第63話「高松宮との対面」
◆ 前書き 松平 康昌(まつだいら やすまさ、内大臣秘書官長)
昭和十九年七月七日の朝のことを、わたくしはいまも、よく覚えています。
松谷君が、海軍の軍令部に高松宮宣仁親王殿下をお訪ねする日でした。わたくしが、その目通りを取り計らったのです。
皇族の殿下が、一介の陸軍大佐をお招きになる。本来であれば、ありえぬことです。陸軍の軍人が、海軍の本丸である軍令部に、殿下を訪ねていく。それも、異例のことでした。
わたくしは、内大臣府秘書官長という己の立場の全きの信頼を、松谷君のために賭けました。もし松谷君が殿下の御前で粗相をすれば、わたくし自身の宮中での信用も揺らぐ。それでも、賭ける値打ちがある、と信じていました。
第六十三話。陸軍の和平派と、海軍に身を置く皇族とが、初めて手を結んだ、ひと朝の話でございます。
【本文】
一 軍令部の一室
昭和十九年七月七日、午前十時。俺は海軍軍令部の門をくぐった。
陸軍の軍人が海軍の本丸へ足を踏み入れる。それだけでも、異例のことだった。だが、昨夜の築地の離れで松平閣下から賜った手配だ。高松宮宣仁親王殿下が、この軍令部の一室で俺を待っておられる。
俺は軍服の襟元を、何度も整え直した。勲章をつけた、最高の正装だった。
門前で名を告げると、すぐに通された。海軍の士官が、俺を奥へと案内した。陸軍の軍服で歩く廊下は、どこかよそ者の場のようで、足裏に落ち着かぬものがあった。
案内されたのは、奥まった一室だった。殿下が平時から執務にお使いになる、専用のお部屋だという。
扉が開いた。高松宮殿下は、すでに席に着いておられた。海軍の軍服姿だった。皇族であると同時に、海軍大佐。この方は、軍令部作戦課の現役の軍人なのだ。
俺は深く敬礼した。
「殿下。お初にお目にかかります。陸軍大佐、松谷誠です」
「松谷大佐。よくいらしてくださいました。どうぞ、おかけください」
殿下の声は、穏やかで丁寧だった。少しも、人を見下すところがない。俺は、椅子の端に浅く腰を下ろした。
「松平秘書官長から、あなたのことを伺っています」
「皇族の私がこうして陸軍の方をお招きするのは、世間から見れば異例でしょう。けれど、松平秘書官長の話を聞いて、私は、あなたにお会いしたいと思ったのです」
(殿下、それは松平閣下の保証あればこそです。あの方が内大臣府秘書官長という立場で、俺の覚悟を殿下にお伝えくださった。その重みがあって、はじめて俺はこの部屋に招かれた)
「身に余る光栄です、殿下」
俺は深く頭を下げた。
二 戦争終末に対する工作
「松谷大佐。あなたは、参謀本部の戦争指導班長から支那派遣軍の参謀へ移られると伺いました」
「は。明日、南京へ発ちます」
「そうですか」
殿下は、しばし俺を見つめた。そして、静かに切り出した。
「戦争終末に対する工作が、参謀本部でいまどうなっているか。それを、あなたから直に伺いたいのです」
(殿下は、すでにご存じだ。和平の動きを、海軍の側からずっと見ておられる)
俺は姿勢を正した。
「殿下。わたくしが起案した戦争指導の方針を、東條閣下に進言いたしました。閣下は、最後まで何一つお答えになりませんでした」
「その直訴の後、わたくしは新たな案を、部下の種村大佐、橋本少佐とともに起案いたしました。昭和二十年春頃を目途とする、戦争指導の第一案と申します」
殿下の目が、わずかに見開かれた。
「左遷の発令を受けた後に、新たな案を起案された、と」
「は。戦争指導班長としての、最後の職責でした」
俺は懐から、一通の写しを取り出した。第一案の要旨を、短くまとめたものだ。両手で、殿下に差し出した。
「これが、その要旨です。来年の春頃を目途に、ソ連を仲介とした和平を断行する。条件は唯一、国体護持のみ。もし成らなければ、一億玉砕あるのみ。それほどの覚悟をもって和平に臨む、という案です」
