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俺たち終戦四人組ー太平洋戦争を終結に導いた官僚たちの戦いー  作者: 房吉
第6章 東條直訴と左遷(昭和19(1944)年6月22日~)

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第61話「左遷」

◆ 前書き 橋本 正勝(はしもと まさかつ、参謀本部戦争指導班員)


 昭和十九年七月二日の午後のことを、わたしはいまも、はっきりと覚えている。


 後宮高級次長に呼ばれて部屋を出ていかれた課長が、しばらくして一枚の辞令を手に戻ってこられた、あの瞬間。


 課長の顔には、驚きも悲しみもなかった。ただ静かに、深く頷かれた。


 あの頷きを、わたしは生涯、忘れられない。


 そして辞令を引き出しの奥にしまうと、課長はまた机に向かい、書きかけの罫紙にペンを走らせ続けられた。


 前日から、種村大佐とわたしの三人で起案していた新たな案だ。昭和二十年春頃を目途とする、戦争指導の第一案。それは課長の、戦争指導班長としての最後の仕事であり、同時にわたしたちへの遺言でもあった。


 第六十一話。左遷の辞令を受けたその日になお筆を執り、夜には四谷へ向かわれた、ひとりの幕僚の一日の話でございます。



【本文】


一 後宮次長の部屋


 昭和十九年七月二日、午後三時。市ヶ谷台、戦争指導班室。


 俺は机に向かい、ペンを動かしていた。卓上に、書きかけの罫紙が何枚も広がっている。


 前日の七月一日の朝から、橋本と種村大佐の三人で新たな案の起案を始めていた。「昭和二十年春頃ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル第一案」。ほとんど完成していた。残るは、細部の表現と結語の整えだけだ。


 扉を叩く音がした。


「松谷大佐殿。後宮高級次長が、お呼びです」


 若い参謀が、襟を正して立っていた。俺はペンを置き、立ち上がった。


(来たか)


 心の中で、ただそれだけを呟いた。直訴から三日。処分が決まったのだ。覚悟は、六月二十九日の朝、東條閣下の御前で固めていた。


 後宮閣下の部屋に入ると、あの人は机の向こうで一枚の紙を手にしていた。俺の顔を見て、しばし黙った。穏やかな、年老いた将軍の目だった。


「松谷君。辞令だ」


 俺は机の前に立ち、その紙を受け取った。深く息を吸い、開いた。


――陸軍大佐 松谷誠 支那派遣軍参謀ヲ命ズ 七月三日付。


 短い、しかし運命の一行だった。俺はしばし、その一行を見つめた。


 支那派遣軍。南京。一年半前まで、俺がこの人の下で働いた、古巣だ。


 激戦地ではない。畑元帥閣下のお膝下だ。直訴の罪で、塚本少佐のように南方の島へ放られてもおかしくなかった。それが、古巣への転出で済んだ。


(後宮閣下――あなたが、お動きくださったのか)


 俺は顔を上げた。後宮閣下は、静かに頷いた。


「南京なら、貴公の働き場所もあろう。古巣だ。気心も知れておる」


 それ以上は、何も言わなかった。だが俺にはわかった。この三日のあいだ、この部屋で何かがあったのだ。激戦地への放逐が、古巣への帰還へと書き換えられた。誰がどう動いたのか――問うても、この人は語るまい。


