立せよ――大臣と総長を分けよ。嶋田を海相から退けよ。重臣を入れて挙国一致の態勢を整えよ。これが陛下のお考えだ、と匂わせて」
「木戸が、ついに動いたか」
「東條は、嶋田の海相更迭を、ついに呑みました。ですが、ただでは引きません」
「どういうことだ」
「嶋田を海相から退かせる。だが軍令部総長には居座らせる。空いた海相の椅子には、嶋田の息のかかった沢本次官を昇格させる肚です。陸軍は東條が陸相に残り、参謀総長には腹心の後宮。形だけは陛下の求める総長分離と海相更迭を満たして、中身はそっくり、東條と嶋田のままです」
俺は受話器を握る手に、力がこもった。
「人事の組み替えだけで、陛下の眼を欺こうという肚か」
「大トリックですよ。ですが――」
迫水の声に、わずかな安堵が混じった。
「その沢本海相案は、熱海の伏見宮殿下に拒まれました。頓挫です。代わりに永野元帥らが、呉の野村直邦大将を新しい海相に担ぎ出そうとしています」
「野村を……東條が抱き込むつもりだな」
「おそらく。野村の入閣を阻もうとする動きもありますが、東條の囲い込みのほうが、一枚上手のようです」
俺は低く唸った。
「海軍の人事を、まるで自分の駒のように動かす。東條という男は、どこまで……」
「それと高木さん。東條は、勅語を担ぎ出そうとしています。陛下のお言葉で政権に箔をつけ、延命を図る肚です」
「それは、潰す」
俺は即座に言った。
「俺が鈴木、岡田、米内の三大将を回る。永野元帥や財界、省内は伏下に。末次・高橋の両大将と警保局長は天川に。学界は矢部君、近衛と木戸は後藤に当たらせる。手分けして、勅語の芽を摘んでおく」
「さすがに、手が早い」
迫水は、そう言って電話を切った。
*
七月十七日の朝。再び迫水から電話が入った。声がはずんでいた。
「高木さん。岸さんが、やりました」
「岸が?」
「今朝未明、星野書記官長が岸さんに辞表を求めてきた。岸さんは撥ねつけた。そして昼前、東條の前で堂々と言い放った。重臣が入閣せぬ限り辞表は出さぬ。重臣が入らぬなら、総辞職こそ筋だ。明日の閣議で緊急動議を出す、と」
俺は、思わず受話器を握りしめた。
「閣内不一致、か」
「そうです。憲法では、首相に閣僚を辞めさせる権限がない。閣僚が一人でも辞表を拒めば、内閣は倒れる。岡田大将が岸さんに、辞表を拒めと密命を送っておられた。それが効きました」
「岸が閣内で東條を釘付けにする。その隙に……」
「今日の午後、平沼邸で重臣会議です」
*
その日の午後の、平沼邸のことは、あとで岡田大将が聞かせてくださった。
俺は海軍省で、刻一刻と届く報せに、息を詰めて待っていた。
以下は、岡田大将の語られたままである。
「ひどく暑い日でな。会議の前に、近衛公、平沼さん、若槻さんと、わしの四人で申し合わせをした。東條不信任の結論を出し、それを木戸から陛下へ伝えて、倒閣の決め手にする。そして、東條びいきの阿部には、この肚を明かさぬこと、とな」
「米内さんは」
俺は思わず口を挟んだ。
「米内さんはな、いちばん強かった。『自分に入閣の意思はない。いまは内閣そのものの更迭が必要だ』とな。そのうえで、東條側の脅しをぶちまけられた。新大臣で駄目なら東條が出る、東條で駄目なら優諚を奏請する、と言ってきた、と。米内さんは、こう言われた。『優諚を、つまり陛下のお言葉をこんなことに持ち出すのは、大権をもてあそぶものだ。自分は、たとえ優諚があっても拝辞する決心だ』」
俺は胸が熱くなった。米内さんらしい。
「平沼さんも続かれた。『人の和がなければ、戦には勝てぬ。東條内閣があっては、かえって人の和を破る』とな。近衛公も、若槻・平沼・米内と結論は同じだ、と。広田さんは、改造の経緯は知らぬと言を濁しながらも、入閣だけははっきり断られた」
「阿部大将は」
「ただ一人、流れに逆らった。『東條内閣を完全とは思わぬ。だが、これより良い内閣ができる目途もない。ただ内閣を壊すのは無責任だ』とな。そして座の空気を察して、念を押してきた。『こういう話をして、これを政府に伝えるのか』、と」
「それで、どうなりました」