殿下は、その写しを受け取り、しばし目を落とした。長い沈黙だった。やがて、ゆっくりと顔を上げた。
「松谷大佐。あなたは、左遷を待つ身でありながら、最後まで、筆を執っておられたのですね」
俺は黙って頷いた。
殿下の顔に、深い感慨の色が宿った。
「あなたのような方の働きが、いずれ、この国を救うのだと思います」
俺は息を呑んだ。皇族で、海軍の軍人でもある方が、陸軍の一大佐の働きを、そこまで言ってくださる。胸の奥が、熱くなった。
「この第一案、海軍の主だった者にも、私から伝えておきましょう。陸と海とが別々に和平を考えていては、まとまるものも、まとまりません」
「ありがとうございます」
(海軍にも、和平を真剣に考える人々がいる。殿下が、その橋渡しをしてくださる。陸の俺の案が、海の誰かの手に渡る。まだ顔も知らぬ、その誰かに――)
俺の脳裏に、三日前の、あの空の猪口がよぎった。まだ見ぬ海の同志。その輪郭が、ほんの少しだけ近づいた気がした。
三 サイパンの海
殿下は、椅子の背にわずかに身を預けた。その目に、海軍の軍人としての深い翳りが差した。
「松谷大佐。私は海軍にいます。だから、海の戦のことは、よくわかるのです。マリアナ沖で、わが連合艦隊は、米軍の機動部隊にまるで歯が立たなかった。あれだけの航空兵力を、一日ですり潰された。同じ規模の決戦をもう一度挑むことは、まず、できません」
殿下の声は、淡々としていた。だが、その語り口の底に、抑えきれぬ憤りと悲しみが沈んでいた。
「島々で、陸軍の将兵が玉砕していく。海軍は、その島へもう満足に兵も物も運べない。船がないのです。私は軍令部で、その数字を毎日見ています」
(殿下は、海軍の窮状を、誰よりもご存じだ。皇族という雲の上の方ではない。前線の負けを数字で知っている、一人の軍人だ)
「殿下。陸軍もまた、同じでございます。わたくしが直訴で申し上げたのも、まさにその一点でした。勝敗の山は、すでに見えている、と」
「ええ。陸と海と、別々の戦をしているようでいて、見ている崖は同じなのです」
殿下は、俺をまっすぐに見た。
「だからこそ、あなたのような陸軍の方とこうして話せることが、ありがたい。海軍だけでも、陸軍だけでも、この戦は終えられないのですから」
四 人を生かす網
しばしの静寂のあと、殿下はしみじみと口を開いた。
「松谷大佐。あなたの左遷は、東條閣下のご懲罰なのでしょうね」
「けれど、激戦地ではなく古巣の南京に移られると聞きました。後宮次長のお働きがあった、と」
俺は息を呑んだ。
(殿下は、後宮閣下のご尽力までも、ご存じなのか)
「松平秘書官長から、私の耳にも届いています」
殿下の目の奥に、深い色が宿った。
「後宮淳という人もまた、この国に要る人です。表向きは主戦派の高級次長として東條閣下に従いながら、肝心なところで、人を生かす」
「そういう人の網が、いま、この国の中に静かに張り巡らされています。あなたも、その網の一つの結び目だ。そして私も、その網の中にいる」
俺は、深く頷いた。
「殿下。わたくしは、その網のほんの一端を担う者にすぎません。殿下は、その網の最も高いところにおられます」
殿下は、ゆっくりと首を振った。
「高いも低いもありません。海軍の軍人として、皇族として、私にできることをするだけです。そのために、あなたのような幕僚の働きが要るのです」
「身命を賭して、務めます」
五 いつか、ゆっくりと
殿下は、卓の上の湯呑みに手を伸ばした。茶は、もうすっかり冷めていた。
「本当は、一献、差し上げたいところですが」
殿下は、わずかに笑った。
「ここは軍令部で、いまは執務の最中です。それに、昼日中から陸軍の方と海軍の私とが酒を酌んでいては、いささか人目に立ちましょう」