「次長。ありがとうございます」


 俺は深く頭を下げた。後宮閣下は、わずかに手を上げてそれを制した。


「礼には及ばん。それより松谷君、発つ前に一つ済ませておけ」


「神林君のところで、健康診断を受けよ。陸軍省医務局長の神林浩だ。貴公とは南京で縁があったろう。支那派遣軍軍医部長として、な」


 俺は、目を上げた。


「外地へ出る前の、ただの検査だ。だが――念のためだ。じっくり、診てもらえ」


 後宮閣下の声は、穏やかだった。だがその穏やかさの底に、もう一つの意味が沈んでいる気がした。それが何なのか、そのときの俺にはまだわからなかった。


「承知しました。神林医務局長のもとへ、伺います」


 後宮閣下は、深く頷いた。


「松谷君。南京の畑元帥閣下に、よろしくな。それと――身体を、大切にせよ」


 その一言に、俺はこの人の親情のすべてを感じた。南京の総参謀長として俺を使ってくださった、あの頃と同じ目だった。


 俺は深く敬礼し、部屋を出た。


二 まだ、班長である


 戦争指導班室の扉を開けると、橋本と種村大佐がはじかれたように立ち上がった。俺の手の中の辞令に、二人の目が吸い寄せられた。


「課長」


 橋本の声が、わずかに震えていた。


「辞令、でしたか」


「うむ。支那派遣軍参謀。明日付の発令だ」


 種村大佐が、深く息を吐いた。


「課長……」


「それと、種村」


 俺は、もう一通の紙を種村大佐に差し出した。後宮閣下の部屋で、俺の辞令とともに渡されたものだ。


「お前にも、辞令が出た。明日付で、戦争指導班長を命ず――俺の後任だ」


 種村大佐の顔が、こわばった。受け取った紙をしばし見つめ、それから低く言った。


「課長の後を……わたしが」


「うむ。お前なら、託せる」


 種村大佐は深く頭を下げた。その肩が、わずかに震えていた。


 俺はゆっくりと机に戻り、自分の辞令を引き出しにしまった。ペンを取り、書きかけの罫紙をもう一度見つめた。


「種村。続けるぞ」


 二人は、息を呑んだ。


「課長、辞令を受けられたばかりです。これ以上、職務を続けられる必要は……」


 橋本だった。俺は首を振った。


「俺の発令は、明日付だ。今日二日は、まだ戦争指導班長である」


「戦争指導班長として、最後の職責を全うする。明日からは種村、お前の班だ。だが今日はまだ、俺が仕上げる」


 二人は深く頷いた。その目に、涙が滲んでいたかもしれぬ。だが俺の目にも、何かが滲んでいた。


 ペンが、再び罫紙の上を走り始めた。


三 第一案


 卓を囲んで、三人でペンを動かした。骨子は、すでに固まっていた。判決――俺たちはこの結論を、そう呼んだ。


 第一。帝国は作戦的に大勢を挽回する目途なく、ドイツの様相もおおむね同じく、今後じり貧に陥る。ゆえに速やかに戦争終末を企図す。


 第二。甚だ困難ながら、武力ではなく政略攻勢により、戦争の決を求めざるを得ず。


 第三。この際の条件は、唯一、国体護持あるのみ。


 第四。政略攻勢の対象は、先ずソ連に指向するを可とす。


 第五。かかる企図、不成功に終わりたる場合は――最早、一億玉砕あるのみ。


 罫紙の上に、文字がひとつずつ刻まれていった。種村大佐のペンを握る手が、わずかに震えていた。


(第五項を書きながら、種村は皇国の運命を覚悟しているのだ。明日からこの案を背負うのは、この男だ)


 俺は思った。一億玉砕あるのみ――この一句は、絶望ではない。そこまで覚悟して、ようやく和平に到達できる。現実主義の極致だ。


 午後の光が、市ヶ谷台の窓越しに斜めに差し込んできた。夏の梅雨明けが、いよいよ近かった。


四 遺言


 午後五時半。俺は罫紙の最後に、自分の名前を書いた。


 松谷誠。


 四文字を書き終えた瞬間、深く息を吐いた。ペンを置き、罫紙の束をゆっくりと持ち上げた。完成だった。


「種村」


 俺は罫紙の束を、種村大佐の前に置いた。


「これを、お前に託す」


 種村大佐の目が見開かれた。


「課長、これは……」


「明日から、戦争指導班長は、お前だ。この案は、生かさねばならぬ」


 俺は深く頷いた。


「いまの東條閣下の代では、出せぬ。だが、いずれ時節が変わる時が必ず来る。その時、班長としてこれを上申せよ」


 種村大佐は、罫紙の束を両手で受け取った。


「お預かりします。班長の職とともに、しかと」


 傍らで、橋本も深く頭を下げた。


 俺は再び、罫紙の束を見つめた。


(これは、俺の遺言だ)


