第64話「南京への旅立ち」
◆ 前書き 加瀬 俊一(かせ としかず、外務省秘書官)
七月八日の朝、僕は外務省の自室から、羽田の方角を見つめていた。
松谷さんは、列車ではなく軍用機で南京へ向かわれる。羽田から、大校場の飛行場まで。四、五時間の飛行だろう。
(松谷さん。東京の街を、空からご覧になっているだろうか。市ヶ谷台、宮城、外務省。そして、あの築地の離れも。僕たちが、あなたと歩んだ、戦いの場所を)
あの方の目に、僕たちの街並みが、いま一度、灼きついているだろうか。
昭和十九年七月八日。あの朝の青空を、僕は戦後も、しばしば思い出す。
第六十四話。松谷さんが、東京の空を後にし、しばしの別れを告げて、南京へ飛び立つ朝の話だ。
【本文】
一 拳銃を返す
昭和十九年七月八日、午前六時。羽田飛行場。
俺は軍服の襟を正し、駐機場に立っていた。夏の朝の光が、滑走路の上で揺らめいていた。梅雨は、もうほとんど明けていた。空は青く、雲が薄く広がっていた。
駐機場には、一機の陸軍輸送機が発進の準備を整えていた。南京、大校場行きの便。乗客は、わずか数名だ。
見送りに来てくれたのは、橋本少佐、ただ一人だった。
重光大臣も、加瀬さんも、松平閣下も来られない。高松宮殿下も来られない。皆、それぞれの場所で、それぞれの戦いがある。憲兵の目が、この駐機場にも及んでいるかもしれぬ。だから、橋本一人。それでよかった。
「課長。いえ、もう、課長とお呼びするのは、今日かぎりですね」
橋本の声は、わずかに震えていた。
「橋本。班長は、今日から種村だ。お前は、種村をよく支えてくれ」
「承知しました」
俺は、軍服の内ポケットに手を入れた。秦次長から持たされた、あの拳銃だ。直訴の前、命を狙われるかもしれぬから持て、と渡されたもの。俺はそれを取り出し、橋本に差し出した。
「これを、お前に返す」
橋本が、目を見開いた。
「課長、それは、秦次長が、課長の身をお守りするために……」
「うむ。だが、もう要らぬ」
俺は、拳銃を橋本の手に、握らせた。
「これを持つということは、命を懸けた仕事をする、ということだ。陸軍中央で、超法規の覚悟で和平に走る。その覚悟のしるしだった。だが、俺はいったん、その場所から退く。南京で、俺は一参謀として、正規の道を地道に歩む」
「課長……」
「だから、これは、ここに置いていく。次にこれが要る時が来るかどうかは、わからぬ。来ないことを、願う」
橋本は、両手で拳銃を受け取り、深く頭を下げた。その肩が、震えていた。
(この一挺を手放すことで、俺はいったん、命懸けの工作から身を引く。それは、退却ではない。次の場所へ移るための、一歩だ)
二 搭乗
操縦士が、俺に敬礼した。
「松谷大佐殿。ご搭乗を、お願いします」
俺は、橋本に向き直った。
「橋本。市ヶ谷台のことを、頼む。あの罫紙を、種村と二人で、守ってくれ。いずれ時節が変われば、必ず日の目を見る」
「は。お預かりしたもの、命に代えても」
「大げさだ」
俺は、わずかに笑った。橋本も、泣き笑いのような顔になった。
「課長。どうか、ご無事で。そして、いつか、必ず東京へ」
「うむ。戻る。必ず、戻る」
俺は、輸送機の昇降タラップを、一段ずつ登った。襟元に、夏の朝の風が吹いた。タラップの上で、一度だけ振り返ると、橋本が、敬礼の姿勢のまま立っていた。その胸のあたりに、俺が返した拳銃が、しまわれているはずだった。
俺は、深く頷き、機内に入った。
わずかな乗客が、すでに座席についていた。俺は窓辺の席に腰を下ろし、軍服の襟を整えた。内ポケットは、もう軽かった。拳銃の硬さは、そこにない。代わりに、反対側の内ポケットに、松平閣下から賜った封筒があった。同志たちとの、連絡の手立て。俺は、その封筒にそっと手を当てた。
(拳銃は、置いてきた。だが、この封筒は持っていく。武器ではなく、絆を。それが、いまの俺の戦い方だ)
三 翼の下の都
午前六時三十分。プロペラが回り始めた。機体が震えた。やがて音は高く、滑らかになり、輸送機は滑走路をゆっくりと走り出した。
滑走路が後ろへ流れ、機体が振動した。次の瞬間、ふわりと地面を離れた。胃が、わずかに浮いた。俺は、東京の空に舞い上がっていた。
窓の外を見下ろした。夏の朝の光の下に、東京の街並みが一望に広がっていた。機体は雲を縫って上昇を続け、眼下を、品川の海岸線が流れていった。
