第67話「東條おろし(3/6)海軍 高木惣吉編(前)――鬼の支度」
【前書き】(高木惣吉より)
俺は海軍少将、高木惣吉。
昭和十九年六月、俺は鬼になると決めた。
合法の手段で東條総理をその椅子から引きずり下ろせぬのなら、刃を取る。絞首刑になろうと銃殺刑になろうと悔いはない。机の奥には、若い頃にパリで求めた一挺の拳銃が眠っていた。書類のどこにも載らぬ、俺だけの凶器だ。
諦めではない。覚悟だ。
だが俺は刃を研ぎながら、もう一本の道も手放さなかった。合法の道だ。重臣を動かし、世論を作り、東條内閣を内側から崩す。それで倒れるなら、刃は抜かずに済む。
刃と、合法と。俺は二本の道を同時に歩いた。
刃の前には、人がいた。岡田大将がおられた。神重徳がいた。築地の小さな待合に集う同志たちがいた。彼らがいなければ、俺は刃を握ることもできず、ただ崩れていただろう。
あの六月の十日間、俺がいかにして鬼の支度を整えたか。その話をする。
【本文】
昭和十九年六月二十四日。
鬼になると決めた、その翌朝。俺はまず刃ではなく、人に会いに行った。淀橋角筈の、岡田啓介大将の屋敷である。
門前には憲兵の哨舎が据えられていた。向かいの一軒がまるごと監視所と化し、電話は盗聴され、出入りの客はすべて記録される。
俺は隠れなかった。
海軍少将の制服をまとい、錨のマークを付けた公用車に将官旗をなびかせて、白昼堂々と門前に乗りつけた。私服に着替えたところで尾行は避けられぬ。ならば見せつけてやる。海軍の現役将官が、公然と岡田大将のもとへ通う。それは東條総理への、海軍からの無言の挑戦状だった。
門の憲兵が俺に敬礼した。俺は答礼して門をくぐった。
書斎で大将と向かい合った。淹れていただいた番茶から、細く湯気が立っていた。
俺はまず、嶋田の居座りと、敗け戦へ転がる現状を痛烈に述べた。海軍中堅の怒りは、もう爆発寸前だと。そして言った。
「海軍の伝統も、国家の興廃には代えられません。敗け戦をしても、部内の統制さえ保てばよいというものでもないでしょう。これからは、閣下方が非常に遺憾とお考えになる事態が、続発するかもしれません。それは――どうか、お赦しを願いたいのです」
遠回しだが、意味は通る。暗殺だ。
岡田大将の額に、薄く汗が滲んだ。二・二六事件で反乱の兵に襲われ、義弟を身代わりにして生き延びたこの人にとって、テロほど忌むべきものはない。
「とんでもないことだ」
大将の声が低く、鋭くなった。
「いま我々は、湊川の大楠公の心境をもって善処せねばならぬ秋だ。多少思うようにいかずとも、決して軽はずみに動くな。事を誤れば、大変な結果になる」
大楠公。湊川の戦で、勝ち目のない戦に出陣して死んだ楠木正成。死すべき時と、生くべき時とを説く、忠臣の鑑だ。岡田大将は俺に、死ぬな、生きて後日を期せ、と仰せである。
俺は退かなかった。
「お言葉ですが、建武の時と今日とでは、まるで違います」
大将の眼が、わずかに見開かれた。
「あの頃は国内だけの争いでした。足利が勝っても、国体が危うくなることはない。ですが今日、ひとたび事破れれば、二千年の歴史が永遠に滅びるのです」
俺の声は、自分でも不思議なほど静かだった。
「それに――湊川へ馳せ向かった大楠公は、手勢わずか七百を率いて死地に入りましたが、精鋭の大半は子の正行に付けて河内へ帰し、己が亡きあとの朝廷の守りを、ちゃんと残しておられる。今日もし海軍が敗れ去れば、赤坂や金剛山に、いったい何が残りますか。私は大将のお言葉ですが、大楠公の真似はできません」
番茶の湯気は、もう立っていなかった。
岡田大将は両眼を閉じておられた。やがて目を開き、俺を睨み据えるように見つめられた。その眼は炯々として、しかし額は汗ばみ、ひどく緊張しておられた。
