第66話「東條おろし(2/6)外務省 加瀬俊一編」
【前書き】(加瀬俊一より)
加瀬俊一である。
外交官という稼業は、嘘を上品に並べ、真実を優雅に隠す芸当だと、世間は言う。皮肉なものだ。あの昭和十九年の七月、私は生涯でもっとも嘘をつかず、もっとも優雅さに欠ける十八日間を過ごした。
書類は残さぬ。電話は使わぬ。手紙も書かぬ。紙に一字でも残せば、四方諒二の憲兵隊が嗅ぎつける。私に許された道具は、ただ三つ――己の脚と、一頭の馬と、口先の伝言だけだった。
外交官とは本来、国と国の間に橋を架ける職である。ところがあの十八日間、私が架けた橋は、ことごとく東京の内側に架かっていた。代々木の馬場と、内幸町の官邸と、議会の控室と、宮中の御殿と――東條英機という一人の男を、その椅子から下ろすために。
主人たる重光葵に、一点の泥も飛ばさぬこと。それが秘書官の流儀である。私は重光葵という名を、ついぞ門の外へ出さなかった。
市ヶ谷を追われ、南京の空の下にある松谷さんに、いつか申し上げたい。あなたが命を懸けて陸軍に放った直言を、われわれ外務省が、この東京で、どのように受け継いだかを。
【本文】
昭和十九年(一九四四年)七月一日、早暁。
代々木の乗馬倶楽部の馬場は、霧に沈んでいた。
私は栗毛の鞍に跨り、湿った朝霧の中で馬を緩歩(かんぽ=ゆっくり歩かせること)させていた。轡の鈴の音が、霧に吸い込まれてこもる。
馬場の入口に、二つの影が現れた。
一人は商工省局長の美濃部洋次。府立第一中学のわが先輩である。もう一人は大蔵省の迫水久常。岡田啓介大将の娘婿だ。
二人とも騎乗である。馬上で会するのは、当時の東京の特殊な事情の上に成り立つ、極上の密会の手であった。
「加瀬」
美濃部局長が馬を寄せてきた。汗ばんだ栗色の鬣を、軽く撫でる。
「岸が、揺らいでおる」
「単独辞任ですか」
「東條総理が明日にも、星野書記官長を介して辞表提出を迫ってくる。そういう情報だ」
轡を握る指に、自然と力が入った。
「岸が辞表を出してしまえば」
「ただの内閣改造で、東條総理は生き残る」
迫水が霧の中から、低い声で繋いだ。
「閣内不統一に持ち込まねば勝てぬ。岸を、踏み止まらせるのだ」
私は頷いた。
憲法の上では、首相に閣僚を罷免する権限はない。閣僚が一人でも辞表提出を拒めば、閣議は不統一に陥り、内閣は総辞職するほかなくなる。これが岡田大将と木戸閣下の描かれた、唯一の合法的な倒閣の道筋だった。
「重光・岸・内田――三相連名で、東條総理に辞任勧告を突きつける」
美濃部局長が馬上で身を乗り出した。
「内田農商相は岡田大将の盟友だ。重光は外務省の真の旦那である。岸がここで揺らがねば、三相そろって辞任勧告が叩きつけられる。閣内不統一は決定的となる」
「内田農商相の御意向は」
「これから――俺たちがいまから、この馬場で確かめる」
遠く、馬場の柵の向こうから、葦毛の馬が一頭、霧を割って近づいてきた。鞍上の人影は、内田信也その人であった。
乗馬服に身を包んだ農商相が、馬上で軽く目礼された。
「加瀬君、美濃部君、迫水君――早朝から、ご苦労」
私は馬上のまま頭を下げた。
「閣下。お話は要点のみ申し上げます。重光外相、岸国務相、そして閣下――三相連名で、東條総理に辞任勧告を突きつけていただきたいのです」
内田農商相は、しばし無言であった。
馬の蹄が、湿った砂を軽く掻く。
「岡田大将の意向か」
「岡田大将、ならびに木戸内大臣の御意向です」
「重光外相は、これに同意か」
「重光外相は、この後私が責任を持って、御納得いただきます」
内田農商相が、深く一つ息を吐かれた。
「よかろう。俺の一存で引き受ける。ただし岸が崩れた瞬間、すべてが水泡に帰す。岸を、見張れ」
「承知しました」
馬上での会談は、三十分ほどで終わった。
帰り際、馬場の門を出る瞬間、私は振り返った。霧の中で、内田農商相の葦毛の馬が、ゆっくりと消えていく。
あの瞬間、私は確信した。
――倒閣は、もう止まらぬ。
私はその足で、馬場の申し合わせを木戸内大臣のもとへ報告した。三相辞任勧告――倒閣の歯車が、宮中という軸へ確かに噛み合った瞬間だった。
*
その日の午後、私は内幸町の重光邸に駆け込んだ。
「外相」
書斎で、重光外相がいつもの隻脚(せきゃく=片脚)で立ち上がられた。義足の革が、わずかに軋む。
「加瀬君、馬場の首尾は」
「内田農商相、ご同意です。重光・岸・内田の三相連名による辞任勧告、その成立は間近です」
重光外相は、しばし書斎の窓辺に立たれた。
「東條総理は、いずれ嶋田を切り、御自身の参謀総長も手放さざるを得まい。だがそれで木戸閣下の御不満をなだめ、内閣改造に持ち込めれば、政権は延命する」