 心の中で、そう思った。中央を離れる俺の、戦争指導班長としての最後の声。後を継ぐ種村と橋本に託す。いずれ東條閣下の代が終わり、新たな時節が来る時――この罫紙が、誰かの目に触れるだろう。


五 四谷へ


 午後七時。俺は部屋に戻り、軍服を脱いだ。地味な紺の背広に着替えた。憲兵の目を欺くための工夫だった。


 今宵、もう一つ、せねばならぬことがあった。


 四谷の、一軒家。陸軍省軍務局長、佐藤賢了中将の私邸だ。


 背広姿の俺は、市ヶ谷の裏門をひっそりと出た。夏の夜気が、わずかに湿っていた。


 四谷までは、徒歩で半時間ほど。俺はゆっくりと街並みを歩いた。灯火管制の闇の中で、足音だけがぽつりぽつりと響いた。


(佐藤閣下)


 心の中で、その名を呟いた。


 あの人は、東條閣下の腹心だ。黙れ事件で名を馳せた、対米強硬論の象徴。陸大の頃には切れすぎるあまり、同期から、あいつはずるいから軍刀はやれぬ、と警戒されたという。それほどの切れ者だ。


 だが、その佐藤閣下もまた、俺と同じ金沢の生まれだ。同郷の縁を頼りに、俺はあの人の戸を叩く。あの切れる頭の奥に、もし一分でも敗北を見通す目があるなら――そこに賭けるしかない。


六 腹心の戸


 午後八時前。四谷の閑静な住宅街の中、佐藤邸の門前に俺は立った。黒塗りの板塀。わずかに灯る、玄関の灯。


 門番に名を告げると、しばし待たされたのち、奥の応接間に通された。


「松谷君。こんな夜分に」


 佐藤閣下の声は、いつもよりわずかに戸惑いを含んでいた。


「夜分に、申し訳ありません」


「松谷君。何用かね」


 佐藤閣下の顔は、いつもよりわずかに緊張していた。


(佐藤閣下は、俺の直訴と発令をすでにお聞きになっている。東條閣下の腹心であるこの人が、俺を応接間に通してくださっただけでもありがたい)


 俺は深く頭を下げた。


「軍務局長閣下。本日、わたくしは支那派遣軍参謀の辞令を頂きました。明朝の発令で、中央を離れます」


「聞いておる」


「ですが、中央を離れる前に、どうしても申し上げておきたいことがあります」


 佐藤閣下の目が、わずかに細められた。


「申してみよ」


 俺は声をひそめた。


「軍務局長閣下。何とか早く戦局を収拾して、国体だけを護持するようお考えください。どうか、伏してお願い申し上げます」


 佐藤閣下の目が、わずかに見開かれた。


(松谷君、お前は命を縮める。東條閣下の腹心であるわしに終戦の懇願をしに来るとは。これが閣下の耳に届けば、お前は本当に玉砕の地へ送られるぞ――)


 そう言いたげな目だった。だが俺は、止まらなかった。


七 もう少し、多ければ


「軍務局長閣下。わたくしの覚書を、ご覧ください」


 懐から、一枚の紙片を取り出した。本日完成したばかりの第一案を、さらに短く凝縮した覚書だ。


「これは、わたくしが直訴で東條閣下に申し上げた五項目の骨子です。そして本日、戦争指導班で完成した第一案の要旨も込めてあります」


「ほう。本日、完成、と」


「貴公は、辞令を受けた本日に、なお新たな案を完成させたのか」


「戦争指導班長として、最後の職責です」


 佐藤閣下はしばし黙った。深く息を吐き、覚書を見つめた。長い沈黙だった。


 やがて、ゆっくりと顔を上げた。


「松谷君。わしは、東條閣下の腹心と言われておる」


「存じています」


「だが、わしも軍人だ。日本の敗北という現実が、見えぬわけではない」


 佐藤閣下は、覚書を懐に収めた。


「お預かりする」


 俺は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


「松谷君。お前は、本当に命を縮めるぞ」


「覚悟の上です」


 佐藤閣下はしばし俺を見つめた。そして低く、ひと言、言った。


「お前のような男が、もう少し陸軍中央に多ければ……」


 その先は、言葉にされなかった。だが俺には、その気持ちが痛いほど伝わった。


(佐藤閣下、あなたもまた、ご自分の立場の中で苦しんでおられる。東條閣下の腹心という重荷を背負いながら、心の奥では日本の敗北を予感されている。俺の覚書を受け取ってくださったのは、あなたなりの最大の譲歩だろう)