「もしこれで日本が救えるなら、絞首刑でも銃殺刑でも、悔いはありません」
大将の顔から、すっと血の気が引いた。しばらく黙ったのち、絞り出すように言われた。
「……真にやむを得ずやる時は、必ず、わしに言ってからやってくれ」
刃を握ろうとする俺を、力で抑えることは、もうできぬ。岡田大将はそう悟られたのだ。
俺はこの瞬間、大将との間に、誰にも見えぬひとつの契約が結ばれたのを知った。俺が刃を握る以上、大将は合法の手段を寸時も緩めず、最後まで使い切られるだろう。
*
その日の午後。海軍大学校の俺の教育局長室に、迫水久常が追いかけてきた。岡田大将の娘婿で、内閣参事官を務める男だ。
「今朝あなたは、親爺さんに大楠公の真似はせぬと言われたそうですな。親爺さんが、ひどく心配しております」
迫水の額にも汗が浮いていた。
「何かやるときは、事前に必ず話すように、と。もう一度念を押してこいと言われました」
「承りました」
俺は頷いた。
「必ずお言葉に従うように致します。そう、お伝えください」
その場はそれで収めた。だが俺の腹は、もう決まっていた。
*
その晩、俺は霊南坂の暗がりで、神重徳大佐と落ち合った。
神は海軍省教育局の第一課長。海軍大学を恩賜で出た砲術の俊才で、ドイツ駐在の経験もある。天才肌で独断専行の癖はあるが、俺の右腕といってよい男だ。薩摩の生まれで、声を低めると訛りがかすかに混じる。
「高木さん」
神が闇の中で口を開いた。
「実行は七名。すべて海軍の軍人だけで固めもした。右翼も民間人も、一切噛ませもはん。東條総理が閣議へ向かうは、火曜と金曜の朝十時。必ずオープンカーに乗りもす。海軍省の手前の四つ角は、挟み撃ちにできもす。海軍省の構内に一台、大審院の濠沿いに一台、内務省側に一台。錨を付けた車なら、停めておいても怪しまれもはん」
神は外套の内から紙片を取り出した。
「決行のあと、六名は車で厚木へ走り、小園中佐の手配する一式陸攻で、台湾へ脱出しもす。現場に残るは、最高責任者の俺、ただ一人」
俺は紙片を月明かりに透かした。七つの名。どれもこの数年、共に酒を酌み、共に戦況を論じてきた、信じるに足る海軍の男たちだった。
「神。お前らは、台湾で必ず生き延びろ」
神が何か言いかけた。俺は遮った。
「現場に残るのは俺だ。全責任は俺が負う。お前らはこれから先の日本のために生きるのだ」
神はしばらく無言だった。やがて低く、声を絞り出した。
「高木さん。死ぬのが、おはん一人で済むのなら――なぜ、おいたちが残らんとですか」
「神。許さぬ」
俺の声は、知らぬうちに厳しくなっていた。
「有馬正文を覚えておるか。いまも第一線で戦っておる。あの男や、島で散った同期の代わりに、お前らがこれからの日本を立て直すのだ。俺の役目はここまで。お前らの役目は、ここからだ」
神の眼が、月光の下で潤んでいた。
俺に、死は怖くなかった。上海事変で血を吐いたとき、俺の躰は一度死んでいる。いまさら、惜しいものも欲しいものもない。ただ――大事は、死を恐れては何もできぬ。しかし、死んでしまっては、これもまた何もできぬ。だから俺は、若い者を死なせはしない。
風が霊南坂の闇を吹き抜けた。灯火管制の街灯が、遠くぼんやりと滲んでいた。
「決行は」
「サイパンの決着を、見届けてから」
神は深く一礼した。俺たちは暗がりの中で、静かに別れた。
帰り道、俺は一人で坂を上った。革靴の音が、湿った石畳にこもって響いた。月がわずかに傾いていた。
*
六月二十七日の夕刻。俺は上司の沢本頼雄海軍次官に、次官室へ呼ばれた。