「岸国務相が踏み止まれば、その延命の道は絶たれます」
「岸を、信じてよいか」
「岡田大将の娘婿、迫水さんが岸の側に張りついております。さらに私も、府立一中の先輩・美濃部局長を介して、岸の覚悟を直に確かめます」
重光外相が、ゆっくりと振り返られた。
「加瀬君。万が一これが東條総理の耳に入れば、外務省は焼かれる。俺はそれを覚悟する。お前は外相秘書官という肩書を、決して使うな。お前が動いていることが、外相が動いていることになってはならぬ」
私は深く一礼した。
「外相、私はただの加瀬俊一として動きます。重光葵という名は、これから一歩も外務省の門から出しません」
重光外相の眼の奥で、何かが小さく光った。外相は、わずかに微笑まれた。
「松谷大佐が市ヶ谷で命懸けに直言された、その跡を、今度は俺たちが踏むのだな。南京へ、いつか申し上げねばな。お前たちの直言は東京で、こうして引き継がれた、と」
私は唇を噛み締めた。返事は、できなかった。
*
七月十二日、午後。
私の議会工作の要諦は、ただ一つだった。代表政治の機能を奪われ、軍部に骨抜きにされた議会の中に、反東條の火を点けること。その火を、確かな倒閣の運動へと組織することである。
この夏、議員たちも動揺しはじめ、議会では反東條の熱が急速に高まっていた。私はこの機運を逃すまいと、両院の事務総長――衆議院の大木操、貴族院の小林次郎の力を借りることにした。
議会の控室で、私は二人と密かに会した。茶碗の縁が、湿気でしっとりと曇っている。
「大木さん、小林さん。来週の本会議で、東條総理の演説が予定されておりましょう。あの拍手を、絞っていただきたいのです」
大木事務総長が、しばし湯気の向こうで私を見つめた。
「絞れ、と」
「絞れ、とは申しません」
私は声を落とした。
「ただ、軍部の強圧に倦んだ議員諸氏が、御自身の判断で東條への不満を口にしたくなる。拍手の手が、自然と鈍る。そういう空気を、お作りいただきたいのです」
大木さんが、ふっと笑った。
「加瀬君。その火なら、もう点いておるよ」
「と、いいますと」
「先日の、翼賛政治会の代議士会だ。サイパンが落ちると分かって、議員どもが次々に立った。陸海軍についてこい、政府についてこいと言うから、その通りにしてきたら、この為体ではないか――とな」
大木さんは、湯飲みを置いた。
「こんなことで勝てるか。倒閣して勝てるなら、死を賭してでもやる。小改造でお茶を濁すという話には、馬鹿、引っこめ、の野次が飛んだ。総裁の阿部大将でさえ、諸君の御意見はごもっとも、と頭を下げるほかなかった」
「では、その火を、確かな形に」
「煽れ、と言うのだろう。事務方が政府の頭を絞めるのは、本来、筋ではない。だが――俺たちも、この戦を終わらせたいのだ」
私は深く頭を下げた。
衆議院の反東條熱は、貴族院よりもはるかに強い。世襲の華族は、頼りにならぬ。彼らの第一の関心は家の安泰で、それを国家の福祉より先に置く者が、少なくなかったからだ。
その貴族院で、黙って茶を啜っていた小林さんが、口を開いた。
「加瀬さん。私の方は、貴族院だ。衆議院ほど威勢はよくないが、火種はある。私が煽る」
小林さんは、反東條の熱烈な自由主義者であり、急進的な早期講和論者だった。
「ただ、外からあなたが時折顔を出すだけでは、踏み込んだ話ができぬ。どうだろう。いっそ、貴族院の書記官を兼ねてくれないか」
私は、思わず茶碗から手を離した。
「外相秘書官の私が、議会の書記官を、ですか」
「行政府の人間が立法府の書記官を兼ねる。異例なのは承知の上だ。だが、その肩書があれば、あなたは貴族院の世話人理事会にも堂々と出られる。重光外相の代理として、外交情勢の秘密報告ができる」
その一言で、小林さんの狙いが分かった。
大本営発表の虚偽に覆われたこの国で、外務省の掴む正確な戦局を、議員に伝えること。その啓蒙こそ、来るべき外交転換の日に備える地ならしなのだ。軍が握りつぶした真実を、議会の内側から静かに浸透させていく。
「お引き受けします」
私は頭を下げた。
「同憂の議員を、束ねましょう。議会の内側に、確かな足場を作ります」
数日前にも、私は貴族院議長官舎の三松会が散会したあと、正副議長に政局の真相を説いたばかりだった。議会の中の反東條の火は、もう、私の手の中でも燃えはじめていた。
*
七月十五日、午後。
外務省の私の部屋に、細川護貞さんが訪ねてきた。近衛文麿公の腹心であり、宮中の空気を誰よりよく知る男だ。
私は声を落とした。