「若槻さんが、巧みにかわされた。『政府に伝えなくてもよい。なんなら、阿部さんからでも伝えてもらおうか』とな。決議を伝えるかどうかは阿部の自由だ、と。会議の本当の狙いは、最後まで阿部には知らせなかった」
岡田大将は、ふう、と息をつかれた。
「午後八時から九時すぎまでかかって、結論が出た。『この難局を切り抜けるには、人心を新たにすることが必要だ。国民が相和し、相協力し、一路邁進する、強力な挙国一致の内閣がいる。内閣の一部改造などは、何の役にも立たない』。この申し合わせを書きとめて、わしはその足で、赤坂の木戸邸へ運んだ」
「外堀は、埋まりましたな」
「あとは、陛下の思し召し次第よ」
*
話はその日の昼に戻る。
俺は嶋田から野村への、海軍大臣の親任式に出たあと、増田へ向かおうとしていた。
そこへ、木更津の神から電話が入った。受話器の向こうの声は、低く逸っていた。
「高木さん。嶋繁がかわって、目出たかですが――そのほかは、どげんですか」
「目下のところ流動的でな。どちらとも分からん。向こうもしぶといからな」
「すっと――今度の金曜の、富士登山は。まだ未定ですな」
富士登山。東條暗殺の決行を指す、俺たちの暗号だった。真珠湾を発令した「新高山ノボレ」を、もじったものだ。
「内閣打倒ができぬ限り、予定通りやる。二日前に必ず連絡する」
「承知しもした」
電話は、切れた。
俺はその電話が、神と言葉を交わす最後になるとは、まだ知らなかった。
*
七月十八日。午前十時。総辞職の報が、海軍省を駆け抜けた。
俺は日記に、こう書いた。年来の重荷が、一時に消えた心地である、と。
いちばんの重荷は、四日後に控えた、あの決行だった。それを、実行せずに済んだ。
俺はすぐ木更津へ、密電を打った。中止、と。
あの十七日の電話が、神と言葉を交わした、最後になった。神大佐は終戦の後、翌年の秋に、空の事故で世を去る。俺たちは二度と会うことがなかった。あの低い、逸った声を、いまも思い出す。
俺は局長室に、独りになった。
机のいちばん奥の引き出しを開けた。油紙にくるんだ一挺の拳銃が、そこにあった。若い頃、パリで、自分の金で買ったものだ。書類のどこにも載らぬ、俺だけの凶器――鬼になると決めたあの夜から、俺はこれを抜く日のことばかり、考えてきた。
手に取ると、冷たい鉄の重みが、掌に伝わった。
抜かずに、済んだ。
俺は拳銃を油紙にくるみ直し、引き出しの奥へ、静かに戻した。鬼にならずに、済んだのだ。
引き出しを閉めると、肩から、すうっと力が抜けた。
その日、東條の延命に使われた野村大将は、惨めだった。親任式から、わずか十八時間で辞表を出させられた。退庁のとき、海軍省の階段で、野村はこう言い捨てたという。
「就任わずか十八時間で辞表を出すなど、海軍として前代未聞の事態だ」
一夜大臣、と呼ばれた。だが海軍では、東條に利用されただけのこの人に、むしろ同情の声が多かった。
俺は岡田大将の屋敷へ急いだ。
岡田邸には、もう内田農相から、辞任を知らせる電話が入っていた。大将と俺は、顔を合わせると、ただ手を取り合った。言葉は、いらなかった。互いの眼に、涙が光っていた。
その日の午後。俺は増田へ向かった。
二階の座敷には、矢部君、伏下、天川、後藤、佐々が、すでに集まっていた。報せを待っていた一同である。
「倒れたぞ。東條が、倒れた」
俺が言うと、座敷がどっと沸いた。皆、肩を抱き合った。
「やりましたな、局長!」
天川が眼を真っ赤にして叫んだ。伏下は何も言わず、ただ深く頷いていた。
矢部君が、しみじみと言った。
「三月に箱根でやった作業と、私の書いた『戦争指導刷新論』が、結局、大いに物を言いました」
ママが、どこからか工面した酒を運んできた。あの、口の堅い女将だ。
「ママ。世話をかけたな。憲兵に、ずいぶん絞られたそうじゃないか」
「あら。あたしは字を知りませんから。何も書けやしません」
ママがけろりと言うので、座がまた沸いた。
俺たちは祝杯をあげた。だが俺の杯は、どこかほろ苦かった。
この座に、神がいない。中止の電報は、もう木更津へ打った。あの男も、刃を鞘へ納めたはずだ。だが、ここには、いない。
そして――有馬正文。いまも第一線で戦う、海兵四十三期の同期。柴崎も、伊集院も、矢野も、島で散っていった。あいつらの代わりに、俺はここまで来た。