俺も思わず、口元がゆるんだ。
「ですから、酒は預けておきます。いつか、あなたが中央に戻られた日。その時、ゆっくりと酌み交わしましょう。陸も海も、宮中も、皆で」
「――は。その日を、楽しみにいたします」
(その日。俺が中央に戻る日。その時、この方と、そして、まだ見ぬ海の同志と、ゆっくり杯を交わせるのだろうか)
三日前の、築地の離れの四つの猪口の音が、よみがえった。そして、空のままだった四つ目の猪口。その猪口に、いつか酒が満ちる日が――この方の言う、その日なのかもしれない。
俺は、冷めた茶をひと口いただいた。ほのかな苦みが舌に残った。だが、不思議とそれは温かかった。
六 畑元帥へ
辞去する前に、殿下はこう言った。
「南京の畑元帥に、お伝えください。高松も、和平の機を待っています、と」
俺は深く頭を下げた。
「確かに、お伝えいたします」
「あなたは、畑元帥を、深く敬っておられますね」
「は。わたくしの軍歴の中で、最も尊敬する上官です」
「私も、同じ気持ちです。あの方は、陸軍の中で最も信を置ける方のお一人だ。開戦の前、戦を避けるために誰よりも尽くされた」
殿下の声に、深い思いがこもった。
「いずれ、この国が本当に苦しむ時、あの方の力が、要る日が来るかもしれません」
(殿下は、何かを見通しておられる。畑元帥の名を、心に留めておられる)
俺は深く敬礼した。
「殿下。明日、わたくしは羽田から南京へ発ちます。かの地より東京へ、書簡をお送りいたします。加瀬殿、松平閣下、そして殿下にも、機を見てご報告申し上げます」
「うむ。畑元帥のお膝下で、身体を大切にしてください。いずれ、中央に呼び戻される日が、必ず来ます」
「その日まで、あなたの覚悟を、私も覚えておきます」
俺は深く頭を下げた。
「身に余る、お言葉でございます」
七 梅雨明けの空
俺は深く敬礼し、部屋を出た。海軍の士官に送られ、長い廊下をゆっくりと歩いた。軍靴の音が、静かな廊下にわずかに響いた。
門前で、もう一度、軍令部の建物を振り返り、深く頭を下げた。そして、外へ出た。
(松平閣下。改めて、ありがとうございます。あなたの引き合わせがなければ、俺が皇族の殿下にお目にかかることなど、生涯なかった。あなたは、ご自分の信頼を、俺のために賭けてくださった)
街路に出て、ふと立ち止まった。空には、雲が薄く広がっていた。梅雨明けが、近かった。
俺は、深く息を吸った。
明日、俺は南京へ向かう。畑元帥のお膝下へ戻る。殿下の言葉と、重光大臣の言葉と、加瀬さん、松平閣下の言葉を胸に抱いて。
かの地から、東京へ書簡を送る。梅雨は明けたか。夏は来たか。あの暗号の言葉で、戦況と和平の機を、伝えるのだ。
左遷であるはずなのに、なぜか俺の心は軽かった。それは、もう独りではないからだ。俺を支えてくれる人々の網が、いま確かに、俺の背中にある。陸に、海に、外務に、宮中に。
俺は、再びゆっくりと歩き出した。軍靴の音が、夏の朝の光の中でわずかに響いた。
◆ 後書き 加瀬 俊一(かせ としかず、外務省秘書官)
あの七月七日の高松宮殿下との対面について、松谷さんは戦後、僕たちに、ぽつりぽつりと話してくれた。
話す時、松谷さんは、必ず目を伏せた。身に余ることでした、と、その一句を何度も繰り返した。
皇族の殿下が、一介の陸軍大佐を海軍の軍令部にお招きになった。それも、いつか酒を酌み交わそう、と言ってくださるほどに信を置いてくださった。松谷さんにとって、それは、軍歴の中でも最も誇り高い瞬間の一つだったはずだ。
だが松谷さんは、それを誇ろうとはしなかった。戦後の回想録にも、ほとんど書かなかった。皇族を和平の工作に巻き込んだ事実が表に出れば、殿下に、ひいては皇室に累が及ぶ。松谷さんは、それを誰よりも恐れた。だから、あの対面のことは、生涯ほとんど語らなかったのだと思う。