 佐藤閣下は、わずかに目を伏せた。


「松谷君。同郷の誼で、ひと言申そう」


「貴公の覚書、わしの心の中に、しかと留めおく」


「ありがとうございます」


「南京の畑元帥閣下に、よろしく」


「承知しました」


「身体を、大切にな」


「ありがとうございます」


八 星の冴え


 俺は深く敬礼し、佐藤邸を辞した。


 四谷の街並みを、灯火管制の闇の中でゆっくりと歩いた。夏の夜風が、背広の襟元を撫でた。


 遠くで、空襲警報の予兆のサイレンが鳴った。だがすぐに止んだ。誤報だったらしい。


 俺はふと、夜空を見上げた。闇の中に、わずかに星が見えた。その輝きが、いつもより白く冴えていた。


(一日が、終わった)


 心の中で呟いた。午後三時、辞令を受け取った。午後五時半、第一案を完成させた。午後八時、佐藤閣下に懇願した。


 左遷の辞令の日に、俺は二つの仕事を終えた。一つは戦争指導班長としての遺言。もう一つは、東條閣下の腹心への種蒔き。


 明日――俺はもう、戦争指導班長ではない。


 深く息を吸った。夏の夜気が、肺に流れ込んできた。


 市ヶ谷台への長い帰り道を、俺はゆっくりと歩き始めた。



◆ 後書き 種村 佐孝(たねむら さたか、参謀本部戦争指導班員)


 昭和十九年七月二日の、あの日。


 午後、後宮高級次長に呼ばれた松谷課長が、辞令を手に班室へ戻ってこられた、その瞬間。顔の筋肉ひとつ動かさず、深く頷かれた課長の姿を、わたしはいまもはっきりと覚えている。


 あの日、わたしにも辞令が出た。明日付で戦争指導班長を命ず――松谷課長の後任だった。課長の後を継ぐ。その重みに、わたしの手は辞令を受け取りながら震えていた。


 正直に言えば、わたしは終戦の研究で、しばしば課長と意見を異にした。負けを前提に動くことに、軍人としてどうしても踏み切れなかった。春先、課長が和平の案をまとめようとした頃、わたしは邪魔者だったろう。ソ連への使いに出され、その留守に案が練られた。それを、わたしは知っていた。


 その課長が東條閣下に直訴して追われ、かつて反対していたこのわたしが後を継ぐ。皮肉なものだ。だが、班長の椅子に座ってみて、すぐにわかった。誰が座ろうと、もう覆せぬ。課長の見ていた現実は、正しかったのだ。


 何より忘れられぬのは、辞令を引き出しにしまった後――課長が机に戻り、ペンを取り、再び罫紙に向かわれた、あの後ろ姿だ。わたしと橋本少佐は、ただ息を呑むしかなかった。


 そして完成した第一案を、課長はわたしに託された。班長の職とともに、と。いずれ時節が変わる時、必ず上申せよ――その言葉を、わたしは生涯忘れなかった。


 翌、七月三日。橋本少佐は班の日誌に、こう記した。


――本日突然松谷大佐支那派遣軍参謀ヘ転任ノ発令アリ、戦争終末期ニ於ケル戦争指導者トシテ今後ノ活躍ヲ期待シアリタルニ、返スモ残念ナリ。然レトモ後任ハ老練ナル種村大佐ナルヲ以テ、茲ニ更ニ決意ヲ新ニシテ事態推移ヲ冷静ニ達観シ、難関克服ニ邁進シ以テ二十班ノ使命ヲ完ウセントス。今後二十班ノ使命ハ、沈勇以テ上司ノ断行ヲ補佐スルニ在リ。