「細川さん。東條そのものが替わらぬ限り、日本は危ない。重光外相も、そうお考えです。近衛公の方からも、内府か、あるいは直接、宮中へ働きかけていただけませんか」
細川さんの眼が、鋭くなった。
「加瀬さん。それは筋が違う。人に頼むのではない。重光外相御自身が、閣議で総辞職を唱えるか、単独で上奏なさるべきだ。御自分の口で」
私はしばし黙った。茶の湯気が、二人の間でゆれる。
「……舞台の上での、大喧嘩ですね」
「そうだ」
「そういう手を取った場合、あとへの影響がどうか――それは、考えてみねばなりません」
私は湯飲みを置いた。
「ですが、仰せのとおりでしょう。大臣に、申し伝えます」
細川さんは、深く頷いて帰っていった。
その夜、私は松本俊一外務次官の私邸を訪ねた。辞任も辞さぬという外相の心境を踏まえ、外務省として何を考えておくべきか、ひそかに談じた。
*
この十八日間、倒閣の成否を最後に握っていたのは、岸信介国務相だった。
憲法上、首相に閣僚を罷免する権限はない。閣僚が一人でも辞表を拒めば、内閣は不統一に陥って倒れる。その一人に、岸はうってつけだった。軍需次官として、サイパン陥落後の軍需生産の限界を、誰よりも知っていたからだ。
七月一日の馬場で、重光・岸・内田の三相は東條への辞任勧告を申し合わせていた。私はその三相を結ぶ連絡役として、岸の側と密に通じていた。重光大臣に累が及ばぬよう表には出ず、岸の覚悟を、外務省の動きと宮中の風向きに繋ぎ続けた。
岡田大将も動いていた。大将の密命を帯びた迫水さんが、軍需大臣官邸に岸を訪ねた。
「内閣の改造で、あなたは辞表の提出を求められるにちがいない。これ以上、東條内閣が続けば、日本は終戦の機会を失う。辞表を出せと言われても、あくまで拒否していただきたい」
岸は同感だと頷いた。そして帰りがけの迫水さんに、こう囁いたという。
「裏口から出て、お帰りなさい。表には、憲兵が見張っていますよ」
議会の若手も、岸に取り憑いていた。中谷武世ら、憂国同志会の代議士たちである。彼らと膝を突き合わせた岸は、覚悟をひとつの軽口にくるんで吐き出した。
「抱き合い心中、というわけだ。東條とぼくでは、あまり色っぽいとは言えないがね」
この男らしい、と私は舌を巻いた。死を賭す覚悟さえ、洒落にくるんで差し出す。岸という政治家の不敵さが、その一言に凝縮されていた。
七月十一日、岸は木戸内大臣にも決意を打ち明けた。東條から辞職を求められてもこれを拒み、閣内不統一で内閣を引き倒す――と。
倒閣の網の目を通じて、岸の戦いは刻々と私のもとへ伝わってきた。
七月十六日の深夜。東條は、腹心の星野書記官長を岸のもとへ走らせた。重臣を入閣させる枠を空けるため、岸に辞めろというのだ。
星野と岸は、ただの同僚ではない。かつて満州の地で腕をふるい、東條と、日産の鮎川義介、満鉄の松岡洋右とともに「二キ三スケ」と謳われた、十年来の盟友だった。
星野は、まず総理の公式の口上を伝えた。
「今度、総理も軍需大臣との兼任を辞めることになった。これ以上、岸君に次官を続けてくれとは頼めない。今までの骨折りに感謝する。かねての希望どおり、この際、辞めていただきたい。これが、総理のお言葉です」
それから星野は、ふと、くだけた友人の調子に戻った。
「改造内閣がスタートしても、これからは問題山積で大変だ。戦争さえうまくゆけば、すべて好転するんだがね」
だが岸は、相槌も打たなかった。馴れ合いを拒む沈黙に、星野は他人行儀な使者の口上へと戻り、話を切り上げようとした。
「では、辞職を御了承いただけたものと、総理に報告します」
星野が席を立とうとした、その時だった。岸は眼をそらしたまま、口を開いた。
「ちょっと待っていただきたい。この重大な時期の人心一新の策として、自分が辞めるだけでは意義がありません。サイパン失陥を招いた政治的責任は、内閣がとるべきです」
「岸君。それは、辞職に応じないということか」
「私が辞めることで挙国一致となるのでなければ、意味がない、と言っています」
屹となって詰め寄る星野に、岸は引導を渡した。
「総理以下、全閣僚が辞めるべきでしょう」
満州以来の盟友の縁は、この一言で断ち切られた。岸はうつむき、煙草に火をつけた。星野は険しい顔でその横顔をにらみ、言い捨てて去った。
「君の言い分は、そのまま東條総理に報告する。だが、直接会って、君の口から話してもらわねばなるまい。朝までに、考え直すことだ」
翌十七日の朝、岸は首相官邸で東條と正面から対決した。
「君に辞めてもらうのは、君自身の希望に沿ったものだ。それを忘れんでほしい」
