第6話「霞町の夜――最初の同志、加瀬俊一」
加瀬俊一です。
重光外相に「松谷君とサシで話してきなさい」と送り出されたあの夜――霞町の小さな料亭の畳に、私は軍人と向かい合って坐っていました。
陸軍大佐、松谷誠。 頭脳明晰、冷静沈着、そして――驚くほど、誠実な男。 彼と過ごしたあの一夜が、私の人生を変えた、と言っても、決して大袈裟ではありません。
その晩、俺と加瀬は霞町の小さな料亭で差し向かいとなった。
六畳ほどの座敷、床の間には掛け軸。窓から夜風が入り、畳に落ちる行灯の光が、静かに揺らいでいた。
膳には、わずかばかりの刺身と冷酒。戦時下の簡素な膳だが、加瀬は嬉しそうに猪口を持ち上げた。
「松谷さん――と、呼ばせていただいて構いませぬか」
「結構です。小官も、加瀬さんと」
「失礼ですが、何年生まれですか」
「明治三十六年生まれであります」
「――私もです。お互い、今年で四十代というわけですな」
加瀬は笑った。
「面白い。同い年、陸軍と外務省、英国駐在経験、そして、今――共に終戦を望んでいる」
俺は、驚いた。
なぜ、それを知っているのか。
加瀬は、俺の視線を読んだように付け足した。
「重光外相から、事前に、あなたの人となりはうかがっております。駐英武官補佐官として、ロンドンで英王室の社会活動を目の当たりにし、『あまりにも民主化されて驚いた』と感嘆された、と。――陸軍には珍しい、開かれた頭脳の持ち主だ、と」
「……恐縮です」
「私も、英国にはよく派遣されました。ロンドンで暮らしていると、英国人というのは、負けないために粘り抜く国民だと、骨身に染みてわかります。ヒトラーが英本土を屈服させる? 笑止です」
俺は、猪口を置いた。
「加瀬さん、あなたは――この戦争を、どう終らせようとお考えですか」
加瀬は、しばらく沈黙した。
それから、静かに口を開いた。
「私は、外務省の中に『アメリカ研究会』を作っています。高木八尺先生、松本重治、坂西志保――米国を知る知友、約二十名を集め、北米一課と協力して、アメリカ事情を冷静に分析している。国民は緒戦の戦果に酔っていますが、米国の国力を直視せずに、戦争を終らせることはできません」
彼は、猪口をゆっくり回した。
「私は、大本営政府連絡会議に外務省代表として常時出席しています。戦局の真相や国力の実情を、極秘情報として入手する立場にある。――松谷さん、この情報、陸軍の戦争指導課にお渡ししてもよろしい。代わりに、あなたの陸軍の動向を、私に教えていただきたい」
俺は、じっと加瀬を見た。
この男は、すでに、独自に情報の回路を築いている。外交官でありながら、陸海軍との非公式なネットワークを動かしている。頭の回転、人脈の広さ――俺が想像していた「秘書官」というものを、遥かに超えた男だった。
「――やりましょう」
俺は言った。
「互いの情報を交換し、終戦への道を拓く。軍と外交の橋を架ける」
「同志、ですな」
「同志、です」
俺たちは、猪口を合わせた。
小さな、しかしこの戦争の流れを変え得る盟約が、この夜、霞町の小さな料亭で結ばれた。
*
帰途、夜風の中、俺はひとり市ヶ谷の坂を歩いた。
街灯は灯油不足で暗い。空襲警報はまだない。遠くで犬が吠えている。革靴のコツ、コツという音が、静まり返った路地に響いた。
加瀬俊一。
あの男と、これから二年余り、俺は共に闘うことになる。
まだ、俺は知らない。やがてもう二人増えて、四人で卓を囲む日が来ることを。
そして、彼ら三人と俺とで「四人組」と呼ばれる結束が成るのは、まだ、一年九ヶ月も先のことなのだ。
だが、いま確かに、始まったのだ。
俺は、夜空を仰いだ。春の雲間に、細い月が、鋭く刃のように光っている。
酒井中将、重光外相、そして加瀬俊一。
孤独な坂道に、仲間が現れた。
たった一人ではない。
参謀本部の門を潜り、自分の机に向かう。『大本営機密戦争日誌』を開き、この日の欄に、簡潔に一行、書き入れた。
――「外務省加瀬書記官ト連絡開始。以後、戦局情報ニツキ随時意見交換スルコトニ決シタリ」
筆を置く。
机上のインク壺に、揺らぐ灯が、ゆっくりと映っていた。
松谷である。
加瀬俊一との出会いは、俺の生涯で最も幸運な出来事の一つだった。陸軍と外務省――水と油と言われた両者が、一人の男のもとで、一本の線で結ばれた。