あの人の謙虚さの根は、深い。その根のいちばん底に、皇室への静かで深い敬いがあった。
思えば、あの日、軍令部で松谷さんに会った高松宮殿下は、皇族であると同時に、海軍の軍人だった。陸の松谷さんと、海の殿下。二人が手を結んだあの朝、まだ顔を合わせぬ四人目の同志――海軍のあの人へと続く糸が、また一本、静かに結ばれていたのです。
【執筆者補記】
■ 史実と創作の区別
【史実に基づく部分】
松谷誠が昭和十九年七月七日に高松宮宣仁親王と面会したこと(『高松宮日記』第七巻、七月七日の項に『一〇〇〇松谷大佐』『松谷大佐ニキク(戦争終末ニ対スル工作ガドウナツテヰルカ)』とある)。
高松宮が当時、海軍大佐として軍令部(作戦課)に在勤していたこと。松谷と高松宮の提携が、皇族との関係であると同時に、海軍との協力関係という性格を持っていたこと(山本智之『主戦か講和か』『「聖断」の終戦史』)。
松谷が起案した戦争指導の第一案が、軍令部の高松宮および海軍の主任者にも渡されたこと(種村佐孝『大本営機密日誌』に『この案は、それから、軍令部高松宮及び海軍の主任者にも渡しておいたが、読んでくれたかどうかわからぬ』とある)。
第一案の骨子(日独ともに作戦的に大勢挽回の見込みなく速やかに戦争終末を図る/外交による政略攻勢/条件は国体護持のみ/対象はまずソ連/成らずば一億玉砕あるのみ)。
松谷が後宮淳高級次長の働きにより、激戦地への放逐を免れ、古巣の支那派遣軍へ転出したこと(松谷『大東亜戦争収拾の真相』)。
【創作部分】
面会の場所を軍令部の高松宮専用の部屋としたのは、史料からの推定です。高松宮はこの日の朝8時半に東京霞が関の軍令部に出勤しており、高輪の宮邸に一度戻るのは考えにくいこと、また平時の軍令部庁舎に高松宮の専用の部屋があったこと(阿川弘之『山本五十六』ほか)から、軍令部の専用室での面会と推定して描きました。
面会を松平康昌が斡旋したという設定は創作です。松平が斡旋したという直接の記録はありませんが、松平が職務上しばしば高松宮に接していたこと、当時陸軍軍人が高松宮と会うのは珍しく予定として組まれていたことから、松平の差配と推定しました。
会話の細部、室内の情景、高松宮および松谷の心情、サイパン以後の海軍の窮状を高松宮自身が語る場面は創作です。ただし、高松宮が海軍の作戦中枢にあって戦局を冷徹に見ていたこと、その立場が松谷との提携の核であったことは、史実(山本智之の分析)を踏まえています。
高松宮が酒を将来に預ける、後宮を『人を生かす』と評する、畑元帥への伝言を託す、といった台詞は創作です。松谷と高松宮が第一案をめぐって戦争終結を語り合った、という事実の趣旨を踏まえた肉付けです。
本話では、海軍の同志(高木惣吉)の名を、あえて出していません。松谷と高木が実際に会うのは翌昭和二十年一月であり、その初対面を物語の山として温存するため、本話では『海軍の主だった者』『まだ見ぬ海の同志』として象徴的に示すに留めました。
【人物紹介】
■ 高松宮 宣仁親王(たかまつのみや のぶひとしんのう、1905-1987)
皇族、海軍大佐(本話時、軍令部作戦課に在勤)。本話の核心人物。大正天皇第三皇子、昭和天皇の弟宮。海軍兵学校五十二期、海軍大学校卒。海軍将校として勤めるかたわら、皇族として宮中の動きにも通じ、海軍と宮中を結ぶ要にあった。特別扱いを好まぬ人柄で、本話では年長の松谷に対しても丁寧な言葉で接する。皇族の権威ではなく、サイパン以後の海軍の窮状を知る一人の軍人として、松谷と和平を語り合う。本作後半、聖断に至る局面で、極めて重要な役割を担う。戦後、日本赤十字社名誉総裁などを歴任。