東條総理が岡田大将を官邸へ呼びつけて牽制した、まさにその日のことだ。沢本次官の呼び出しも、東條側の反撃の一環だった。
「高木。君が岡田さんのところへ、しきりに出入りしておるようだが」
次官は言葉を選びながら言った。
「梨下の冠、瓜田の履、ということもある。なるべく往き来せぬほうがよいと思うがね」
暗に、倒閣から手を引けという警告だった。俺は弁解も妥協もしなかった。
「ご注意、痛み入ります。以後、気をつけましょう。ですが、もし東條に好意を持てという意味でしたら、私にはできません。私は海軍に身を置いて今日まで来ましたから、どんな事態でも、海軍に弓は引きません。ですが、東條内閣を庇護せよと言われるのなら、たとえここで首にされても、それはお断りします」
次官の眉が、ぴくりと動いた。
「それは、どういう訳かね」
「東條という人の努力も勉強ぶりも、私は認めます。ですが政治は、修学やスポーツではありません。いま天下の民心はことごとく東條を離れ、努力すればするほど、結果は逆に出ております」
俺は一気に言った。
「このまま進めば、平氏が安徳天皇を奉じて壇の浦に沈んだように、東條は皇室を背負ったまま、亡国の道を行くでしょう。人の言葉に耳を貸さぬ政治は、国を破る。それが幕府政治と呼ばれる所以です。こういう人には、たとえ命令でも、好意は持てません」
次官室が静まり返った。
「繰り返して申し上げます。ご注意には善処します。もし大臣や次官に、ご迷惑がかかっておりましたら、存分にご処置ください。ただし――私は東條には同調できません。これだけは、はっきり申し上げます」
俺は自分の首を差し出す覚悟で言った。
沢本次官は、しばらく何も言わなかった。
*
六月二十八日の夜。俺は築地の待合「増田」の二階に、矢部貞治君を招いた。
矢部君は東京帝大の政治学の教授。俺の集めた海軍懇談会の、文人の柱だ。陸軍や右翼の暴力を、誰よりも嫌う人でもある。俺自身、あの手の野蛮を嫌悪してきた。それだけに、これから口にすることは重かった。
「増田」は本願寺の北側の横丁を入った、しもた屋風の目立たぬ二階屋だ。女将を、俺たちは親しみを込めて「ママ」と呼んでいた。物のない時節に、酒も肴もよく工面してくれる。密議には、これ以上ない隠れ家だった。
別室で、俺は計画を打ち明けた。実行部隊は俺が指揮する。矢部君には、決行に即応する政権の組み換えを、黒子として準備してもらいたい、と。
矢部君は眼を閉じて、長いこと考えていた。やがて口を開いた。
「高木さん。せっかくですが、いまのお話は、私には聞こえなかったことにします」
俺は息を呑んだ。
「私も、東條内閣は倒さねばならぬと強く感じています。ですが私は政治学者です。どれほど困難でも、政治工作の範囲で実現すべきだと信じています。皆さんがこれにどう対処なさるかは、別の問題です」
筋の通った、立派な識見だった。俺はそれを諒とした。再考は求めなかった。矢部君の言い分はよくわかったし、その人物を信じていたからだ。
「ただ――」
矢部君は眼鏡の奥から、まっすぐ俺を見た。
「生きて、戻ってきてください。終わったあとの日本を、われわれはあなたに立て直してほしいのです」
俺は頷くだけだった。
眼鏡の奥の、矢部君の眼が、灯火にわずかに光っていた。
*
翌六月二十九日の夜。再び「増田」の二階座敷に、同志が集まった。
俺、神大佐、主計大佐の伏下哲夫、朝日新聞論説委員の佐々弘雄、近衛公の側近・後藤隆之助。そして、五・一五事件で犬養首相を撃った三上卓。酒は禁じた。厳粛な席だった。
佐々が口火を切った。
「この計画の目的は、東條を討つこと、そのものではない。問題は、討ったあとの政府の方策だ。そこをきちんと固めておかねば、いかんのじゃないか」