 その同じ日誌に、わたしは数字も書きつけた。七月一日現在、陸軍の徴用船は七十四万トン。海軍の徴用船は六十六万トン。開戦の頃には、それぞれ二百万トン近くあった。半分どころではない。そしてニューギニアのヌンホル島には、この朝、敵が上がってきた。覆せぬ現実とは、こういう数字のことだ。


 左遷の発令を受けた、その日の午後。ふつうなら、机を蹴り、酒に逃げ、家族のもとへ走るだろう。だが課長は、そのどれもなさらなかった。ただペンを取り、最後の案を完成させ、後任のわたしに託された。それが、課長の魂だった。


 そしてその夜、課長は地味な背広に着替え、ひっそりと市ヶ谷を出ていかれた。行き先を、わたしは当時知らなかった。戦後になって、ようやく伺った。


 四谷の、佐藤賢了軍務局長の私邸。東條閣下の腹心への、和平の懇願。


 あの夜、課長はご自分の身の安全のためには、何ひとつ動かれなかった。ただ、皇国のために――。


 わたしは、課長の残された第一案を班の金庫の奥にしまった。いつか、これを上申できる日が来るのか。その日まで、わたしがこの班を守らねばならぬ。市ヶ谷台の夜は、静かに更けていった。


【執筆者補記】


 ■ 史実と創作の区別


 【史実に基づく部分】


 松谷誠が昭和十九年七月三日付で支那派遣軍参謀に発令されたこと。辞令の内容(陸軍大佐 松谷誠 支那派遣軍参謀ヲ命ズ)(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』)。


 松谷が、後宮淳高級次長(松谷の支那派遣軍勤務時期の総参謀長)の厚意により最前線への放逐を免れ、辻政信大佐の後任として古巣の支那派遣軍へ転出できたこと。赴任前に、神林浩陸軍省医務局長(内科の権威、松谷の支那派遣軍勤務時期の軍医部長)の健康診断を受け、身体に異状のないことを確認して中国に渡ったこと(松谷『大東亜戦争収拾の真相』『私の終戦メモ』)。


 松谷を班長とする戦争指導班が、昭和二十年春頃を目途とする戦争指導の案を起案していたこと。その判決(結論)の要旨が、政略攻勢により戦争の決を求めざるを得ず/条件は唯一国体護持あるのみ/政略攻勢の対象は先ずソ連に指向す/不成功に終わりたる場合は最早一億玉砕あるのみ、というものであったこと(松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』、吉松安弘『東條英機暗殺の夏』)。なお、この第一案・第二案の文書そのものは現存せず、松谷自身が『原文なし』と記している。


 種村佐孝が昭和十九年三月一日付で大佐に進級していたこと(陸軍異動通報)。松谷の後任として、昭和十九年七月三日付で種村が戦争指導班長(第二十班長)に就任したこと(『機密戦争日誌』、吉見直人『終戦史』、『機密戦争日誌』巻末の戦争指導班変遷表)。種村がもともと開戦時に作戦課に同調した強硬派で、松谷の和平案に反対し、その留守を作るためソ連へのクーリエとして出張させられた経緯があること(吉見直人『終戦史』)。


 七月三日の班長交代に際し、戦争指導班の『機密戦争日誌』に、松谷の突然の転任を惜しむ記述(戦争終末期の戦争指導者として今後の活躍を期待していたのに返すも残念なり/後任は老練なる種村大佐なるをもって決意を新たにし難関克服に邁進し二十班の使命を全うせんとす/今後二十班の使命は沈勇以て上司の断行を補佐するに在り)が記されたこと。同日の日誌に、陸軍徴用船七十四万トン・海軍徴用船六十六万トン、ニューギニアのヌンホル島に敵が上陸した旨が併記されたこと(『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌 下』昭和十九年七月三日の項)。


 東條の腹心であった佐藤賢了軍務局長が、戦局悪化の頃、松谷が軍務局長の自宅へ来て、声をひそめて『何とか早く戦局を収拾して、国体だけを護持するよう考えてくれ』と何度も囁いた、と回想していること(山本智之『主戦か講和か』が引く佐藤賢了『終戦の想ひ出』。なお佐藤の回想では松谷の階級を中佐と誤記)。