「閣下。あの時あなたは、陛下の御前で全力を尽くすと約束したのに途中で逃げ出すとは何事か、と私を叱った。私は陛下の御信任を失ったわけではありません。最後まで、辞めません」
吃るほど怒る東條と、手が震えるほど怯えながら耐える岸の激論は、二時間に及んだ。のっぴきならなくなった岸は、郷里の先輩・木戸内大臣に相談すると言って席を立った。
木戸は、岸を支えた。
「犬死をすることはない。ここまで来た以上、閣内で自爆する覚悟を貫くよりないだろう」
午前十一時三十五分、岸は東條のもとへ戻り、最後通牒を突きつけた。
――重臣の何人かが入閣しない限り、辞表は出さない。重臣が入閣しないなら、総辞職が当然であり、その場合は明日の閣議で緊急動議を提出する。
軍需省に戻った岸を、四方諒二憲兵隊長が待ち受けていた。乗り込んできた四方は、岸を怒鳴りつけた。
「あんたは何ということをしているんだ。内閣の責任は総理がもっている。総理が右向け右と言えば、閣僚は従うべきではないのか!」
「日本で、右向け右という力をもっているのは、天皇陛下だけではないのか」
四方は軍刀で式台をばしりと叩き、なお吠えた。
「貴様、何を言うか! 貴様ごときが、畏れ多くも陛下を引き合いに出すとは何事だ! 従えないなら、さっさと大臣を辞めたらどうだ!」
裏切者、と罵る四方の燃える眼の前で、岸はあぐらをかいたまま、寒気に震えながらも無言で耐え抜いた。
岸は、折れなかった。
外務省の私が、重臣の岡田大将が、議会の憂国同志会が――それぞれの糸で岸を支え、包み、押した。その網の中心で、岸ひとりが閣内不統一の引き金を、確かに引いたのだ。
この不敵な男が、戦後、A級戦犯の汚名をくぐり抜け、やがてこの国の宰相の座にまで昇りつめる。その片鱗を、私はこの七月に見た思いがした。
*
七月十七日、夜九時。
私宅の座敷に、内大臣秘書官長の松平康昌さんが、ひそかに来ておられた。宮中の風向きを、外務省の動きと突き合わせるためである。
障子の外で、虫の声が満ちていた。
「加瀬さん。平沼邸の重臣会議は、今夜です」
松平さんの声は、品があって低い。
「重臣方が東條内閣の存続に反対と出れば、次の御下問の流れも、おのずと定まる。戦争を続ける内閣か、収拾へ向かう内閣か――その分かれ目です」
「重光外相も、同じ思いです」
そこへ、玄関の戸を叩く音がした。迫水さんだった。岡田大将の邸から、夜道を駆けてきたのだ。
「決まりました。重臣会議、東條内閣存続反対の決議。岡田大将の手で、木戸閣下のもとへ届けられます」
松平さんと私は、顔を見合わせた。
――倒れる。東條総理は、ついに倒れる。
松平さんは、静かに腰を上げられた。
「僕は宮中へ戻り、次の御下問に備えます。加瀬さんは、外務省の備えを。いずれ同じ流れの中で、また会いましょう」
その言葉が、なぜか胸に残った。
私が議会や閣僚の間を駆け回り、外から東條の足元を崩す表の実動なら、松平さんは、表に出られぬ木戸内大臣に代わって、各所の動きを宮中へ繋ぐ静かな要だった。持ち場は違っても、目指すものは一つ。この細い糸が、後にどれほど太く結ばれていくか――その時の私は、まだ知らなかった。
松平さんを見送ったあと、私は迫水さんと、深夜の道を重光邸へ急いだ。
書斎の灯は、まだ点いていた。重光外相は寝衣のまま、椅子に座っておられた。
「外相。重臣会議で、東條内閣不信任の決議が成立しました。すでに岡田大将の手で、木戸閣下のもとへ」
重光外相は、しばし何も言わずに窓の外を見つめておられた。
外は湿った夜気の中、虫の声が満ちていた。
「加瀬君。外務省の役目は、これからだ」
外相のお声は低く、震えていた。
「東條総理が倒れる。倒れたあとに、何が来るか。次が戦争を続ける内閣なら、われわれの仕事は無に帰す。戦争を終わらせる方向に動く内閣が来るか――それを見定めねばならぬ。お前、明日の朝一番で木戸閣下のもとへ参れ。次の首班候補について、宮中の御意向を内々に伺うのだ」
私は頷いた。傍らで、迫水さんも深く頷かれた。
*
翌十八日、午後一時。
東條内閣総辞職の報が、東京中に流れた。
私は内幸町の外務省の自席で、ペンを置いた。ペンの先から墨の滴が原稿用紙にひとつ落ちて、滲んだ。
その滲みを、私はしばらく見つめていた。
――松谷さん。
私は心の中で呼びかけた。
――南京の夜、お聞き及びでありましょうか。
――あなたの直言は、握り潰されてはおりません。
――東京の外務省で、農商相の馬場で、議会の控室で、軍需省の一室で、宮中の御殿で、海軍の艦隊で――いまもこの瞬間も、生きております。
窓の外で、夕立が来ようとしていた。
