表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第1章 終戦工作の始動(昭和18(1943)年3月~)

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
6/82

第6話「霞町の夜――最初の同志、加瀬俊一」

【前書き】


 加瀬俊一です。


 重光外相に「松谷君とサシで話してきなさい」と送り出されたあの夜――霞町の小さな料亭の畳に、私は軍人と向かい合って坐っていました。


 陸軍大佐、松谷誠。


 頭脳明晰、冷静沈着、そして――驚くほど誠実な男。


 彼と過ごしたあの一夜が私の人生を変えた、と言っても決して大袈裟ではありません。



【本文】

 その晩、俺と加瀬は霞町の小さな料亭で差し向かいとなった。


 六畳ほどの座敷、床の間には掛け軸。窓から夜風が入り、畳に落ちる行灯の光が静かに揺らいでいた。


 膳にはわずかばかりの刺身と冷酒。戦時下の簡素な膳だが、加瀬は嬉しそうに猪口を持ち上げた。


「松谷さん――と、呼ばせていただいて構いませんか」


「結構です。小官も、加瀬さんと」


「失礼ですが、何年生まれですか」


「明治三十六年生まれであります」


「――私もです。お互い、今年で四十代というわけですな」


 加瀬は笑った。


「面白い。同い年、陸軍と外務省、英国駐在経験、そして、今――共に終戦を望んでいる」


 俺は驚いた。


 なぜ、それを知っているのか。


 加瀬は俺の視線を読んだように付け足した。


「重光外相から事前に、あなたの人となりはうかがっております。駐英武官補佐官としてロンドンで英王室の社会活動を目の当たりにし、『あまりにも民主化されて驚いた』と感嘆された、と。――陸軍には珍しい、開かれた頭脳の持ち主だ、と」


「……恐縮です」


「それに――初対面、というわけでもないのです。ロンドンの大使館の宴席で、武官室の方々とご一緒のあなたを幾度かお見かけしました」


 言われて、俺はおぼろげに思い出した。確かにあの頃の在英大使館に、目から鼻へ抜けるような若い書記官がいた。


「世間は狭いものだ」


「狭いついでに申し上げれば、私も英国にはよく派遣されました。ロンドンで暮らしていると、英国人というのは負けないために粘り抜く国民だと骨身に染みてわかります。ヒトラーが英本土を屈服させる? 笑止です」


 俺は訊いた。


「外相秘書官は、これで三度目と伺った」


「松岡、東郷、そして重光閣下。――正直に申し上げれば、気は進みませんでした」


 加瀬は猪口を置き、苦笑した。


「秘書官というのは裏方の激職です。心身ともにすり減る。それに私には、南京の大使館参事官への転任が内定しておりました。視察で北京におりましたら、本省から至急帰れと電報が来まして――戻ってみれば、この始末です」


 笑ってはいるが、眼は笑っていない。


「それでも、お受けになった」


「世間は重光閣下のご就任を『真打の登場』と言っています。私も同感です。ロンドンの大使館で閣下の下に勤務して以来、私はあの方の眼力に傾倒してきました。そして何より――閣下と私は、早期終戦の必要について完全に意見が一致している。和平を進めるためには、やむを得ません」


 やむを得ない、と言いながら、その声には不思議な張りがあった。


 俺は猪口を置いた。


「加瀬さん、あなたは――この戦争を、どう終らせようとお考えですか」


 加瀬はしばらく沈黙した。


 それから、静かに口を開いた。


「私は外務省の中に『アメリカ研究会』を作っています。高木八尺先生、松本重治、坂西志保――米国を知る知友約二十名を集め、北米一課と協力してアメリカ事情を冷静に分析している。国民は緒戦の戦果に酔っていますが、米国の国力を直視せずに戦争を終らせることはできません」


 彼は猪口をゆっくり回した。


「私は大本営政府連絡会議に外務省代表として常時出席しています。戦局の真相や国力の実情を極秘情報として入手する立場にある。――松谷さん、この情報、陸軍の戦争指導課にお渡ししてもよろしい。代わりに、あなたの陸軍の動向を私に教えていただきたい」


 俺はじっと加瀬を見た。


 この男はすでに、独自に情報の回路を築いている。外交官でありながら陸海軍との非公式なネットワークを動かしている。頭の回転、人脈の広さ――俺が想像していた「秘書官」というものを遥かに超えた男だった。