「広げすぎは危うい」
俺は答えた。
「目標を広げて、初期の目標を達したあとの段取りまで立てようとして、秘密が漏れる。あるいは、わずかな手違いで全計画が崩れる。過去のクーデターは、みなそうして潰れた。だから東條を消す、その一点にだけ焦点を絞る。事後の処理は、重臣と側近にすべて託す。それでよい」
全員が頷いた。
「もうひとつ」
俺は続けた。
「合法の政治工作で東條を倒せるなら、それに越したことはない。その努力も並行して続ける」
三上が低く尋ねた。
「その場合は、やらんのですか」
「やらん」
俺ははっきりと言った。
「合法で倒れた、その場合に限って、やらない可能性がある。そう理解してくれ」
刃は研ぐ。だが抜かずに済むなら、それがいちばんいい。
障子の外で、灯火管制の闇が東京の街を覆っていた。物言わぬ街の底で、俺たちの密議だけが、静かに熱を持っていた。
鬼の支度は、整った。
あとは合法の道がどこまで保つか。そして、サイパンの決着を待つだけだった。
【後書き】(神重徳より)
神重徳である。海軍大佐。高木さんの下で、教育局の第一課長を務めておる。
あの六月、俺は本気で東條を討つつもりだった。
薩摩の生まれの俺は、理屈より先に躰が動く。戦艦山城をサイパンに擱座させて殴り込む作戦も、大和と武蔵を礁に乗り上げる奪回も、俺は本気で願い出た。中沢部長には「神がかってきた」と冷笑された。けっこう。神がかりでもなんでも、国が救えるならそれでよか。
その俺が、高木さんにただ一つ、答えられぬ問いを突きつけた。東條と嶋田があくまで政権を離さぬ場合、最後の決め手がありますか、と。
高木さんは答えられなかった。だから、刃を取られた。
刃を握るのは、本来、俺たち若い者の役目だ。なのにあの人は、現場に残るのは俺一人だ、お前らは生きろ、と言われる。局長ともあろう人が、絞首台を一人で背負おうとされる。
俺は承服できぬ。だが、あの人の眼を見れば逆らえぬ。
決行は、サイパンの決着を見てから。七月の、なかば。
あの夏、俺たちの刃が本当に振るわれたのか。それとも、抜かれずに鞘へ納まったのか。それは、局長の口から、次に語られよう。
俺はただ、相棒の覚悟の傍らに黙って立っていた。それだけだ。
【史実と創作について(参考文献との対応)】
◇ 史実に基づく主な事項
・本話の中核――高木惣吉が東條暗殺を決意し、刃と合法の二本の道を同時に進めたこと――は、高木自身の記録に基づく史実です。高木は昭和十九年六月、東條・嶋田が政権に居座る限り戦局の挽回も戦争の終結も不可能と見極め、最悪の場合の手段として暗殺を決意しました。事後の処理は重臣・側近に託し、自らが全責任を負って「絞首刑になっても銃殺刑にされても悔いはない」と覚悟したこと、合法的な政治工作で倒せるならそれに越したことはなく、その努力も並行したことも、本人の記録によります。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』〕
・六月二十四日、淀橋角筈の岡田啓介邸での「大楠公問答」は史実です。高木が「閣下方が非常に遺憾とお考えになる事態が続発する」と暗殺を婉曲に示唆したこと、岡田が「湊川の大楠公の心境をもって善処せねばならぬ」と楠木正成の故事で自重を求めたこと、高木が「建武の時とは違う」「二千年の歴史が永遠に滅亡する」「大楠公は精鋭を正行に付けて河内へ帰し朝廷の守りを残した」「大楠公の真似はできません」と猛反論したこと、岡田が圧倒され「眼光炯々として睨み据えるも額は汗ばみ緊張」し、「真にやむを得ずやる時は必ず私に言ってからやってくれ」と妥協したこと。これらはいずれも高木の記録に拠ります。台詞は原典の言い回しを現代文に整えました。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』〕