夏の蝉が、霞んだ空に向かって激しく鳴いていた。
【後書き】(高木惣吉より)
俺は海軍少将、高木惣吉である。
あの七月、海軍の俺は、外務省や宮中の動きを、ほとんど知らなかった。加瀬さんと松平さんが、すでに東條打倒で手を結びかけていたことも、ずっと後になって知った。当時の俺たちは、まだ「四人組」とも呼ばれぬ、ばらばらの存在だった。
だが、いま加瀬さんの馬上の密議を読むと、俺は確信する。同じ七月、同じ霧の中で、別の馬場や別の私邸で、別の人間が、同じ刃を握ろうとしていたのだ、と。
加瀬さんの刃は、合法だった。法と、議会の手続きと、外交の作法とで、東條総理を絞めようとされた。
しかし、俺は違った。あの六月、海軍における俺の合法の道は、ことごとく尽き果てていた。残された道は、ただ一つ。机の奥にしまった、パリ仕込みの一挺の拳銃――俺は、鬼になる覚悟を、すでに固めていた。
外務省が合法の刃で東條総理を追い詰めていた、まさにその時。海軍の俺は、書類には決して載せられぬ非合法の刃を、ひそかに研いでいた。
合法の道が尽きたあの夜からの続きは、海軍の側から、この俺の口で語らねばなるまい。
【史実と創作について(参考文献との対応)】
◇ 史実に基づく主な事項
・昭和十九年七月、サイパン陥落を機に東條内閣打倒の動きが強まり、閣内不統一による倒閣が図られたこと。岸信介国務相が辞任を拒み、米内光政ら重臣が入閣を拒んだことで内閣改造が成り立たなくなり、七月十八日に東條内閣が総辞職したこと。当時の大日本帝国憲法の下では首相に閣僚の罷免権がなく、閣僚一人の辞表拒否が内閣を総辞職に追い込む仕組みであったこと。七月十七日、平沼騏一郎邸での重臣の会合を経て、重臣の側が東條内閣の存続に反対する流れが固まったこと。〔鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』〕
・本話の中核――加瀬俊一の倒閣工作――は、加瀬自身の記録に基づく史実です。加瀬は『加瀬俊一回想録 下』で、重光に万一にも累が及ばぬよう配慮しながら、革新官僚の美濃部洋次・迫水久常と三人で走り回ったと記しています。重光自身も密かに東條打倒へ動いていたこと、東條内閣の岸信介国務相・内田信也農商相が重光に同調することを望み、加瀬がその連絡役として活発に働いたことも、同書に明記されています。加瀬が内田農相としばしば乗馬倶楽部で落ち合い、馬上で秘策を練ったことも本人の回想によるものです。とりわけ昭和十九年七月一日早朝、加瀬が内田と馬場で騎乗会談し、重光・岸・内田の三相が東條に辞任勧告を行うことを申し合わせ、ただちにこれを木戸内大臣へ報告したことは、加瀬の手記「東条内閣挂冠事情」に記録された史実です。七月十七日夜、加瀬の私宅で松平康昌内大臣秘書官長らと会していたところ、岡田啓介邸から重臣会議の結果(東條内閣存続反対の決議)を携えた迫水久常が合流し、加瀬が迫水とともに深夜、重光外相を私邸に往訪して懇談したことも、同じく加瀬の記録によります。〔加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、加瀬の手記「東条内閣挂冠事情」〕
・七月十五日午後、加瀬が外務省で細川護貞と会談し、東條が代わらぬ限り日本は危ういと説いて、近衛側からの倒閣の働きかけを求めたこと。これに対し細川が、人に頼まず重光外相自身が閣議で総辞職を唱えるか単独上奏すべきだと迫り、加瀬が「舞台の上での大喧嘩ですね」と応じつつ「大臣に申し伝えます」と引き取ったこと。同日夜、加瀬が松本俊一外務次官を訪ねたこと。これらも加瀬の記録によります。〔加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』〕
・加瀬の議会工作も、本人の記録に基づく史実です。昭和十九年夏、議会で反東條熱が急速に高まり(七月六日の翼賛政治会代議士会では、議員から東條批判が噴出し、小改造での糊塗には野次が飛んだ)、衆議院のそれが貴族院よりも強かったこと。加瀬が、両院の事務総長――衆議院の大木操、貴族院の小林次郎――の力を借りて、軍部に権限を奪われた議会の中に反東條の運動を組織しようとしたこと。加瀬が重光外相の代理として貴族院世話人理事会などで外交情勢の秘密報告(啓蒙)を行い、来るべき外交転換に備えたこと。小林次郎が反東條の自由主義者・早期講和論者で、貴族院で反東條熱を煽るのに成功し、加瀬を貴族院書記官に兼任させたこと。七月六日夜、貴族院議長官舎の三松会の散会後に、加瀬が正副議長へ政局を説明したこと。〔加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、同『日本外交の主役たち』、同『ミズリー号への道程』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』〕