 佐藤賢了が東條英機の腹心の一人で、対米強硬論の中心人物であり、昭和十三年の『黙れ事件』で知られること。陸軍大学校時代に切れ者として『あいつはずるいから軍刀はやれぬ』と同期に評された逸話があること。佐藤が松谷と同郷(石川県金沢市)であること。


 松谷が七月三日付の発令に伴い、四日に松平秘書官長・重光外務大臣・加瀬秘書官に離別の挨拶をしたこと(松谷『大東亜戦争収拾の真相』)。


 【創作部分】


 松谷が佐藤賢了の私邸を訪ねて和平を懇願したこと自体は史実(佐藤の回想)ですが、それが『辞令を受けた七月二日の夜』であったという日付の特定は創作です。佐藤の回想は時期を『戦局が悪化の一路を辿った頃』とするのみで、松谷自身の回想にも佐藤を訪ねた記録はありません。本話は、左遷が決まったその日の夜という設定に置くことで、松谷の覚悟を際立たせました。


 松谷が辞令を後宮高級次長の部屋で直接受け取り、その場で神林の健康診断を受けるよう告げられる、という本話の場面構成は創作です。松谷が後宮の厚意で南京へ転出し、神林の健診を受けたことは史実ですが、後宮が辞令と健診の件を直接松谷に伝えた、という具体的なやりとりは史料にありません。ただ、松谷が後年、この二つをいずれも後宮の高配によるものと明記していることから、後宮本人から伝えられた可能性が高いと考え、この場面を置きました。後宮の台詞や所作、健診の件に松谷が含みを感じ取る描写は創作です。


 第一案の起案・完成を七月一日起案・二日完成とした日付、班室での所作や三人のやりとり、第一案を後任の種村に託す場面の細部は創作です。種村が松谷の後任の班長になったことは史実ですが、その辞令が松谷の辞令と同じ七月二日に同時に出された、という日付の設定は創作です。実際の起案・完成・発令の正確な日時は史料上特定できません。


 佐藤邸での会話の細部、室内の情景、佐藤の内心、『お前のような男がもう少し陸軍中央に多ければ』という台詞は創作です。佐藤が松谷の懇願を受け止めたという事実の趣旨を踏まえた肉付けです。


 覚書を佐藤に渡す描写は創作です(佐藤の回想にあるのは口頭での懇願です)。


【人物紹介】


 ■ 松谷 誠(まつたに せい、1903-2000)


 陸軍大佐。本話時、参謀本部戦争指導班長(翌三日付で支那派遣軍参謀)。本作の主人公。本話では、左遷の辞令を受けた当日に、なお最後の案『昭和二十年春頃ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル第一案』を完成させ、その夜、東條の腹心・佐藤賢了の私邸へ和平を懇願しに行く。一人称は地の文で『俺』。


 ■ 橋本はしもと 正勝まさかつ


 陸軍少佐。本話の前書きの語り手。参謀本部戦争指導班員で、松谷の信頼する直属の部下。本話では、松谷が辞令を受け、最後の案を仕上げて去っていく一日を、傍らで見守る。種村とともに、戦争指導班の魂を引き継ぐ。


 ■ 種村 佐孝(たねむら さたか、1903-1966)


 陸軍大佐。本話の後書きの語り手。参謀本部戦争指導班員で、第一案の起案にも参与。昭和十九年三月一日付で大佐に進級。もともとは開戦時に作戦課に同調した強硬派で、春先には松谷の和平案(第三案)に反対し、その留守を作るためソ連へのクーリエ(伝書使)として出張させられた経緯がある。だが本話で、その松谷の後任として、皮肉にも七月三日付で戦争指導班長を命じられ、松谷から第一案を『いずれ時節が変わる時、必ず上申せよ』と託される、遺言の継承者となる。『大本営機密日誌』の著者として、戦時下の戦争指導班の内情を後世に伝えた、本作の主要史料の一人。


 ■ 佐藤 賢了(さとう けんりょう、1895-1975)


