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第7話「1943年夏、陸軍と外務省 水面下での接触」

【前書き】(松谷誠より)

 松谷誠だ。

 四月二十日、外務省の応接室で、重光葵閣下と握手を交わした。同日、霞町の小料亭で、加瀬俊一と猪口を合わせた。


 あれから九月十三日に再び霞が関の扉を叩くまでの、五ヶ月間――この期間、何もなかったわけではない。むしろ、この五ヶ月こそが、後のすべての闘いの土台を築いた、静かで濃密な「地下水脈」の時期だった。


 今日は、その五ヶ月の話をしよう。

 昭和十八年五月、上旬。


 ある夕刻、加瀬俊一から短い電話が来た。


 「今夜、新橋・松吟亭。九時。先輩二人を、お引き合わせしたく」


 俺は、戦争指導課の業務を片付け、背広に着替えて新橋へ向かった。

 松吟亭の二階座敷に、加瀬と、すでに二人の男が坐っていた。


「ご紹介します。美濃部洋二、商工省・商工大臣秘書官。府立一中で私の四年先輩」


 美濃部は、痩せて精悍(せいかん)な顔つき、年は四十前後。軽く一礼した。


「迫水久常、大蔵省・主計局課長。これも府立一中」


 迫水は、温和な眼で頷いた。岡田啓介元首相の女婿、と聞いていた。近衛文麿公にも近い立場だ。


 俺は、軍帽を脇に置き、坐った。


「松谷大佐、お初にお目にかかる」

 美濃部が、低く言った。


「加瀬から、あなたのお話は、ずいぶんと前から伺っております。ロンドン勤務以来の親友、と」

「は」

「率直に申し上げる。我々三人は、府立一中の縁で、月に一、二度、ここで集まっています。表向きは、同窓の懇親会。実質は、戦局分析と、対策の協議です」


 俺は、息を呑んだ。


 商工省、大蔵省、外務省。陸軍を除く、政府の中枢三省の若手~中堅幹部が、すでに非公式のネットワークを組んでいた、ということだ。


「しかし、我々には、決定的に欠けている一つがあります」

 迫水が、ぽつりと言った。


「軍――それも、軍の真実の戦況、内部の主戦・和平の力関係、作戦の実相。これが入って来ない。だから、絵図が、半分しか描けない」


 加瀬が、横から続けた。

「今夜、松谷さんを、ここにお招きしたのは、もしお引き受けいただけるなら、我々の輪に、もう一人――陸軍の眼を、加えていただきたく」


 俺は、しばらく猪口を見つめていた。


 越権の依頼である。陸軍参謀の身で、他省の同志的会合に加わる。憲兵に嗅ぎつけられれば、それだけで尋問の対象だ。


 だが、加瀬の眼を見て、美濃部の眼を見て、迫水の眼を見て――俺の腹は、すでに決まっていた。


「やります。引き受けましょう」

 四人の猪口が、ゆっくりと合わさった。


 「府立一中の三羽烏」――事情通がそう呼ぶ、その輪の四羽目に、陸軍参謀がついに加わった瞬間であった。


    *


 六月初旬。

 俺は、加瀬と、芝公園の小料理屋で差し向かいに坐っていた。


「松谷さん」

 加瀬は、いつもの猪口を握ったまま、低く言った。


「外相の指示というよりは、私個人のお願いとして、申し上げます。主要な戦局ごとに――節目節目に――軍部内の本当の戦局情報を、私と外相に流していただきたい。書類は要りません。口頭で結構です」