刃は、抜かずに済んだ。血を、見ずに済んだ。これは俺たちのためにも、実に幸いだったと思う。
俺は杯を置いて、立ち上がった。
「だが、まだ終わっておらん。倒したのは東條ひとりだ。本当の戦いは、ここからだ。これからの人選が肝心でな。華族会館へ行って、ひと工作してくる」
同志たちの、まだ赤い眼が、いっせいに俺を見上げた。
窓の外は、まだ明るかった。長い長い夏の一日が、ゆっくりと暮れようとしていた。
【後書き】(松平康昌より)
僕は松平康昌。内大臣秘書官長を務めている。
海軍における高木少将のあの七月の覚悟を、当時の僕は知らなかった。海軍と宮中が本当に深く繋がるのは、もう少し後――昭和二十年一月、いわゆる「四人組」が正式に成立してからのことだ。
だがいま高木少将の話を聞くと、僕は深く頭を垂れずにはいられない。あの六月から七月にかけて、海軍中堅の一人が、自らの生命を絞首台に懸けて東條総理に刃を向けようとしていた。そしてそれを岡田大将が必死に押し止めながら、合法の側を加速させていた。
刃と、合法と。この二つは、決して相容れぬものではない。刃の存在が合法の側を、より速く、より遠くへ走らせる。これは外交の常道でも、政治の妙手でもない。命懸けの人間の道理だ。
次は宮中の眼で、僕、松平康昌が、あの七月を話そう。木戸閣下が東條総理に「三条件」を突きつけた、あの瞬間。十七日の朝、岡田大将の私邸へ僕が伝令として走った、あの夏の朝のことを。
【史実と創作について(参考文献との対応)】
◇ 史実に基づく主な事項
・本話の中核――高木惣吉が東條暗殺の刃を研ぎつつ、合法的な倒閣工作を並行させ、結局は刃を抜かずに済んだこと――は、高木自身の記録に基づく史実です。決行を七月二十一日(当初は十四日)に予定しながら、内閣が合法的に倒れたため実行に至らなかったこと、東條総辞職の報に「年来の重荷が一時に消えた心地」と記したことも、本人の記録によります。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、高木惣吉日記、川越重男『救国・聖断の史』〕
・岡田啓介を中心とする合法的倒閣工作の布石は史実です。六月二日、藤山愛一郎の芝白金の邸で、岡田が犬猿の仲だった米内光政・末次信正を和解させたこと(米内系の高木・矢牧、末次系の石川、岡田には迫水がつき、憲兵の目を避けて落ち合った)。六月四日、岡田が伏見宮博恭王に直言し、米内の現役復帰と嶋田更迭の地ならしの了承を得たこと。七月六日の翼賛政治会代議士会で、挙国一致体制を求める決議がなされたこと。〔岡田啓介『岡田啓介回顧録』、川越重男『救国・聖断の史』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』〕
・東條が天皇の勅語を引き出して延命を図ろうとした際、高木らが手分けして阻止工作に回ったことは史実です。高木が鈴木・岡田・米内の三大将を歴訪し、永野元帥や財界・省内は伏下哲夫が、末次・高橋両大将や警保局長は天川勇が、学界は矢部貞治が、近衛・木戸は後藤隆之助が、それぞれ説いて回ったことも、本人の記録によります。〔川越重男『救国・聖断の史』、高木惣吉『高木海軍少将覚え書』〕
・七月、憲兵が築地の待合「増田」に踏み込み、女将を九段下の東京憲兵隊本部へ連行したこと、女将が「帳面はつけていない」「親の遺言で字は書かない」と署名を拒んで口を割らず釈放されたこと、釈放後に緊張の糸が切れて土間にへたり込んだことは史実です(著者・吉松安弘氏が、女将および仲居二名への直接取材に基づいて記したもの)。この連行に際し、駆けつけた天川勇が激昂し、伏下哲夫が暗殺発覚の胸騒ぎを覚え、教育局長室で神重徳と計画を詰めていた高木も「暗殺が洩れたのではないか」と恐れ、以後「増田」の利用と外出を控えたことも、同じく記録によります。本話は、これらの出来事のみを史実として用い、地の文・台詞・場面の構成はすべて当方で新たに書き起こしました。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕
・神重徳が七月十三日に連合艦隊先任参謀へ転出したこと、高木らが一瞬「暗殺が洩れての配転では」と危惧したが、マリアナ沖海戦後の連合艦隊立て直し人事による自然な異動と判明して安堵したこと、これにより脱出計画の見直しから決行日が延期されたことは史実です。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』、高木惣吉日記、川越重男『救国・聖断の史』〕
・東條の内閣延命策(大トリック作戦)は史実です。七月十三日、木戸内大臣が東條に「統帥権の確立(大臣と総長の分離)」「嶋田海相の更迭」「挙国一致態勢の成就」の三条件を突きつけたこと。東條が嶋田を海相から退かせつつ軍令部総長には残し、後任海相に沢本次官を昇格させて実体を変えまいとしたこと。この沢本海相案が熱海の伏見宮に拒まれて頓挫し、代わって野村直邦大将が起用されたこと。七月十六日、上京した野村を東條が抱き込んだことも、史実です。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』、川越重男『救国・聖断の史』、阿川弘之『米内光政』〕
・岸信介の「閣内不一致」工作は史実です。当時の大日本帝国憲法下では首相に閣僚の罷免権がなく、閣僚一人の辞表拒否が内閣を総辞職に追い込む仕組みであったこと。岡田が娘婿の迫水久常を通じて岸に「辞表を求められても拒否せよ」と密命を伝えたこと。七月十七日未明に星野直樹書記官長の辞表要求を岸が拒み、昼前に東條へ「重臣が入閣せねば辞表を出さず、明日の閣議で緊急動議を出す」と最後通牒を突きつけたことも、史料に拠ります。〔迫水久常『大日本帝国最後の四か月』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』、川越重男『救国・聖断の史』〕
・七月十七日午後、平沼騏一郎邸での重臣会議(若槻・岡田・平沼・広田・阿部・近衛・米内の七名)は史実です。事前に近衛・岡田・平沼・若槻の四名が、東條不信任の結論を木戸から天皇へ伝えること、東條びいきの阿部にはこれを秘すことを申し合わせたこと。若槻の口火、米内の「内閣そのものの更迭が必要」「たとえ優諚があっても拝辞する」、平沼の「人の和」、近衛の同調、広田の入閣拒否、阿部ただ一人の反対と、それを若槻が「政府に伝えなくてもよい、阿部さんからでも伝えてもらおうか」と巧みにはぐらかしたこと。会議が「人心を新たにし、強力な挙国一致内閣を作る、内閣の一部改造は役に立たない」との決議をまとめ、岡田が決議文を携えて赤坂の木戸私邸へ運んだことは、いずれも史料に拠ります。なお高木は会議には不在で、本話はこれを岡田から後で受けた報告として叙述しています。重臣の台詞は、原典の言い回しを現代文に整えました。〔岡田啓介『岡田啓介回顧録』、近衛文麿『近衛日記』、木戸幸一『木戸幸一日記』、外務省編纂『日本の選択 第二次世界大戦終戦史録 上』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』〕
・七月十七日が酷暑であったことは史実です。岡田はこの日を「たいへん暑い日」と回顧しており、気象庁の記録でも、この日の東京は最高気温三七・〇度、平均気温三〇・二度、最低気温二四・二度に達していました。〔岡田啓介『岡田啓介回顧録』、気象庁「過去の気象データ検索」〕
・七月十七日、嶋田から野村への海軍大臣親任式の後、「増田」へ向かう高木に、木更津の連合艦隊司令部の神重徳から電話がかかり、「富士登山」(東條暗殺決行を意味する暗号。真珠湾攻撃発令の「新高山ノボレ」をもじったもの)の決行を問うたこと、高木が「内閣打倒ができない限り予定通りやる、二日前に必ず連絡する」と答えたこと、そしてこの対話が高木と神の最後のやり取りとなり、以後二度と会うことがなかったことは、いずれも史実です。台詞は原典の言い回しを現代文に整えました。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』、川越重男『救国・聖断の史』、高木惣吉『高木海軍少将覚え書』〕