やがて、機体が左へ旋回した。俺は窓越しに、東京の中心を見据えた。
あれは、宮城。濠の輪郭が、夏の光の中ではっきりと見えた。緑の杜が、街の真ん中に静かに広がっていた。
(陛下。俺は、いま、お膝下を離れます。されど、必ず戻ります。そして、陛下のお苦しみを終わらせる。そのために、働きます)
俺は、心の中で、深く頭を垂れた。陛下が何を思っておられるか、一介の大佐の俺に知るすべはない。ただ、この戦を一日でも早く終わらせること。それだけが、俺にできる、ただ一つの忠義だった。
機体が、さらに左へ流れた。視線が、宮城から、わずかに西へ動いた。
市ヶ谷台が、見えてきた。灰色の参謀本部の建物。その隣に、陸軍省。夏の光の下に、小さくぽつりと佇んでいた。
(あの建物の中で、俺は一年三か月余りを過ごした。第三案を起案し、第一案を起案し、機密戦争日誌に綴ってきた)
(いまも、あの中で、橋本と種村が机に向かっているだろう。いずれ時節が変わる時、必ず第一案を上申せよ。俺の最後の願いが、あの建物の中で息づいている)
俺は、窓に額を当てた。機体の振動が、額に伝わってきた。
(市ヶ谷台。しばしの、別れだ。必ず、戻る)
四 一人ひとりの顔
機体は上昇を続け、東京の街並みが、わずかに遠のいた。眼下に、四谷の街が見えた。あのどこかに、佐藤賢了軍務局長の邸がある。数日前の夜、俺が訪ね、最後の懇願をした、あの邸。
(佐藤閣下。あなたは、俺の覚書を受け取ってくださった。東條閣下の腹心でありながら。あの五項目は、いまも、あなたの胸の中に息づいているはずだ)
機体は西へ進路を変え、街の上空をゆっくりと過ぎていった。
目を閉じると、瞼の裏に、一人ひとりの顔が、浮かんできた。
三日間、東條閣下と渡り合い、俺を激戦地から救ってくれた後宮次長。唯一の真の男と言ってくれた重光大臣。涙で引き止めてくれた加瀬さん。宮中の立場をおして築地の離れに駆けつけてくれた松平閣下。覚書を焼いてくれと託した、あの夜の松平閣下の顔。
後任の班を背負ってくれる種村。罫紙を託した橋本。健診で俺を案じてくれた神林軍医部長。早くから敗北を見通していた、師の酒井先生。最大の後ろ盾だった、杉山閣下。
そして、軍令部で会った高松宮殿下。海軍の窮状を背負った、あの方の翳り。
(皆、それぞれの場所にいる。それぞれの戦いをしている。だが、心は繋がっている)
四日前の、築地の離れの四つの猪口の音が、よみがえった。そして、空のままだった四つ目の猪口。まだ顔を合わせぬ、海の同志のための席。
(俺は、独りではない。陸に、海に、外務に、宮中に。俺を支える人々の輪が、いま、確かに、俺の背中にある)
俺は、目を開けた。機体は、雲海の上を飛んでいた。夏の光が、雲の上で、白くまぶしく光っていた。
五 二週間
機内で、俺はしばし目を閉じた。
昭和十八年三月、参謀本部の戦争指導課に着任して以来の、一年四か月。第二十班に改編されてからの、八か月。あの市ヶ谷台で、俺は何をしてきたのか。
大東亜戦争終末方策の起草。第三案の完成と、真田部長による印刷の不同意。六月二十三日、合同研究での、絶対国防圏の中核の放棄。同じ日の、服部大佐との対峙。歴史が判定する、と俺は言った。夜の、真田部長と秦次長への具申と、その制止。
六月二十八日の、加瀬さんと松平閣下との最後の懇談。二十九日朝の、後宮次長への具申。同じ日の朝、陸軍省の大臣室での、東條閣下への直訴。何一つお答えにならぬ、長い沈黙。その夜の、佐藤閣下への懇願。
七月一日と二日の、第一案の起案。二日の辞令。同じ日の、神林軍医部長の健診。四日の夜の、築地の四つの猪口。七日の朝の、高松宮殿下との対面。
そして、七月八日の朝、いま、羽田を発ち、南京へ向かう。
わずか二週間ほどだった。その二週間で、俺の運命は決定的に変わった。だが、同時に、ただ一人で直訴する孤独な幕僚から、同志たちの輪の中の一人へと、変わっていた。
(俺は、もはや、独りではない)
瞼の裏で、もう一度、その一句を噛みしめた。
六 長江、再び
午前十時三十分頃。機体が下降を始めた。窓の外に、長江の流れが見えてきた。夏の光の中で、その流れは依然として濁り、しかし悠然と東へ流れていた。
あの長江を、俺は四年前にも見た。南京の総司令部の窓辺から、毎朝、毎夕、見ていた。あの濁った流れの色を、俺は忘れていなかった。