・四人組の中での役割分担も、史実に基づきます。加瀬俊一が外務省・議会・閣僚を相手に、東條の足元を外から崩す実動の窓口であり、松平康昌内大臣秘書官長が、表に出られぬ木戸内大臣に代わって各勢力の情報を宮中へ繋ぐ調整役であったこと。〔加瀬俊一『ミズリー号への道程』〕
・岸信介国務相の「閣内不統一」の決断も史実です。軍需生産の限界を知る岸が倒閣の鍵となり、岡田啓介の密命を帯びた迫水久常の要請(辞表を求められても拒否せよ)に応じ、議会の憂国同志会(中谷武世ら)とも結んで「抱き合い心中」の覚悟を固め、七月十一日に木戸内大臣へ決意を打ち明けたこと。七月十六日深夜の星野直樹書記官長の辞職要求を拒み、翌十七日朝に東條と二時間対決し、木戸の支持(閣内で自爆する覚悟を貫くよりない)を得て、重臣が入閣しなければ辞表を出さず明日の閣議で緊急動議を出す、と最後通牒を突きつけたこと。軍需省で四方諒二憲兵隊長の恫喝に無言で耐えたこと。これらにより閣内不統一が決定的となり、重臣会議の内閣存続反対の決議と連動して、十八日の総辞職に至ったこと。なお重光・内田の両相も辞表拒否を約束していたが、東條が辞任要求の的を岸ひとりに絞ったため、実際に引き金を引いたのは岸だった。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』、迫水久常『大日本帝国最後の四か月』、鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』、加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』〕
・星野直樹書記官長と岸信介が、東條英機の関東軍参謀長時代の満州で結ばれた盟友であり、鮎川義介・松岡洋右とともに「二キ三スケ」と呼ばれた満州経営の中心人物であったことは史実です。七月十六日深夜、東條の使者として岸に辞職を求めた星野が、いったん旧友の口調で説得を試み、岸がこれを冷たく拒んで「総理以下、全閣僚が辞めるべき」と突き放して決裂したという経緯(星野の口上、岸の反論の台詞を含む)も、史料の記述に拠ります。台詞は原典の言い回しを現代文に整えました。〔吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』〕
・登場人物の実際の立場。重光葵(外相。昭和七年の上海天長節爆弾事件で右脚を失い、義足で勤務)、加瀬俊一(外相秘書官。東京商科大学在学中に外交官試験へ合格し、中退・入省した外交官)、迫水久常(岡田啓介の娘婿。革新官僚。のち鈴木内閣書記官長)、内田信也(農商相)、美濃部洋次(革新官僚、岸信介の側近)、大木操(衆議院書記官長)、星野直樹(内閣書記官長)、岡田啓介(元首相・重臣)、細川護貞(近衛文麿の腹心)。
◇ 創作部分
・本話は、右に挙げた加瀬の実際の活動を骨格として、その細部を物語に組み立てたものです。代々木乗馬倶楽部の霧、内幸町の重光邸の義足の軋み、議会控室の湿った茶碗、各場面の具体的な台詞・心理、夏の蝉や夕立などの五感の描写、人物の表情やしぐさは、すべて創作です。
・七月一日の馬場の場面に美濃部洋次・迫水久常を同席させ、内田農相の到着までを一続きの密議として描いた構成は、創作的な再構成です。加瀬の記録では、美濃部・迫水とは三人で別途奔走し、内田とは乗馬倶楽部で馬上密議をした、と記されています。本話はこれらを一つの馬場の場面に束ねました。
・議会工作の場面の台詞は、加瀬の記録した工作の実態を会話として再構成したものです。大木操が代議士会の議員の声を語る件、小林次郎が貴族院書記官の兼任を勧める件などがこれにあたります。「拍手を絞る」という言い回しは、議員自身の判断で反東條の声が上がる空気を作り、それを倒閣の運動へ組織する、という加瀬の工作の趣旨を凝縮した表現です。代議士会での議員の発言は、原典の片仮名・漢文調を現代文に改めました。
・岸信介の決断とその対決の場面は史実に基づきますが、本話は外務省(加瀬)・重臣(岡田・迫水)・議会(憂国同志会)の包囲網の中にそれを置いて描きました。加瀬は重光と岸を結ぶ連絡役で、七月一日の三相連名の申し合わせに関わりましたが、岸と星野・東條・四方との各対決の場に居合わせたわけではなく、これらは倒閣の網を通じて加瀬のもとへ伝わった、という設定で叙述しています。岸の最後通牒は、原典の漢文調の文面を現代文に改めました。