・七月十八日午前、東條内閣が総辞職したこと。延命策に利用された野村直邦が親任式からわずか十八時間で辞表を出させられ、「一夜大臣」と呼ばれたこと(利用されただけのこの人に同情する声もあった)。高木が岡田邸に急行し、内田農相からの電話で辞任を知っていた岡田と無言で手を取り合い涙したこと。同日午後、高木・矢部・伏下・天川・後藤・佐々らが「増田」に集まって肩を抱き合い祝杯をあげ、矢部が「箱根の作業と『戦争指導刷新論』が物を言った」と語ったこと、高木が「人選が肝心だ、華族会館へ工作に行く」と早くも次を見据えたことは、いずれも史実です。〔高木惣吉日記、矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』、川越重男『救国・聖断の史』、阿川弘之『米内光政』〕
・高木の死生観、および「血を見ずに済んだことは、私達のためにも実に幸いであった」という戦後の回顧は、本人の記録に拠ります。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』〕
・登場人物の実際の立場。高木惣吉(海軍少将・海軍省教育局長)、神重徳(海軍大佐、七月十三日付で連合艦隊先任参謀へ転出)、岡田啓介(予備役海軍大将・元首相・重臣、倒閣工作の表の主導者)、米内光政(予備役海軍大将・元首相、嶋田の後任海相に擬せられた)、嶋田繁太郎(海軍大将・海相、更迭される)、野村直邦(海軍大将、「一夜大臣」)、伏見宮博恭王(元帥、沢本海相案を拒否)。
◇ 創作部分
・本話は、右に挙げた史実を骨格として、その細部を物語に組み立てたものです。教育局長室に走る冷たいもの、木更津からの電話の受話器の感触、平沼邸の暑熱、増田の座敷の沸き立ちと高木の杯のほろ苦さ、長い夏の夕暮れなど、各場面の具体的な心理・五感の描写、人物の表情やしぐさは、すべて創作です。
・神重徳の薩摩弁は、吉松安弘『東條英機暗殺の夏』の文をなぞらず、当方で起こしたものです。前話で言及した、机の奥のパリ仕込みの私物の拳銃と、それを抜かずに仕舞う場面は、創作です。
・東條の延命策や岸信介の閣内不一致を、迫水久常との電話のやり取りとして高木が知る形にしたのは、叙述上の構成です。重臣会議も、高木が会議に不在のため、岡田大将から後日聞いた形で描いています。増田の女将の台詞も、史実の出来事をもとにした創作です。
・有馬正文ほかの同期を高木の動機に重ねたのは、史実(高木の同期戦死者への思い)を踏まえた演出です。有馬は本話の時点では存命で第一線にあり、戦死するのはこの年の十月のことです。柴崎恵次・伊集院松治・矢野英雄は、いずれも高木と同じ海兵四十三期で、この戦争で戦死した同期です。
【人物紹介・用語集(初学者向け)】
本話の語り手・高木惣吉は、海軍大臣・米内光政のブレーンであった海軍少将で、海軍省教育局長を務める。前編で固めた「鬼の支度」を胸に、刃と合法の二本の道を進めるが、東條内閣が合法的に倒れたため、刃は抜かれずに鞘へ戻る。後書きの語り手・松平康昌は内大臣秘書官長で、次話(第69話)で宮中の眼から同じ七月を語る。四者が「終戦四人組」を結ぶのは翌昭和二十年一月のことだ。
■ 本話で重要な役割を担う人物
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893〜1979、当時51歳)
本話の前書き・本文の語り手。海軍少将、海軍省教育局長。米内光政のブレーン。暗殺の刃を研ぎつつ、岡田を中心とする合法的倒閣工作を並行させた。決行を七月二十一日に控えていたが、前日に東條内閣が総辞職したため、刃を抜かずに済んだ。若い同志を死なせまいとし、また自らの功を誇らなかった。
神重徳(かみ・しげのり、1900〜1945、当時44歳)
海軍大佐。前編まで海軍省教育局第一課長として高木の右腕を務め、暗殺の実動部隊を率いる立場にあった。七月十三日、マリアナ沖海戦後の立て直し人事で連合艦隊先任参謀へ転出。七月十七日、木更津から高木に電話し、「富士登山」(決行の暗号)の可否を問うた。これが高木との最後のやり取りとなった。終戦後の昭和二十年九月、航空機事故で死去する。
岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868〜1952、当時76歳)
予備役海軍大将、元首相。重臣の一人で、合法的倒閣工作の事実上の主導者。米内・末次の和解、伏見宮への直言、娘婿・迫水を通じた岸への密命、重臣会議の主導と、表の政治工作を一手に担った。十七日夜、重臣会議の決議文を木戸内大臣の私邸へ運ぶ。十八日、高木と無言で手を取り合い涙した。
米内光政(よない・みつまさ、1880〜1948、当時64歳)
予備役海軍大将、元首相。海軍の良識派の重鎮で、高木が長く支えてきた人物。岡田らの工作により嶋田の後任海相に擬せられる。東條からの執拗な入閣工作を断固として拒み、重臣会議で「内閣そのものの更迭が必要」「優諚があっても拝辞する」と最も強硬に倒閣を主張した。
嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう、1883〜1976、当時61歳)
海軍大将、海相。東條に協調的だとして「東條の腰巾着」と批判され、倒閣運動の標的となった。木戸の三条件と伏見宮の意向により海相を退くが、東條は彼を軍令部総長に残そうと図った(大トリック作戦)。
野村直邦(のむら・なおくに、1885〜1973、当時59歳)
海軍大将、呉鎮守府司令長官。嶋田の後任海相として東條に起用されるが、東條の延命の駒に使われ、親任式からわずか十八時間で辞表を出させられた。「一夜大臣」と呼ばれたが、海軍では、利用されただけのこの人に同情する声も多かった、悲運の人。
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893〜1957、当時51歳)
本話の後書きの語り手。内大臣秘書官長。福井藩主・松平春嶽の孫。木戸幸一内大臣の女房役として、宮中・重臣・各省の連絡調整を担う。次話(第69話)で、宮中の眼から東條おろしの七月を語る。のちに松谷・加瀬・高木と「終戦四人組」を結ぶ宮中側の要。
■ 本話に名前の挙がるその他の人物
平沼騏一郎(ひらぬま・きいちろう、1867〜1952)── 男爵、元首相、重臣。七月十七日の重臣会議を自邸で主催し、「人の和」を説いて倒閣に賛同した。
若槻礼次郎(わかつき・れいじろう、1866〜1949)── 男爵、元首相、重臣。重臣会議の座長を務め、阿部の異論を巧みにはぐらかして、東條不信任の決議をまとめた。
近衛文麿(このえ・ふみまろ、1891〜1945)── 公爵、元首相、重臣。重臣会議で倒閣に同調した。高木の側近・後藤隆之助や娘婿・細川護貞を通じて、海軍側とも繋がっていた。
広田弘毅(ひろた・こうき、1878〜1948)── 元首相、重臣。重臣会議で、明言を避けつつも入閣を拒んだ。
阿部信行(あべ・のぶゆき、1875〜1953)── 陸軍大将、元首相、重臣。会議で唯一、倒閣に反対した。会議の本当の狙いを知らされず、若槻にはぐらかされた。
木戸幸一(きど・こういち、1889〜1977)── 内大臣。天皇を補佐する宮中の要職。七月十三日、東條に三条件を突きつけ、十七日夜には岡田から重臣会議の決議文を受け取った。
沢本頼雄(さわもと・よりお、1886〜1965)── 海軍次官。前編で高木を諫めた上司。大トリック作戦では、嶋田の後任海相に擬せられたが、伏見宮に拒まれて実現しなかった。
伏見宮博恭王(ふしみのみや・ひろやす おう、1875〜1946)── 元帥、海軍の最長老の皇族。嶋田を引き立てた人物だが岡田の直言で米内復帰を了承し、また東條の沢本海相案を拒否して、その延命策を一つ潰した。
永野修身(ながの・おさみ、1880〜1947)── 元帥。野村直邦を新海相に推す協議に関わった。
迫水久常(さこみず・ひさつね、1902〜1977)── 内閣参事官。岡田の娘婿。岡田の密命を帯び、岸信介に辞表拒否を伝えた。のちに鈴木貫太郎内閣の書記官長。
岸信介(きし・のぶすけ、1896〜1987)── 無任所国務大臣兼軍需次官。岡田・迫水の要請に応じ、辞表を拒んで「閣内不一致」を作り出し、内閣を総辞職に追い込んだ。のち首相。