そして、次に俺は、宮中への細い扉を叩くことになる。松平康昌――内大臣秘書官長、松平春嶽の孫、福井県人。彼との接触が、やがて「秘密の階段」の最初の一段となる。
【参考文献・史料】
加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』(山手書房)
加瀬俊一『ミズリー号への道程』
重光葵『昭和の動乱』下(中央公論社)
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』(芙蓉書房)
山本智之『主戦か講和か――帝国陸軍の秘密終戦工作』(新潮文庫)
山本智之『「聖断」の終戦史』(NHK出版新書)
【本話初出の人物プロフィール】
加瀬俊一
明治三十六年(一九〇三)一月~平成十六年(二〇〇四)。登場時四十歳。千葉県出身。東京商科大本科(現一橋大学)在学中に外交官試験に合格、中退して外務省入省。ハーバード大学院、アムハースト大学に留学。英チャーチル首相と面識をもつ英米通。松岡洋右、東郷茂徳、重光葵と三代連続で外相秘書官(政務)を務める異例の経歴。大本営政府連絡会議に外務省代表として常時出席し、陸海軍幕僚と広範な非公式ネットワークを築く。外務省内に「アメリカ研究会」を組織。松谷と同年生まれ・同年齢、ともに英国勤務経験を持つ。松平康昌とは「兄弟のように親密」な間柄で、外務省と宮中を結ぶ裏方を担う。戦後は外務省情報部長、のち初代国連大使。本作の主人公・松谷誠にとっての「最初の同志」であり、生涯の盟友。
ジョン・レノンの妻で芸術家のオノ・ヨーコは姪。
※同名の外交官(加瀬俊一(かせ・しゅんいち・一九二〇年入省、駐スイス公使)が存在するが別人。本作の加瀬俊一(かせ・としかず・一九二五年入省)は小加瀬、同名異人は大加瀬の表記で区別されることもある。
松岡洋右※本話では名前のみの言及
明治十三年(一八八〇)~昭和二十一年(一九四六)。山口県出身。第二次近衛内閣外相(昭和十五~十六年)として日独伊三国同盟・日ソ中立条約を結んだ。独ソ戦勃発後の対ソ開戦論で近衛と対立し退任。東京裁判中の昭和二十一年六月二十七日、結核のため病死。
東郷茂徳※本話では名前のみの言及
明治十五年(一八八二)~昭和二十五年(一九五〇)。鹿児島県出身。東條内閣および鈴木内閣の外相。開戦時、終戦時いずれも外相の座にあり、ポツダム宣言受諾に尽力。戦後、東京裁判で禁固二十年の判決を受け、獄中で病死。加瀬はこの人物のもとでも秘書官を務めた。
高木八尺※本話では名前のみの言及
明治二十二年(一八八九)~昭和五十九年(一九八四)。東京帝国大学法学部教授、日本におけるアメリカ政治外交史研究の開拓者。加瀬主宰の外務省「アメリカ研究会」の中核メンバー。
松本重治※本話では名前のみの言及
明治三十二年(一八九九)~平成元年(一九八九)。ジャーナリスト。同盟通信上海支局長を経て評論家。国際文化振興会常務理事。英米事情に通じ、近衛・加瀬らの対米工作に関与。
坂西志保※本話では名前のみの言及
明治二十九年(一八九六)~昭和五十一年(一九七六)。米国ミシガン大学で博士号取得、米議会図書館東洋部主任を務めた知米派の女性評論家。戦時中帰国して情報分析に従事、アメリカ研究会のメンバーとなる。
【本話初出の用語】
外相秘書官(政務秘書官)
外務大臣を補佐する秘書官のうち、外務省の高級官僚(事務系)が任ぜられる職。大臣の公務全般、とくに政務・情報・機密事項の補佐を担う。加瀬俊一はこの職にあって、大本営政府連絡会議に常時出席する立場にあった。
アメリカ研究会
加瀬俊一が外務省北米第一課と協力して主宰した、知米派約二十名からなる非公式研究会。高木八尺、松本重治、坂西志保ら、学者・ジャーナリスト・評論家を結集し、戦時下にあってなお冷静な米国国力・戦時経済分析を行った。開戦・継戦論の熱狂とは一線を画す、外務省内の重要な知的地下水脈。
ハーバード大学院
加瀬俊一が外務省から派遣されて学んだ米国の大学院。彼の英米人脈と米国理解の土台となった。
霞町
東京市麻布区(現・港区西麻布)の旧町名。戦前は高級料亭・旅館街として知られた。本話の盟約の舞台。