「――やりましょう」


 俺は言った。


「互いの情報を交換し、終戦への道を拓く。軍と外交の橋を架ける」


「同志、ですな」


「同志、です」


 俺たちは猪口を合わせた。


 小さな、しかしこの戦争の流れを変え得る盟約が、この夜、霞町の小さな料亭で結ばれた。


    *


 帰途、夜風の中を俺はひとり市ヶ谷の坂を歩いた。


 街灯は灯油不足で暗い。空襲警報はまだない。遠くで犬が吠えている。革靴のコツ、コツという音が静まり返った路地に響いた。


 加瀬俊一。


 あの男と、これから二年余り、俺は共に闘うことになる。


 まだ俺は知らない。やがてもう二人増えて、四人で卓を囲む日が来ることを。


 そして、彼ら三人と俺とで「四人組」と呼ばれる結束が成るのは、まだ一年九ヶ月も先のことなのだ。


 だが、いま確かに、始まったのだ。


 俺は夜空を仰いだ。春の雲間に細い月が、鋭く刃のように光っている。


 酒井中将、重光外相、そして加瀬俊一。


 孤独な坂道に、仲間が現れた。


 たった一人ではない。


 参謀本部の門を潜り、自分の机に向かう。『機密戦争日誌』を開き、この日の欄に簡潔に一行、書き入れた。


 ――「外務省加瀬秘書官ト連絡開始。以後、戦局情報ニツキ随時意見交換スルコトニ決シタリ」


 筆を置く。


 机上のインク壺に、揺らぐ灯がゆっくりと映っていた。



【後書き】(松谷誠より)


 松谷である。


 加瀬俊一との出会いは、俺の生涯で最も幸運な出来事の一つだった。


 陸軍と外務省――水と油と言われた両者が、一人の男のもとで一本の線で結ばれた。


 あの霞町の一夜を、俺は生涯、忘れることはなかった。


────────────────────────────


■ 人物紹介(生没年・当時の階級つき)


加瀬 俊一(かせ・としかず、1903年1月〜2004年、当時40歳)

 外務大臣政務秘書官。千葉県出身。東京商科大学本科(現・一橋大学)在学中に外交官試験に合格、中退して外務省入省。ハーバード大学院、アムハースト大学に留学。英チャーチル首相と面識をもつ英米通。松岡洋右、東郷茂徳、重光葵と三代連続で外相秘書官(政務)を務める異例の経歴。昭和18年春には政務局第五課(英連邦)課長兼第六課(米国)課長として主要敵国関係を一手に担当し、同年5月から重光外相秘書官を兼務した。大本営政府連絡会議に外務省代表として常時出席し、陸海軍幕僚と広範な非公式ネットワークを築く。外務省内に「アメリカ研究会」を組織。松谷と同年生まれ・同年齢、ともに英国勤務経験を持つ。松平康昌とは「兄弟のように親密」な間柄で、外務省と宮中を結ぶ裏方を担う。戦後は外務省情報部長、のち初代国連大使。本作の主人公・松谷誠にとっての「最初の同志」であり、生涯の盟友。ジョン・レノンの妻で芸術家のオノ・ヨーコは姪。

 ※同名の外交官(加瀬俊一〈かせ・しゅんいち〉、1920年入省、駐スイス公使)が存在するが別人。本作の加瀬俊一(かせ・としかず、1925年入省)は「小加瀬」、同名異人は「大加瀬」の表記で区別されることもある。


松岡 洋右(まつおか・ようすけ、1880年〜1946年)※本話では名前のみ言及

 山口県出身。第二次近衛内閣外相(昭和15〜16年)として日独伊三国同盟・日ソ中立条約を結んだ。独ソ戦勃発後の対ソ開戦論で近衛と対立し退任。東京裁判中の昭和21年6月27日、結核のため病死。


東郷 茂徳(とうごう・しげのり、1882年〜1950年)※本話では名前のみ言及

 鹿児島県出身。東條内閣および鈴木内閣の外相。開戦時、終戦時いずれも外相の座にあり、ポツダム宣言受諾に尽力。戦後、東京裁判で禁固二十年の判決を受け、獄中で病死。加瀬はこの人物のもとでも秘書官を務めた。