・同日午後、岡田の娘婿・迫水久常が海軍大学校内の教育局長室に高木を追いかけ、「親爺が非常に心配しとる」「何かやるときは事前にぜひ話するように」と念を押し、高木が「必ず御言葉に従うように致します」と受けたことも史実です。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』〕
・神重徳大佐が前夜(六月二十二日)に五・一五事件で犬養首相を撃った三上卓と密会し、翌日その報告を受けた高木が暗殺計画の具体化を即断したこと、計画が、実行は海軍軍人のみ七名・右翼や民間人は実行に加えない・火曜と金曜の朝十時に閣議へ向かう東條のオープンカーを海軍省手前の四つ角で挟撃する・厚木の小園安名中佐の手配する一式陸攻で台湾へ脱出する・現場には高木一人が残り全責任を負う、という骨子であったことは史実です。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 上・下』〕
・六月二十七日、東條が岡田を官邸に呼んで牽制したのと同じ日、高木が上司の沢本頼雄海軍次官から「梨下の冠、瓜田の履ということもあるから往復せぬように」と警告され、これに対し「東條に好意を持てという意味なら、ここで首にされても御断りする」「政治は修学やスポーツではない」「平氏が安徳天皇を奉じて壇の浦に落ちたように、東條は皇室を負うて亡国の道行きをする」「人言に耳をかさぬ政治は国を破る」「東條には同調できない」と毅然と反駁したことは史実です。台詞は原典の言い回しを現代文に整えました。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』〕
・高木が憲兵の監視・尾行を逆手にとり、私服に隠れず海軍少将の制服と錨のマークの公用車・将官旗で岡田邸や近衛邸へ堂々と通ったこと、それが海軍が現役将官をして公然と倒閣・和平に動いている証しとなり、同志を力づけたことも史実です。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』、井上成美伝記刊行会編『井上成美』〕
・六月二十八日夜、高木が最も信頼する民間人ブレーンの矢部貞治東大教授を築地の待合「増田」に招いて暗殺計画を打ち明け、矢部が「私も東條内閣は打倒しなければならぬと感じているが、政治学者として政治工作の範囲で実現すべきだと思う。私には高木さんのお話は聞こえなかったことにします」と答え、高木がこれを諒として再考を求めなかったことは史実です。なお、この遣り取りは当時の日記には記されておらず、戦後の関係者の証言によって伝えられています。台詞は原典の言い回しを現代文に整えました。〔川越重男『救国・聖断の史』〕
・六月二十九日夜、「増田」に高木・神重徳・伏下哲夫・佐々弘雄・後藤隆之助・三上卓らが集まり、酒を禁じた席で事後処理を論じたこと、佐々が「目的は討つこと自体でなく、そのあとの政府の方策だ」と提起し、高木が「東條を消却する一点に焦点を絞り、事後の処理は重臣・側近に託す」「合法工作で倒せればこれに越したことはなく、その努力も並行する」と方針を示し、三上の「その場合はやらないのか」に「やらない可能性がある」と答えたことは史実です。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕
・築地の待合「増田」が海軍省調査課ゆかりの店で、女将が物資不足の戦時下にも酒食を工面して同志をもてなし、海軍懇談会と倒閣工作のアジトとなっていたことは史実です。〔矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏 上・下』〕
・高木が玉砕・特攻に酔うのとは異質の死生観を持っていたこと。「上海事変で血を吐いた時すでに死んだ躰」「いまさら欲しいものも惜しいものもない」「大事は死を恐れては何も出来ない、しかし死んではこれまた何も出来ない」という考えは、本人の記録に拠ります。〔高木惣吉『高木海軍少将覚え書』、川越重男『救国・聖断の史』〕
・登場人物の実際の立場。高木惣吉(海軍少将・海軍省教育局長、米内光政のブレーン)、神重徳(海軍大佐・教育局第一課長、海大恩賜の砲術家でドイツ駐在経験)、岡田啓介(予備役海軍大将・元首相・重臣、二・二六事件で襲われ義弟が身代わりとなった)、沢本頼雄(海軍次官、高木の上司)、矢部貞治(東京帝大教授、海軍懇談会の文人ブレーン)、迫水久常(内閣参事官、岡田の娘婿)、三上卓(五・一五事件で犬養首相を撃った元海軍将校)。
◇ 創作部分
・本話は、右に挙げた高木の実際の活動と覚悟を骨格として、その細部を物語に組み立てたものです。岡田邸の番茶の湯気、霊南坂の月と石畳、次官室の沈黙、増田の障子と灯火管制の闇など、各場面の具体的な台詞・心理・五感の描写、人物の表情やしぐさは、すべて創作です。
・第五章で言及される、机の奥にしまったパリ仕込みの私物の拳銃は創作です。これは第五十五話および陸軍・松谷誠の官給品の拳銃との対照を意図したもので、非合法の暗殺に用いる私的な凶器を象徴させています。
・神重徳の薩摩弁は、吉松安弘『東條英機暗殺の夏』の文をなぞらず、当方で起こしたものです。後書きの神の独白も、史実(山城擱座の具申、神が高木に「最後の決め手があるか」と反問したこと等)を踏まえた創作です。
・本話では、いわゆる「TM計画」という呼称と、六月三十日に高木が高松宮へ暗殺を打ち明けて事後処理を託したという挿話を採っていません。これらは吉松安弘『東條英機暗殺の夏』の脚色であり、『高松宮日記』にも高木の一次史料にも裏づけがなく、細川護貞も戦後「高木さんの東條暗殺は軍人だけでやる計画で、私たちは何も知らなかった」と証言しています。本話は史実に忠実に、暗殺を軍人だけの極秘計画として描き、事後の処理は「重臣・側近に託す」という高木自身の記録どおりの方針にとどめました。
・有馬正文を高木の動機に重ねたのは、史実(高木の同期戦死者への思い)を踏まえた演出です。なお有馬は本話の時点では存命で、第一線にあった海兵四十三期の同期であり、戦死するのはこの年の十月のことです。
【人物紹介・用語集(初学者向け)】
本話の語り手・高木惣吉は、海軍大臣・米内光政のブレーンであった海軍少将で、海軍省教育局長を務める。前話まで外務省の加瀬俊一が描いた東條おろしを、今度は海軍の側から、その黒子の口で語る。熊本・人吉の貧農の出で、中学にも進めず製本工場の職工をしながら独学で兵学校に入った叩き上げである。前話七月の時点では、加瀬・松谷・松平とはまだ互いを知らず、四者が「終戦四人組」を結ぶのは翌昭和二十年一月のことだ。
■ 本話で重要な役割を担う人物
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893〜1979、当時51歳)