 陸軍中将、陸軍省軍務局長。石川県金沢市出身で、松谷と同郷。陸士二十九期。東條英機の腹心の一人で、対米強硬論の中心人物。陸軍大学校時代には、切れ者すぎるあまり同期から『あいつはずるいから軍刀はやれぬ』と警戒されたとの逸話が残る。昭和十三年、衆議院の委員会で『黙れ』と一喝した『黙れ事件』で知られる。本話では、東條の腹心と言われながらも、松谷の懇願『国体だけを護持するよう考えてくれ』を受け止める、心の奥に敗北の予感と和平への共感を秘めた人物として描かれる。同郷の誼で、最後に『身体を大切に』と言葉をかける。戦後、A級戦犯として終身刑、のち仮釈放。


 ■ 畑 俊六(はた しゅんろく、1879-1962)


 陸軍元帥、支那派遣軍総司令官。本話では言及のみ。松谷が赴任する南京の総司令官で、かつて松谷を幕僚として重用した。佐藤が別れ際、松谷に『南京の畑元帥閣下によろしく』と言葉を託す。


【用語集】


 ■ 昭和二十年春頃ヲ目途トスル戦争指導ニ関スル第一案


 松谷を班長とする戦争指導班が起案した、戦争終結に向けた案。骨子は五項目――日独ともに作戦的に大勢を挽回する見込みなく速やかに戦争終末を図る/軍事ではなく外交による政略攻勢で決着を求める/条件は国体護持のみ/政略攻勢の対象はまずソ連/成らずば一億玉砕あるのみ。松谷が自らの左遷の発令を待つ身でありながら、最後まで職責を全うするために仕上げた、遺言とも言うべき文書。本話で、後任の戦争指導班長となる種村佐孝に託される。


 ■ 一億玉砕いちおくぎょくさい


 国民全員が玉砕してでも戦い抜くという、戦時下の精神論的標語。本来は徹底抗戦の象徴だが、本話の第一案の第五項では、和平が成らなかった場合の最終手段として置かれる。すなわち、それほどの覚悟をもって和平交渉に臨むという、現実主義の極致の表現。


 ■ 軍務局長ぐんむきょくちょう


 陸軍省軍務局の長。陸軍中将職。予算・動員・対外政策・対議会など、陸軍が国家全体に対して持つ政治的影響力を行使する中枢ポストで、『陸軍の政治家』とも称された。作戦を扱う参謀本部とは役割が異なる。本話で松谷が懇願に赴く佐藤賢了が、この職にあった。


 ■ 「黙れ事件」(だまれじけん)


 昭和十三年三月、衆議院の国家総動員法委員会で、当時陸軍省の中佐であった佐藤賢了が、議員の質疑に『黙れ』と一喝した事件。陸軍が議会を公然と恫喝した象徴的な出来事として、当時から大きな波紋を呼んだ。本話の佐藤の人物背景として言及される。


 ■ 種蒔き(たねまき)


 本話の末尾で松谷が『東條閣下の腹心への、種蒔き』と心中で表す、佐藤への和平懇願の意義。即座に効果を生まずとも、東條の最側近の心の奥に和平の必要を埋め込んでおくことで、いずれの時節における和平の扉を開く可能性を残す、長期の政治工作の手法。


【参考文献】


 ■ 一次史料・回想録


 松谷誠『大東亜戦争収拾の真相』芙蓉書房、1980年


 種村佐孝『大本営機密日誌』ダイヤモンド社、1952年


 佐藤賢了『佐藤賢了の証言――対米戦争の原点』芙蓉書房、1976年


 ■ 二次史料・研究


 山本智之『主戦か講和か――帝国陸軍の秘密終戦工作』新潮社、2013年


 吉見直人『終戦史――なぜ決断できなかったのか』NHK出版、2013年


(注)本話の会話・心理・情景は当方の創作です。とくに佐藤賢了邸の訪問を辞令の夜とした日付は創作です(訪問の事実は佐藤『終戦の想ひ出』を引く山本智之『主戦か講和か』に拠ります)。史料に残る発言・事実の趣旨は保持しつつ、本作の文体に直しました。



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