 俺は、しばらく黙っていた。


 軍機保護法・国防保安法。最高刑は死刑。加瀬もそれを承知の上で、口にしている。


「やる。流す。月に一度、二度、必要に応じて。書類は残さぬ。口頭のみだ」

「ありがたく」


 俺たちは、猪口を合わせた。


 以後、俺はこの約束を一度も破らなかった。


 北アフリカ独伊軍降伏の戦略的影響。ガダルカナル以後のソロモン諸島・ニューギニア戦線の本当の損耗。クルスク作戦の準備状況。船舶喪失の累計。航空機損耗の真実。


 いずれも、大本営発表の「戦果」とは、まったく別の絵図であった。


 加瀬もまた、これを単に受け取るだけではなかった。外務省・北米一課が把握する米国生産力の最新統計、各国駐在公使からの欧州内幕電報、加瀬自身のロンドン以来の英米人脈――これらを、俺に還流(かんりゅう)してくれた。


 軍と外交が、人の眼に触れぬ細い(くだ)で、結ばれていく。


    *


 六月のある日、戦争指導課の自席。


 俺は、種村中佐、橋本少佐、田中中佐を呼んだ。


「諸君、本日より、本課の研究を、もう一段、深める」

「は」


「題は、『彼我戦力変転の予想、特に国力判断』、および『情勢判断』。船舶損耗、鉄鋼生産、航空機補充、米国生産力――これらの数字を、徹底的に集める。そして、ジリ貧の予測を、立てる」


 種村が、低く頷いた。彼は、いまや表向きは俺の路線に従っている。完全な納得ではないが、職業的良心が、現実のデータの重みを認め始めていた。


 七月二日、別館。

 俺たちは、終日、研究にあたった。日誌の執筆を担当した田中中佐は、その夜、こう書きつけた。


 ――「此儘推移センカ、国力ハジリ貧状態ヲ辿リ、遂ニ積極的行動ヲ執リ得サルニ至ルヤヲ恐ル」


 ジリ貧。

 その三文字が、戦争指導課の課員全員の腹に、共有される瞬間だった。


 七月四日には、「長期戦指導要綱(案)」を起案した。表向きは、長期不敗体制の確立。しかし、その文書の根底には、こう書いてあった。


 ――「長期不敗ノ戦略態勢ヲ確立シツ、国家戦力ヲ充実シ以テ世界戦争ノ主導権ヲ把握シテ終戦ニ臨ムコト、其ノ根本ナリ」


 不敗体制の確立は、終戦に持ち込むため。


 その文言を、俺は、種村にあえて筆録させた。種村が、自らの手で、「終戦」の二文字を文書に書き込む――それ自体が、彼の認識の転換の、一つの里程標(りていひょう)であった。


    *


 七月二十五日、ローマからの一報。

 ムッソリーニ、失脚。


 その夕方、俺は加瀬から電話を受けた。


「松谷さん、軽井沢に行きます」

「軽井沢?」

「外相の別荘地です。週末を借りて、一本、書き上げてきます。題は『戦局に関する一考察』。ドイツ必敗を分析し、日本は機を失わずに和平工作に着手すべし、と。書き上げたら、内輪でしか配りませぬ。重光外相、木戸内大臣、石井菊次郎子爵、広田弘毅、吉田茂、東郷茂徳――それと、あなた」


 俺は、深く頷いた。


 加瀬は、書く。俺は、起案する。別々の机の上で、同じ絵図を、同時に。

 二週間後、加瀬から論策が届いた。十数枚に及ぶ長文。憲兵に嗅ぎつけられれば、即拘束されるであろう内容である。


 俺はそれを、一晩で読み下した。論旨は、明瞭だった。「ドイツ必敗、イタリア間もなく脱落、日本は速やかに和平工作に着手せよ」。


 俺の九月案が、まだ骨格すら固まっていないこの時点で、加瀬は、外交官の側からすでに同じ結論に到達していた。


 俺たちは、同じ山を、別の方角から登っている。


    *


 八月五日。


 杉山参謀総長から、戦争指導課に、機微な指示が降りた。


「陛下より、独ソ妥協について、ご下問あり。研究せよ」


 俺は、息を呑んだ。


 陛下は、戦争の前途を、独ソ妥協という外交手段で打開する道があるか、お探りになっておられる。これは、終戦への、初めての具体的な御意向の発露であった。


 俺は即座に、種村中佐を主任として、独ソ和平調停問題の再検討に着手させた。

 数日後、班内の意見は、こうまとまった。


 ――「独『ソ』和平ノ実現ハ帝国ノ希望スルトコロナルモ、今日ハ尚其ノ時機ニアラズ。先ヅ独ノ国力判断ニ努メ、其ノ後機ヲ見テ、帝国ノ誠意ヲ披瀝シテ和平ヲ勧告スル如クスルヲ可ト認ム」