本話の前書き・本文の語り手。海軍少将、海軍省教育局長。米内光政のブレーン。合法的な倒閣工作の暗礁を見て、東條暗殺の決意を固める。岡田啓介との「大楠公問答」、沢本次官への啖呵、矢部への告白、増田の密議を経て、刃と合法の二本の道を同時に進める。玉砕・特攻に酔うのとは異質の死生観の持ち主で、若い同志を死なせまいとした。戦後、その回想を多く書き残し、終戦史の貴重な証言者となった。
神重徳(かみ・しげのり、1900〜1945、当時44歳)
本話の後書きの語り手。海軍大佐、海軍省教育局第一課長。高木の右腕。海軍大学を恩賜で出た砲術の俊才で、ドイツ駐在の経験がある。天才肌だが独断専行の癖があり、戦艦山城のサイパン擱座など捨て身の作戦を本気で具申した。三上卓と通じて暗殺計画の実行を担い、現場の七名を率いる立場にあった。終戦後の昭和二十年九月、航空機事故で死去する。
岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868〜1952、当時76歳)
予備役海軍大将、元首相。重臣の一人で、合法的な倒閣工作の事実上の主導者。高木ら中堅の突き上げを一身に受け止め、米内光政と末次信正を和解させる三巨頭会談、伏見宮への直言など、表の政治工作を担う。二・二六事件で反乱軍に襲われ、義弟・松尾伝蔵を身代わりにして生き延びた経験から、テロを最も忌んだ。「大楠公問答」で高木を懸命に押しとどめようとする。迫水久常はその娘婿。
沢本頼雄(さわもと・よりお、1886〜1965、当時58歳)
海軍次官、高木の上司。本話では、岡田邸へ頻繁に出入りする高木を「梨下の冠、瓜田の履」と諫め、暗に倒閣から手を引くよう警告するが、高木に毅然と撥ね返される。のちに東條の内閣延命策(大トリック作戦)では、嶋田の後任海相に擬せられる立場に置かれる。
矢部貞治(やべ・ていじ、1902〜1967、当時42歳)
東京帝国大学教授(政治学)。高木の海軍懇談会の文人ブレーンで、「戦争指導刷新論」の起草を担った理論的支柱。陸軍や右翼の暴力を強く嫌い、高木から暗殺計画を打ち明けられても、政治学者として合法的手段に徹し「聞こえなかったことにする」と答えた良識の人。本話では増田での告白の場面に登場する。
迫水久常(さこみず・ひさつね、1902〜1977、当時42歳)
内閣参事官。岡田啓介の娘婿。本話では「大楠公問答」の直後、岡田の意を受けて高木に念を押す役で登場する。岡田を中心とする倒閣工作の連絡パイプ役を務め、のちに鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長として終戦の御前会議に立ち会う。
■ 本話に名前の挙がるその他の人物
三上卓(みかみ・たく、1905〜1971)── 元海軍将校。五・一五事件で犬養毅首相を撃ち、服役後に出獄した。神重徳を介して暗殺計画に加わるが、秘密保持のため実行からは外され、民間人は一切関与させない方針がとられた。
伏下哲夫(ふしした・てつお、生没年不詳)── 海軍主計大佐。ドイツから潜水艦で帰国したエリート士官。高木の同志で、暗殺計画に「やりましょう」と即答した。合法工作でも要人説得に奔走した。
佐々弘雄(さっさ・ひろお、1897〜1948)── 朝日新聞論説委員。近衛文麿のブレーンでもあり、海軍懇談会の中心人物の一人。増田の密議で「目的は討つこと自体でなく、そのあとの方策だ」と提起した。
後藤隆之助(ごとう・りゅうのすけ、1888〜1984)── 近衛文麿の側近。昭和研究会を主宰した。近衛と海軍側を結ぶ連絡役を務めた。
小園安名(こぞの・やすな、1902〜1960)── 海軍中佐、厚木航空隊司令。神重徳と同郷(鹿児島)の海兵後輩で、暗殺決行後の脱出機(一式陸攻)の手配に協力する手はずだった。終戦時、厚木で徹底抗戦を叫ぶ反乱を起こす。