■ 松谷 誠(まつたに せい、1903-2000)
陸軍大佐(本話時、参謀本部戦争指導班長、七月八日付で支那派遣軍参謀)。本作の主人公。本話では、南京へ発つ前日、軍令部に高松宮を訪ね、第一案を奉呈して海軍・宮中との連携を確かなものにする。皇族との対面という生涯最大の栄誉を、戦後もほとんど語らなかった。一人称は地の文で『俺』。
■ 松平 康昌(まつだいら やすまさ、1893-1957)
侯爵、内大臣秘書官長。本話の前書きの語り手。松平春嶽の孫。本話では、自らの宮中での信頼を賭けて、松谷を高松宮に引き合わせる、舞台裏の立役者として描かれる。
■ 加瀬 俊一(かせ としかず、1903-2004)
外相秘書官。本話の後書きの語り手。英米通の外交官で、松谷の盟友。本話では、松谷が戦後に語った高松宮との対面の様子を、回想として伝える。
■ 畑 俊六(はた しゅんろく、1879-1962)
陸軍元帥、支那派遣軍総司令官。本話では言及のみ。松谷が赴任する南京の総司令官で、松谷が最も尊敬する上官。高松宮から『陸軍の中で最も信を置ける方の一人』と評され、『高松も和平の機を待っている』との伝言を、松谷を介して託される。
■ 後宮 淳(うしろく じゅん、1884-1973)
陸軍大将、参謀本部高級次長。本話では言及のみ。松谷を激戦地への放逐から救った。高松宮から『表向きは主戦派に従いながら、肝心なところで人を生かす』と評される。
【用語集】
■ 軍令部
海軍の作戦・用兵を統括する中枢機関。陸軍の参謀本部に相当する。本話の舞台で、高松宮宣仁親王は海軍大佐として、この軍令部の作戦課に在勤していた。平時の庁舎には高松宮の専用の部屋が設けられていた。
■ 昭和二十年春頃ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル第一案
松谷を班長とする戦争指導班が起案した、戦争終結に向けた案。骨子は、日独ともに作戦的に大勢を挽回できず速やかに戦争終末を図る/外交による政略攻勢で決着を求める/条件は国体護持のみ/対象はまずソ連/成らずば一億玉砕あるのみ、の五項目。本話で松谷が高松宮に奉呈する。種村佐孝の記録によれば、この案は軍令部の高松宮および海軍の主任者にも渡された。
■ 人を生かす網
本話で高松宮が語る、終戦工作のネットワークの比喩。表向きは主戦派に従う者も含め、肝心なところで国と人を生かそうとする者たちの、省庁や軍の枠を超えた連携を指す。松谷と重光・加瀬(外務省)、松谷と松平(宮中)、松谷と高松宮(海軍・皇族)、松谷と酒井(陸軍)といった各つながりが、その網を形づくっていた。
■ 和平の機
戦争終結の好機。松平が松谷に教えた暗号『夏は来たか』と対応する。昭和十九年の時点では、ドイツの崩壊以降に和平の機が訪れる、という見通しが和平派の共通認識だった。
【参考文献】
■ 一次史料・回想録
松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年
種村佐孝『大本営機密日誌』ダイヤモンド社、1952年
高松宮宣仁親王『高松宮日記』中央公論社、1995-1997年
■ 二次史料・研究
山本智之『主戦か講和か――帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年
山本智之『「聖断」の終戦史』NHK出版、2015年
阿川弘之『山本五十六』新潮社、1965年
(注)本話の会話・心理・情景は当方の創作です。『高松宮日記』『大本営機密日誌』ほかの史料に残る事実の趣旨は保持しつつ、本作の文体に直しました。面会の場所(軍令部の専用室)は史料からの推定、松平の斡旋は推定に基づく創作です。