星野直樹(ほしの・なおき、1892〜1978)── 内閣書記官長。東條の使いとして、岸に辞表を求めた。
矢部貞治(やべ・ていじ、1902〜1967)── 東京帝国大学教授。高木の海軍懇談会の文人ブレーン。「戦争指導刷新論」を起草した理論的支柱。十八日、増田で祝杯をあげた。
伏下哲夫(ふしした・てつお、生没年不詳)── 海軍主計大佐。高木の同志。勅語渙発阻止工作で要人説得に回った。
天川勇(あまかわ・いさむ、生没年不詳)── 海軍教授(嘱託)。高木のブレーンの血気盛んな行動派。増田のママ連行に激昂した。
佐々弘雄(さっさ・ひろお、1897〜1948)── 朝日新聞論説委員。高木・近衛双方のブレーン。
後藤隆之助(ごとう・りゅうのすけ、1888〜1984)── 近衛文麿の側近。近衛・木戸への工作を担った。
四方諒二(しかた・りょうじ、1895〜1961)── 陸軍大佐、東京憲兵隊長。東條の腹心として、反東條派の監視・弾圧の実行責任者を務めた。
大政── 築地の待合「増田」の女将。「ママ」と慕われた。物資不足の戦時下にも酒食を工面し、憲兵の取り調べにも口を割らず、高木らの工作を守った。
■ 本話の主な用語
大トリック作戦
東條が内閣延命のために画策した人事の組み替え。嶋田を海相から退かせつつ軍令部総長には残し、後任海相に沢本次官を昇格させることで、天皇の求める「総長分離・海相更迭」の形だけを満たし、実体を温存しようとした。吉松安弘の著書で用いられた呼称。沢本海相案が伏見宮に拒まれて頓挫した。
一夜大臣
野村直邦が東條の延命の駒として海相に就いたが、親任式からわずか十八時間で辞表を出させられたことを指す。
富士登山・新高山ノボレ(にいたかやまのぼれ)
「富士登山」は、高木らが東條暗殺の決行を指して用いた暗号。「新高山ノボレ」は、昭和十六年十二月の真珠湾攻撃の開始を発令した暗号で、台湾の最高峰・新高山(現在の玉山)にちなむ。神はこれをもじって決行を「富士登山」と呼んだ。
優諚
天皇が大臣などに与える、ねぎらいや励ましのお言葉。東條はこれを政権延命の圧力に利用しようとした。米内は「優諚があっても拝辞する」と、天皇を政治に巻き込む手法を拒んだ。
緊急動議
会議の途中で、予定外の議題を緊急に提出すること。岸は、重臣が入閣しなければ、翌日の閣議で内閣総辞職を求める緊急動議を出す、と東條に最後通牒を突きつけた。
軍令部総長
海軍の作戦・用兵を統轄する軍令部の長。陸軍の参謀総長に相当する。東條は海相を退いた嶋田をこの職に残すことで、海軍への影響力を保とうとした。
親任式
天皇が、国務大臣など高位の官を任命する儀式。野村直邦は、この親任式を経て海相に就いたが、十八時間後には辞表を出すことになった。
勅語渙発
天皇の言葉(勅語)を公に発布すること。東條は勅語を引き出して政権の権威づけと延命に使おうと図り、高木らはこれを各方面に手を回して阻止した。
連合艦隊先任参謀
連合艦隊司令部の参謀の筆頭格。作戦の中枢を担う要職である。神重徳は、七月十三日にこの職へ転出し、木更津の司令部へ赴いた。
華族会館
華族(旧公家・大名家などの特権身分)の親睦・社交の施設。高木は総辞職の当日、早くも次の組閣に向けた工作のため、ここへ向かった。
【参考文献】
・高木惣吉『高木海軍少将覚え書』毎日新聞社、1979年
・川越重男『救国・聖断の史』人吉中央出版社、2003年
・吉松安弘『東條英機暗殺の夏 上・下』新潮社、1984年
・岡田啓介『岡田啓介回顧録』中公新書、2015年
・阿川弘之『米内光政』新潮社、1978年
・矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』読売新聞社、1974年
・迫水久常『大日本帝国最後の四か月』河出文庫、2015年
・鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』東京大学出版会、2011年
・気象庁「過去の気象データ検索」(東京、1944年7月17日)