(長江、再び)
俺は深く息を吸った。機体はさらに下降を続けた。南京の街並みが、薄い夏の霞の中に見えてきた。城壁の輪郭が、徐々にはっきりと現れた。大校場飛行場の滑走路が、眼下に見えた。
操縦士が、振り返って俺に頷いた。
「松谷大佐殿。間もなく、大校場に着陸します」
俺は、深く頷いた。
ガクン、と機体が滑走路に着地した。車輪が滑走路の上を、ガラガラと走った。やがて機体は、ゆっくりと停止した。
窓の外に、南京の夏の光が、滑走路の上で揺らめいていた。梅雨は明けた。夏は、来た。
俺は深く息を吸い、軍服の襟元を、もう一度整えた。そして、立ち上がった。
(畑元帥。戻りました。重光大臣のお言葉と、高松宮殿下のお伝言を持って。そして、俺自身の決意とともに、お膝下に、戻りました)
俺は、タラップをゆっくりと降りた。南京の地に、軍靴の踵が降りた。乾いた、しかし熱い夏の風が、軍服の襟元を撫でた。
俺は、新しい一歩を踏み出した。
◆ 後書き 種村 佐孝(たねむら さたか、参謀本部戦争指導班長)
昭和十九年七月八日の朝。わたしは、市ヶ谷台の戦争指導班室の窓辺に立っていた。
遠く、南の空に、一機の輸送機が小さく上昇していくのが見えた。羽田を発った便だろう。あの機に、松谷大佐が乗っている。そう思うと、わたしは、しばらく窓辺を動けなかった。
五日前、松谷大佐は突然、支那派遣軍参謀への転任を発令された。戦争終末の、最も大事な時に。その活躍を、誰よりも期待していたのに。返す返すも、残念だった。理由は、はっきりとは分からぬ。だが、戦争終結のために外部へ動いたことが、いつしか上司の耳に入り、その忌諱にふれたのだろう。そして、その後任に、乏しいわたしが命じられた。
わたしは、机に戻り、その日の日誌を開いた。そして、淡々と一行を書きつけた。
――松谷大佐、本日出発赴任セラル。
筆を置いて、わたしは、もう一度、窓の外を見た。輸送機は、もう見えなかった。夏の雲が、白く、空に広がっているだけだった。
机の引き出しには、松谷大佐が遺していった第一案の罫紙がある。いずれ時節が変わる時、必ず上申せよ。あの人の、最後の言葉だ。かつてわたしは、あの人の和平論に真っ向から反対した。負けを前提に動くことに、軍人として踏み切れなかった。そのわたしが、いま、あの人の遺した案を預かっている。
皮肉なものだ。だが、もう分かっている。誰が班長の椅子に座ろうと、あの人の見ていた現実は、覆らない。わたしは、あの人の代わりに、この罫紙を守る。その日が来るまで。
松谷大佐。どうか、ご無事で。市ヶ谷台の空は、今日も、よく晴れていた。
【執筆者補記】
■ 史実と創作の区別
【史実に基づく部分】
松谷誠が、支那派遣軍参謀として、羽田から飛行機で南京へ赴任したこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』に『五日羽田発、南京へ飛行機で赴任した』とある)。
大本営陸軍部戦争指導班の『機密戦争日誌』七月八日の項に『松谷大佐、本日出発赴任セラル』と記録されていること(軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 下』)。
後任の戦争指導班長を種村佐孝が継いだこと。種村が、松谷の左遷を『戦争終末期にあたり今後の活躍を期待していたのに返す返すも残念である』『その後任に乏しきをもって命ぜられた』と書き残していること(種村佐孝『大本営機密日誌』)。
松谷が、後宮淳高級次長の働きにより激戦地への放逐を免れ、古巣の支那派遣軍へ転出したこと。南京の支那派遣軍総司令官が、松谷の尊敬する畑俊六元帥であったこと。
【創作部分】
出発を七月八日とし、その日の朝の羽田での情景、機内からの東京の眺め、南京到着までを描いたのは創作です。松谷自身は『五日羽田発』と回想していますが、『機密戦争日誌』では八日の出発と記録されており、三日のずれがあります。本作では、部下たちが出発を見届けた公式記録である七月八日を採りました(天候や輸送機の都合で足止めされた可能性などが考えられます)。