・細川護貞との対話、松本俊一外務次官への訪問、七月一日の木戸内大臣への報告、七月十七日夜の松平康昌秘書官長との会合は、いずれも加瀬の記録に基づく史実です。ただし、その場の情景や細部の言い回し(細川との応酬の細かな語など)は、記録された遣り取りをもとにした再構成であり、創作を含みます。
・後書きの高木惣吉の語りは史実を踏まえた創作です。海軍の側で合法的な倒閣の道が尽きたのち、高木が東條暗殺も辞さぬ覚悟へ傾いたことは史実に基づきますが、机の奥の私物の拳銃という細部は創作です。なお七月当時、高木と外務省・宮中はまだ互いを知らず、四者の結束(四人組)は翌昭和二十年一月のことです。
【人物紹介・用語集(初学者向け)】
本話の語り手・加瀬俊一は、外務大臣・重光葵に仕える秘書官です。陸軍の松谷誠大佐が東條英機へ「わが方の負けである」と直言し、その結果、七月三日付で支那派遣軍参謀へ転出(事実上の左遷)となったのを受け、外務省の側から東條内閣打倒の合法的な工作に奔走します。後書きの語り手・高木惣吉は、米内光政海相のブレーンであった海軍少将で、海軍の側から倒閣に挑んだ人物。本話七月の時点では、加瀬・松谷・松平とはまだ互いを知らず、四者が「終戦四人組」を結ぶのは翌昭和二十年一月のことです。
■ 本話で重要な役割を担う人物
加瀬俊一(かせ・としかず、1903〜2004、当時41歳)
四人組の一人。外務大臣秘書官。府立第一中学から東京商科大学(現・一橋大学)に進み、在学中に外交官試験へ合格して中退・入省したエリート外交官で、重光葵外相の懐刀。英米通として知られる。本話では馬上密議・議会工作・宮中連絡を三本柱に、外務省主導の倒閣工作の実働者として動く。小林次郎貴族院書記官長の要請で貴族院書記官を兼ね、軍部に骨抜きにされた議会の中に反東條の運動を組織した。戦後、降伏文書調印に立ち会い、講和条約調印・国連大使を歴任した。
美濃部洋次(みのべ・ようじ、1900〜1953、当時44歳)
商工省局長。府立第一中学で加瀬の四期先輩にあたる。革新官僚の一人で、岸信介の側近として知られた。本話では馬上密議の媒介役として登場し、岸の単独辞任を阻む工作の中核を担う。
迫水久常(さこみず・ひさつね、1902〜1977、当時42歳)
大蔵官僚。岡田啓介大将の娘婿。革新官僚。本話では岡田・加瀬・木戸を結ぶ重要な連絡パイプ役を務める。戦後、鈴木貫太郎内閣の内閣書記官長として、終戦の御前会議に立ち会う運命の人物。
内田信也(うちだ・しんや、1880〜1971、当時64歳)
東條内閣の農商務大臣。海運業出身の実業家政治家で、岡田啓介大将と親交が深い。本話では馬場で加瀬らから三相連名辞任勧告の策を打ち明けられ、即座に同意する。岸とともに辞表拒否を約束し、東條を追い詰める包囲網の一角を成した。
岸信介(きし・のぶすけ、1896〜1987、当時47歳)
無任所国務大臣兼軍需次官。サイパン陥落後の軍需生産の限界を悟り、東條の独裁に危惧を抱いて倒閣のキーマンとなる。本話では、岡田・迫水の要請と議会の憂国同志会の働きかけを受け、東條からの辞職要求を断固として拒み、「閣内不統一」を作り出して内閣を総辞職へと追い込む。戦後、A級戦犯容疑で収監されるが不起訴。のち首相。孫に、内閣総理大臣を務めた安倍晋三がいる。
重光葵(しげみつ・まもる、1887〜1957、当時57歳)
外務大臣。本作既出。昭和七年の上海天長節爆弾事件で右脚を失い、以後は義足で勤務した。南京駐在公使の時代に松谷誠と知己を得た「重光・松谷ライン」の旦那。本話では加瀬の倒閣工作の保護者として登場する。戦後、降伏文書調印の全権、国務大臣、外相を歴任。
大木操(おおき・みさお、1891〜1981、当時53歳)
衆議院書記官長(事務総長)。本作初登場。本話では加瀬の議会工作のパートナーとして、東條演説への拍手抑制の策を内諾する役回りで登場する。戦後、その日記『大木日記』が貴重な議会史料となった。
小林次郎(こばやし・じろう、1891〜没年不詳、当時53歳)
貴族院書記官長(事務総長)。本作初登場。反東條の熱烈な自由主義者で、急進的な早期講和論者だった。本話では大木操とともに加瀬の議会工作を支え、貴族院で反東條の熱を煽ることに尽力する。のちに加瀬を貴族院書記官に兼任させ、同憂の有力議員グループを組織した。両院の事務総長は、議会運営の実務を司る要職である。