高木 八尺(たかぎ・やさか、1889年〜1984年)※本話では名前のみ言及

 東京帝国大学法学部教授、日本におけるアメリカ政治外交史研究の開拓者。加瀬主宰の外務省「アメリカ研究会」の中核メンバー。


松本 重治(まつもと・しげはる、1899年〜1989年)※本話では名前のみ言及

 ジャーナリスト。同盟通信上海支局長を経て評論家。国際文化振興会常務理事。英米事情に通じ、近衛・加瀬らの対米工作に関与。


坂西 志保(さかにし・しほ、1896年〜1976年)※本話では名前のみ言及

 米国ミシガン大学で博士号取得、米議会図書館東洋部主任を務めた知米派の女性評論家。戦時中帰国して情報分析に従事、アメリカ研究会のメンバーとなる。


■ 用語集


外相秘書官(政務秘書官)

 外務大臣を補佐する秘書官のうち、外務省の高級官僚(事務系)が任ぜられる職。大臣の公務全般、とくに政務・情報・機密事項の補佐を担う。加瀬俊一はこの職にあって、大本営政府連絡会議に常時出席する立場にあった。


アメリカ研究会

 加瀬俊一が外務省北米第一課と協力して主宰した、知米派約二十名からなる非公式研究会。高木八尺、松本重治、坂西志保ら、学者・ジャーナリスト・評論家を結集し、戦時下にあってなお冷静な米国国力・戦時経済分析を行った。開戦・継戦論の熱狂とは一線を画す、外務省内の重要な知的地下水脈。


ハーバード大学院

 加瀬俊一が外務省から派遣されて学んだ米国の大学院。彼の英米人脈と米国理解の土台となった。


霞町かすみちょう

 東京市麻布区(現・港区西麻布)の旧町名。戦前は高級料亭・旅館街として知られた。本話の盟約の舞台。


■ 史実と創作について


【史実に基づく部分】

・加瀬俊一が外務省内に「アメリカ研究会」を組織し、高木八尺・松本重治・坂西志保ら知米派約二十名と米国情勢の冷静な分析を行っていたこと(加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』)。

・加瀬が大本営政府連絡会議に外務省側として出席し、戦局・国力の機密情報に接する立場にあったこと。

・松谷と加瀬が重光外相就任(昭和十八年四月)を機に結びつき、以後、陸軍と外務省の間で極秘の情報交換を続けたこと。加瀬が松谷を「職業軍人にしては珍しく大局を見る明があった」と評し、松谷もまた加瀬の俊敏な外交感覚と、軍部内では知り得ない内外情報の示唆に助けられたと回想していること(加瀬俊一『ミズリー号への道程』、松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。

・松谷がロンドン駐在時代、英王室の開かれたあり方に感銘を受けていたこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。

・加瀬がロンドンの在英大使館で重光の下に勤務して以来その能力に深く傾倒していたこと。重光の外相就任が世論に「真打の登場」と歓迎されたこと。加瀬には南京大使館参事官への転任が内定しており、視察先の北京から至急帰国を命ぜられて政務秘書官(北米課長兼任)に就いたこと。三度目の秘書官就任に「気は進まなかったが、和平促進のためにはやむを得なかった」と回想し、重光と早期終戦の必要について完全に意見が一致していたこと(加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』、加瀬俊一『ミズリー号への道程』)。

・加瀬が後年の回想録で松谷を「ロンドン以来の盟友」と記していること(加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』)。


【創作部分】

・霞町の料亭での一夜の盟約という場面設定と、二人の具体的な会話は、両者の回想に残る相互評価と情報交換の事実を一夜に凝縮した創作的再構成です。

・ロンドンの大使館の宴席で互いを見かけていたというやり取りは、加瀬の回想録にある「ロンドン以来の盟友」という表現を膨らませた創作です。二人の在英時期の重なりや面識の具体的な様子を特定できる史料はありません。

・『機密戦争日誌』に「外務省加瀬秘書官ト連絡開始」という一文を松谷が書き入れたという描写は創作です(同日誌に該当の記述はありません)。


■ 参考文献

加瀬俊一『加瀬俊一回想録 下』山手書房、1983年

加瀬俊一『ミズリー号への道程』文藝春秋新社、1951年

重光葵『昭和の動乱 下』中央公論社、1952年

松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年

山本智之『主戦か講和か 帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年

山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版新書、2015年


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