 いまは、まだ早い。だが、機を見て、日本がドイツに対して和平を勧告する。これは、「日独伊三国同盟の盟主として、日本がドイツに頭を下げて言う」という構想に等しい。陸軍中央のドイツ派が知れば、卒倒するであろう。


 しかし、これを命じたのは、陛下のご下問だった。


 俺は、研究結果を、杉山閣下経由で、上奏できる形に整えて提出した。陛下のご意向に応える、初めての具体的な答案であった。


    *


 八月二十一日。

 俺は、自席で「大東亜戦争終末方策」の最初の草案を書き上げていた。後に「八月案」と呼ばれる、初稿である。


 しかし、書き上げてみて、俺はその内容に、自ら不満を覚えた。


 「昭和二十一年ヲ目標トシテ、米英ノ戦意ヲ喪失セシム」――昭和二十一年。三年半後。長すぎる。


 ドイツの主戦派を意識し、長期戦の形を取り繕ったために、まだ抜本的な早期終戦に踏み込めていない。これは、(ぬる)い。これでは、間に合わぬ。


 俺は、その草案を、引き出しの奥に、いったん封じた。


    *


 九月八日。

 イタリア無条件降伏の電報が、市ヶ谷台に届いた。


 俺は、その朝、自席で電報の写しを読み下しながら、深く息を吐いた。


 ――三国同盟の一角は、崩れた。ドイツも、もはや時間の問題だ。


 俺は、引き出しの奥から、「八月案」を取り出し、それを破り捨てた。


 書き直す。「自主的に、戦争終末の機を捕捉する」――同盟国に依存せぬ、日本の主体的な早期終戦案を。


 そして、それを実際に動かすためには、まず、政府の側からの支えが要る。


 九月十三日、霞が関へ。

 俺の腹は、決まった。


【後書き】(加瀬俊一より)

 加瀬俊一です。


 あの夏、私は軽井沢で「戦局に関する一考察」を書きながら、市ヶ谷台で同じ絵図を描いている松谷さんのことを、何度も思い浮かべました。


 憲兵が横行する暗黒政治の中で、敗戦と和平を文書に書きつけるという、命がけの作業――それを別々の机の上で、たった独りで進めていた二人が、九月にはついに同じ部屋に立つことになる。それは、必然であったと、いまでも思っております。


 次回、松谷さんは、霞が関の応接室で、重光外相と「同盟」を結びます。


【次話予告】

新第8話「重光・松谷ライン――陸軍の苦衷を、政府が語れ」(旧新第7話)。九月十三日、霞が関。義足の重光閣下に、俺は深く頭を下げる。「統帥部としても戦争終末について考え置くことが必要であります。ただし、これは政府より切り出すべきもの。統帥部としては、言い出し得ざるもの」。


【本話初出の人物プロフィール】

美濃部洋二(みのべ・ようじ)

明治三十三年(一九〇〇)~昭和二十八年(一九五三)。商工官僚。東京府立一中・東京帝大法学部卒。商工大臣秘書官、企画院調査官などを歴任。革新官僚として戦時経済統制に関与する一方で、加瀬・迫水らと密かに早期終戦の検討会を持つ「府立一中の三羽烏」の一人。戦後、第一銀行調査部長などを務めた。


迫水久常(さこみず・ひさつね)