細川護貞(ほそかわ・もりさだ、1912〜2005、当時32歳)
近衛文麿の腹心で、その娘婿。海軍にも宮中にも通じ、当時の和平派の動きを克明に記録した『細川日記』で知られる。本話では七月十五日、外務省に加瀬を訪ね、倒閣を人任せにせず重光外相自身が動くべきだと強硬に説く。
松平康昌(まつだいら・やすまさ、1893〜1957、当時51歳)
内大臣秘書官長。福井藩主・松平春嶽の孫。木戸幸一内大臣の女房役として、宮中・重臣・各省の連絡調整を担う。のちに松谷・加瀬・高木と「終戦四人組」を結ぶ宮中側の要。本話では七月十七日夜、加瀬の私宅で重臣会議の結果を待ち受け、外務省と宮中の動きを突き合わせる。
■ 本話に名前の挙がるその他の人物
星野直樹(ほしの・なおき、1892〜1978)── 内閣書記官長(現在の官房長官に相当)。東條内閣の中枢実務責任者。本話では台詞に登場しないが、岸への単独辞任要求の伝令役として言及される。
松本俊一(まつもと・しゅんいち、1897〜1987)── 外務次官。本話では七月十五日夜、加瀬の訪問を受ける。
中谷武世(なかたに・たけよ、1898〜1990)── 衆議院議員。倒閣を目指す「憂国同志会」の中心人物として、赤城宗徳・椎名悦三郎らとともに岸信介に接近し、辞任拒否による倒閣の策を練った。
岡田啓介(おかだ・けいすけ、1868〜1952)── 海軍大将、元首相。重臣の一人として、合法的な倒閣の道筋を描いた中心人物。迫水久常はその娘婿にあたる。
木戸幸一(きど・こういち、1889〜1977)── 内大臣。天皇を補佐する宮中の要職にあり、東條内閣打倒へ動いた。
四方諒二(しかた・りょうじ、1895〜1961)── 陸軍大佐、東京憲兵隊長。東條の腹心として、反東條派の監視・弾圧の実行責任者を務めた。
松谷誠(まつたに・せい、1903〜2000)── 本作の主人公。陸軍大佐。本話の前月に東條へ直言して左遷され、七月八日に南京へ発った。加瀬の盟友で、本話では南京にあって、心の中で繰り返し呼びかけられる存在。
高木惣吉(たかぎ・そうきち、1893〜1979)── 海軍少将。米内光政のブレーン。本話の後書きの語り手で、海軍の側から倒閣に挑む。松谷・加瀬・松平との合流(四人組)は翌年一月。
■ 本話の主な用語
外相秘書官
外務大臣の直属秘書。外相の信任を受けて、外交文書の整理、対外連絡、大臣個人の政治活動の補佐を担う。加瀬は東郷茂徳・重光葵の二代の外相に仕え、外務省内では「外相の懐刀」として知られた。
閣内不統一
内閣の閣僚間で意見・行動が一致しないこと。当時の大日本帝国憲法下では首相に閣僚を罷免する権限がなく、閣僚一人でも辞表提出を拒めば内閣は総辞職するほかなくなる仕組みであった。岸信介の辞任拒否は、この仕組みを最大限に活かした倒閣の戦術である。
辞任勧告
閣僚が連名で、首相に退陣を求める政治的圧力。本話で描かれる三相連名(重光・岸・内田)による勧告は、実際には実行直前に東條内閣が崩壊したため発動されなかったが、その「ありうる威嚇」が圧力として機能した、という枠組みで描いている。
府立第一中学
現在の東京都立日比谷高校の前身。明治から昭和初期にかけて、官界・政界・財界の俊英を多く輩出した名門校。加瀬俊一と美濃部洋次はともに同窓で、この縦の人脈が本話の馬上密議を可能にした実務的な基盤として描かれる。
翼賛政治会
大政翼賛会の議会組織。昭和十七年五月の結成。形式上は国民の総意を代表するとされたが、実態は東條内閣の議会支配のための翼下団体だった。本話の時点では、内部で東條批判が公然と語られつつあった。
重臣会議
首相経験者(重臣)が、後継内閣の首相奏薦などの重大事項を協議する宮中の慣行的な会議体。憲法上の正式な機関ではないが、天皇の御下問に答える形で、実質的な政治的影響力を行使した。七月十七日の平沼邸の会合は、これに直結する事前の協議であった。
【参考文献】
・鈴木多聞『「終戦」の政治史1943-1945』東京大学出版会、2011年
・加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1986年
・加瀬俊一『日本外交の主役たち』文藝春秋、1974年
・加瀬俊一『ミズリー号への道程』文藝春秋新社、1951年
・吉松安弘『東條英機暗殺の夏 下』新潮社、1984年
・迫水久常『大日本帝国最後の四か月』河出文庫、2015年
・山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年