有馬正文(ありま・まさふみ、1895〜1944)── 海軍少将。高木と同じ海兵四十三期。本話の時点では第一線にあり、高木が刃を取る動機の側に置かれる。この年の十月、台湾沖航空戦で自ら攻撃機に搭乗して未帰還となる。
米内光政(よない・みつまさ、1880〜1948)── 予備役海軍大将、元首相。高木が仕えた海軍の良識派の重鎮で、岡田らの工作により嶋田の後任海相に擬せられる。七月十七日の重臣会議で入閣を断固拒否する。
嶋田繁太郎(しまだ・しげたろう、1883〜1976)── 海軍大将、海相。東條に協調的な「東條の腰巾着」と批判され、倒閣運動の標的となる。海軍部内・宮中からの更迭圧力にさらされる。
■ 本話の主な用語
大楠公・湊川
大楠公は、南北朝時代の武将・楠木正成の敬称。建武三年(一三三六年)、足利尊氏の大軍を迎え撃つため、勝ち目の薄い湊川(現在の神戸市)の戦に出陣し、子の正行を河内へ帰してから討ち死にした。死すべき時と生くべき時をわきまえた忠臣の鑑とされる。岡田は「生きて後日を期せ」の意で引いたが、高木は「正成は朝廷の守りを残して死んだが、海軍が敗れれば後に何も残らない」と論理を逆手にとった。
二・二六事件
昭和十一年(一九三六年)二月二十六日、陸軍の青年将校らが部隊を率いて起こしたクーデター未遂事件。岡田啓介首相(当時)も襲撃を受けたが、義弟の松尾伝蔵が身代わりに射殺され、岡田は難を逃れた。岡田がテロを忌む原点である。
教育局長
海軍省教育局の長。海軍の教育・人事の一部を統轄する要職。高木はこの職にあって、兵学校の無試験採用方針に自らの叩き上げの出自を引いて反発し、また級友や教え子の戦死を前に拱手傍観できぬという責任感を抱いた。
霊南坂
東京・赤坂と虎ノ門の間の坂。本話では、高木と神が人目を避けて落ち合う密会の場として描かれる。
増田
築地本願寺の北側にあった小さな待合。海軍省調査課ゆかりの店で、高木の海軍懇談会と倒閣工作のアジトとなった。女将が物資不足の戦時下にも酒食を工面し、軍人や学者の密議を温かくもてなした。昭和二十年三月十日の東京大空襲で焼失する。
梨下の冠・瓜田の履
「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」の故事に基づく言い回し。疑いを招くような紛らわしい振る舞いは慎め、の意。沢本次官は、高木の岡田邸通いがあらぬ疑いを呼ぶと暗に諫めた。
将官旗
将官(少将以上)の乗る車や艦に掲げる旗。高木は憲兵の監視を逆手にとり、将官旗を立てた公用車で堂々と要人宅を訪ね、海軍の意思を無言で示した。
一式陸上攻撃機
海軍の双発の中型爆撃機。長い航続距離を持つ。暗殺決行後、実行者を厚木から台湾へ脱出させる手段として計画に組み込まれた。
海軍懇談会
高木らが組織した、海軍軍人と民間の有識者(学者・新聞人ら)による私的な研究・懇談の集まり。戦争指導の刷新を論じ、倒閣工作の頭脳として機能した。矢部貞治・佐々弘雄・天川勇・伏下哲夫らがその中心であった。
【参考文献】
・高木惣吉『高木海軍少将覚え書』毎日新聞社、1979年
・川越重男『救国・聖断の史』人吉中央出版社、2003年
・矢部貞治日記刊行会編『矢部貞治日記 銀杏の巻』読売新聞社、1974年
・岡田啓介『岡田啓介回顧録』中公新書、2015年
・吉松安弘『東條英機暗殺の夏 上・下』新潮社、1984年
・鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』東京大学出版会、2011年