明治三十五年(一九〇二)~昭和五十二年(一九七七)。大蔵官僚。府立一中・東京帝大法学部卒。岡田啓介元首相の女婿。二・二六事件では、奇策を用いて敵中からの岡田首相救出作戦を成功させる。大蔵省で要職を歴任。鈴木貫太郎内閣で内閣書記官長(現在の内閣官房長官)として終戦の聖断実現の中核を担う重要人物として再登場。本話時点では大蔵省勤務、近衛文麿元首相に近い立場。


【本話初出の用語】

府立一中の三羽烏

加瀬俊一(外務省)・美濃部洋二(商工省)・迫水久常(大蔵省)の三名を指す当時の俗称。事情通の間で噂された、東京府立第一中学校卒の若手~中堅エリート官僚のネットワーク。本作では、ここに松谷誠が「四羽目」として合流する経緯を描く。後の終戦工作における省庁横断ネットワークの原型となる。フィクションっぽいが、加瀬の回想録で述べられているため事実と思われる。


「ジリ貧」

戦争指導課が一九四三年七月の研究で確立した、日本の国力推移に関する見通しを示す語。船舶損耗・鉄鋼生産限界・航空機補充の三つの指標から、日本がじわじわと国力の限界に追い込まれていく状態を、課員たちが日常的に共有する認識として用いた。『機密戦争日誌』に「此儘推移センカ国力ハジリ貧状態ヲ辿リ……」と記された一節が起源。


「戦局に関する一考察」

加瀬俊一が一九四三年夏、軽井沢の重光葵の別荘で起草した長文の極秘論策。ドイツの必敗を分析し、日本は機を失わずに和平工作に着手すべしと主張。重光葵、木戸幸一、石井菊次郎、広田弘毅、吉田茂、東郷茂徳ら極めて少数の有力者に密かに配布された。松谷の九月案と並ぶ、外務省側の同時期の理論的支柱。


長期戦指導要綱(案)

一九四三年七月四日、戦争指導課が起案した文書。表向きは「長期不敗体制の確立」だが、その根本目的は「主導権を握って終戦に持ち込むこと」と『機密戦争日誌』に明記された、二重構造の文書。


ムッソリーニ失脚

一九四三年七月二十五日、イタリアのファシズム大評議会で不信任を受けたベニート・ムッソリーニが、イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世により解任され、逮捕された事件。後継のバドリオ政権が、九月三日に連合国と秘密に休戦協定を結び、九月八日に公表した。


独ソ妥協(の御下問)

一九四三年八月五日、昭和天皇が杉山参謀総長に対して下された、独ソ間の和平の可能性とその仲介・斡旋について研究を命じる御下問。


八月案

一九四三年八月二十一日、松谷誠が起案した「大東亜戦争終末方策」の初稿。「昭和二十一年ヲ目標トシテ米英ノ戦意ヲ喪失セシム」という、まだ長期戦の形を取り繕った案。九月八日のイタリア降伏を受けて松谷自身により破棄され、より抜本的な「九月案」へと進化する。


石井菊次郎(いしい・きくじろう)※本話で名前のみの言及

慶応二年(一八六六)~昭和二十年(一九四五)。子爵。外交官。第一次大戦中の日米石井・ランシング協定の日本側当事者。元外相・駐米大使・駐仏大使。本話時点では老元老外交官として、加瀬の極秘論策の配布対象となった少数の有力者の一人。


広田弘毅(ひろた・こうき)※本話で名前のみの言及

明治十一年(一八七八)~昭和二十三年(一九四八)。外交官・政治家。元内閣総理大臣・外務大臣。本話時点では民間にあって時局を案じる重臣の一人。戦後、東京裁判で文官唯一のA級戦犯として絞首刑。


東郷茂徳(とうごう・しげのり)※新第6話で名前のみ既出、本話で再言及

明治十五年(一八八二)~昭和二十五年(一九五〇)。外交官。本話時点では、開戦時外相を経て民間にあった。後に、本作後半の鈴木貫太郎内閣で外相として終戦の中核を担う重要人物として再登場。

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