見送りを橋本少佐一人とし、松谷が秦次長から持たされた拳銃を橋本に返す場面は創作です。第五十六話で秦次長が松谷に拳銃を持たせたことを受け、それを返すことで、超法規の覚悟で動く中央での和平工作から、いったん身を引くことの象徴としました。史実において松谷が出発時に拳銃を誰かに返したという記録はありません。
種村が市ヶ谷台の窓から松谷機を見送り、日誌を記す場面は創作です。ただし、種村が日誌に出発を記したこと、左遷への無念を書き残したことは史実で、その趣旨を踏まえています。
機内での松谷の述懐、同志たち一人ひとりへの想い、長江への感慨は創作です。本話では、海軍の同志(高木惣吉)の名を、第六十二話・第六十三話と同様、あえて出していません。初対面(翌昭和二十年一月)を物語の山として温存するためです。
【人物紹介】
■ 松谷 誠(まつたに せい、1903-2000)
陸軍大佐(本話時、支那派遣軍参謀)。本作の主人公。本話では、東京を離れ南京へ旅立つ朝の姿で描かれる。羽田で、秦次長に持たされた拳銃を橋本少佐に返し、中央での命懸けの工作から、いったん身を引く。後宮次長の働きで、激戦地ではなく古巣の畑元帥のお膝下へ転出した。一人称は地の文で『俺』。
■ 橋本 正勝
陸軍少佐、参謀本部戦争指導班員。本話で、ただ一人、松谷を羽田に見送る。松谷から拳銃を託され、また第一案の罫紙を、種村とともに守るよう頼まれる。
■ 種村 佐孝(たねむら さたか、1903-1966)
陸軍大佐(昭和十九年三月一日付で進級)、参謀本部戦争指導班長。本話の後書きの語り手。松谷の後任として班を継いだ。本話では、市ヶ谷台の窓から松谷機を見送り、『機密戦争日誌』に出発を記す。かつて松谷の和平論に反対した経緯を抱えつつ、第一案を守る役を負う。『大本営機密日誌』の著者。
■ 畑 俊六(はた しゅんろく、1879-1962)
陸軍元帥、支那派遣軍総司令官。本話では、到着地で松谷を迎える存在として、終盤に心中で呼びかけられる。松谷が最も尊敬する上官。
■ 加瀬 俊一(かせ としかず、1903-2004)
外相秘書官。本話の前書きの語り手。松谷の盟友。羽田の方角を見つめ、空を行く松谷を案じる。
【用語集】
■ 羽田飛行場
現在の東京国際空港。本話の時点では、陸海軍と民間が共用する東京の主要飛行場。松谷は、ここから南京・大校場行きの陸軍輸送機に搭乗した。
■ 大校場飛行場
南京近郊にあった飛行場。支那派遣軍総司令部への赴任者の、主要な到着地。羽田からは、おおむね四〜五時間の飛行だった。
■ 拳銃を返す(けんじゅうをかえす)
本話の眼目となる場面。松谷は直訴の前、秦次長から『命を狙われるかもしれぬから持て』と拳銃を持たされていた(第五十六話)。それを羽田で橋本少佐に返すことは、超法規の覚悟で動く中央での和平工作から、いったん身を引くことの象徴である。武器を手放し、代わりに同志との絆(連絡の手立て)を携えて発つ、松谷の心の転換を表す。
■ 長江(ちょうこう、揚子江)
中国大陸を東西に貫く大河。南京は長江の下流域に位置する。松谷の南京勤務の象徴的風景として、本作でしばしば登場する。
■ 夏は来た(なつはきた)
松平が松谷に教えた暗号『夏は来たか』(和平の機の到来)と対応する、本話末尾の象徴。昭和十九年七月の梅雨明けと南京到着が、和平の機への第一歩として描かれる。実際に機が訪れるまでには、なお一年余を要した。
【参考文献】
■ 一次史料・回想録
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
種村佐孝『大本営機密日誌』芙蓉書房、1952年
軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 下』錦正社、2008年
■ 二次史料・研究
山本智之『主戦か講和か――帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年
(注)本話の会話・心理・情景は当方の創作です。松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』『機密戦争日誌』ほかの史料に残る事実の趣旨は保持しつつ、本作の文体に直しました。出発日は『機密戦争日誌』の七月八日を採りました。海軍の同志の名を本話で出さないのは、初対面(翌年一月)を山として温存するための構成です。




